山狗の血 堕ちた神と地を駆けし獣

月芝

文字の大きさ
上 下
77 / 154

その七十七 狒々神の花嫁

しおりを挟む
 
 冬毬の姿が消えた。
 里の様子もおかしい。
 何らかの異変が起きたことはたしか。

 風の民は流浪の民だ。だからいずれはこの地より出立する。いなくなったとて不思議ではない。しかし彼らは来るときも去るときも、信奉する犬神さまへの挨拶を欠かすことはない。ゆえにこの失踪はあまりにも不自然。
 だからコハクは風の民の娘の行方を追おうとするも、すでに彼女がこの地を離れてから日数を経ているせいか、痕跡が薄く途切れ途切れ。それでも鼻を駆使して懸命に辿るも、峠のあたりでついに見失ってしまった。

「オウランの縄張りを超えたのか。でも、いったいどこに……」

 この先の土地がどうなっているのか、コハクはまだ知らない。オウランからも「体が万全になるまでは縄張りから出るな」と釘を刺されている。なぜなら、ちがう土地には別の統治者がいるから。余所者がうかつに足を踏み入れれば問答無用にて敵と見なされ、いらぬ諍いを招きかねない。

 このまま行くべきか、それとも留まるべきか。

 逡巡する山狗の子。
 するとそこに「おーい、おーい」と聞こえてきたのは自分を呼ぶ声。
 誰かとおもえばオウランであった。
 息せき切って駆け寄ってきた白狼が「よかった。まにあったか」ふぅと安堵の吐息。

「ちょっと不穏なウワサを耳にしてね。もしやとおもって、きて正解だった」

 その不穏なウワサとは冬毬に関係したこと。
 とたんにコハクの目元が険しくなる。

  ◇

 オウランが支配する繭玉山付近より、山を三つばかり超えた地。
 そこら一帯を統治しているのは大狒々。
 皮膚病を患っているのか、ところどころ毛が抜け落ちている。あらわとなっている部位が熟れたザクロのように真っ赤で、乱れた毛並みがまだら模様のように見えることから、いつの頃からかザクロマダラと呼ばれるようになっていた。
 百と八頭もの配下を従え、長らく王として君臨している。
 その影響力は絶大にて、人間たちも供物を捧げて、どうにかお目こぼしをしてもらっているほど。

 あの地域では獣とヒトとの立場が逆転している。
 そんな話を聞かされてコハクは首をかしげずにはいられない。

「サルがヒトを支配する? そんなことが本当に可能なの? だって人間の国には軍隊もあれば、強い武官とか、禍躬狩りとか、焙烙玉や火筒とかのおっかない武器もたくさんあるのに」
「たしかにね。まともにぶつかれば、大狒々どもに勝ち目はないさ。でもこんな雪深い貧しい僻地に、たかだかサルどもを殺すためだけに、どこの酔狂な王さまがわざわざ軍隊を派遣してくれるっていうんだい? それにねえ……」

 ここでいったん言葉を切ったオウランが、半盲の瞳にて峠から先を見つめながら言った。

「向こうはちょっとしたすり鉢状の盆地になっていて、外部へと通じている道は限られているんだよ。ヒトの足で越えようとすればさらに少なくなる。半ば閉じた土地なんだ。だからザクロマダラの野郎、要所に手下を配置しては、四六時中、出入りを監視させていやがるのさ」

 大狒々の被害に苦しむ里人らが、意を決して国に訴え出ようとしても、その動きを素早く察知されて、阻止されてしまう。
 もちろん不遜な企てを実行しようとした者は、相応の罰を与えられる。みせしめだ。生きながらに体のあちこちを何頭ものサルどもからいっせいにかじられ、肉をえぐられ、ズタボロにされたあげくに、半狂乱となったところを里へと放り込まれるというのだからおそろしい。

 それでもヒトは生きていかねばならない。
 かくして妥協の産物として誕生したのが、供物を捧げるという行為。
 白狼を「犬神さま」と祀るように、大狒々を「狒々神さま」と祀っては仮初の平穏を得ている。
 けれども両者には決定的にちがう点がふたつある。
 ひとつは自発的に行われている前者とはちがい、後者は半ば強制に近いということ。
 問題はふたつめ。
 大狒々は作物のみでは飽き足らずに、定期的に人の身を欲したのである。
 里の者らはこれを狒々神の花嫁と云った。

 みなの平穏のためにと、毎年差し出される花嫁。
 何でもいいというわけじゃない。数はひとりきりだが、肌艶がよく活きのいい娘に限られる。そうそう都合よく用意できるわけもなく。回を重ねるごとに苦しくなってきた里。ついには自前で用意できないときには、外部から買い付けるようになっていた。

「これはさっき馴染みのカラスから聞いたんだが、どうやら今年の花嫁として冬毬に白羽の矢がたっちまったみたいだ」

 オウランからそう告げられた瞬間、コハクの全身が総毛立ち、怒りもあらわとなる。
 グルルと猛る山狗の子。それもそのはずだ。狒々神の花嫁だなんぞと言いつくろったところで、ようは生贄なのだから。
 そしてどうして冬毬がわざわざ湯場まで足繁く通っていたのかも、遅まきながら悟った。
 病弱なんぞではなかった。あれは来たるべき日に備えて、身を清めるための潔斎の儀であったのだ。
 あの子は、あんなにも華奢で小さな体なのに、すべてを呑み込み受け入れた上で、笑っていたのだ。

 弱き者? とんでもない!
 強い、でもそれはあまりにも悲しい強さ。

 ずっとそばにいたというのに、億尾にも不安や怯えをみせなかった冬毬。
 それがコハクはとても悲しい。とても寂しい。そしてとても腹が立ってしようがない。
 気づけぬ己のマヌケさに、はらわたが煮えくり返ってしようがない。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

四尾がつむぐえにし、そこかしこ

月芝
児童書・童話
その日、小学校に激震が走った。 憧れのキラキラ王子さまが転校する。 女子たちの嘆きはひとしお。 彼に淡い想いを抱いていたユイもまた動揺を隠せない。 だからとてどうこうする勇気もない。 うつむき複雑な気持ちを抱えたままの帰り道。 家の近所に見覚えのない小路を見つけたユイは、少し寄り道してみることにする。 まさかそんな小さな冒険が、あんなに大ごとになるなんて……。 ひょんなことから石の祠に祀られた三尾の稲荷にコンコン見込まれて、 三つのお仕事を手伝うことになったユイ。 達成すれば、なんと一つだけ何でも願い事を叶えてくれるという。 もしかしたら、もしかしちゃうかも? そこかしこにて泡沫のごとくあらわれては消えてゆく、えにしたち。 結んで、切って、ほどいて、繋いで、笑って、泣いて。 いろんな不思議を知り、数多のえにしを目にし、触れた先にて、 はたしてユイは何を求め願うのか。 少女のちょっと不思議な冒険譚。 ここに開幕。

こちら第二編集部!

月芝
児童書・童話
かつては全国でも有数の生徒数を誇ったマンモス小学校も、 いまや少子化の波に押されて、かつての勢いはない。 生徒数も全盛期の三分の一にまで減ってしまった。 そんな小学校には、ふたつの校内新聞がある。 第一編集部が発行している「パンダ通信」 第二編集部が発行している「エリマキトカゲ通信」 片やカジュアルでおしゃれで今時のトレンドにも敏感にて、 主に女生徒たちから絶大な支持をえている。 片や手堅い紙面造りが仇となり、保護者らと一部のマニアには 熱烈に支持されているものの、もはや風前の灯……。 編集部の規模、人員、発行部数も人気も雲泥の差にて、このままでは廃刊もありうる。 この危機的状況を打破すべく、第二編集部は起死回生の企画を立ち上げた。 それは―― 廃刊の危機を回避すべく、立ち上がった弱小第二編集部の面々。 これは企画を押しつけ……げふんげふん、もといまかされた女子部員たちが、 取材絡みでちょっと不思議なことを体験する物語である。

忠犬ハジッコ

SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。 「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。 ※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、  今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。  お楽しみいただければうれしいです。

最強メイド!おぼっちゃまたちをお守りします!

緋村燐
児童書・童話
ハンターの父とヴァンパイアの母の間に生まれた弧月望乃。 ヴァンパイアでありながらハンターになる夢を持つ彼女は、全寮制の学園に通うための準備をしていた。 そこに突然、母の友人の子供たちを守る護衛任務を依頼される。 楽しみにしていた学園に行くのは遅れるが、初めての依頼とあってワクワクしていた。 だが、その護衛対象の三兄弟とは中々仲良く出来なくて――。 メイドとして三兄弟を護衛するJCヴァンパイアの奮闘記! カクヨム、野いちご、ベリカ にも掲載しています。

夢の中で人狼ゲーム~負けたら存在消滅するし勝ってもなんかヤバそうなんですが~

世津路 章
児童書・童話
《蒲帆フウキ》は通信簿にも“オオカミ少年”と書かれるほどウソつきな小学生男子。 友達の《東間ホマレ》・《印路ミア》と一緒に、時々担任のこわーい本間先生に怒られつつも、おもしろおかしく暮らしていた。 ある日、駅前で配られていた不思議なカードをもらったフウキたち。それは、夢の中で行われる《バグストマック・ゲーム》への招待状だった。ルールは人狼ゲームだが、勝者はなんでも願いが叶うと聞き、フウキ・ホマレ・ミアは他の参加者と対決することに。 だが、彼らはまだ知らなかった。 ゲームの敗者は、現実から存在が跡形もなく消滅すること――そして勝者ですら、ゲームに潜む呪いから逃れられないことを。 敗退し、この世から消滅した友達を取り戻すため、フウキはゲームマスターに立ち向かう。 果たしてウソつきオオカミ少年は、勝っても負けても詰んでいる人狼ゲームに勝利することができるのだろうか? 8月中、ほぼ毎日更新予定です。 (※他小説サイトに別タイトルで投稿してます)

悪魔さまの言うとおり~わたし、執事になります⁉︎~

橘花やよい
児童書・童話
女子中学生・リリイが、入学することになったのは、お嬢さま学校。でもそこは「悪魔」の学校で、「執事として入学してちょうだい」……って、どういうことなの⁉待ち構えるのは、きれいでいじわるな悪魔たち! 友情と魔法と、胸キュンもありの学園ファンタジー。 第2回きずな児童書大賞参加作です。

山姥(やまんば)

野松 彦秋
児童書・童話
小学校5年生の仲良し3人組の、テッカ(佐上哲也)、カッチ(野田克彦)、ナオケン(犬塚直哉)。 実は3人とも、同じクラスの女委員長の松本いずみに片思いをしている。 小学校の宿泊研修を楽しみにしていた4人。ある日、宿泊研修の目的地が3枚の御札の昔話が生まれた山である事が分かる。 しかも、10年前自分達の学校の先輩がその山で失踪していた事実がわかる。 行方不明者3名のうち、一人だけ帰って来た先輩がいるという事を知り、興味本位でその人に会いに行く事を思いつく3人。 3人の意中の女の子、委員長松本いずみもその計画に興味を持ち、4人はその先輩に会いに行く事にする。 それが、恐怖の夏休みの始まりであった。 山姥が実在し、4人に危険が迫る。 4人は、信頼する大人達に助けを求めるが、その結果大事な人を失う事に、状況はどんどん悪くなる。 山姥の執拗な追跡に、彼らは生き残る事が出来るのか!

空の話をしよう

源燕め
児童書・童話
「空の話をしよう」  そう言って、美しい白い羽を持つ羽人(はねひと)は、自分を助けた男の子に、空の話をした。    人は、空を飛ぶために、飛空艇を作り上げた。  生まれながらに羽を持つ羽人と人間の物語がはじまる。  

処理中です...