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その三十七 国を蝕む毒
しおりを挟む海の暴君イッカクを退治したことにより、復活した航路。
紀美水軍の碧組の船にて、難所である白淡峡門を無事に通過した湖国の使節団。
風にも恵まれ、早や浪華湾をも縦断し白河の河口にある港へと到着する。
ここから先は、河船へと乗り換えて上流域にある湖国を目指す。
◇
槍の穂先に似た形をしている河船。その船体脇からのびているのは、左右合わせて十六もの柄の長い櫂。
それらが船頭の叩く太鼓の音にあわせ、上がっては下りるをくり返す。一糸乱れぬ見事な動き。櫂が水をかき分けるたびに、船は大河の流れをものともせず、力強く河面を突き進み、ずんずんのぼっていく。
太鼓と漕ぎ手らの威勢のいい掛け声が響く道すがら。
湖国の現状について、使節団の代表である佐伯結良から説明を受けていた忠吾は「クマが禍躬に成ったのが相手か……」と険しい表情となる。
禍躬と成ることで獣は獣の領域を外れた存在、堕ちた神ともいわれる異形となる。
体はずっと大きくなり、力もずっと強くなり、容姿や気配にも変化が生じて、狂暴性も格段に増す。
話を聞くかぎりでは、禍躬シャクドウはせいぜい家屋の軒先を越えるぐらいの大きさであろう。
かつて忠吾の左腕を奪った禍躬ヤマナギは、小山ほどもあり圧倒的な巨躯を誇っていた。あれに比べればかなり小さい。
だがその小ささこそが厄介なのである。
大きければ、それだけ重く小回りが効かないし、目立つがゆえに居場所を把握しやすい。
けれども小さければ、どこにでもまぎれ込める。
クマは賢い動物だ。
図体のわりに慎重かつ気配を消すのがうまい。つい鋭い爪や牙ばかりに目がいきがちになるが、真に注意すべきはその足運び。あの巨体にもかかわらず、移動時にはほとんど音を立てない。
それでいて狩りのときにはシカの脚をも上回る機敏さをみせる。
森の王と呼ばれるクマは、王であるのと同時に山一番の暗殺者でもある。気づいたときには背後より忍び寄っている。
冬眠明けで寝ぼけているところを狙うのならばともかく、活発に山野を駆け巡っている相手を見つけ出し、これを仕留めるのは容易なことではない。
それが禍躬ともなれば、討伐は並大抵のことではない。
最初に被害にあったとされる竹姫の里。
全滅の憂き目に合わなかったのは、ひとえに禍躬シャクドウ自身がまだ己の身に起きた変化を、正しく認識できていなかったからであろう。
事実、佐伯結良の話ではすべての住人が一夜にして姿を消してしまった集落もあるという。
里や街道などで被害が続発し、とても看過できぬと判断した国がついに動く。
そして数を頼みに山狩りを決行した湖国の軍勢が惨敗を喫した第一次討伐戦。
これを受けて専門家である禍躬狩りを多数迎えて挑むも、多数の犠牲を出しながら惜敗に終わった第二次討伐戦。
この結果に「さもありなん」と忠吾はうなづく。
第一次討伐戦。
多勢に無勢で挑むのは戦の定石。だが相手の性質をよくよく見極めた上で行わなければ意味がない。緻密な包囲網を構築しつつ、これを連携して狭めていき、逃げようのない死地へと追い詰めたところを確実に仕留めるのならばともかく、天地の利を無視して大勢で山に押しかけるなんぞは、あまりにも無謀というもの。
山に明るくない烏合の衆なんぞは、禍躬シャクドウの敵ではなかったのであろう。
それを反省して組まれた第二次討伐戦。
あと一歩というところまで追い詰めたらしいのだが、結果だけみれば最悪である。いっそのこと大惨敗していたほうがまだよかった。
手負いの獣は恐ろしい。それは誰もが知るところ。
先にも述べたがクマは賢い動物だ。それが禍躬となった身であればなおのこと。
そんな相手に万全を期して挑んだまではよかったが、逃がしてしまったことは痛恨の極み。
人間側はシャクドウに手の内をあらかた晒してしまった。
学習したシャクドウがより狡猾になったのは、以降も続いている被害からも明白である。
◇
忠吾と佐伯結良が話し込んでいると、かたわらにて丸まっていたコハクがふいと顔をあげた。
それを目にして忠吾もはたと口をつぐみ、脇に置いてあった火筒を引き寄せる。
禍躬狩りと山狗の子の反応に、少し離れて二人の話に耳を傾けていた緒野正孝も槍を手にする。
直後のこと。
「水賊だっ、水賊が出たっ!」
と見張りの者が警告を発する。
海にあらわれるのが海賊、山にあらわれるのが山賊、そして河や湖になどにあらわれるのが水賊である。
禍躬シャクドウが暗躍するようになってから、水賊どもが目に見えて活発化しており、これもまた湖国を悩ませている。
人心の不安が世相の乱れを呼び、ひいては国に対する信頼が揺らいでいるがゆえに、悪党どもが調子に乗って台頭しているのだ。
どれほど調子に乗っているのかというと、国旗を掲げている使節団の船を狙ってくるほどに浮かれている。
すべては禍躬シャクドウという毒が湖国を蝕み続けているせいだ。
忠吾が腰をあげようとするもそれを制し、「相手が人ならば、それがしが」と言ったのは正孝。
愛槍を手に立ちあがった若き武官。ひょうしに手首に巻いてある組み紐がわずかばかり上下する。碧と白の色味が鮮やかなそれは、別れ際に伊瑠より渡された品。
「助けてくれた礼だ」とのことなので、正孝は「そういうことなら」と受け取ったものの、女が男に自分で編んだ組み紐を渡す意味を知る者たちは、ふたりのやりとりを眺めてはニヤニヤするばかりであった。
正孝より「自分にまかせて欲しい」と言われた忠吾は「そうか」と腰をおろす。山狗の子も「くかぁ」と大あくびにて昼寝へと戻った。
経験は人を成長させる。
とくに才豊かな若い芽ともなればその変化は著しい。
正孝の槍は強敵との戦いを経て、蛹が蝶になるかのように劇的な成長を遂げつつある。あるいは彼が目標としている父の領域をも遥かにしのぐほどに。
自分たちの船を強引に横づけしてきては、無礼にもズカズカと乗り込んでくる水賊ども。
これを船員らとともに迎え撃つ正孝。
先陣を切った槍が轟っと唸り、雷光のごとく穂先が閃くたびに、賊を片っ端から打ちのめしていく。
甲板が正孝の独壇場と化すまでに、さして時間はかからなかった。
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