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その五十六 貯食行動
しおりを挟む別邸内部を抜けて調理場へと到着した一行。
息を潜めつつ格子窓をわずかに開けて、外の様子をうかがう。
静かなものだ。
あまりの静かさゆえに、裏庭を抜けた先にある青眼湖の波打ち際がぽちゃぽちゃ鳴る音が聞こえるほど。
周囲には何者の姿もない。
けれども先ほどから山狗たちが「ふーぅ、ふーぅ」と深く息を吐いている。緊張した面持ち。コハクとビゼンはヒトにはわからない何かを早くも感じとっているようだ。
イキリ立っている山狗ら。忠吾と弥五郎は相棒たちが飛び出さないよう、かたわらにしゃがんでは、首筋や背中を撫で「どうどう」とこれをなだめる。
しばらく様子をうかがってから、勝手口の戸を開き一行は外へと。
◇
小屋と呼ぶにはいささか立派な炭置き場。
戸や壁に壊された形跡もなく、外観にはなんら異常は見当たらない。
「氷室へはどこから?」
弥五郎がたずねると「たしかここの裏側に搬入口があったかと」との返事。
先ほどから山狗たちのうなじの毛が立ちっぱなし。
すでにここは奴の領域内……、一行は警戒しつつ建物の裏へと回る。
裏へとついたとたんにひやりとした空気がいきなり頬を撫で、一同はぞくり。
地下へと通じる搬入口には幅があった。大量の食料などをまとめて運び込めるようにと、荷車が通れるゆるやかな坂となっている。
冷たい空気は坂の奥底から流れてくる。
「……戸が開いているのか」
誰いうともなくつぶやく。
事実その通りにて、氷室の観音扉のうちの片側がズレており、そのせいで中の空気が外部へと漏れていた。
地面にはひしゃげた錠前が転がっている。扉に残された六本爪のかき傷が、誰の仕業であるのかを如実に語っている。
意を決して一行はその扉を潜った。
◇
禍躬シャクドウの姿はどこにもない。
どうやら不在のようだ。
かわりに彼らを出迎えてくれたのは、山積みにされた肉塊たち。
半ば冷え固まり霜が降りている。
ウシ、イノシシ、シカ、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト……。
みな瞳がカッと見開かれており、最期の瞬間に味わったであろう絶望と恐怖が色濃く刻まれ、そのまま固まっていた。
いちように腹が異様にへこんでいる。
腹の中身をごっそり抜かれているせいだ。ご丁寧に血抜きまでされてあるが、これは抜いたというよりも飲み干したのか。
どうやら禍躬シャクドウは、先に獲物の柔らかな内臓を食しているらしい。残りをこうしてとっておき、気が向いたときに貪り喰らうのだろう。
部屋の隅には三つの髑髏の姿もあった。
均整がとれており骨の白さが際立つ。かつて忌み山で見かけた、しゃれこうべの造形物に使われていたモノと同じ。奴のお気に入りというわけだ。
一方で反対の隅には粉々に砕かれた骨の破片が乱雑に寄せてある。こちらはお眼鏡にかなわず破棄された分であろう。
内臓を取り除き、血を抜き、冷たい場所に置いておく。
肉を保存する方法としては、とても理にかなっている。
そしてこの光景をまざまざと見せつけられて、男たちはあらためて思い知らされた。
禍躬にとってはヒトも獣も等しく同じ。
ただの餌に過ぎないのだということを。
恐怖、戦慄、憎悪、嫌悪、憤り……。
いろんな感情がぐるぐると頭の中で渦を巻く。
たまらず近くの若い娘の遺骸のまぶたを閉じてやろうとしたのは緒野正孝。若き武官は「必ず仇はとる」との誓いの言葉を口にする。
しかし寸前でそれを止めたのは弥五郎。
「ダメだ。うかつに触れるなっ!」
クマには食べきれなかった餌を地面に埋めておく「貯食行動」なる習性がある。
そしてクマにも性格があり、「美味しいものを先に食べる奴」と「美味しいものを後に残しておく奴」がいる。まるで人間のように。
はたしてクマが成った禍躬シャクドウはどちらであろうか?
なんにせよ、わざわざ手間をかけてとって置くだけあって、隠した餌に対する執着は凄まじい。
万が一、ちょっかいを出そうものならば、それこそ地の果てまでも追いかけてくるほどに怒り狂う。
だからこそ考えなしに触れるのは非常に危ない行為。
弥五郎から注意をされて、あわてて手を引っ込めた正孝。他の者らも骸からさっと距離を置く。
しかし一連のやりとりを目にした忠吾は「ふむ」と独りごち「これは使えるな」
◇
忠吾の案に一同騒然となる。
その提案とは「遺体を使って禍躬シャクドウを堰堤へとおびき寄せ仕留める」というもの。
餌に対する異様な執着。これを逆手にとっての作戦。
ただし使うのは人間の骸。
理由はウシやウマでは大きすぎて、運ぶ手立てがないから。全員でやれば可能かもしれないが、もたもたしていたら奴に気取られる。
その点、ヒトであれば軽く比較的持ち運びが容易。またシャクドウが人間という生き物に、並々ならぬ興味を示していることも選んだ理由のひとつ。
死してなお遺体を道具として使われ辱められる。
いかに禍躬を退治するためとはいえ、あまりにも非情かつ無情。
黙り込む一同。弥五郎がおもわず「そこまで、そこまでするのかよ、あんたは……」との言葉を吐く。
その言葉に込められていたのは、非難というよりも「いったい何が隻腕の老人をそこまで駆り立てるのか?」という疑問。
しかし老禍躬狩りは何も答えない。
ただ静かにみなの決断を待つばかり。
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