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その六十七 獣の世
しおりを挟むどんより灰色の空。
太陽の姿は雲の奥に隠れている。
びょうびょうと哭く風がやや肌寒い。
陰鬱な暗い濃紺色の海。
波も荒い。まるで陸地を削ぐかのごとくぶつかってきては、白い泡沫を生じ、飛沫をまき散らす。
朝の浜辺をのそりと歩いていたのは、一頭の大きなオオカミ。山狗ほどもあろうか。
日課としている縄張りの見回り。億劫だが、さぼると余所者が勝手に足を踏み入れてくる。無用な争いを避けるためには必要なことなので、しようがない。とはいえ、やはりめんどうである。
しばし情緒に乏しい潮騒に耳を傾けながら歩く。
足の裏に伝わる感触がじっとり重い。砂がまとわりついてくる。
空も海も大地も……、ここはどこもかしこもが湿気っており、歩くほどに気分が滅入ってくる。より足どりを重くする。
そのせいか、ついうつむきがちになる。
傍から見れば、さぞやしょぼくれた姿に映ることであろう。
オオカミはふいに足を止める。
耳がちがう音を拾ってぴくり、顔をあげる。
この先にある磯の方がうるさい。
やたらと海鳥たちがギャアギャア騒いでいる。
「朝っぱらからやかましい連中だね。あいかわらずカンにさわる声だ。しかし何ごとだろう。またぞろ難破船でも流れ着いたのか?」
海からはいろんなモノが流れてくる。
でも大半がろくなもんじゃない。
かかわりたくない。しかしここは自分の縄張りだ。縄張り内で起きたことは、その地を統べる者が処理する。だからこそ他者はこれを認め敬意をあらわす。怠惰は許されない。
オオカミはため息ひとつついてから、磯へと足を向けた。
◇
ごつごつした磯辺。
海鳥たちが集い、遠巻きにしていたのは、波打ち際の水溜まりのところ。潮の満ち引きにより、たまさか海面へとあらわとなっている場所。
「ほら、邪魔だ、どきな」
オオカミに一喝されて、海鳥たちが飛び立ち囲いが解ける。
とたんに姿をみせたのは、銀の地に黒毛が混じった体毛が塩水にてすっかり濡れそぼった獣。全身傷だらけ。半ば海中に没するようにして、かろうじて首から先だけが表に出ている。
「これは……山狗の子じゃないか、珍しい。しかしなんだってまた山の獣が、こんな場所に……。どこぞの崖でうっかり足でも滑らせて川に落ちたのが、たまさか海まで流れついたのか。まだ若い身空で気の毒なことだ。さて、どうしたものかねえ」
他の動物や魚なんぞであれば、状態によっては食べてしまうところだが、あいにくとオオカミと山狗は親戚のようなもの。よほど飢えている時でもなければ、とても食べる気にはなれない。
かといってこのまま放置して、海鳥たちに突かれるのにまかせるのも、それはそれであまり愉快な光景ではない。
「ちっ、しょうがない。これも何かの縁だろう。せめて山に返してやるとするか」
ぶつくさぼやきながら山狗の子の首筋をくわえようと、オオカミが顔を近づけたところで、いきなりその相手が「がはっ」と息を吹き返したものだから、びっくり!
「うおっ! 驚いた。この子、まだ生きていたのかい? ずいぶんとしぶといねえ。とはいえ、このままだと時間の問題か」
ずっと海水に浸かっていたせいで身体が芯から凍えて、冷え切ってしまっている。
そのおかげで肉体が活動をほぼ休止し、傷から流れる血が最小限にとどめられ、体力の消耗も抑えられていたのであろうが、こうして外気に触れてしまった以上は一転して奪われるだけとなる。
助けるべきか、否か。
オオカミが逡巡していたのは、ほんのわずか。
すぐさま襟首をくわえると、山狗の子を水の中から引きあげる。
「首から上だけが表に出ていたのは偶然じゃない。こいつの生きる意思が、まだ燃え尽きていない命の灯火がそうさせたんだ。
若いのが必死になってがんばっている。生きようと足掻いている。だったら、ちょっとぐらい手を貸してやるのが年長者の務めってもんさね」
山狗の子をくわえたオオカミは「ずるいぞ、けちんぼ、足の一本でも置いていけ」とうるさい海鳥たちの声を無視して、磯場をあとにする。
向かうのは自分が根城としている洞穴の近く。
そこには冷え切った体を温め、傷を癒すのにうってつけの湯が湧いているところがある。
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