山狗の血 堕ちた神と地を駆けし獣

月芝

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その二十三 イッカク

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 南西にくいっと下顎を突き出すかのような形をしている半島が、伊邪王が統べる紀伊国。
 その南端にある港から、左回りに陸沿いを北上すると、じきに見えてくるのが船乗りたちから白淡峡門(しろあわきょうもん)と呼ばれている難所。
 内海と外海が交わるところにて、浪華湾の玄関口。
 大量の海水がぶつかり行き交っているがゆえに、潮の流れは速く複雑、ときおり大渦も発生する。また潮の満ち引きによっては、水底から鋸の歯のような岩礁が姿をあらわし、うっかり船底をこすってしまうと、たちまち浸水や座礁することもある危険な場所。

 だがしかと見極めて慎重に航行すれば、これほど便利な場所もない。
 なにせ迂回すれば風と潮流の関係から十日以上もかかる距離を、わずか一日半足らずに短縮できるのだから。
 しかしこれが素人にはちと難しい。
 そこで誰よりもこの近海に詳しく、操船術にも長けた紀美水軍を水先案内人に立てるのがつねであった。

 だというのにである。
 ここのところ船がやたらと沈んでいる。
 初めは油断しての事故かと考えていたのだが、どうやらちがうらしいとわかったのは、船の横腹に大穴が開いたのにもかかわらず、命からがら港に辿り着いた船がもたらした情報による。

「フカだ。頭に角の生えた、とてつもない大きさのフカにやられた」

 フカとは鮫のことである。
 この近海にも鮫は昔から出没する。ときおり仕掛けた漁網に穴を開けられたり、生け簀(いけす)を破られたり、素潜り漁をしているときに襲われて犠牲になる者も稀にだがあった。
 たしかに大きい鮫もいる。だがそれでも一丈に満たない大きさにて、せいぜいが小舟程度の大きさ。とてもではないがたくさんの人や積み荷を運ぶ大型帆船をどうこうできやしない。
 だからこの話を聞いた者らは、はじめ「酔っ払いの与太話」と一笑に伏したものである。
 しかし全長十丈、幅三丈ほどもあり、太く立派な竜骨を持つ頑丈な船の底に残る生々しい破損跡を前にしては、そろって真っ青になり顔を引きつらせるしかなかった。

 海を渡る船には強度が求められる。
 厳しい陽射しは海面をも跳ね返っては、上や下から容赦なく照りつける。
 絶えず押し寄せる波、湿気や潮を含む風などが、船体をひたすら痛め続ける。
 ゆえに製造に使用される板の一枚とて、それに相応しい品を船大工たちが職人の誇りにかけて厳選して用いている。
 いわんや人体でいうところの背骨に相当する、船底の中心に据える要の竜骨ともなれば、さらに吟味された逸品が用いられる。それこそ船が難破してもこれだけは無事にて、再利用が可能なほどの品を。

 そんな竜骨が半ばにて折れかけている。
 もしも完全に折れていたら、船はすぐに沈没していただろう。
 船底にある丸い穴は襲ってきた巨大鮫の角によってつけられたらしく、船尾の舵近くにもかじられた跡がある。
 よくもまあ助かったものとあきれるほどの満身創痍。
 聞けば、少しでも船体を軽くすべく、積み荷をすべて捨ててしまったところ、相手の興味がそちらに移ったので助かったとのことであった。

  ◇

 角のある風体から、イッカクと名づけられた巨大鮫。
 これに味を占めたのか、以降、群れを率いてはちょくちょくあらわれるようになり、白淡峡門を渡る船を片っ端から襲いだす。
 この事態を受けて「なら、そのイッカク、この俺さまが退治してやる!」と名乗りをあげる銛自慢の者たちもいたのだが、勇んで出かけたものの、誰ひとり帰ってはこなかった。
 滞る物流。増える犠牲。拡大するばかりの被害。
 ついに紀美水軍は海路の一時封鎖を決定する。
 そして対策なり退治する方策なりを練るつもりで組頭が集まっての話し合いをしていたところ、そんな彼らの耳に届いたのが湖国の使節団が港に到着し、その中に忠吾がいるという情報。

「こいつはツイてるね。評判の火筒の腕を借りられれば、イッカク退治はぐんとやりやすくなるだろうさ」
「ああ、あの人の腕は自分が保障する。人物も確かだから、頼めばきっと助けてくれるはずだ」

 と言い出したのは碧の組の瑠璃と隆瀬の夫婦。
 この意見に「たしかに」とうなづき賛同する者らがいる反面、「海のことは海の者で片をつけるべきだ。陸の者の手を借りるのなんぞは、とんだ恥じだ」と頑なに異を唱える者も多々。
 海賊には海賊の矜持がある、面子がある。おいそれと助力なんぞは乞えない。
 その意見にもうなづく者もいて、話し合いは平行線をたどることに。

 どちらの言い分もわからなくはないが、これでは埒が明かない。
 そこで瑠璃はこっそりと自分の娘に「ちょいと宿まで訪ねて、忠吾さんを呼んできておくれ」と頼んだのであった。
 瑠璃としては「まずは当人に会って、見定めてからでも遅くはない」との考えであったのだが、手を握って、その面構えを前にして、ひと目で忠吾を気に入った。
 この場に居合わせた大多数の者たちも同様である。

 事情を聞いた忠吾はうなづき、ただひとこと「わかった」
 どのみち船が出せねば湖国へと向かえないのだから、ならば障害となる存在を排除することを厭う理由はない。なによりこのまま足止めが長引けば、生真面目な佐伯結良の胃に穴が開いてしまいかねない。
 ゆえの快諾であった。


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