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その六十三 堰堤の戦い 焙烙玉

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 禍躬シャクドウの背に生えた顔と腕。
 小さい手にもかかわらず、もの凄い力にて掴まれた火筒がビクともしない。
 驚愕する忠吾。
 にちゃりと小さな顔が笑う。

 次の瞬間、横合いから暴風に見舞われ忠吾の体が吹き飛んでいた。シャクドウの右の剛腕によるふり向きざまの一撃。
 とっさに火筒から手を放し身をよじったことで、忠吾はかろうじて直撃こそは避けられたものの、裏拳と爪の洗礼を浴びる。ぎちりとアバラがイヤな音を立て、鮮血が飛び散り腹から胸元へとかけて裂傷が刻まれる。
 かすっただけだというのにこの威力っ! きりもみする身体、手足の自由がろくに効かない。これでは受け身はとれない。勢いのままに固い石床に叩きつけれられたら、とてもではないが無事ではすむまい。
 せめて頭部だけでも守ろうと、懸命に顎を引いた忠吾。衝撃に備える。だが激突は起きなかった。
 寸前にて割って入った山狗の子が、身をていして忠吾を受け止めてくれたからである。

「コハク、すまん、助かった」

 一時的に緒野正孝とともに戦線を離脱していたコハクが復帰。ビゼンもまた弥五郎のかたわらにて、主人を守るようにして立つ。
 これに遅れることわずか、正孝が砕けた愛槍のかわりとして、突火槍を手に駆けつける。荷袋を持つ探索方四名らの姿もあった。

  ◇

 ひゅん、ひゅん、ひゅん、ひゅん……。

 忠吾と四人の探索方らの頭上にて振り回されていたのは、玉のついた組み紐。
 これは禍躬狩りの道具で「焙烙玉(ほうろくだま)」という。紐の両端には石と玉が結ばれてある。拳よりひと回りほど大きな焙烙玉には黒水と火薬を混ぜて練られたものが詰められており、火をつけて相手にぶつけると爆発する仕掛け。どろりとした中身が対象にまとわりついては、しつこく延焼を続け相手を苦しめる。

 敵は五十以上もの鉄玉を喰らい全身血だらけ。だがなおも健在。
 一方で自陣の状況はというとあまり芳しくない。主力となる弥五郎の三連火筒は破壊され、忠吾の火筒はシャクドウの背に生えた手に奪われたまま。
 山狗のビゼンとコハク、緒野正孝、忠吾、弥五郎、探索方の四人の総勢。
 九対一と数でこそは勝っているが相手は禍躬だ。この程度の優勢はあてにならない。
 そこで忠吾は一同が合流するなり預けていた荷袋から、すかさず焙烙玉を取り出し、仲間らにも自分を真似るようにと通達。ただし「まだ火はつけるな」とひとこと添えて。
 その意図は……。

「おそらく焙烙玉を素直にぶつけたところでシャクドウは倒せまい。だから」

 ちらりと自身の足下をみて、ひと呼吸入れてから忠吾はとんでないことを口走る。

「……だから堰堤を切って、奴を叩き落とす」

 さすれば青眼湖の水と瓦礫がシャクドウを呑み込み瀑布となって、すべてが遥か下界へと降り注ぐ。ここは祝い山の天辺にて断崖絶壁のような場所。この高さから落ちたのならば、さしもの強靭さを誇る禍躬の肉体とてひとたまりもあるまい。
 莫大な工費と気の遠くなるような歳月をかけて築かれた堰堤。
 城塞の壁のごとき堅牢さにて、つねであれば壊すことは至難であったろう。だがここのところシャクドウが湖国内を荒らし回っていたもので修繕もままならず。傷むにまかせていたところに加えて、先にシャクドウみずからが盛大に暴れたもので、かなりガタがきている。戦いが始まってからずっと微振動を続けている。
 だからやり方次第では狙い通りにことが運ぶかもしれないと、忠吾は考えた。

 突拍子もない案に一同絶句。
 しかし男たちにはのんびり相談している時間も迷っている暇はなかった。はやくもシャクドウが動きだす素振りをみせたからである。
 狙うのは負傷している弥五郎。あくまで野生に従い、もっとも弱っている相手から仕留めるつもりなのだろう。
 弥五郎の方へとのそり、向かおうとするシャクドウ。
 させじとビゼンが立ちふさがり、主人を守ろうと猛り吠える。

「邪魔をするな」とばかりに縦に振られたシャクドウの左腕。

 だが攻撃は空を切った。勢いのままに石床が爆ぜ、新たな亀裂が生じる。そこから水がじわり染み出す。
 素早くかわしたビゼン、すかさず反撃。石床にめり込んでいるシャクドウの太い腕の肘をガブリ。牙を突き立てたのは火筒の玉を撃ち込まれて出来た傷口のひとつ。
 シャクドウの体表は毛やら厚い皮膚や脂肪に守られており頑丈だ。いかに山狗の顎とて、ふつうに噛みついたのでは、そうそう奥まで攻撃が通らない。ゆえにビゼンは傷に攻撃を重ねることで、さらに深く、広く、傷口を抉ることを狙う。
 これを嫌ってシャクドウが地面に埋まった腕を抜きがてら、ビゼンを力任せに振り払おうとするも、そのときにはすでに彼女は身を引いていた。

 肘から流れ落ちた血がぴちゃり、ぴちゃり。
 それにまじって、ゴトリと鳴ったのは玉が転がる音。
 いつのまにかシャクドウの後ろ足に絡みついていた組み紐。
 山狗ビゼンとの攻防のさなか、隙をみて放たれた忠吾の焙烙玉である。
 続けて矢継ぎ早やに一同へと老禍躬狩りが指示を飛ばす。

「焙烙玉を持つ者は奴の足を狙え。地面近くで爆ぜさせて奴の足下を崩す」
「ビゼンは弥五郎をさがらせろ」
「コハクと正孝殿は牽制とみなの援護を頼む」
「それから探索方の誰か、手の空いた者はひとっ走りして堰の水門を開けてくれ」

 忠吾の声に急かされるようにして、男たちは動きだす。
 そんな彼らの足下では堰堤がずっと不気味な胎動を続けていた。


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