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その八十一 蘇る山狗の血
しおりを挟む挨拶もそこそこに、朽ちた神殿から逃げるように立ち去った男たち。
たちまち閑散となった場。あとに残されたのは花嫁を載せた輿と山積みの供物。
台座より腰をあげた大狒々がのそり、これに近づく。
たちまちあらわとなる容貌。
ザクロマダラ、その名前の由来となった乱れた毛並みはもとより、体形もまた歪。
両腕が異様に長い。後ろ脚に比べるとさらに二尺近くほどもの長さがあろうか。肩幅が広くやたらと角ばっていた。首は太いものの短い。いや、これはよく発達した両肩の筋肉に埋もれるように見えているだけのこと。その上にちょこんなんと乗っているのが、しわくちゃの小顔。体の大きさのわりに頭がずいぶんと小ぶり。枯れた老爺の面のような顔の中で、ふたつの瞳が赤く爛々としていた。本来ならばあるはずの尾の姿はない。根元近くにて切れて失くなってしまっている。
腕、肩、胴体、足、首、頭、顔……、すべてがちぐはぐ。
ザクロマダラは食べ物が詰まった木箱や酒壺などをちらり一瞥するも、そちらにはさして興味を示した様子もなく、真っ先に向かったのは輿の方。
さっそく捧げられた花嫁の姿を拝もうと、かけられた垂れ幕にそっと手をかけようとするも、その動きがぴたりと止まったかとおもえば、いきなりバッと幕を乱暴に引っぺがした。
幕の内では、いままさに己の喉を持ってきた守り刀にて貫こうとしている冬毬(とまり)の姿があった。
生きたままなぶられ、喰われる屈辱を味わうぐらいならばいっそ、との覚悟の自決。
出来れば風の民の娘として、一矢報いてから逝きたいところではあったが、下手に手向かいをすればのちのち里にどのような災いがおよぶかわからない。涙ながらに自分を送り出した父や同胞たちにもきっと累がおよぶだろう。
だからこそ、ひとり死のうとしたのだが……。
バンッ!
長腕による横薙ぎ。
男四人がかりで担いできた輿がたやすくひっくり返る。はずみで冬毬は外へと投げ出された。ひょうしに小刀が手よりこぼれてしまう。あわててこれを拾おうとするも、その前にザクロマダラが立ちふさがる。
にちゃりといやらしい笑みを浮かべる大狒々。
その赤い双眸と目があった瞬間、冬毬の身は固まってしまい、指一本動かせなくなってしまった。
のびてくる腕。
毛むくじゃらの指先が頬に触れる。顔の輪郭をなぞるように這ったかとおもえば、そのまま首筋へと移動する。しばし耳たぶをいじられたかとおもえば、ふいに顎先をくいと持ち上げられた。
ずいと近づいてきたザクロマダラの顔。
近い。とたんに強まる獣臭。生臭い息を吐きかけられて、冬毬はたまらず顔をそらそうとするも、それはかなわない。いくら身悶えしても無駄であった。
このままくびり殺されるのか、あるいは首にガブリと噛みつかれるのか。
恐々とする娘にできた抵抗といったら、せめて固く目を閉じていることぐらいであった。
なのに最後の時も苦痛もちっとも訪れてこない。
やたらと長く感じる時間に耐えかねて、冬毬が薄くまぶたを開けたとき。
すぐそこにあったのは、世にもおぞましい残忍なる笑み。
ザクロマダラはあえて待っていたのである。
憐れな生贄がみずから目を開けるのを。
尊厳ある死?
そんなものは許されない。なぜならその身はすでに狒々神に捧げられた供物なのだから。
獲物が怯え絶望する様を間近で眺めては、悦に浸っている大狒々。
もう一方の空いた手では冬毬の腕や足を順繰りにまさぐっている。
その仕草はまるで「どれからもいで食べようかな」と遊びながら選んでいるかのようであった。
◇
狒々神の花嫁を無事に送り届け、ほうほうのていにて参道を下っていた男たち。
恐怖と屈辱、罪悪感に苛まれつつも、どこか安堵している。そんな己を恥じ憤るも、無力さを痛感しての帰路は、悪い夢の中に置かれたかのよう。
そんな男たちの前方の闇にて、突如として風が轟っと唸った。
かとおもえばすぐ脇を一陣の風が通り過ぎる。
コハクである。疾走する山狗の子をきちんと視認できた者は皆無。
ここにきてコハクは完全に調子を取り戻しつつあった。すべては冬毬を助けたい、大切な者を守りたい、二度とは失いたくないという強い想いから。
忠吾との別れにともなう喪失感。これによりぽっかりと開いた胸の穴を、オウランとの穏やかな暮らしや、冬毬との時間が少しずつ埋めていった。
自分が何者かを思い出したコハクに、もはや迷いはない。
ドクンと心臓が跳ね、全身を熱い血が駆け巡る。
目覚めし野生が猛る。
禍躬狩りの相棒という誇りが蘇り、胸の奥がカッと熱くなる。
衝動のままにコハクは駆けながら吠えていた。
雄々しい咆哮が闇を斬り裂く。
赤嶺そのものが震えた。
山狗の雄叫びをこの地に居合わせたすべての者たちが耳にする。
いままさに花嫁の左腕をもごうとしていた、大狒々ザクロマダラもまたしかり。
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