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その九 熊穴

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 ずっと山で暮らしてきたので、忠吾は自分が狩り場としている一帯のことならば、たいていのことがわかる。
 獣たちの通り道、彼らが好む草や木の実があるところ、巣にしそうな穴や木の洞、清水が湧いている水場、岩塩が露出している山肌、日当たりのいい場所わるい場所、渡り鳥が翼を休める池、山の天気がへそを曲げたときに避難できる窪みや裂け目などなど。

 だからとて、山のすべてを知っていると自惚れるほど忠吾は愚かではない。
 実際のところ、知れば知るほどに新たな発見があり、立ち入るほどに変化があり、齢六十を半ば超えてもなお驚かされることも多々。
 山は生きている。
 短いヒトの一生では、どだいすべては知り尽くすことなんぞはかなわぬ。
 この歳になって忠吾はそのことを痛感するばかり。

 わからないといえば、熊穴だ。
 クマが冬眠に使う穴のことなのだが、やつらは同じ穴を使うことはない。
 毎度、毎度、ちがう穴を見つけては寝床にしている。不覚にも怪我を負ったとか、体調が優れないなど、よほど切羽詰まった事情でもないかぎりは新居以外は見向きもしない。
 襲撃されることを警戒してのことらしいのだが、忠吾はそのことに感心している。

「よくもまぁ、毎回、ちがう穴を見つけるものだ」と。

 クマも冬を超すのに命懸けなのだ。
 だからあの巨体にもかかわらず、ちょっとやそっとでは見つからない場所にて巧妙に隠れ潜む。

  ◇

 中腹から裾野にかけて広がる森を歩く。
 山狗の子を連れての熊穴探索。
 鼻が利くから簡単かとおもいきや、じつはそうでもない。
 冬場は雪が、山の冷気が、凍える風が、ニオイも気配もすべてを白銀に染め無に帰す。
 それがようやく緩まり、雪が減りはじめると、今度は一転して沸き立つ山の息吹きがぼうぼうと立ち昇り、溶けだした濃厚な水の気と相まって、山狗の子の鼻をも惑わせる。
 ある程度まで獲物が潜む熊穴に近づければ勘づけるが、遠くからクマのニオイを辿るのは難しい。
 結局のところ足を使い、山中を探し求めて彷徨うことになる。
 こうなると人間の経験と勘がモノをいう。

 まだ所々雪深く、視界に白が目立つとはいえ、季節的には冬明け間近。
 山も、その地に暮らす者たちも、そろそろ動きだす頃合い。
 この時期の連中は飢えている。冬を越えるうちに、体内に貯め込んでいたモノをあらかた使い果たしてしまっているからだ。
 ヒトもそうだが耐えがたい飢餓は、たやすく理性を飛ばし狂暴性を助長する。臆病なはずの小さき者ですらもが、己よりもずっと大きな相手に牙をむく。

 あくまでコハクの鍛錬目的ではあるが、今日は大物狙いゆえに忠吾も火筒を携帯している。
 警戒を怠ることなく歩きながら、忠吾は鋭い視線を周囲に向ける。
 頭の中に入っている地形と、現在の状況を比較し、過去に獲物を仕留めた場所を除外しつつ、いかにもな場所に目星をつけていく。
 そうして巡ること七か所目、忠吾はついに熊穴を発見した。

 岩場の上に居座るようにして根を張っているブナの大木。
 木の裏手、暗い洞の奥が岩穴へと通じており、入り口狭く中が広くなっている。そこに求める姿があった。
 獲物の姿を確認したところで、ゆっくりと外へ戻ろうとした忠吾。その途中、うっかり肘で小石をはじいてしまう。片腕での腹ばい移動ゆえの失態。
 カツンと鳴った音がおもいのほかに大きく響く。
 忠吾は息を止め、じっとその場を動かない。
 クマの目が開いている。まどろんでいたクマが異音に反応したのだ。
 洞内の暗がり、至近距離にて対峙する両者。押しつぶされそうな緊迫感。静かな攻防。
 やたらと時間の流れが遅く感じる中、忠吾は身をよじりたい誘惑にひたすら耐えた。
 するとじきにクマの目がとろんとなり、まぶたが閉じられる。
 なおも用心し、しばらく待ってから忠吾は慎重に後退。
 無事に表に出てから、コハクを連れていったんその場を離れた。

  ◇

 念のために熊穴から風下にて距離をとる。
 ぐるりと周囲を見渡し地形を把握しながら、「さて、どうしたものか」と忠吾は思案顔。
 コハクを一人前の山狗とすべく鍛錬に励んだ今冬。
 総仕上げとしてクマを狩らせようと思い立ってはみたものの、いざ、実物を前にして迷いが生じた。
 ざっと見た限りだが、かなり大きい。
 おそらくだが立ち上がれば優に七尺越え、重さ六十貫を下るまい。相当な大物だ。山狗の子がはじめて対峙する相手としては、いささか荷が勝ちすぎている。

 禍躬狩りの一員として、ともに強大な敵に立ち向かう山狗。クマごときに遅れをとっていては話にならない。とはいえ何ごとにも順序というものがある。
 悩んだ末に忠吾はいったん保留とし、他の熊穴を探すことを選択する。
 だが、日暮れ前まで粘ってみるも、結局、見つけることはできなかった。

  ◇

 コハクと連れだって山小屋へと向かう帰り道。
 あと少しで小屋が見えてくるという距離になって、不意に足を止めた山狗の子。目つきが鋭くなり、鼻先にシワを寄せては「ウーッ」と低い唸り声。
 忠吾はすかさず小脇に抱えていた火筒を持ち直し、素早く装填をすませ、いつでも撃てる態勢となったところで、前方に声をかける。

「誰だ、そこで何をしている」

 静かだがよく通る忠吾の声。
 それを受けて姿をあらわしたのは鎧姿の若い武官。
 若い武官は手にしていた槍を脇へと置き、片膝をついては首を垂れ、争う意思がないことを示してから言った。

「けっして怪しい者ではありませぬ。それがしは伊邪王の命を受けた遣いです」と。


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