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その九十一 残酷な真実
しおりを挟む赤嶺の麓、猿谷との間にある石の河原にて、焚き火を囲んでいる男たち。狒々神の花嫁と供物を運んできた一行。
夜更けに谷を抜けて、寝入りばなのサルたちの機嫌を損ねることを恐れて、ここで一夜を明かすことに決めた。
ひと仕事終えての帰路。だが、みなの表情は暗い。
じかに大狒々を見て、そのただならぬ妖気に触れたせいもあるが、里の平穏と引き換えに輿入れされた少女が辿る過酷な運命を思うと、どうしても沈痛な面持ちとなる。特に娘を持つ親は他人事ではない。明日は我が身なのだから。
「いったいいつまでこんなことを続けなくちゃならないんだ」
誰かがぼそりとそう漏らすも、みな顔をそむけるだけで何も答えようとはしない。
押しつぶされそうな重苦しい沈黙。
そんなときであった。
不意に背後にてカツンと小石が動く音がしたもので、一同びくり、驚いて振り返る。
闇の中よりぬっとあらわれたのは狒々神の顔。
これに男たちは蒼白となる。いまの不平不満を聞きとがめられたのかとかんちがいし、すぐさま平伏してぶるぶる震えだす。
するとそんな彼らが耳にしたのは、ドサリと何かが地に落ちる音。
こわごわと顔をあげた男たちが目にしたのは、狒々神の生首。
何が起きたのかわからない。
呆気にとられて固まったままの男たち。
そんな彼らに「みなを苦しめていた狒々神は倒されました。繭玉山の犬神さまとその眷属の方が退治なさってくださったのです」と告げたのは冬毬。
直後に赤嶺中に届けとばかりに響いたのは、雄々しい遠吠え。
ウォオォォォォーン。
ウォオォォォォーン。
雄壮なる調べは白狼オウランと山狗のコハク、二頭の共演。
それは勝ちどきであり、大狒々の過酷な支配の終焉を告げるものであった。
◇
救われたことを知って涙ながらに喜ぶ男たち。それらに囲まれもみくちゃにされながら質問責めにされている風の民の娘。
その姿を遠目に確認してから、オウランとコハクはとぼとぼと嶺沿いを歩き帰路につく。
戦いは終わった。
禍躬は去り、この地もじきに平穏を取り戻すだろう。
だというのにコハクの表情はいっかな晴れない。
原因はニオイ。山狗の宿敵である禍躬の発する、あのニオイがまだ残っている。ザクロマダラは倒したというのに、獣臭に混じってかすかに漂ってくる忌まわしいニオイ。
最初は受けた返り血のせいかと思った。
いいや、そうにちがいないと思い込もうとした。
でなければ、あんまりであろう。
死力を尽くして闘った褒美がコレでは、あまりにも報われない。
だがしかし、現実はどこまでいっても残酷だった。
少し先を歩く白狼オウラン。
「はて? 今宵はやたらと夜目がしゃんと効く。ザクロマダラの野郎にぶん殴られたときの打ちどころが良かったのかねえ」
おどけてふり返ったオウラン。
その半盲の瞳に薄っすらと浮かんでいたのは淡い赤。
もしもコハクが禍躬狩りの男に育てられた山狗でなければ、きっと夜更かしをしたせいで充血でもしているのだろうと見過ごす程度の変化。
それは予兆。
獣が禍躬へと至るときにあらわれるもの。
禍躬がどうして発生するのか、その本当のところは誰にもわからない。
ただ昔から大地の気が濃厚な場所にて成ると伝わっている。
大狒々ザクロマダラとはじめて対峙したとき。
コハクは相手が半成り状態であると見抜いた。
それと同時にこうも考えて首をかしげたものである。
『たしかにここ赤嶺の一帯は人外魔境と化しているせいで、自然の色が濃くはあるが、それならば繭玉山の辺りも似たようなものなのに』と。
くしくもそれは的を射ていた。
しかしそんなもの、はずれていて欲しかった。
だが一度わかってしまえば、認めてしまえば、もうダメであった。
山狗の血が、矜持が、己の鼻を偽れない。
繭玉山の洞窟を目指して歩き続ける二頭。
意を決したコハクが「ねえ、オウラン」と白狼の背に声をかける。
オウランは前を向いたまま「なんだい?」
いつもと変わらぬ声音を耳にしたとたんに、コハクはもう二の句がつなげなくなってしまった。口の中が乾く。舌がしびれたようになって、うまいこと回らない。喉の奥がひりひりして声が出ない。なんとか絞り出そうとするも無理であった。
心がその言葉を発することを拒絶している。
もう、どうにもならない。
そんなことはわかっている。わかっているが……。
コハクは「ううん、お腹が減ったなぁ、とおもって。そうだ! また魚を捕りに行こうよ。今度は、もっと上手くやれるとおもうから」と誤魔化す。
涙でぼやける視界の中、山狗の子はどうしても真実を口にすることはできなかった。
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