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その八十七 禍躬ザクロマダラ
しおりを挟む助走をつけて跳ねる山狗の子。
禍躬ザクロマダラと空宙にて激突。
突き出すように振るわれた禍躬の長腕。左の一撃を身をひねりぎりぎりのところでかわしたコハク。きりもみしつつ爪による反撃を試みる。
回転の力が加味された鋭い爪が、肌を斬り裂く。血飛沫があがる。
が、なにやら手応えがおかしい。異変を感じたコハクは、直後に邪険に払われた相手の腕を足蹴にして利用し、いったん距離を置く。
刹那の攻防。
空中にて交差した二頭の影が重なったとおもった次の瞬間には、もう離れていた。
けれども着地と同時に双方がすかさず動く。息を吸う間も惜しみ、足を止めることなく次の攻撃へと移行する。
お互いに相手へと接敵。どちらも右回りに弧を描くような軌道にて疾駆。期せずして大きな渦を描き、中央にてぶつかる。
頭上高くに両手を組んだザクロマダラ。これをコハクの鼻先めがけて振り下ろす。
槌のような一撃。長い腕がしなりぶぅんと唸る。
尋常ではない力を秘めていることは火を見るよりも明らか。これに正面から立ち向かうのは危険。ゆえにコハクはとっさに四肢の爪を立て、強引に制動をかける。
相手が急停止したことにより、ザクロマダラの攻撃は的を捉え損ねて空振り。けれども殴られた地面の石畳が、これにより爆ぜた。
盛大に飛び散る石片たち。
爆心地を中心にして衝撃波が発生。粉塵混じりの白い雪煙が暴れる。
コハクは巻き込まれまいと回避行動をとるも、悪い視界の中、すべては避けきれない。いくつか貰ってしまった。すり傷や打撲をこさえることになる。
対してザクロマダラの方は、きょとん。
「なんだこれは……。固い石の床がこんなにもたやすく砕けるだなんて」
もとから膂力には自信があった大狒々。だが、いくら強いといっても、せいぜいウマの首をねじってはへし折り、石床にヒビを入れる程度が限界であったというのに……。
氷瀑の滝つぼに叩き落とされて以降、我が身になんらかの変化が生じていることは薄々わかっていた。血の滾りが身を内より焦がす。体の奥底より力が溢れてくるのも感じている。それと同時に「すべてを壊したい」という、謎のどす黒い破壊衝動が湧いてきては、どうしようもないということも。
しかし忌々しい山狗の子に目を潰されてしまって、確認のしようがなかった。
それでもおぼろげながら理解したのは「どうやら自分はかなり強くなったらしい」ということ。
ザクロマダラがしわくちゃの顔をいっそう歪ませて、拳を握ったり開いたりしながら、にぃいと凄惨な笑みを浮かべる。
その姿にコハクは「まずいな」と内心で舌打ち。
ザクロマダラはまだ禍躬に成りたてであるがゆえに、自分自身のことがよくわかっていない。意識と身体、感覚などの間に相当のズレがある。ゆえにその身に宿った獣外領域の力に戸惑い、翻弄されて、振り回される。
これをねじ伏せ、支配し、制御するのには相応の時間を要する。
あの禍躬シャクドウですらもが、いくつも集落を襲撃していくうちに、じょじょに会得していった。
だというのにザクロマダラはこの短時間のうちに、はやくもそれを身につけようとしている。もとからの知能の高さもさることながら、目を失った分だけ他の感覚が鋭くなっているせいとおもわれる。
正しい認知は理解をよりいっそう深める。
そして理解は成長を促進する。
己が真に何者であるのかを悟ったとき、禍躬は本物の禍躬へと至る。
その前にケリをつけるべくコハクは攻勢にでる。
◇
もとが大狒々である禍躬ザクロマダラ。
人型であるがゆえに、急所もまたそれに準拠しているはず。
あらゆる生物にとって頭部は急所の巣窟。
鼻を潰せば呼吸困難を誘発し、こめかみなどの側頭部を殴打すれば平衡感覚が狂う。目は言わずもがな。耳のうしろをやられると一時的に身体がおもうように動かなくなる。顎を揺さぶれば中の脳も揺れてくらくらする。首を切られれば血が大量に噴き出し、骨を折れば息絶える。
心臓を貫けば即死するが、胸骨と胸筋の壁に守られている。
胴体の各臓器も似たようなもの。構造的に山狗の牙と爪では少し狙いにくい。
定番の股間は牡を行動不能へと至らせるのには極めて効果的だが、それゆえに守りも厳重。
脇の下、手首には太い血管がわりと皮膚近くに浮いおり狙いやすく、これを切れば大量の出血をもたらす。
肘の後部や踵の筋を切れば、手足が使い物にならなくなる。
長い両腕を鞭のようにしならせては、向かってくる山狗の子を迎え撃たんとする禍躬ザクロマダラ。
その猛攻を潜り抜けて懐へと入ったコハクが狙うのは、手首と脇の下。相手が首回りや頭部への攻撃はかなり警戒しているがゆえの選択であった。
のびてきた長腕による拳をかわしざま、その手首を爪で一閃。続けて流れるように脇下へと滑り込み、さらにもう一閃。高速移動からの爪によるに連撃。
ことごとく命中。だがしかしコハクは「えっ」と目を見張り、ザクロマダラはにへら。
狙い通り、駆け抜けざまに山狗の子の爪はたしかに当たった。的確に急所を抉って斬り裂いたはず。
なのに手応えがやはりおかしい。
いや、先の攻撃時よりも違和感がいっそう強くなっている。
その違和感の正体はザクロマダラの体毛に生じた変化。
コハクが攻撃を当てた箇所にて、汚れた雪のような灰色の毛が鈍い光沢を帯びては、折り重なって硬質化している。その姿はまるで人間たちが身につける甲冑や鎖帷子などの防具のようであった。
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