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その六十一 堰堤の戦い 魔風
しおりを挟む禍躬シャクドウが嬉々として緒野正孝にトドメを刺そうとした時、炸裂したのは忠吾と弥五郎の火筒による同時射撃。
両側面、視認外からの十字砲火。
狙いは精確、放たれた鉄の玉が真っ直ぐに向かった先は禍躬シャクドウの真紅の双眸。
禍躬の肉体強度はとても高い。
ふつうの獣であれば活動不能に追い込まれるような傷を受けても、なお動ける。ばかりか回復能力も尋常ではなく、より強靭となってしまいかねない。
シャクドウはすでに二度の討伐を退けている。二度目にいたっては、あと少しというところまで追い込まれたという。だが奴は生き残った。そしてより狡猾となり、より残忍となり、より奸智にたけ、己の肉体をも変異させつつある。
このバケモノを確実に仕留めるには、絶対の急所を狙うしかない。
それすなわち頭部を破壊すること。
柔らかい眼球を貫いた玉は頭の内部へと侵入し、固い頭蓋骨内にて跳弾、暴れては中身をぐちゃぐちゃにかき回す。そうなればさしもの禍躬とてひとたまりもない。
だからこそ忠吾と弥五郎は目を狙ったのだが……。
◇
十字砲火が行われる間際のことであった。
ふいに気まぐれな風が吹く。ここは祝い山の堰堤の上、とりたてて珍しいことでもない。
たいしたことはない。とても弱い風だった。せいぜい前髪をふわりと撫でる程度のこと。
だがその風は東からひゅるりと吹いた。これが非常に珍しい。この場所ではたいていが北側から山裾、星鏡湖へと向かって、山おろしの風が吹くのがつねであったから。
竜宮のあたりに居座っていたシャクドウは、目の前の獲物に集中する一方で、無意識のうちにその違和感に気がつく。
日頃は吹かぬ風。それは環境の変化を意味している。たまさかなのかもしれない。だがそうではないのかもしれない。あるいは嵐でも来るのか? 己が内にある野生が敏感に反応する。
鼻先を動かしスンと風のニオイを嗅ぐ。
かすかにだが不快なニオイが混じっていた。
反射的にそのニオイのもとを確かめようと、シャクドウはほんのわずか、左へと首をひねった。
ちらりと目を向けたのは風が吹いてきた東の方角。
とたんに視界の隅にて捉えたのは、岩陰にてキラリと光る何か。
それは磨き込まれた銀色の長筒が陽光を受けて発するきらめき。弥五郎の三連火筒。忠吾の黒鉄の武骨な得物とはちがい、表面に精緻な模様が刻まれ、床の間に飾ってあっても映える姿をしており、様式美と実用性を兼ね備えた最新式の逸品。
これまで幾度も軍勢や禍躬狩りらと対峙してきたシャクドウは、すぐにそれが人間の武器だとわかった。それも自分を傷つけることが可能な存在であるということも。
そして雷鳴のごとき発射音が轟く。
◇
銀色の長筒の先端が火を吹き、玉が射出された。
速い! 狙いも精確だ。だがいささか距離がある。これならば問題ない、かわせる。
シャクドウがそう判断しようとしたとき、ちがう方向から迫る何かの気配を察知する。
ぞくりと禍躬の肌が粟立つ。かつて味わったことのない感覚。いや、似たようなものならば以前にも感じたことがある。それは前回の大規模討伐のおり。執拗な追撃を受け、追い込まれたときに。だがそれよりもずっともっと……。
たちまち高まる危機感。本能が激しく警鐘を打ち鳴らす。
すぐにその正体を確認しなければいけない。こみあげる焦りにてシャクドウが右側を向こうとしたところで、突然、右目に焼けるような痛みが走る。続けて視界の半分が真っ赤になったかとおもえば、すぐに暗転して何も視えなくなってしまった。
忠吾の放った火筒の玉が命中。
ただし当初の狙い通りとはいかず。ほんのわずかながらもシャクドウが左右に小首を振ったことにより、玉が眼球を突き抜けて頭蓋骨の奥へは侵入せずに、表面を抉るようにして通過してしまったのである。
そして弥五郎もまた狙いをはずす。
放った玉が当たったのは、左目ではなくて、シャクドウの左耳であった。耳の一部を削いだのみ。
「ギィシャアアアァァァァアァァァァーッ」
異形が発する耳障りな悲鳴が堰堤に鳴り響き、祝い山中にこだまする。
禍躬シャクドウが痛みにて激しく暴れては身悶えている。
からくも命拾いをした緒野正孝は、この隙に離脱。コハクとビゼンもいったん安全圏へと逃れた。
一方で忠吾は隠れていた場所から姿をあらわし、逆に禍躬シャクドウへと近づいていく。
歩きながら素早く次弾を装填。すぐさま第二射を実行。胸部に命中。しかし体毛とぶ厚い肉の壁に阻まれたらしく、あまり効いてはいない。
追撃がてら忠吾は堰堤の反対側にいる弥五郎へと向けて声を張りあげる。
「奴が混乱しているいまが好機。撃って撃って撃ちまくれ」
よもやの天の悪戯。あるいは魔が風を吹かせたか。なんにせよおもわぬ邪魔が入った。
作戦は半分成功して、半分失敗といったところ。
しかし十字砲火が有効なのは証明された。禍躬シャクドウに手傷を負わせることにも成功し、片目をも奪った。ここでいっきにたたみかけるべく、老禍躬狩りはなおも前進する。
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