山狗の血 堕ちた神と地を駆けし獣

月芝

文字の大きさ
上 下
68 / 154

その六十八 夢暗路

しおりを挟む
 
 夜の山道を忠吾と並んで歩いているコハク。
 慣れた場所ゆえに、闇はまるで苦にならない。
 じきに寝起きしている小屋が見えてきた、あと少し。帰ったらまずは明かりを灯し、囲炉裏にも火をかけ、今日の獲物を納戸にしまって、それからいっしょに食事をして、毛を梳いてもらって……。

 いつのまにか主人の背中が前にきていた。
 ぼんやり考え事をしているうちに、足が鈍ったらしい。
 山狗の子はやや早足となり、すぐに主人の横に並ぼうとする。
 なのになぜだかその距離がいっこうに縮まらない。
「へんだぞ」と小首を傾げつつ、コハクは「ならば」と駆け足となる。自慢の足ならば、この程度の距離はまばたきひとつの間に追いつけるはず。
 なのにちっとも追いつけない。
 コハクは駆け出す。
 しかしダメだった。近づくどころか、むしろじょじょに遠ざかっていくばかり。

「待ってよ、待ってってば。置いてかないでよ忠吾」

 山狗の子はひと吠えして、主人に呼びかける。
 だが忠吾が立ち止まることはない。
 老禍躬狩りは黙々と歩き続ける。

 やがて先に山小屋へと到着した忠吾が表戸に手をかけたところで、ようやくふり返ったものの、その顔色を目にしてコハクはハッとなる。
 コハクはその顔を知っている。命の灯火が消えるときにあらわれるもの。

 主人の身に尋常ならざることが起こっている!

 それを悟ったコハクは懸命に駆けに駆けた。それこそ山のひとつやふたつを飛び越えるかのような勢いにて。
 なのに辿り着けない。見えているのに、そこにいるのに、どれだけ駆けても届かない。老禍躬狩りと山狗の子の間に横たわる闇がまるで接触を拒んでいるかのよう。

 するとそんなコハクに向かって忠吾は、少し困ったような笑みを浮かべ言った。

「ありがとう。達者でな」

 そう告げて小屋の中へと入った忠吾。
 とたんに小屋そのものの姿がかき消えて、彼の気配もふつりと消えた。
 周囲にあった山も木々も坂道も消えた。
 視界のすべてが闇となった中を、コハクは忠吾の名を呼びながら主人の姿を求めて、ひたすら駆け続ける……。

  ◇

 樹液を煮詰めて固めたかのような色味をした瞳が、しばし中空を彷徨うも、すぐにまたまぶたが閉じられる。
 熱を溜めた温かな岩棚に身を横たえていた山狗の子。
 ずっとうなされながら、何者かの名を呼んでは、ときおり涙を流す。
 ようやく目を覚ましたかとおもえば、すぐにまた微睡へと戻っていく。
 その様子を心配そうに見つめていたのは、磯場で拾った半死半生の山狗の子をここまで運んできたオオカミ。

「やれやれ、ずっとこんな調子だよ。この分ではうっかり足を滑らせて川に落ちたとかいう話ではなさそうだね。それにしてもこの体つき……、並みじゃない。じつによく鍛えられている。野生だけでは、なかなかこうはいかないよ。おそらくはヒトの手が入っているのだろうけど」

 昏々と眠り続ける山狗の子。その怪我の具合を確かめがてら、オオカミはしきりに感心する。
 骨格がしっかりしており、足首太く、四肢も逞しい。いまだ発達途中であろう筋肉は硬すぎず、柔らかすぎず、しなやかさと強靭さが同居している。ベタつく海水を温泉の湯で洗い流し、あらわとなった毛の艶と張りの良さときたら、若さを差っ引いてもまだお釣りがくるほど。
 なによりオオカミが驚かされたのが、襟首をくわえて持ち運んでいるときに感じた、あの重心の安定感。どっしりしており、まるで大地に根をはる大樹のごとし。
 これは身に揺るぎない芯が通っている証拠。
 両親より受け継いだ天性のものなのか、はたまた後天的に身につけたものなのかはわからないが、どちらにせよ稀有な才を宿していることにはかわりない。

 たっぷりの栄養、厳しい鍛錬、そして充分な休息……。

 ざっと身体を検分するだけで、この子がいかにご主人さまから惜しみない愛情を注がれてきたのかがよくわかるというもの。

「でもだからこそ、この涙の理由が心配だね。大切な者との別れはつらい。それが病気や災害などの納得するしかないものであったとしても、中々受け入れられないというのに、それ以外によってもたらされたものだとしたら」

 病気や怪我に飢え、あるいは天災に巻き込まれて死ぬのはしようがない。
 あるいは戦いの果てに迎える死もまたしようがない。
 誰かに牙をむき、爪を立て、害意を向けるということは、自身がやり返されても文句は言えないことなのだから。
 もちろん抗う。最後の瞬間までけっしてあきらめたりはしない。抗って、抗って、抗って、抗って、あがいて……、それでもおよばず力尽きるのならば、しようがない。
 獣が獣として精一杯に生き、獣として死に、朽ちていくのならばそれはそれでいい。
 だがときにはあまりにも理不尽な出来事によって、命が無惨に手折られることがある。
 いったいどのような罪咎があって、そのような目に合わねばならぬのかと慟哭し、天の神々を糾弾し、世のすべてを呪わずにはいられない。そんな出来事が……。

「目を覚ました時、この子は光と闇、どちらの道を選ぶのだろう。できればあたいのようにはなって欲しくないけど、こればっかりは当人次第だからねえ」

 オオカミはつぶやきながら、山狗の子の頬を伝う涙を舌でそっと優しく舐めた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪魔さまの言うとおり~わたし、執事になります⁉︎~

橘花やよい
児童書・童話
女子中学生・リリイが、入学することになったのは、お嬢さま学校。でもそこは「悪魔」の学校で、「執事として入学してちょうだい」……って、どういうことなの⁉待ち構えるのは、きれいでいじわるな悪魔たち! 友情と魔法と、胸キュンもありの学園ファンタジー。 第2回きずな児童書大賞参加作です。

四尾がつむぐえにし、そこかしこ

月芝
児童書・童話
その日、小学校に激震が走った。 憧れのキラキラ王子さまが転校する。 女子たちの嘆きはひとしお。 彼に淡い想いを抱いていたユイもまた動揺を隠せない。 だからとてどうこうする勇気もない。 うつむき複雑な気持ちを抱えたままの帰り道。 家の近所に見覚えのない小路を見つけたユイは、少し寄り道してみることにする。 まさかそんな小さな冒険が、あんなに大ごとになるなんて……。 ひょんなことから石の祠に祀られた三尾の稲荷にコンコン見込まれて、 三つのお仕事を手伝うことになったユイ。 達成すれば、なんと一つだけ何でも願い事を叶えてくれるという。 もしかしたら、もしかしちゃうかも? そこかしこにて泡沫のごとくあらわれては消えてゆく、えにしたち。 結んで、切って、ほどいて、繋いで、笑って、泣いて。 いろんな不思議を知り、数多のえにしを目にし、触れた先にて、 はたしてユイは何を求め願うのか。 少女のちょっと不思議な冒険譚。 ここに開幕。

守護霊のお仕事なんて出来ません!

柚月しずく
児童書・童話
事故に遭ってしまった未蘭が目が覚めると……そこは死後の世界だった。 死後の世界には「死亡予定者リスト」が存在するらしい。未蘭はリストに名前がなく「不法侵入者」と責められてしまう。 そんな未蘭を救ってくれたのは、白いスーツを着た少年。柊だった。 助けてもらいホッとしていた未蘭だったが、ある選択を迫られる。 ・守護霊代行の仕事を手伝うか。 ・死亡手続きを進められるか。 究極の選択を迫られた未蘭。 守護霊代行の仕事を引き受けることに。 人には視えない存在「守護霊代行」の任務を、なんとかこなしていたが……。 「視えないはずなのに、どうして私のことがわかるの?」 話しかけてくる男の子が現れて――⁉︎ ちょっと不思議で、信じられないような。だけど心温まるお話。

盲目魔女さんに拾われた双子姉妹は恩返しをするそうです。

桐山一茶
児童書・童話
雨が降り注ぐ夜の山に、捨てられてしまった双子の姉妹が居ました。 山の中には恐ろしい魔物が出るので、幼い少女の力では山の中で生きていく事なんか出来ません。 そんな中、双子姉妹の目の前に全身黒ずくめの女の人が現れました。 するとその人は優しい声で言いました。 「私は目が見えません。だから手を繋ぎましょう」 その言葉をきっかけに、3人は仲良く暮らし始めたそうなのですが――。 (この作品はほぼ毎日更新です)

荒川ハツコイ物語~宇宙から来た少女と過ごした小学生最後の夏休み~

釈 余白(しやく)
児童書・童話
 今より少し前の時代には、子供らが荒川土手に集まって遊ぶのは当たり前だったらしい。野球をしたり凧揚げをしたり釣りをしたり、時には決闘したり下級生の自転車練習に付き合ったりと様々だ。  そんな話を親から聞かされながら育ったせいなのか、僕らの遊び場はもっぱら荒川土手だった。もちろん小学生最後となる六年生の夏休みもいつもと変わらず、いつものように幼馴染で集まってありきたりの遊びに精を出す毎日である。  そして今日は鯉釣りの予定だ。今まで一度も釣り上げたことのない鯉を小学生のうちに釣り上げるのが僕、田口暦(たぐち こよみ)の目標だった。  今日こそはと強い意気込みで釣りを始めた僕だったが、初めての鯉と出会う前に自分を宇宙人だと言う女子、ミクに出会い一目で恋に落ちてしまった。だが夏休みが終わるころには自分の星へ帰ってしまうと言う。  かくして小学生最後の夏休みは、彼女が帰る前に何でもいいから忘れられないくらいの思い出を作り、特別なものにするという目的が最優先となったのだった。  はたして初めての鯉と初めての恋の両方を成就させることができるのだろうか。

ローズお姉さまのドレス

有沢真尋
児童書・童話
最近のルイーゼは少しおかしい。 いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。 話し方もお姉さまそっくり。 わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。 表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

忠犬ハジッコ

SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。 「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。 ※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、  今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。  お楽しみいただければうれしいです。

処理中です...