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その三 山狗の血
しおりを挟む沈黙した禍躬ヤマナギ。
周囲からは歓声があがるも、それはすぐに悲鳴へと変わった。
屈していたはずの膝をのばし、ヤマナギがむくりと立ち上がっては、ふたたび駆け出す素振りをみせたからだ。
両目、口、鼻、耳からドス黒い血を垂れ流し、頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているというのにもかかわらず、なんという執念であろうか。
いったいヤマナギの何がそうさせるのかは誰にもわからない。
ただわかっていたのは、このままでは忠吾のみならず、背後にいる那岐王や多くの者たちもが地獄への道連れにされるということ。
火筒は単発ゆえに、連射はできない。
さりとて再装填している猶予はない。
そこで忠吾は火筒を捨て、突火槍なる武器を手にする。これは槍の穂先に火薬が仕込まれた得物。相手へと突き刺したひょうしに爆発し、傷口を広げつつ体内深くへと刃物を送り込むというシロモノ。
忠吾が突火槍をかまえるのを待ちかねたかのようにして、動きだした満身創痍のヤマナギ。
ヤマナギが雄叫びをあげ、凄まじい気迫が放たれる。
小山のごとき巨躯が猛然と駆け出した。怒涛と化す禍躬。
対する忠吾は、いかに伝説の禍躬狩りとはいえ、しょせんは人の身。あまりにも小さい。だがその身に宿る勇気と気概は、けっしてヤマナギに引けをとらない。双眸が爛々と輝き命が燃えていた。
絶望が支配する戦場において、彼のみはまだ諦めてはいなかったのである。
◇
主人が身命を賭して敵へと挑まんとしている。
その姿を目の当たりにして動きだしたのは二頭の山狗、ソウとアサヒ。
ヤマナギへと駆け寄った二頭はそのまま牙を突き立てる。
ソウは右の後ろ足に、アサヒは左の後ろ足にと。
だがヤマナギは止まらない。まるで歯牙にもかけず。
すでに痛覚は失せているらしく、山狗たちの牙が肉へと深く食い込み、その奥にある筋を傷つけ、骨をも砕こうとしても、いささかも足を緩めようとはしなかった。
一方で噛みついたままのソウとアサヒは、引きずられ、蹴飛ばされ、踏みつけにされて、ボロボロになっていくばかり。
しかしなおも二頭は離れようとはしなかった。鼻先にシワを寄せ「グルル」と低い唸り声をあげながら、どうにか主人の役に立とうと足掻き続ける。
するとそんな二頭の闘志に鼓舞されたのか、駆けつけてくる多数の影があった。
他の禍躬狩りたちが連れていた山狗たちである。
次々とあとに続いては、ヤマナギに牙を突き立てる。ともに駆けつけた禍躬狩りたちの火筒も順次放たれ、そのことごとくが命中する。
なのにヤマナギは止まらない、倒れない。
山狗たちも離れない。
踏み潰された体が千切れ、内臓をぶちまけ、血反吐を吐こうとも、山狗たちの流した血が河となり、後方に続くもなお離さない。
禍躬と山狗。執念と矜持がぶつかりせめぎ合う。互いの命をこすり合わせてはガリガリと削る消耗戦。
これを制したのは、多数の犠牲を払った山狗たち。
さしものヤマナギも駆け続けることかなわず。
突進が鈍ったヤマナギ、その眼前へと躍り出たのは忠吾。
手にした突火槍の穂先を突き入れたのは、すっかり息があがり、アゴが下がっていたヤマナギの口の中である。
左脇に構えた槍を渾身の力にて突く。
喉の奥に突端がめり込んだ瞬間に火薬が着火。穂先が柄から分離し飛び出す。その際に発生した金属片がオマケだとばかりに、口腔内や気道に大小無数の傷をこさえる。
頭内部深くにまで差し込まれた穂先。
火筒の一撃にてかき回されていたことで、さらに脆くなっていた内部を苦も無く進み、たまさか切っ先が触れたのは、先に鉄の玉が最初に当たって跳ねた場所であった。
二連続にて同じところに攻撃を受けたことにより、頑強な頭蓋骨もついに砕ける。
後頭部が吹き飛び、脳髄をぶちまけた。
さしものヤマナギの命運もこれまで。
だが禍躬は最期の最期に、己を殺めた者の身に絶対に消えない呪いを刻み込む。
◇
どうと倒れ、今度こそ本当に息絶えた禍躬ヤマナギ。
それを見下ろす忠吾だが、左腕の肘から先が失せている。不思議と血は流れていない。けれども断面に焼き印を押しつけられたような痛みをともなっている。
逝きがけの駄賃に腕をヤマナギに持っていかれ、けっして癒えることのない傷を負わされた禍躬狩りの男。
勝利と引き換えに忠吾が失ったものは他にもあった。
それは長年、苦楽をともにしてきた相棒のソウとアサヒ。
山狗の夫婦は主人を守るために、その身が千切れて死してなお、首だけとなりカッと目を見開いたままヤマナギの足に喰らいつき続けていた。
勇猛果敢なる四つ足の獣。
その苛烈な死にざまを前にして、那岐王をはじめとする多くの者たちが、山狗の血の凄まじさにあらためて畏怖の念を抱き、彼らの働きに感謝して黙祷を捧げる。
かくして禍躬ヤマナギ討伐戦はなされた。
しかし払った代償はあまりに大きく、慟哭と悔恨でもって幕を閉じることとなった。
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