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その三十四 終幕
しおりを挟む眼下に迫るイッカクの大口。
歯地獄を前にして、正孝は喉の奥めがけて槍を突き入れようとするも、そのとき「ウォン」とひと吠えしたのはコハク。
イッカクと正孝、ともにその声を耳にし、ほぼ同時に波間に浮かぶ山狗の子をちらり一瞥。
直後に両者がとった行動は対照的であった。
イッカクは「その手はもう喰わぬ」とばかりに無視する。てっきり先と同じで声による攪乱であると判断したのだ。
しかし正孝は即座に反応する。手にした槍の向きをおもむろに変えた。突き入れるのではなくて、横にして巨大鮫の口が閉じられないよう、つっかえ棒としたのである。
鋭い穂先と固い石突。長柄の部分は樫の木を削りだして加工された物。丈夫なだけでなく程よくしなるので、折れにくい性質を持つ。
もしも考えなしに口を閉じれば、刃にてみずからを傷つけることになってしまう。
かといってずっと大きく口を開け続けるのは、おもいのほかに苦痛をともなう。
おもわぬ反撃に動揺したのか、イッカクがやや慌てた素振りをみせる。
一方で愛槍を支えとし辛うじて落下をまぬがれた正孝。
すぐさま逆上がりの要領にて身を持ちあげると、そのまま柄を足場とし危険な口腔内より脱出をはかる。
両足に力を込めて思いっ切り斜め上空へと飛んだ正孝。
させじとこれを追うイッカク。
不安定な足場による跳躍は十全とはいかない。そのせいで正孝の身は三尺ほど高く飛んだのみ。けれども強靭な尾びれにてしっかりと海面を蹴れるイッカクは、これを遥かに上回る跳躍をみせる。
結果として、逃げた獲物はふたたび自分の口の中へと出戻ることになった。
イッカクはこのまま正孝を水中へと引きずり込んでは、邪魔なつっかえ棒もろとも始末するつもりなのだろう。
どうにか槍の柄にぶら下がってはいるものの、落水すれば一巻の終わり。
その身はまごうことなき死地にある。
なのに正孝は笑っていた。
正孝は言った。
「それがしを憎むあまり、釣られて思い切り飛んだなイッカク」
正孝は闇雲に逃げたのではなかった。彼は執念深い相手が必ず自分を追ってくるものと考え、とある方へと向けて飛んでいたのである。
その行動が獲物に喰らいつかんとするイッカクの身を海上へと誘い出し、なおかつ鮫首を大きくのけ反らせ、もっとも無防備に腹部をさらさせることになる。
なんのためにかなんてことは、言わずもがなであろう。
直後に雷鳴にも似た激しい音が轟く。
いつのまにか停止していた小船より放たれし火筒。
狙いすました忠吾の一撃。発射された鉄の玉が鮫肌に穴を穿つ。命中した箇所は胸びれの根元のところ。
その奥には心の臓がある。
図体が大きく、高い身体能力を誇るがゆえに、心臓もまた大きいイッカク。
とっさに身をよじって致命傷を回避しようとするも、それはかなわない。
すべての潮騒をかき消すほどの絶叫!
かくして暴虐の限りを尽くした海の王との死闘はついに幕をおろした。
◇
イッカクとその旗下である十一匹の鮫らの骸を牽引し、凱旋の途につく紀美水軍の船団。
碧の組の母船の甲板に忠吾、コハク、正孝らの姿はあった。
伊瑠もいっしょに回収されたのだが、彼女は母親にて組頭でもある瑠璃からしこたま怒られ、現在は隅っこにて正座をさせられ猛反省を促されている。
半べそをかいている伊瑠を尻目に、今回、存分に槍の誉れを得た正孝は、塩水に浸かった愛槍の手入れに余念がない。
忠吾もまた潮風に吹かれた火筒の点検をしている。
かたわらのコハクは大あくびにて寝そべるばかり。海に入ったのでやたらとベタつく毛。これは陸に戻っから川で行水でもするしかないので、毛づくろいを早々に諦めた。
ふと槍の穂先を磨いていた正孝が顔をあげ、水平線の彼方へと沈みかけている夕陽に目を細めながらつぶやく。
「禍躬ヤマナギはあのイッカクよりもずっと大きくて、もっと強かったのですよね」
青年の父親である緒野景親は、かの戦いで命を落とした。
多くの禍躬狩りや兵士たちが犠牲になり、忠吾も当時の相棒であった山狗の夫婦であるソウとアサヒのみならず、自身の左腕をも失う。傷口には癒えることのない灼熱の呪いをも受けた。
正孝の言葉に忠吾は「ああ」と小さくうなづく。
「ヤマナギは猪が成った禍躬で、とても大きかった。それこそ山かと錯覚するほどに。勇猛な軍勢が束になってもかなわないほどに強かった」
「そんな相手に父上は……」
言葉を詰まらせる正孝。
自身が強い敵と対峙して、どうにか生を拾ったからこそわかる。いやでも実感させられる。より強大無比な禍躬と戦うということ。そのたいへんさを、その恐ろしさを。
この先、湖国にて待ち受ける敵は、その地を統べる女王が外部に助力を求めるほどの相手。戦いはより過酷に、より凄惨なものとなるは必定。
いまさらながら小刻みに震えている己の指先。それを無理にでも抑えこもうと正孝は固く拳を握りしめ言った。
「父上といい、忠吾殿といい本当にすごい。それがしなんぞはまだまだ」
若き武官は、ひとつの勝利に奢ることなくさらなる精進を誓う。
そんな青年の姿を忠吾は眩しそうに眺めていた。
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