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その三十 おきあがりこぼし
しおりを挟む真正面から放たれた火筒。
伊瑠の弾丸はイッカクの左目に炸裂っ!
円らな黒い瞳がパァンとはぜて、周辺の肉が吹き飛び抉れる。それでもなお勢いを保った弾丸はさらに突き進み、ついには貫通。海の暴君の身体に風穴が開き、そこから血と肉と骨がまざったものが噴きこぼれた。
「よし、やったぞ!」
伊瑠がぐっと拳を握り、肩を貸していたおみつをはじめとする周囲の十二人の娘たちも口々に歓声をあげた。
だが喜びの時間はすぐに終わる。
確かに玉を喰らったはずなのにイッカクが止まらない。
なおも尾びれにて力強く海水を叩いては、波を押しのけ、怒れるままにずんずんと近づいてくるではないか。
一見すると狙撃は成功したかのようにおもえた。
だがじつはそれは半分だけのこと。
この時点で伊瑠はいくつもの失態を犯していたのである。
◇
ひとつは持ち出した武器についての認識不足。
父隆瀬の火筒は飛距離と精度を重視したもの。それ用に玉も工夫されており、風などの影響を受けにくいようにと、より貫通力に特化した形状となっている。
彼女もそのことを知ってはいた。だが頭だけでわかっているのと正しく理解していることとは、まるでちがう。
ひとつはイッカクの目を狙ったこと。
幼い頃より子守歌がわりに父にせがんで聞かせてもらっていた、禍躬狩りの話。
禍躬は他の獣たちとはちがう。とても頑強でしぶとい。時には屈強な武人の刃とてまるで通らぬ肌や毛を持つ者もいる。
そんなのを相手にして確実に仕留めるのに、まず狙うべきは目。
いかに強大無比である身とて、眼球だけは他の生き物とさしてかわらない。この急所より鉄の玉を撃ち込んで、頭の中をかき回してやれば、さしもの禍躬とて倒れる。
ならば禍躬ではない、ただの大きな鮫であるイッカクならば効果はきっと絶大なはず。
だからこそ無意識のうちに伊瑠は左目を狙ったのだが……。
ひとつは鮫の顔は人間のそれとはちがうということ。
どちらかというと馬や牛に近い。両眼の間がかなり開いており、ほぼ頭の側部といってもいいところにある。
いささか愛嬌のある面構えながらも、それゆえにこの目を正面から射抜いたとて、角度的に弾丸が頭の中でうまく跳ねて暴れるのは難しい。
ひとつはイッカクの突進力の見誤り。
猛然と向かってくる巨体。大きいがゆえに、これと真正面から対峙すると、山に向かって歩いているときのような感覚に陥り、距離感や相手の移動速度が把握しにくくなる。
飛んでくる弾丸に臆することなく向かっていったイッカク。
双方がぶつかり、がっつりと組んだ結果、瞬間的に跳ねあがったのは貫通力。
あまりにも鋭く、あまりにもキレイに着弾したせいで、左の目玉や周辺部位こそ破壊したものの、そのまま内部を抜けて外へと飛び出してしまったのである。
これにより片目を失いこそはしたものの、派手な見た目に反して、肉体そのものへの損害が軽微であったのだ。
◇
怒れるイッカクがぶちかます。
横殴りにされた囮船が激しく傾いた。それこそひと息に横転しそうなほどにまで。実際、船の縁が海面すれすれにまで付くほどにまで倒れた。
にもかかわらず沈まない。
それどころかすぐさま起きて持ち直す。これは囮役を担うにあたって施された補強の賜物。内部側面には鉄板が張られて強化がなされている。そのせいで足はずいぶんと遅くなっていたが、ふつうの船よりもずっと重心が下がっていたことが功を奏する。先にみずから帆柱を倒して捨てていたことも有利に働いた。
中が空洞で船底が重いがゆえに、船自身がみずから平衡を保とうとぐらぐらり。
それゆえに奇跡的に囮船は無事であった。
けれども甲板にいた娘たちは、そうはいかない。
とっさに近くにあったものにしがみついて難を逃れられた者は半分。
残り半分の娘たちは海へと投げ出されることなってしまう。その中には伊瑠の姿もあった。しかも彼女の場合、長尺な火筒をしっかりと握っていたせいで、他の者たちよりもずっと遠くへと放り投げられてしまうことになる。
囮船からずいぶんと離されたところに着水した伊瑠の身。
宙にて体勢を整えきれいに頭から飛び込んだことにより、どうにか気を失わずにすんだものの、ぷはっと海面へと顔を出したとたんにギョッなる。
イッカクが同じく船から落ちた娘たちには見向きもせずに、一路、伊瑠へと向かってきていたからである。
どうやら誰が自分の左目を壊したのか、イッカクにはわかっているらしい。
残った右の目が怒りに燃えている。
そのことを理解した伊瑠は、ちらりと囮船の方を見てから、船に戻るのではなくて逆の方へと泳ぎ出す。
自分がイッカクを引きつけて、その間に他の仲間たちが逃げられるようにと時間を稼ぐつもりであった。
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