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その五十四 龍神の神殿
しおりを挟む祝い山の平らな山頂にある三つの建造物。
左から堰堤、正面に龍神の神殿、右に竜宮の並びとなっている。
堰と神殿が横並びなのは、ともに水にかかわる建造物ということもあるが、共有しているからくり部分との兼ね合いによるところが大きい。
青眼湖の水を動力としていくつもの巨大な歯車を回しては、放流口の石門を開閉したり、神殿内部の仕掛けを動かしているという。仕組みこそは複雑だが、ようは水車小屋の石臼と同じこと。
神殿奥に張り巡らされた水路。その高低差を利用し、流れを産みだしているというが、それをこの規模で行うとなるとなまなかなことではない。十三代ばかり前の女王の御世に作られたというが、竣工を命じた女王が存命中に完成しなかったというから、いったいどれほどの莫大な総工費と時間がかけられたことか。
この一事をもってしても湖国の隆盛ぶりがわかるというもの。
それにいま影が差している。禍躬シャクドウという存在が平穏を浸蝕し、じわりじわりと湖国を追いつめている。
◇
石の床に、石の壁に、石の屋根に、石の円柱……。
互いを支えるようにと緻密に組まれることで、不動かつ強固な建屋を形成している。
祭事の時以外には、ほとんど立ち寄る者がいないという龍神の神殿。
山頂ゆえにただでさえ外気が低いというのに、一歩踏み入ればたちまち吐く息が白くなり、凍えを感じるほど。
ただでさえ熱を遮断し奪う総石造り。絶えず清水が流れている内部の水路が、これに拍車をかけている。
「うぅ、これは寒い」
「まるで氷室だな」
「いまの時期でこれか……。冬本番となったら、神殿ごと氷漬けになるのではないのか」
正孝、忠吾、弥五郎らがおもいおもいの感想を口にするも、その言葉すらもが吐いた端から細氷となってしまうかのよう。
四角い正面入り口から神殿内部へと入った一行は、広間を抜けた奥にあるという、祭壇の間へと向かう。
途中、いくつかの小部屋や脇道が存在するも、それらは無視する。人の背に合わせた高さや幅しかなかったから。禍躬シャクドウの身の丈は推定で二丈半から三丈ぐらい。クマよりもずっと大きな図体で出入りをするには、ちと狭すぎる。そう判断した。
ニオイまでもが凍りつくのか、無人の神殿内部の空気は清浄そのもの。
ゆえに山狗の鼻は当てにできない。水路の反響音のせいで耳も頼りにはならぬ。
だがいまは総勢、二頭と八人分の目がある。それらが手分けして全方位を監視することで死角をつぶす。
曲がり角へと差し掛かるたびに一行は立ち止まる。斥候を出しては入念に安全を確認してから、慎重に先へと進む。
◇
いよいよ祭壇の間が近づいてきたところで、一行が目にしたのは柱の陰に刻まれた六本傷。
検分したところ、傷は比較的新しいものの浅い。意図的に印を刻んで縄張りを主張しているというよりも、うっかり触れたひょうしに爪を立ててしまったかのよう。
だがここに禍躬シャクドウが立ち入ったという、まごうことなき証拠。
一行にたちまち緊張が走る。
コハクとビゼン、二頭の山狗たちは目つき鋭く、口をギュッと結んでは尻尾を立てて、警戒心もあらわ。
無言のままに弥五郎と忠吾は火筒を手にし、正孝は槍を持つ手を握り直す。探索方の五名も各々、いつでも得物を抜けるように身構える。
臨戦態勢をとる男たち。だからとてここで戦うつもりは毛頭ない。
禍躬シャクドウには背後からの不意撃ちをしのぐほどの、うしろの目がある。火筒の玉をかわす機敏さもある。ヒトを圧倒する膂力は言わずもがな。
そんな相手と制約の多い神殿内部で対峙するのは下策中の下策。
だからもしもこの先で奴の姿を発見しても、手は出さずに一時撤退をして、堰堤へと誘い込む算段を整える。
これは神殿へと突入する前に、みなで相談して決めたこと。
男たちは互いの顔を見て、一度うなづき合ってからふたたび歩きだす。
足音に気をつけ息を殺しながら、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり。
そうして壁一面に建国記が刻まれてある高い天井の廊下を抜けた先。
一行を待っていたのは、床に転がる大きな龍の首。
神殿に祀られてある龍神の石像が破壊されていた。
きっと禍躬シャクドウの仕業であろう。
台座にてとぐろを巻き、自分を見下ろし、ねめつけてくるのがよほど癪に障ったのか。あるいは「この地の支配者は自分だ」と誇示するためか。
首をもがれ、角は折れ、腕も砕かれ、長い胴体がいくつにも分断されていた。
稀代の名工が奉納した国宝が見るも無残なありさま。
男たちは緊張した面持ちにて、付近を探索するが奴の姿はどこにもない。
いかに雨露をしのげるとはいえ、気に入らなかったのか、ここを根城にしている形跡もなし。どうやら龍神の神殿ははずれであったようだ。
だがまったく無駄足であったわけじゃない。
収穫はふたつ。
ひとつは赤胴色の抜け毛。太くごわごわしており固い。禍躬シャクドウの体毛だ。
いまひとつは砕かれた石像の破片についていた血。水気の多い場所柄ゆえに生乾きであったのがさいわいする。
二頭の山狗のうち、奴のニオイを記憶していたのはビゼンのみであったが、その記憶はより鮮明となり、かつコハクも覚えたことにより鼻による追跡精度は格段にあがるだろう。
その利を活かせば、きっと先手をとり、こちら主導にて戦いを進められるはず。
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