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その五十五 竜宮
しおりを挟む太い朱色の柱、青銅色の銅瓦屋根、白無垢な漆喰の壁、淡い珊瑚色をした大理石の床……。
武骨な堰堤や荘厳な龍神の神殿とはちがって、ここには華やかな様式美がある。
王族の別邸だけあって「竜宮」は堀と柵に守られており、大門も構えているから一見すると守りは固そうに見える。
だがここはあくまで邸宅にすぎない。砦や城とはちがう。その気になれば裏手の青眼湖側や庭園の生垣の方から、敷地内に侵入するのはたやすいだろう。
もっとも女王らが滞在するときには、これを踏まえた上で警護の者が配置されるのだが、いまはそれもなし。
祝い山が封鎖されて以降、屋敷の世話をするために最低限の人の出入りはあるという。
なのにこれまで禍躬シャクドウの目撃証言が一切ない。
しかし神殿に残された破壊の痕跡からも、奴がここにいるのは確か。
問題は、この中のどこを根城にしているのかということ。
残念ながらここでも山狗の鼻はあまり役に立たなかった。
能力うんぬんではなくて、場所との相性の悪さのせい。
やんごとなき身分の方々が出入りする場所ゆえに、ふだんから頻繁に焚かれているらしく、お香のニオイが隅々にまですっかり染みついてしまっているからだ。
幾世代にも渡って累積されてきた香りが厚い層を成し、竜宮全体がまるでひとつの上等な香木のようになってしまっている。
おかげで建物内に立ち入ってから、ビゼンはずっと顔をしかめて眉根を寄せっ放しにて、コハクは「くちゃん」と何度もクシャミをしていた。
これには忠吾も苦笑い。
どうやら人間にとっては心落ちつく天上の香りとて、山狗にとってはただの煩わしい異臭でしかないらしい。
◇
いざ、踏み込む前のこと。
男たちが額を突き合わせて眺めていたのは、地面に描かれた竜宮の見取り図。
探索方のひとりが己の記憶を辿って、ざっと描いたもの。
「おもったよりも部屋数が多いな」
「賓客をもてなすための部屋に、宴席用の広間や大部屋もあるのか」
「奴が寝転がるには充分な広さがありそうだな」
「二階はさすがにないだろう。きっと床が抜ける」
「うーむ、廊下が複雑に入り組んでいるな」
「侵入者を惑わすためじゃないのか。城とかだとわざと経路を複雑にするだろう」
「いや、これは火事のときに火のまわりを遅くするためと聞いたが」
「それはそうと廊下のすべてが幅広いわけではあるまい。ならばヤツが通れるところは限られそうだな」
「ここには毎日、管理の者らが麓から足を運んでいたはず」
「日暮れには山を降りていたというし、人数も少ないから、出来ることは限られるだろう」
「廊下を掃いたり、王族の部屋などを換気したり清めたり、せいぜい現状を維持するぐらいか」
「にしても同じ屋根の下にいて、アレの存在に気づかぬなどということが、本当にありえるのだろうか?」
「そうさなぁ。獣特有のニオイは消しきれぬからなぁ」
「極端に痕跡が少ないところをみると、こまめに水浴びをしては、意図的に自身で消しているのやも」
「それどころか竜宮に充ちているニオイすらも隠れ蓑に利用している節がある」
「もしもそれが本当ならば、なんて奸智に長けた奴なのだろう」
「にしても不自然なほどに目撃がされていない。これは完全に動線および活動域が分かれている?」
「ある種の住みわけなのだろうが、では奴はどこに潜んでいるというのか」
おもいおもいの意見を口にする男たち。
適合する場所の条件はいくつかある。
まず人の目につかず比較的出入りが容易なこと。なおかつ裏手側の方にあること。ある程度の広さと高さがあること。あまり管理の者たちが近寄らないところ。上階については、はなから除外していいだろう。
話し合いが進むほどに絞られていく候補地。
その中から「ここは?」と忠吾が指し示したのは、竜宮建屋内部ではなくて調理場の勝手口から、外へと出てすぐのところにある小屋。
小屋といっても庶民の家よりもずっと大きく、その辺の蔵よりもよほど立派な造りのそれは炭置き場。地下は氷室になっているという。
氷室とは氷を蓄えておく部屋。その冷気を使って食料の保存も可能。
竜宮に王族や他の賓客らが滞在しているときであれば、その分だけ備品も消費されるので、こまめに人が出入りする場所。
でも、いまはほぼ無人ゆえにまるで用事がない。
よって管理の者らが近寄ることもない。
似たような条件であれば、神殿の方でもいいような気もするが、あちらは建物全体が氷室みたいであり、絶えず凍え快適さは皆無。なにより龍神の石像を入念に壊していることからして、シャクドウはよほどお気に召さなかった様子。
「シャクドウは大食漢だ。それにクマが成った禍躬であるから、手に入れた食料を保存しようとする習性があっても不思議じゃない」
とは忠吾。
ゆえに忌み山にあった蔵のような場所を、こちらにも設けていてもおかしくはない。
建物内を調べがてら、裏庭にある小屋を目指すことにした一行。
そうして辿り着いた先にて彼らは目撃する。
世にもおぞましい光景を……。
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