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その九十五 白狼の昔語り 漂流
しおりを挟む子どもたちとは別の檻に入れられ、引き離されたオウラン。
母子は人間たちの手により何処かへと運ばれていく。
けれどもその道行きはとても血生臭いものとなる。
なにせ白狼の毛は目立つ。檻に幕をかけ、厳重に保管したとて、人の口には戸を立てられぬ。
行く先々でひそひそひそ。
するとこう考える者があらわれる。
「すぐ目の前にお宝があるというのに、これをみすみす見逃す手はないだろう」と。
獲物を掠め取ろうと目論む者が出現するまでに、さして時間はかからなかった。そして手口がどんどんと荒っぽくなっていくのにも……。
襲撃につぐ襲撃。
ときには裏切りもあった。
命懸けにてようやく宝を手に入れられたと、ほっとしたのもつかのま、すぐに別の誰かに狙われる。
人間同士が自分をめぐって殺し合う浅ましい姿を、オウランは檻の中からじっと見つめていた。
彼女にとってはどうでもいいこと。バカどもが勝手にするがいい。ただ案ずるのは我が子たちのことのみ。
だからオウランはひたすら耐え忍び、逃げ出す好機が必ず来ると信じて、雌伏の時を過ごす。
◇
血塗られた旅路。
その風向きが急にかわった。
潮の香り……、数多の競争者たちを出し抜いた一派が、海へと船を漕ぎ出したのである。
これにオウランは内心で「まずいね」と舌打ち。
陸地を離れることまではさすがに想定していなかった。これではうかつに逃げ出せない。
オオカミは大地を駆ける獣。泳ぎはあまり得意ではない。オウラン自身はともかく、まだ小さい我が子たちではなおさら。
双子を抱えながらでは、いかにオウランとていかほど泳げるものか。
「……だが、いまさらあわてたところでしようがない。こうなったら途中で陸づけしたときを狙うしかない」
オウランが密かに決意を固める。
ずっとおとなしくしていたのが功を奏し、連中はすっかり油断している。
だからきっとうまくいくはず。
◇
出港して三日目のことであった。
朝から揺れていた船底。船全体がなにやらざわついている。
だからオウランはてっきりまた襲撃かと考えたが、ちがった。
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檻が船底で暴れ、あちこちにぶつかる。
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ようやく訪れた好機。オウランが喜んだのは言うまでもない。
けれども、直後のことであった。
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◇
じりじりと肌が焼ける、背中がやけに重い。胸が苦しい。
はっと気がついたオウラン。
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しかしどこにもいない!
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「あぁ、あの子たちは檻ごと海の底に沈んでしまったんだ」
嘆く白狼。
ついにすべてを失ってしまった。故郷も、仲間も、夫も子どもたちも、もうどこにもいない。消えてしまった。
何ひとつ守れなかった。
絶望……とたんに虚しさに襲われて、すべてがどうでもよくなりかけた。
けれども水面に浮かぶ船の残骸らをぼんやり眺めているうちに、ふとあることに気がつく。
「おもいのほかに荷が少ない……。船底にはいろいろ積んであったはずなのに。船が大破したひょうしに、大半が海に転げ落ちた?」
その考えが誤りだと教えてくれたのは、賊の生き残り。
なにげにオウランが視線を向けると、その者が不自然な挙動にてついと顔をそむける。
ただそれだけでオウランにはわかってしまった。
我が子たちは海の底に沈んでしまったんじゃない。
意図的に沈められたんだということを。
荒れる海、ひどい嵐にあっていまにも沈みそうな船。乗っていた人間たちはこう考えた。「このままでは船がもたない。重たい荷物を捨てろ、少しでも船を軽くするんだ」と。
その捨てられた荷の中に双子の子オオカミたちが入っていた檻も含まれていたのである。
◇
空と海が茜色に染まる頃。
漂流している難破船に生きている人間の姿はない。
みな死んだ。
猛り狂った白狼の牙と爪により、生きながらにしてその身をズタズタに斬り裂かれて、絶叫のうちに果てた。
返り血により全身を朱に染めた白狼。
水平線の彼方へと沈みゆく陽をにらみ、吐いたのは世界のありとあらゆるものへと向けて放たれた呪詛。
「どいつもこいつも、ろくなもんじゃない。こんな世界、なにもかも消えちまえっ!」
悲しみと鎮魂の遠吠えが、夜の海のしじまに鳴り響く。
いつまでも、いつまでも……。
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