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その八十四 血痕の罠
しおりを挟む山狗の子を出し抜き、冬毬を攫って朽ちた神殿の奥へと逃げた大狒々。
コハクもあわてて飛び込み後を追うも、荒廃した内部の状況がこれを阻む。
わざと「ギャッギャ」と騒いでは先を行くザクロマダラ。
そのせいで粉塵が舞いあがり、視界がいっそう悪い。
暗がりの中をうかつに声のする方へと駆け寄ろうとすれば、待ち受けるのは散乱している瓦礫、尖った木片、いまにも倒れてきそうな柱などなど。腐った床板を踏み抜けば危ない。
一方でザクロマダラの方は勝手知ったる我が家。
自分がまんまと誘い込まれたとコハクは悟るも、だからとて止まるわけにはいかない。周囲には獣臭と埃やカビ臭い湿気が充ちている中を、懸命に鼻を使っては大狒々の行方を辿る。さいわいなことに、先に加えた痛打による血痕がところどころに点々と残っているので、ニオイと併用すれば見失うことはない。
◇
荒れ放題の神殿内部。
どこもかしこもひどいあり様であったが、皮肉なことに屋根が抜け落ち、壁がはがれてしまっているところほど、程よく風が通っており快適であった。
かとおもえば、すぐ隣の部屋へと移動したとたんに「うっ」とコハクは顔をしかめる。
むせ返るような濃厚な青臭さが滞留している空間。
浸蝕している蔓や木の根たちのせいだ。半ば凍っていても、なお存在感を主張している。
かつて自然を削って人間たちが建てた神殿。
そのお返しだとばかりに、今度は旺盛な植生が内部を喰い荒らし占拠している。
この様子ならば、さほど時を置かずして神殿そのものが山に呑み込まれてしまうことであろう。
ザクロマダラを追い、慎重かつ急ぎながらさらに奥へ。
進むほどに冷気が増し、吐く息の白さも増した。深く息を吸い込むと鼻の奥がツンとする。
コハクはおもわずぶるると身を震わす。
「水の気配がする……この感じ、神殿の裏手には滝でもあるのだろうか。でも水が落ちている音がちっとも聞こえてこないけど」
耳を立てコハクが彼方の様子を探っていると、拾ったのは「きゃっ」という声。
大狒々のものじゃない。人間のもの。それすなわち冬毬の声ということ。どうやら囚われていた彼女が目を覚ましたようだ。
コハクは近くの壁の穴から廊下へと抜けると、声が聞こえた方へと足を向けた。
◇
いつしか廊下が木から石の床にかわっていた。足元から伝わる冷気がぐんと強まる。
かなり奥まった場所にて、このあたりは屋根も壁も健在らしく、雨風雪による被害をまぬがれて原型を留めている。
石床の上にポタポタと連なる血。
赤い点々の間隔がじょじょに開いている。
凍結しつつあるそれに鼻先を近づけて、検分する山狗の子。
「これは……傷口から流れる血がはやくも止まりかけている? けっこう深く噛みついたのに。片手は冬毬を掴んでいてふさがっている。びっこを引いて逃げているから、手当をしている余裕なんてなかったはず」
もしも自然治癒によるものだとしたら、それはとても異様なこと。
なにせ噛み砕くことこそはできなかったものの、筋(すじ)や肉を断ち、骨の表層すらも抉るほどに深く牙を突き立てたのだから。
手応えはあった。
それがこの短時間のうちに回復するなんてありえない。
だがありえないことを可能にする存在が、唯ひとつある。
「ひょっとして半成りが、本成りになろうとしている? いよいよ禍躬が誕生しようとしているのか! いけない、急がないと」
蛹と蝶がまるでちがうように、賢しい大狒々と禍躬となった大狒々とでは完全に別物といっても過言ではない。討伐難易度が格段に跳ねあがる。
なんとしてもザクロマダラが獣外領域へと踏み出す前にケリをつけねばならない。
◇
石の廊下を進んだ先は、とても暗い部屋であった。
稀に見る闇色は、かつてコハクの身を湖国の祝い山より、遥か北方であるこの地にまで運んだ黒い奔流にも似ていた。
明かりとりの窓の類が一切なく、外部から遮断されたような場所。
一瞬、立ち入るのに躊躇するも、奥からかすかに漂ってくる血はたしかにザクロマダラのもの。冬毬のニオイもする。
だからコハクは意を決して足を踏み入れた。
暗がりの中、ポツポツと続く血痕を辿り進んでいく。
が、それが唐突に途絶えた。
キョロキョロと首を動かし、鼻をスンスンとさせる。風の流れからして、部屋の奥には出口があることはわかったものの、続きがいっかな見つからない。
これに首をかしげる山狗の子。
そのときのことであった。
ふいにガコンと音が鳴る。
何かが倒れる音がしたとおもったら、かすかな地響き。ぱらぱらと上から氷の粒やら、折れたつららなんぞが降ってきたもので、驚いたコハクが天井を見上げると、隅の暗がりの中に浮かぶ赤い目があった。
ザクロマダラの目が笑っていた。
それを前にしてコハクは自分が罠にハメられたことを悟ったものの、時すでに遅し。
次々と梁や板が落ちてくる。天井が崩落。巻き込まれた山狗の子の姿は、あっという間に埋もれて見えなくなってしまった。
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