山狗の血 堕ちた神と地を駆けし獣

月芝

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その十九 霊薬

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 歴代第三位となる長い在位期間と安定した治世を誇り、近隣諸国とにあった数々の問題を解決し、あるいは難事を乗り越え、降ってわいた天災・禍躬ヤマナギにはみずから軍勢を率いて敢然と立ち向かい、討伐後には復興に尽力するもついに病に倒れた那岐王。
 そんな彼を民草は「賢王」と称え、退位してもなお慕っている。
 しかしみなからの敬愛を集める一方で、彼は政(まつりごと)のために、緒野正孝の父である景親を切り捨てた非情な王でもある。
 だがいま目の前の寝台にて横たわっているのは、かろうじて生にしがみついているかのような、やせ細った男であった。

 那岐王は、いまなお言葉を発するのが不思議なぐらいに痛々しい姿。
 忠吾よりもひと回りは若かったはずなのに、この五年でそれがすっかり逆転してしまっている。
 いったいどれほどの無茶をして、いかほどに心痛や心労を重ね己を責め苛めば、このようなことになるのであろうか。
 だが意思の力がときに肉体を変化させることを、忠吾は知っている。

 左腕を禍躬ヤマナギに奪われ、隻腕となってからの五年。
 ソウとアサヒの遺児であるコハクを一人前の山狗に育てるかたわら、それに相応しい主人であろうと老骨に鞭を打ち、己にも過酷な鍛錬を科し続けたところ、現在、心身ともにかつてないほどの充実ぶりとなっている。
 しかしそれが一時のことであることは、忠吾にもよくわかっていた。
 どれだけあらがおうとも、しょせんは人の身。刻の流れには勝てない。
 だから忠吾はいまの自分の状態を「終わりかけのロウソクの明かりのようなもの」と考えている。
 消える間際、パッとかつてないほどの強い輝きを放つ、生命の最期の燈火。

「此度は無理を言ってすまな……かった。結局、貴殿を巻き込んだばかりか、己の不始末の尻ぬぐいまで……。しかし貴殿は変わらぬな。いや、ますます健勝のようでなにより」

 それだけの言葉を休み休み口にしただけで、ゼエゼエと息が乱れ、那岐王の枯れ木のような体が小刻みに震えている。瞳に浮かぶ光もどこか薄ぼんやりとしている。
 そんな那岐王に忠吾はふたたび言った。

「本当にいい面構えになった」と。

 禍躬狩りには禍躬狩りの血があり、山狗には山狗の血があり、武官には武官の血があるように、王には王の血がある。
 ただしそれは体の中を流れる赤い血のみにあらず。
 親から子へのつながりのみにあらず。
 概念、想い、意思、矜持、生き方、死に方をあらわしている。
 かつて禍躬ヤマナギ討伐戦において苦境に立たされた時。那岐王は自刃しようとするも、それを忠吾が止めた。

「王には楽に死ねる権利なんぞはない。あるのは、すべての生きざま、死にざまを見届ける責任だけだ」といった言葉を投げかけて。

 討伐戦を終え、生き残った那岐王は、より王たらんとして邁進した。
 ついには寿命をも縮め、まさに燃え尽きようとするほどに。
 彼はよくやった。このまま安らかに逝かせてやるのが慈悲というもの。
 だがしかし……。
 忠吾は懐から取り出した小袋を病床の那岐王の枕元に置く。

「それは?」とたずねられて「胆のうだ」と忠吾は答えた。

 古来よりクマの胆のうを乾燥させた品を煎じて飲めば、万病に効くとされている。
 しかし忠吾が差し出した品はそれとはちがう。
 胆のうは胆のうでも、禍躬の胆のうを乾燥させたものである。

  ◇

 討伐された禍躬。
 その身はバラバラにされて、血肉は大地に撒かれて地鎮祭が執り行われる。すると禍躬が暴れ荒廃した土地が蘇り、かつて以上の隆盛を誇るとされている。 
 解体作業のときに、骨も入念に砕かれ、焼かれ、灰にされるのだが、頭蓋骨や牙の一部などが神殿に奉納されて祀られることもある。
 そして胆のうなのだが、その効能が他の動物からとれるものとは段違いなことから、非常に珍重されている。
 出すところに出せば、何十倍もの重さの砂金と交換されるほど。

 誰もが喉から手が出るほどに欲しがる霊薬。
 しかし禍躬の胆のうを獲得する権利は、トドメを刺した者に与えられる決まり。
 これは禍躬狩りにおける鉄の掟。性別、年齢、身分の貴賤は関係ない。
 もしも掟を破ろうものならば、たちまち粛清の対象となり、すべての同胞および、彼らの相棒である山狗や黒翼らを敵に回すことなる。そうなればもはや安住の地はどこにもない。二度と枕を高くして眠ることはかなわないだろう。

  ◇

 希少かつ貴重な品をぽんと寄越したことに、目を見張る那岐王。

「なっ……、貴殿はこのワシにまだ生きろというのか? これほど老いさらばえたというのに、まだ楽になるなと言うのか?」

 忠吾が「そうだ」とうなづく。

「あとを継いだ伊邪王は優秀だがやはり青い。知恵が回りいろんなことに気がつく反面、ややことを性急に進めるように見えた。若さゆえであろうが、ちと危うい。だがあと一年、もしくは二年もすればいい具合に熟れるだろう。それまでは見守り導く者が必要だ。
 湖国から戻ったら紀伊国が内乱状態に陥っていたとかでは困るからな。
 それに物事には順序というものがある。目上の者を差し置いて、下の者が楽をしようだなんぞは断じて許さん。だからおまえはそいつを飲んで、意地でも生き続けろ」

 周囲も、当人すらもが死に逝くことが当たり前だと考え、それを受け入れようとしていたところに突如として投げつけられた、叱咤激励。
 なおも「死ぬな!」と言われた那岐王。「貴殿はやはり厳しい」との恨み節を吐きながらも、その瞳には爛とした光が戻りつつあった。


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