上 下
56 / 154

その五十六 貯食行動

しおりを挟む
 
 別邸内部を抜けて調理場へと到着した一行。
 息を潜めつつ格子窓をわずかに開けて、外の様子をうかがう。
 静かなものだ。
 あまりの静かさゆえに、裏庭を抜けた先にある青眼湖の波打ち際がぽちゃぽちゃ鳴る音が聞こえるほど。
 周囲には何者の姿もない。
 けれども先ほどから山狗たちが「ふーぅ、ふーぅ」と深く息を吐いている。緊張した面持ち。コハクとビゼンはヒトにはわからない何かを早くも感じとっているようだ。
 イキリ立っている山狗ら。忠吾と弥五郎は相棒たちが飛び出さないよう、かたわらにしゃがんでは、首筋や背中を撫で「どうどう」とこれをなだめる。
 しばらく様子をうかがってから、勝手口の戸を開き一行は外へと。

  ◇

 小屋と呼ぶにはいささか立派な炭置き場。
 戸や壁に壊された形跡もなく、外観にはなんら異常は見当たらない。

「氷室へはどこから?」

 弥五郎がたずねると「たしかここの裏側に搬入口があったかと」との返事。
 先ほどから山狗たちのうなじの毛が立ちっぱなし。
 すでにここは奴の領域内……、一行は警戒しつつ建物の裏へと回る。

 裏へとついたとたんにひやりとした空気がいきなり頬を撫で、一同はぞくり。
 地下へと通じる搬入口には幅があった。大量の食料などをまとめて運び込めるようにと、荷車が通れるゆるやかな坂となっている。
 冷たい空気は坂の奥底から流れてくる。

「……戸が開いているのか」

 誰いうともなくつぶやく。
 事実その通りにて、氷室の観音扉のうちの片側がズレており、そのせいで中の空気が外部へと漏れていた。
 地面にはひしゃげた錠前が転がっている。扉に残された六本爪のかき傷が、誰の仕業であるのかを如実に語っている。
 意を決して一行はその扉を潜った。

  ◇

 禍躬シャクドウの姿はどこにもない。
 どうやら不在のようだ。
 かわりに彼らを出迎えてくれたのは、山積みにされた肉塊たち。
 半ば冷え固まり霜が降りている。

 ウシ、イノシシ、シカ、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト……。

 みな瞳がカッと見開かれており、最期の瞬間に味わったであろう絶望と恐怖が色濃く刻まれ、そのまま固まっていた。
 いちように腹が異様にへこんでいる。
 腹の中身をごっそり抜かれているせいだ。ご丁寧に血抜きまでされてあるが、これは抜いたというよりも飲み干したのか。
 どうやら禍躬シャクドウは、先に獲物の柔らかな内臓を食しているらしい。残りをこうしてとっておき、気が向いたときに貪り喰らうのだろう。
 部屋の隅には三つの髑髏の姿もあった。
 均整がとれており骨の白さが際立つ。かつて忌み山で見かけた、しゃれこうべの造形物に使われていたモノと同じ。奴のお気に入りというわけだ。
 一方で反対の隅には粉々に砕かれた骨の破片が乱雑に寄せてある。こちらはお眼鏡にかなわず破棄された分であろう。

 内臓を取り除き、血を抜き、冷たい場所に置いておく。
 肉を保存する方法としては、とても理にかなっている。
 そしてこの光景をまざまざと見せつけられて、男たちはあらためて思い知らされた。
 禍躬にとってはヒトも獣も等しく同じ。
 ただの餌に過ぎないのだということを。

 恐怖、戦慄、憎悪、嫌悪、憤り……。
 いろんな感情がぐるぐると頭の中で渦を巻く。
 たまらず近くの若い娘の遺骸のまぶたを閉じてやろうとしたのは緒野正孝。若き武官は「必ず仇はとる」との誓いの言葉を口にする。
 しかし寸前でそれを止めたのは弥五郎。

「ダメだ。うかつに触れるなっ!」

 クマには食べきれなかった餌を地面に埋めておく「貯食行動」なる習性がある。
 そしてクマにも性格があり、「美味しいものを先に食べる奴」と「美味しいものを後に残しておく奴」がいる。まるで人間のように。
 はたしてクマが成った禍躬シャクドウはどちらであろうか?
 なんにせよ、わざわざ手間をかけてとって置くだけあって、隠した餌に対する執着は凄まじい。
 万が一、ちょっかいを出そうものならば、それこそ地の果てまでも追いかけてくるほどに怒り狂う。
 だからこそ考えなしに触れるのは非常に危ない行為。

 弥五郎から注意をされて、あわてて手を引っ込めた正孝。他の者らも骸からさっと距離を置く。
 しかし一連のやりとりを目にした忠吾は「ふむ」と独りごち「これは使えるな」

  ◇

 忠吾の案に一同騒然となる。
 その提案とは「遺体を使って禍躬シャクドウを堰堤へとおびき寄せ仕留める」というもの。
 餌に対する異様な執着。これを逆手にとっての作戦。
 ただし使うのは人間の骸。
 理由はウシやウマでは大きすぎて、運ぶ手立てがないから。全員でやれば可能かもしれないが、もたもたしていたら奴に気取られる。
 その点、ヒトであれば軽く比較的持ち運びが容易。またシャクドウが人間という生き物に、並々ならぬ興味を示していることも選んだ理由のひとつ。

 死してなお遺体を道具として使われ辱められる。
 いかに禍躬を退治するためとはいえ、あまりにも非情かつ無情。
 黙り込む一同。弥五郎がおもわず「そこまで、そこまでするのかよ、あんたは……」との言葉を吐く。
 その言葉に込められていたのは、非難というよりも「いったい何が隻腕の老人をそこまで駆り立てるのか?」という疑問。
 しかし老禍躬狩りは何も答えない。
 ただ静かにみなの決断を待つばかり。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お姫様の願い事

月詠世理
児童書・童話
赤子が生まれた時に母親は亡くなってしまった。赤子は実の父親から嫌われてしまう。そのため、赤子は血の繋がらない女に育てられた。 決められた期限は十年。十歳になった女の子は母親代わりに連れられて城に行くことになった。女の子の実の父親のもとへ——。女の子はさいごに何を願うのだろうか。

わたしの師匠になってください! ―お師匠さまは落ちこぼれ魔道士?―

島崎 紗都子
児童書・童話
「師匠になってください!」 落ちこぼれ無能魔道士イェンの元に、突如、ツェツイーリアと名乗る少女が魔術を教えて欲しいと言って現れた。ツェツイーリアの真剣さに負け、しぶしぶ彼女を弟子にするのだが……。次第にイェンに惹かれていくツェツイーリア。彼女の真っ直ぐな思いに戸惑うイェン。何より、二人の間には十二歳という歳の差があった。そして、落ちこぼれと皆から言われてきたイェンには、隠された秘密があって──。

隣の席の湊くんは占い師!

児童書・童話
隣の席の宮本くんは、前髪が長くて表情のよく分からない、物静かで読書ばかりしている男の子だ。ある日、宮本くんの落とし物を拾ってあげたら、お礼に占いをしてもらっちゃった!聞くと、宮本くんは占いができてイベントにも参加してるみたいで…。イベントにお手伝いについていってみることにした結芽は、そこで宮本くんの素顔を見ちゃうことに…!?

ノノと夢みる人形

ツチフル
児童書・童話
夢を食べる少女ノノと、夢をみるお人形のお話しです。

不死鳥の巫女はあやかし総長飛鳥に溺愛される!~出逢い・行方不明事件解決篇~

とらんぽりんまる
児童書・童話
第1回きずな児童書大賞・奨励賞頂きました。応援ありがとうございました!! 中学入学と同時に田舎から引っ越し都会の寮学校「紅炎学園」に入学した女子、朱雀桃花。 桃花は登校初日の朝に犬の化け物に襲われる。 それを助けてくれたのは刀を振るう長ランの男子、飛鳥紅緒。 彼は「総長飛鳥」と呼ばれていた。 そんな彼がまさかの成績優秀特Aクラスで隣の席!? 怖い不良かと思っていたが授業中に突然、みんなが停止し飛鳥は仲間の四人と一緒に戦い始める。 飛鳥は総長は総長でも、みんなを悪いあやかしから守る正義のチーム「紅刃斬(こうじんき)」の あやかし総長だった! そして理事長から桃花は、過去に不死鳥の加護を受けた「不死鳥の巫女」だと告げられる。 その日から始まった寮生活。桃花は飛鳥と仲間四人とのルームシェアでイケメン達と暮らすことになった。 桃花と総長飛鳥と四天王は、悪のあやかしチーム「蒼騎審(そうきしん)」との攻防をしながら 子供達を脅かす事件も解決していく。 桃花がチームに参加して初の事件は、紅炎学園生徒の行方不明事件だった。 スマホを残して生徒が消えていく――。 桃花と紅緒は四天王達と協力して解決することができるのか――!?

このなきごえ だーれ?

未来教育花恋堂
児童書・童話
絵本のストーリーです。動物の鳴き声を聞いて、言葉で表現してみました。さあ、動物の鳴き声探しに出発だ。

ホスト科のお世話係になりました

西羽咲 花月
児童書・童話
中2の愛美は突如先生からお世話係を任命される 金魚かな? それともうさぎ? だけど連れてこられた先にいたのは4人の男子生徒たちだった……!? ホスト科のお世話係になりました!

迷宮さんを育てよう! ~ほんわかぷにぷにダンジョン、始まります~

霜月零
児童書・童話
 ありえないぐらい方向音痴のわたしは、道に迷ってしまって……気がついたら、異世界の迷宮に転生(?)しちゃってましたっ。  意思を持った迷宮そのものに生まれ変わってしまったわたしは、迷宮妖精小人のコビットさんや、スライムさん、そしてゴーレムさんに内緒の仲間たちと一緒に迷宮でほのぼの過ごしちゃいますよー! ※他サイト様にも掲載中です

処理中です...