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その百一 禍躬の宴

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 前兆はあった。
 だが人の欲目がそれから顔をそむけた。
 結果、大惨事が発生する。
 降りかかる災厄。
 人々はとてつもない代償を支払わされることになる。
 先遣隊の唯一の生き残りが地上へと帰還する前後のこと。
 それは起きた。

  ◇

 東のお三輪山、坑道入り口付近。
 ひしめきあっていたのは、大勢の鉱夫たち。これから潜ってひと稼ぎ。
 屈強な体躯の男たちに混じって、老人や女や子どもの姿もちらほら。

 ひと口に鉱夫といっても、鉱山はけっして男だけの働き場ではない。そしてまた腕っぷしだけでどうにかなる仕事でもない。
 どこを掘るべきか? どの方向に進むべきか? 安全の有無は? などなど。経験を積んだ年寄りの知恵が必要とされる。
 根気のいる作業では短気でムラっ毛のある男どもよりも、粘り強く辛抱強い女たちの方がうまくいくことが多い。
 子どもはその小ささゆえに、狭い所にもずんずん入っていけるし、坑道内をちょろちょろしていてもあまり邪魔にはならないので、小間使いや伝令役などでも重宝する。そんな風にして大人たちの働く姿を間近に見てきた子どもたちも、やがて大きくなっては一人前の鉱夫となっていく。
 こうして鉱夫の血は次世代へと受け継がれていき、宝雷島はずっと優れた働き手を失うことなく栄えてきたのである。

  ◇

「ちっ、いつまでちんたら待たせやがる。今日はやけに人が多いな?」

 順番待ちをしている男がちょっとイラついている。
 一方で彼の隣にて適当な岩に腰をおろし、煙管をふかしている同僚はのんびりしたもの。

「近々、山が封鎖されるってんで、みなその前に稼いでおこうって腹積もりなんだろうよ」
「なるほど。しかしなんで鉱山を封鎖するんだ? 禍躬がどうこうって話だが、アレは鉄と火を嫌うってんで、これまで鉱山にちょっかいをだしたって話はとんと聞いたことがないんだが」
「さぁな。御上が決めたことだ。元締めたちも従っている以上は、下っ端のおれたちには何もいえねえよ。とはいえたしかに変な話さ。で、じつはこんな噂があるんだが……」

 急に声の調子を落としこしょこしょ、耳打ちすることにゃあ。
 じつは、七之助山の奥でとんでもない鉱脈が見つかったもので、荒らされる前に隔離して御上の方で独り占めするつもり、うんぬんかんぬん。

「なっ! マジかよ」
「しっ、声が大きい。あくまで噂だよ、噂。行方不明が多いって話は、その秘密を隠すために口封じをされたとか、あるいは地の底の秘密の場所で働かされているんだとよ」
「うわぁ、ってか、この人の多さ。まさか……」
「そのまさか、ばかりとは言い切れぬが、多少はそういった魂胆の者も混じっているんだろうよ。あわよくばおこぼれを頂戴しようってのがな」

 そこまで話したところで、煙管をふかしていた男が「どれ、よっこらせ」と腰をあげて「いまのうちにちょいと出すもん出してくらぁ」とはばかりにひとり向かう。

 人混みを避けて、最寄りの建物の裏手にある繁みへと。
 いちいち厠まで行くのは面倒だと、その辺で用を済ますことにした。
 うつむき帯を解くのに手間取っていると、ふと感じたのが何者かの視線。
 それで顔をあげたときに、すぐ目の前にあったのは造り物のヘビの頭。藁で編んだかのようなそれは、しかしとても大きかった。顔だけで男よりもなお大きい。

「へっ?」

 おもわず気の抜けた声が出た。
 それが男の発した最期の言葉となった。

  ◇

 がやがやと順番待ちをしていた人々。
 その前方にて突如として騒ぎが勃発した。
 うしろの方にて控えていた者らは、てっきりまたケンカでも始めたのかと思った。ここでは日常茶飯事にて、とくに珍しいことではない。おおかた周囲が煽っては盛り上がっているのであろうぐらいに考えた。
 でもそれがちがうことにすぐに気がつく。
 暴れていたのは巨大な蛇体。禍躬ジャナイが集団の横合いから突っ込んできては、無差別に人々を襲っていたのである。

 現場はたちまち大混乱に陥った。
 逃げ惑う人々。少しでも脅威から遠ざかろうとする。
 だがその時のことであった。

 カーン、カーン、カーン。

 音を耳にしたとたんに、足がすくんで動けなくなってしまった人々。呼吸がうまくできない。体がまるで言うことを聞かない。
 恐慌状態の人々が目撃したのは、崖の上に悠然と立っては、こちらを見下ろしている禍躬ギサンゴの姿。

 二体の禍躬に囲まれ、一帯が死地へと変貌する。
 けれども真の恐怖はそのあとに訪れる。

 咆哮が鳴り響いた。

 血の凍るような恐ろしい声は、坑道の奥から届く。
 のそりのそり、何者かが地上へと這い出そうとしている。
 漂ってくる気配が、濃厚な死のニオイが、圧倒的存在感が、その場にいたすべての人間たちの意識に瞬時に刻まれ、誰もがそれから目をそむけられない。

 やがて姿をあらわしたのは、赤胴色をした隻眼の異形。
 形状はクマに似ている。だがずっともっと大きい。体の毛が燃えたつ焔のように揺らめいており、右目には刀傷……。

 地上へと出てきた隻眼の異形。
 これを首を垂れて恭しく出迎えるギサンゴとジャナイ。
 隻眼の異形は鷹揚にうなづきつつ、周囲を睥睨。
 太い右腕を振り上げると、坑道入り口近くの岩肌へとおもむろに振り下ろす。
 とたんに固い表面に深々と刻まれたのは六本爪の跡。

「たったいまから、ここは自分の縄張りになった」とでも言わんばかりの仕草。

 そしてはじまったのは禍躬たちの祝いの宴。
 でもそれは人間たちにとっては絶望の宴。
 ごちそうはずらりと並べられた鉱夫たちの血肉……。


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