山狗の血 堕ちた神と地を駆けし獣

月芝

文字の大きさ
上 下
81 / 154

その八十一 蘇る山狗の血

しおりを挟む
 
 挨拶もそこそこに、朽ちた神殿から逃げるように立ち去った男たち。
 たちまち閑散となった場。あとに残されたのは花嫁を載せた輿と山積みの供物。
 台座より腰をあげた大狒々がのそり、これに近づく。

 たちまちあらわとなる容貌。
 ザクロマダラ、その名前の由来となった乱れた毛並みはもとより、体形もまた歪。
 両腕が異様に長い。後ろ脚に比べるとさらに二尺近くほどもの長さがあろうか。肩幅が広くやたらと角ばっていた。首は太いものの短い。いや、これはよく発達した両肩の筋肉に埋もれるように見えているだけのこと。その上にちょこんなんと乗っているのが、しわくちゃの小顔。体の大きさのわりに頭がずいぶんと小ぶり。枯れた老爺の面のような顔の中で、ふたつの瞳が赤く爛々としていた。本来ならばあるはずの尾の姿はない。根元近くにて切れて失くなってしまっている。

 腕、肩、胴体、足、首、頭、顔……、すべてがちぐはぐ。

 ザクロマダラは食べ物が詰まった木箱や酒壺などをちらり一瞥するも、そちらにはさして興味を示した様子もなく、真っ先に向かったのは輿の方。
 さっそく捧げられた花嫁の姿を拝もうと、かけられた垂れ幕にそっと手をかけようとするも、その動きがぴたりと止まったかとおもえば、いきなりバッと幕を乱暴に引っぺがした。

 幕の内では、いままさに己の喉を持ってきた守り刀にて貫こうとしている冬毬(とまり)の姿があった。
 生きたままなぶられ、喰われる屈辱を味わうぐらいならばいっそ、との覚悟の自決。
 出来れば風の民の娘として、一矢報いてから逝きたいところではあったが、下手に手向かいをすればのちのち里にどのような災いがおよぶかわからない。涙ながらに自分を送り出した父や同胞たちにもきっと累がおよぶだろう。
 だからこそ、ひとり死のうとしたのだが……。

 バンッ!

 長腕による横薙ぎ。
 男四人がかりで担いできた輿がたやすくひっくり返る。はずみで冬毬は外へと投げ出された。ひょうしに小刀が手よりこぼれてしまう。あわててこれを拾おうとするも、その前にザクロマダラが立ちふさがる。
 にちゃりといやらしい笑みを浮かべる大狒々。
 その赤い双眸と目があった瞬間、冬毬の身は固まってしまい、指一本動かせなくなってしまった。

 のびてくる腕。
 毛むくじゃらの指先が頬に触れる。顔の輪郭をなぞるように這ったかとおもえば、そのまま首筋へと移動する。しばし耳たぶをいじられたかとおもえば、ふいに顎先をくいと持ち上げられた。
 ずいと近づいてきたザクロマダラの顔。
 近い。とたんに強まる獣臭。生臭い息を吐きかけられて、冬毬はたまらず顔をそらそうとするも、それはかなわない。いくら身悶えしても無駄であった。

 このままくびり殺されるのか、あるいは首にガブリと噛みつかれるのか。
 恐々とする娘にできた抵抗といったら、せめて固く目を閉じていることぐらいであった。
 なのに最後の時も苦痛もちっとも訪れてこない。
 やたらと長く感じる時間に耐えかねて、冬毬が薄くまぶたを開けたとき。
 すぐそこにあったのは、世にもおぞましい残忍なる笑み。
 ザクロマダラはあえて待っていたのである。
 憐れな生贄がみずから目を開けるのを。

 尊厳ある死?

 そんなものは許されない。なぜならその身はすでに狒々神に捧げられた供物なのだから。
 獲物が怯え絶望する様を間近で眺めては、悦に浸っている大狒々。
 もう一方の空いた手では冬毬の腕や足を順繰りにまさぐっている。
 その仕草はまるで「どれからもいで食べようかな」と遊びながら選んでいるかのようであった。

  ◇

 狒々神の花嫁を無事に送り届け、ほうほうのていにて参道を下っていた男たち。
 恐怖と屈辱、罪悪感に苛まれつつも、どこか安堵している。そんな己を恥じ憤るも、無力さを痛感しての帰路は、悪い夢の中に置かれたかのよう。
 そんな男たちの前方の闇にて、突如として風が轟っと唸った。
 かとおもえばすぐ脇を一陣の風が通り過ぎる。
 コハクである。疾走する山狗の子をきちんと視認できた者は皆無。

 ここにきてコハクは完全に調子を取り戻しつつあった。すべては冬毬を助けたい、大切な者を守りたい、二度とは失いたくないという強い想いから。
 忠吾との別れにともなう喪失感。これによりぽっかりと開いた胸の穴を、オウランとの穏やかな暮らしや、冬毬との時間が少しずつ埋めていった。
 自分が何者かを思い出したコハクに、もはや迷いはない。

 ドクンと心臓が跳ね、全身を熱い血が駆け巡る。
 目覚めし野生が猛る。
 禍躬狩りの相棒という誇りが蘇り、胸の奥がカッと熱くなる。
 衝動のままにコハクは駆けながら吠えていた。
 雄々しい咆哮が闇を斬り裂く。
 赤嶺そのものが震えた。
 山狗の雄叫びをこの地に居合わせたすべての者たちが耳にする。

 いままさに花嫁の左腕をもごうとしていた、大狒々ザクロマダラもまたしかり。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

忠犬ハジッコ

SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。 「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。 ※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、  今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。  お楽しみいただければうれしいです。

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

ぼくの家族は…内緒だよ!!

まりぃべる
児童書・童話
うちの家族は、ふつうとちょっと違うんだって。ぼくには良く分からないけど、友だちや知らない人がいるところでは力を隠さなきゃならないんだ。本気で走ってはダメとか、ジャンプも手を抜け、とかいろいろ守らないといけない約束がある。面倒だけど、約束破ったら引っ越さないといけないって言われてるから面倒だけど仕方なく守ってる。 それでね、十二月なんて一年で一番忙しくなるからぼく、いやなんだけど。 そんなぼくの話、聞いてくれる? ☆まりぃべるの世界観です。楽しんでもらえたら嬉しいです。

ローズお姉さまのドレス

有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。 いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。 話し方もお姉さまそっくり。 わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。 表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

こちら第二編集部!

月芝
児童書・童話
かつては全国でも有数の生徒数を誇ったマンモス小学校も、 いまや少子化の波に押されて、かつての勢いはない。 生徒数も全盛期の三分の一にまで減ってしまった。 そんな小学校には、ふたつの校内新聞がある。 第一編集部が発行している「パンダ通信」 第二編集部が発行している「エリマキトカゲ通信」 片やカジュアルでおしゃれで今時のトレンドにも敏感にて、 主に女生徒たちから絶大な支持をえている。 片や手堅い紙面造りが仇となり、保護者らと一部のマニアには 熱烈に支持されているものの、もはや風前の灯……。 編集部の規模、人員、発行部数も人気も雲泥の差にて、このままでは廃刊もありうる。 この危機的状況を打破すべく、第二編集部は起死回生の企画を立ち上げた。 それは―― 廃刊の危機を回避すべく、立ち上がった弱小第二編集部の面々。 これは企画を押しつけ……げふんげふん、もといまかされた女子部員たちが、 取材絡みでちょっと不思議なことを体験する物語である。

お姫様の願い事

月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。

四尾がつむぐえにし、そこかしこ

月芝
児童書・童話
その日、小学校に激震が走った。 憧れのキラキラ王子さまが転校する。 女子たちの嘆きはひとしお。 彼に淡い想いを抱いていたユイもまた動揺を隠せない。 だからとてどうこうする勇気もない。 うつむき複雑な気持ちを抱えたままの帰り道。 家の近所に見覚えのない小路を見つけたユイは、少し寄り道してみることにする。 まさかそんな小さな冒険が、あんなに大ごとになるなんて……。 ひょんなことから石の祠に祀られた三尾の稲荷にコンコン見込まれて、 三つのお仕事を手伝うことになったユイ。 達成すれば、なんと一つだけ何でも願い事を叶えてくれるという。 もしかしたら、もしかしちゃうかも? そこかしこにて泡沫のごとくあらわれては消えてゆく、えにしたち。 結んで、切って、ほどいて、繋いで、笑って、泣いて。 いろんな不思議を知り、数多のえにしを目にし、触れた先にて、 はたしてユイは何を求め願うのか。 少女のちょっと不思議な冒険譚。 ここに開幕。

処理中です...