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その六十五 堰堤の戦い 奈落に消ゆ

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 堰堤に幾筋もの光の道が出現する。
 仕掛けられた火薬が次々と爆ぜたことにより生じたもの。
 小さなヒビ割れとヒビ割れ同士が結びつき、重なり、さらなる亀裂となっては、またべつの亀裂と交わり、より大きく、より深くなっていく。さながらいくつもの支流が合流して大河となるように。

 この崩壊の流れを加速させたのは、中心に取り込まれた禍躬シャクドウ。
 体に絡みついた焙烙玉も順次着火。
 閃光、衝撃、熱、風、炎……。至近距離にて爆破の洗礼を浴び、目が眩み、驚き慌てる禍躬シャクドウ。巨体が悲鳴をあげながら、どうにか逃れようとする。だが、もがけばもがくほどに破壊を助長するばかり。
 激しい揺れが続いた。
 とうとう二本足では立っていられなくなったシャクドウ。腕をついてどうにか踏ん張った。しかしこの状況になっても、まだ左手に掴んだ忠吾の身を放そうとはしない。むしろ逆に力を込めては六本爪を老体に食い込ませる。

 ふいにガクンと禍躬シャクドウの身が沈んだ。
 足下にて大規模な崩落が起きたのだ。
 それを合図として堰堤全体が歪み、波打ち、膨張したかとおもわれた次の瞬間、石組みが崩れて、あふれ出したのは大量の水。
 ついに堰堤が決壊した。

  ◇

 震える祝い山。
 堰堤が瓦解し、大量の水と石塊が入り乱れてはすべてを呑み込み、麓にある滝つぼや水路めがけて降り注ぐ。

「忠吾殿っ、忠吾殿ーっ!」

 さなかに叫んだのは緒野正孝。山狗のコハクに助けられどうにか窮地を脱したところで、ふり返り目の当たりにしたのは、宿敵ともども落ちていく老禍躬狩りの姿。
 正孝は忠吾を救い出すべく駆け戻ろうとするも、いきなりその襟首を掴まれて引き倒されてしまう。

「ばかやろうっ、お前まで死ぬ気かよ」

 怒鳴ったのは弥五郎であった。

「急げ、できるだけここを離れるんだ。ぐずぐずしていたら崩壊に巻き込まれるぞ」

 事実その通りにて、破壊の波は彼らのすぐ側にまで迫っていた。勢いは凄まじく堰堤だけではなく、周辺にも被害をおよぼしかねないほど。
 ともに負傷している若者たちは、足をひきずりながらも退避を急ぐ。
 それは他の生き残った者どもも同様であった。
 だがそんな渦中にあって、みんなとは逆の方向に走り出したのはコハク。
 アッと正孝が気づいたときには、すでに山狗の子は崩れた堤のふちから宙へと飛び出していた。
 樹液を煮詰め固めたかのような琥珀色をした双眸が捉えるのは、忠吾の姿のみ。
 これを懸命に追い、崩れ落ちるばかりの瓦礫を足場としては宙を駆け、コハクは一路主人のもとへと向かう。

  ◇

 青眼湖の堰堤が決壊。大量の瓦礫と水が混然一体となり、遥か下界へと殺到する。
 高低差に加えて、すべての物を大地へと引きつける力までもが合算された大瀑布。
 平素の放流とは訳がちがう。とてもではないがこんなシロモノ、受け止め切れるわけがない。
 直下にあった滝つぼが、次々と降り注ぐ瓦礫の餌食となった。
 たちまち水路があふれては高波を生じ、一帯を薙ぎ払う。その波は水路をひた走り、やがては星鏡湖をも激しく波立たせ、船舶を転覆せしめ、また湖岸の里や集落に被害をもたらすことになる。
 だがおもいのほかに被害が軽微ですんだのは、突如として滝つぼの底が抜けて出現した巨大な穴のおかげ。
 それは天から降り注ぐすべてを呑み込むほどの大穴であった。

 古くから信仰の対象であったこの地には、幾多の逸話や伝承が残っている。
 そのうちのひとつにこんな話がある。
 祝い山の地下にはまるで蟻の巣のように無数の穴が広がっており、亡者の国へと通じているんだとか。これを黄泉路という。
 迷ったが最後、二度と陽の光は拝めないという危険な場所。だが勇を奮って突き進んだ先には、轟々と地の底を流れる黒い「死の川」と、これをゴクゴクと呑んでいるとてつもない大きさの竪穴「奈落」があるという。

 滝つぼや水路の下、頑丈な地層や硬い岩盤を超えた先に、このような大穴が潜んでいようとは、いったい誰が想像しえたであろうか?
 これが例の「奈落」なのかはわからない。
 だがそれを彷彿とさせるほどの口径があることだけは確か。

 ぽっかりと開いた大穴。
 底はまるで見えず。ただ漆黒だけが充ちている空間。縁に立ちよくよく耳を澄ませば、遥か下の方に濁流が暴れるような音がかすかに届くばかり。
 堰堤の残骸の大半は穴に呑まれて消えた。
 青眼湖より流れ落ちた水の大半も呑まれて消えた。
 湖国を苦しめ続けていた禍躬シャクドウも呑まれて消えた。
 いっしょに伝説の禍躬狩りの男も呑まれて消えた。
 そして山狗の子は主人の後を追い、みずから穴へと飛び込み消えた。

 かくして災厄は去り湖国は救われる。
 だがあまりにも苦い勝利に生き残った男たちに笑みはなかった。


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