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Category 6 : Adjustment
3 : Decide
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朝日が大分昇り始めた頃。とある漁港、漁船やモーターボートが多数停められている。堤防にはカモメが羽を休ませており、沖にも餌を狙う鳥の群れを視認できる。
漁港には倉庫等が並ぶ中、小さな自由使用可能共用キッチンも備えられていた。
そこで調理に勤しむのは少女、アンジュリーナの姿。ロングヘアをゴムで縛り、エプロンを着けて何か鼻歌を呟いている。
調理台の上には塩水を満たしたボウルがあり、その中にはアサリとムール貝が入っている。
まな板の上には中くらいのカサゴのような魚が三尾、大ぶりな魚一尾が寝かされている。アンジュリーナはそれぞれを包丁の背を使って鱗を落とし、魚のエラに切り込みを入れ、頭と胴体を真っ二つに。
切れ込みから内臓を取り、一番サイズの大きなハタは縦半分にした。そして各々を水で洗い、キッチンペーパーで水分を拭き取る。
塩コショウをして魚を頭と共に、オリーブオイルを垂らした大きなフライパンに入れていく。二つのフライパンにぎっちり入った。そして昔から伝わる熱効率の良いガスコンロを点火。
「手伝うか?」
「ひゃっ?!」
後ろから聞き覚えのある平坦な声。不意を突かれた少女はフライパンを持ったまま、背中をビクリと震わせ硬直した。
慌ててフライパンを落としそうになるが、どうにか持ちこたえた。
「ふう……あ、アダム君? 別に待ってて良いのに」
「だがその量は多いだろう。何をすれば良い?」
少年の素直な厚意を、アンジュリーナは受け取った。少女の頬が僅かに綻ぶ。
「じゃあそっちのフライパンお願い。私が色々教えてあげるわね」
「頼んだ」
アダムは言われた通り、魚の火加減の監視を開始した。すると少女が呼ぶ。
「こっちの方手伝って。これを切っていってね」
まな板の上にはニンニク、マッシュルーム、ピクルス、パプリカ。少女はそれらを包丁で刻んでいく。少年もそれを真似してパプリカを平手で固定し、切り始めた、が、
「ちょっと、それだと危ないわ。切るときは押さえる手の指を丸めるの」
「こうか?」
「そうよ。アダム君切る間隔が揃ってるわね」
指を折り曲げた少年が一定のリズムで食材を切っていった。元々感情の無いアダムであるが、こういった単調な作業をする時の正確で一定の挙動は、まさに機械のようなイメージがある。
更にアンチョビを加え、切った具材はボウル内で砂を抜いたアサリとムール貝と同時にフライパンへ入れた。
そこへ湯むきしたミニトマトとワインとオリーブオイルを投入、しばらく煮込んだまま待つ。アダムもそれらを真似し、ぐつぐつ音を立てる具材へ目をやる。
「ありがとうね。お陰で助かったわ」
「どういたしまして。これは何時まで火を通せば良い?」
純粋に尋ねてくるアダムを見て少女は嬉しそうに笑顔を見せる。そして応えてあげたアンジュリーナは更に笑顔を増した。
「貝が開いたらこの水を入れて蓋をして。それで二十分くらいしたら終わりよ」
「分かった」
少女は何処からか椅子を二つ持ってくると、片方をアダムに渡す。もう片方に座り、少年がフライパンに蓋を被せて腰掛けるのを見届けた。
「アダム君、釣りは楽しかった?」
「楽しい、とは何だ?」
アンジュリーナが話題を切り出す。知らないアダムは訊き返した。少女は小難しそうに左上を向き、何かを考えた挙げ句言う。
「例えば何かをする時、自分からやりたくなる事って無い? 私は本を読む時がそうだわ」
例えを出されてアダムはすぐに思い当たった。
「ある。ラーメンを食べている時、何故か勝手に食べるのが進んだ。あとリョウからバイクを貰った時、乗りたいと何故か思った。ロックを聴いた時、自然と何時までも聴いていた……」
「そう、それが「楽しい」という事なの。そこに理由は無い、だから楽しいのよ」
笑顔で話を続けるアンジュリーナだが、少年は対して無表情だった。それどころか何かを考えて俯いている。
「理由が無い事が理解出来ない、そう思う。アンジュは分からないのか?」
「そう、なの?……」
沈みがちな会話の流れを、少女はせき止める事が出来なかった。それどころか、彼女すらダークな雰囲気に乗せられていく。
「あの時、マルクという奴に言われた。この世には理由の無い、説明出来ないものがある、と」
アンジュリーナは、アダムが何を話そうとしているのかまるで分からなかった。何故なら、当のアダムすら分かっていないからだ。少女は完全に少年のミステリアスな力に惑わされていた。
「アンジュ、君は「運命」を信じるか? この世は理由が無けれど、あらかじめ物事が決まっていると思うか?」
尋ね、というより、訴えだった。少年の青い目が鋭く光っていた。
「違うわ、決まってなんかいない」
少女の灰色の目は真っ向からそれを否定する。少年は目を見開いていた。
「運命は自分で決めるものよ。前、反乱軍を作ったというドニーさんって人も言っていたんだけど、もし運命があらかじめ決まっているならそれをあらかじめ起こさせない方法だって分かる筈だって」
何も言わないアダム。顔は「どういう意味だ?」と表記されている。
「これもドニーさんから聞いた例えなんだけど、もしアダム君に向かってボールが投げられたらアダム君はどうする?」
「取る」
迷い無き即答。アンジュリーナは続けた。
「どうして取ったの?」
「落ちるからだ」
「でもアダム君はその落ちるという運命を止めたわ。アダム君の意志で」
「もし自分が取るという運命だったら?」
思わぬ反撃に少女はしばし沈黙する。それでも彼女は少年を説得したかった。
「でも、アダム君は取らないでおこうと思えば取らない事も出来たでしょ? アダム君の考えだけで決まるの」
「しかし……」
このアダム少年は、理解力は良い筈だとアンジュリーナは信じている。だが、まるで今の彼は理解しようとしてもしきれていない、そんな迷いがあるように思えた。
「アダム君、私ね、管理組織の施設に侵入した時、倒れていた貴方と出会ったの」
少女の灰色の目が少年の青い瞳を捉え、喋り始めた。アダムは何かを考えながら話を聞いているようだった。
白い廊下が無限に続く空間――まるで平坦な少年そのもののようだ。
今居るのは少々薄汚れてはいるものの、様々な調理器具が並び、フライパン上には色とりどりの食材――そして見慣れた少女、アンジュリーナが居る。
「私はあの時、アダム君を助けるべきだと思ったわ。倒れている人を見捨てるなんて出来ないし、私は助けたいと思った。私の“意志”よ、他の誰でもなく、私が決めたわ」
ふと、アダムは思った。
(もし、アンジュが来なければ……)
今頃どんな出来事が待ち受けていたのだろうか。延々と廊下を走り続けるのか、それとも更なる苦しみが待ち受けていたのではないか。
(だが、アンジュは未来を変えてくれた……)
少年はアンジュリーナの瞳をじっと見詰めたまま離れない。少女も逸らさず、それを正面から受け止めた。
「アンジュ、未来は変えられるのだな」
「きっとそうよ。何かに生かされてるなんて私は考えられない。私達の仲間皆だってそう思っている筈。そうじゃなきゃ管理社会に反抗する反乱軍なんて生まれないわ」
アダムはふと思い出した。
かつて、ハンからカンフーを教わった時、過去、現在、未来、という全体の繋がりが大事だと教わった。そして先日針治療を受けた際、体の一部ではなく体の部分同士の関係性が中国医療の本質だと知った。
(今こそ教えるべきだ。この先の為にも)「……アンジュ、言いたい事がある」
少しだけ周囲を見渡したような挙動を見せ、そして呼び掛ける。「言って」と相手がそそのかした。
「頭に映像が浮かぶんだ。自分は何も無い何処かの部屋に寝かされ、誰かが注射を打った」
「……それって記憶?」
「恐らく。はっきりと“視え”る……」
少年が何かを考えているのか、口ごもる。アンジュリーナはただ黙って見守っていた。
「壁も天井も白い、医療室らしい所だった。注射を打った人物は赤毛で四十代、身長百七十センチメートル台の男性だ」
急に具体的な情報が出されると、少女はその場で拍子抜けして目を丸くしたのだった。アダムがぼんやり上を向きながら話は続く。
「そしてこう呟いていたな。アダム、起きてくれ、と。分かっているのはこれだけだ。その後はどうやら一度寝たらしい」
「……じゃあその人が何かを知っているって事?」
「多分。それと別の事だが、この前戦ったマルクという奴がディック中佐という人物を聞いた。ロサンゼルス防衛戦も別の人物から中佐という単語が聞こえた。自分を狙ってくる所からどちらも恐らく同一だろう。理由までは分からない」
「ディック中佐……」
アンジュリーナが呟いたのは話を整理付ける為だろう。実際、彼女は脳内で思考を巡らせていた。
(ハンさんなら管理軍のネットワークに侵入して調べられるかなあ……)
「何を考えている」
冷淡な問い。純粋な疑問である事は分かっているのだが、責められるようにも聞こえる言い方に、少女は背筋をビクリとさせた。
「え、えっと、ハ、ハンさんとか情報収集得意だし、こ、こういったの分かるかなあって……」
「成程。頼まなくては」
少女は何故か少年に恐れるかの如く震えながら、思った事を白状する。そんな姿を気にも留めず、アダムは自分の世界へ再び突入した。
「そ、そうだ、あと、可能性は薄いかもしれないけど、ストーン先生に注射されたものを調べて貰ったらどうかしら」
「管理組織の機密も分かるという訳か」
怯えながら少女の提案。頷く少年。
すると、アダムは突然目を逸らし、アンジュリーナが視線を追う。
「ひゃっ?!」
少女は、ガタガタと震えるフライパンの蓋を見て素っ頓狂な声を上げたのだ。アダムは冷静に、振動する蓋を取ってみせた。
「火が少し強いな。もう十分煮込まれていると思う」
「ご、ごめん。夢中だったわ……」
「料理が出来ているなら問題ない」
無愛想な指摘とフォローをそれぞれ。アンジュリーナは胸をなで下ろした。少年の方は片方のフライパンを持って底の深い皿へ具材を流し込んでいた。
はっ、と我に返ったアンジュリーナももう片方を持ち、お玉杓子で丁寧にすくうのだった。細かい具材や汁も均等に分ける。
「じゃあ持って行くわよ。手伝ってくれてありがとうね」
「どういたしまして」
条件反射のような即刻の返事だが、少女は笑顔を更に返した。アンジュリーナが何処からかお盆を持って来て、アダムは二つ、アンジュリーナは三つを抱えると、二人は厨房を出てダイニングスペースへ出る。
席は大型のテーブル一つに八つ程の椅子があったが、その内人が座っているのは三つだけ。
その三人は何か談笑していたが、二人の少年少女を見ると彼らは笑顔で歓迎した。
「アンジュちゃん、また火加減間違えたか? 見た目と同じで可愛い声だったぜ」
「次は失敗しませんから。文句言うとアクアパッツァ食べさせないですよー!」
黒人男性、リカルドの冗談に頬を膨らませてそっぽを向き、抗議するアンジュリーナ。連鎖してリカルドと話し合っていた、テーブルの向かいに座る友人二人も笑う。
「可愛いアンジュちゃん見れれば飯抜きでも構わねえ……ごめんごめん、感謝して頂くよ」
「アダム君も手伝ってくれたんです」
「二人ともありがとよ。食うぞ食うぞ」
皿がそれぞれ五箇所の席に置かれる。アダムはリカルドの右隣に、アンジュリーナは更にその右側についた。
少女のほうは「いただきます」と挨拶し、黒人は手をテーブルの上で組み、何かを呟き始める。残るリカルドの友人二人は何も言わず食べ始めた。
少年も右隣に習って合掌、そしてスプーンを取る。後は食事に浸るのみ。スプーンで煮込まれて柔らかくなった魚を削り取り、口の中へ突っ込んだ。
(ワインのアルコール分が消えて旨味が魚の身へ溶け込んでいる。血液の少ない白身だから調味料が溶けやすいのか。臭みも消えているな)
次は汁を多めにすくいながら野菜と共に味わう。ブドウとオリーブオイルの香りが一層深まった。
(あらかじめ焼く事で火の通りや染み込みを良くしているのか。トマトの甘味と酸味でさっぱりするのも良い)
そして今度は貝殻のついたままのアサリとムール貝を手で取り、双方に食いつく。
(味が濃い。出汁の役割も果たしているようだな。汁と絡ませると美味い)
左隣では黒人青年が小さな貝殻で皿に溜まったスープをチビチビ飲んでいる。そして対面する友人達と何やら談笑していた。
「結局お前一番凄かったな。運だけは良いんだから」
「運も実力の内だぜ。今夜も行っちまう?」
「俺はもうこりごりだ。今日は全然駄目っぽいし」
「俺は調子良かったがな。何なら深海魚でも狙うか?」
傍らでアンジュリーナが眺めながら料理を嗜んでいる。彼女は左隣で無言のままただ食事にありつける少年を見て、無意識に嬉しそうな笑顔を見せた。
漁港には倉庫等が並ぶ中、小さな自由使用可能共用キッチンも備えられていた。
そこで調理に勤しむのは少女、アンジュリーナの姿。ロングヘアをゴムで縛り、エプロンを着けて何か鼻歌を呟いている。
調理台の上には塩水を満たしたボウルがあり、その中にはアサリとムール貝が入っている。
まな板の上には中くらいのカサゴのような魚が三尾、大ぶりな魚一尾が寝かされている。アンジュリーナはそれぞれを包丁の背を使って鱗を落とし、魚のエラに切り込みを入れ、頭と胴体を真っ二つに。
切れ込みから内臓を取り、一番サイズの大きなハタは縦半分にした。そして各々を水で洗い、キッチンペーパーで水分を拭き取る。
塩コショウをして魚を頭と共に、オリーブオイルを垂らした大きなフライパンに入れていく。二つのフライパンにぎっちり入った。そして昔から伝わる熱効率の良いガスコンロを点火。
「手伝うか?」
「ひゃっ?!」
後ろから聞き覚えのある平坦な声。不意を突かれた少女はフライパンを持ったまま、背中をビクリと震わせ硬直した。
慌ててフライパンを落としそうになるが、どうにか持ちこたえた。
「ふう……あ、アダム君? 別に待ってて良いのに」
「だがその量は多いだろう。何をすれば良い?」
少年の素直な厚意を、アンジュリーナは受け取った。少女の頬が僅かに綻ぶ。
「じゃあそっちのフライパンお願い。私が色々教えてあげるわね」
「頼んだ」
アダムは言われた通り、魚の火加減の監視を開始した。すると少女が呼ぶ。
「こっちの方手伝って。これを切っていってね」
まな板の上にはニンニク、マッシュルーム、ピクルス、パプリカ。少女はそれらを包丁で刻んでいく。少年もそれを真似してパプリカを平手で固定し、切り始めた、が、
「ちょっと、それだと危ないわ。切るときは押さえる手の指を丸めるの」
「こうか?」
「そうよ。アダム君切る間隔が揃ってるわね」
指を折り曲げた少年が一定のリズムで食材を切っていった。元々感情の無いアダムであるが、こういった単調な作業をする時の正確で一定の挙動は、まさに機械のようなイメージがある。
更にアンチョビを加え、切った具材はボウル内で砂を抜いたアサリとムール貝と同時にフライパンへ入れた。
そこへ湯むきしたミニトマトとワインとオリーブオイルを投入、しばらく煮込んだまま待つ。アダムもそれらを真似し、ぐつぐつ音を立てる具材へ目をやる。
「ありがとうね。お陰で助かったわ」
「どういたしまして。これは何時まで火を通せば良い?」
純粋に尋ねてくるアダムを見て少女は嬉しそうに笑顔を見せる。そして応えてあげたアンジュリーナは更に笑顔を増した。
「貝が開いたらこの水を入れて蓋をして。それで二十分くらいしたら終わりよ」
「分かった」
少女は何処からか椅子を二つ持ってくると、片方をアダムに渡す。もう片方に座り、少年がフライパンに蓋を被せて腰掛けるのを見届けた。
「アダム君、釣りは楽しかった?」
「楽しい、とは何だ?」
アンジュリーナが話題を切り出す。知らないアダムは訊き返した。少女は小難しそうに左上を向き、何かを考えた挙げ句言う。
「例えば何かをする時、自分からやりたくなる事って無い? 私は本を読む時がそうだわ」
例えを出されてアダムはすぐに思い当たった。
「ある。ラーメンを食べている時、何故か勝手に食べるのが進んだ。あとリョウからバイクを貰った時、乗りたいと何故か思った。ロックを聴いた時、自然と何時までも聴いていた……」
「そう、それが「楽しい」という事なの。そこに理由は無い、だから楽しいのよ」
笑顔で話を続けるアンジュリーナだが、少年は対して無表情だった。それどころか何かを考えて俯いている。
「理由が無い事が理解出来ない、そう思う。アンジュは分からないのか?」
「そう、なの?……」
沈みがちな会話の流れを、少女はせき止める事が出来なかった。それどころか、彼女すらダークな雰囲気に乗せられていく。
「あの時、マルクという奴に言われた。この世には理由の無い、説明出来ないものがある、と」
アンジュリーナは、アダムが何を話そうとしているのかまるで分からなかった。何故なら、当のアダムすら分かっていないからだ。少女は完全に少年のミステリアスな力に惑わされていた。
「アンジュ、君は「運命」を信じるか? この世は理由が無けれど、あらかじめ物事が決まっていると思うか?」
尋ね、というより、訴えだった。少年の青い目が鋭く光っていた。
「違うわ、決まってなんかいない」
少女の灰色の目は真っ向からそれを否定する。少年は目を見開いていた。
「運命は自分で決めるものよ。前、反乱軍を作ったというドニーさんって人も言っていたんだけど、もし運命があらかじめ決まっているならそれをあらかじめ起こさせない方法だって分かる筈だって」
何も言わないアダム。顔は「どういう意味だ?」と表記されている。
「これもドニーさんから聞いた例えなんだけど、もしアダム君に向かってボールが投げられたらアダム君はどうする?」
「取る」
迷い無き即答。アンジュリーナは続けた。
「どうして取ったの?」
「落ちるからだ」
「でもアダム君はその落ちるという運命を止めたわ。アダム君の意志で」
「もし自分が取るという運命だったら?」
思わぬ反撃に少女はしばし沈黙する。それでも彼女は少年を説得したかった。
「でも、アダム君は取らないでおこうと思えば取らない事も出来たでしょ? アダム君の考えだけで決まるの」
「しかし……」
このアダム少年は、理解力は良い筈だとアンジュリーナは信じている。だが、まるで今の彼は理解しようとしてもしきれていない、そんな迷いがあるように思えた。
「アダム君、私ね、管理組織の施設に侵入した時、倒れていた貴方と出会ったの」
少女の灰色の目が少年の青い瞳を捉え、喋り始めた。アダムは何かを考えながら話を聞いているようだった。
白い廊下が無限に続く空間――まるで平坦な少年そのもののようだ。
今居るのは少々薄汚れてはいるものの、様々な調理器具が並び、フライパン上には色とりどりの食材――そして見慣れた少女、アンジュリーナが居る。
「私はあの時、アダム君を助けるべきだと思ったわ。倒れている人を見捨てるなんて出来ないし、私は助けたいと思った。私の“意志”よ、他の誰でもなく、私が決めたわ」
ふと、アダムは思った。
(もし、アンジュが来なければ……)
今頃どんな出来事が待ち受けていたのだろうか。延々と廊下を走り続けるのか、それとも更なる苦しみが待ち受けていたのではないか。
(だが、アンジュは未来を変えてくれた……)
少年はアンジュリーナの瞳をじっと見詰めたまま離れない。少女も逸らさず、それを正面から受け止めた。
「アンジュ、未来は変えられるのだな」
「きっとそうよ。何かに生かされてるなんて私は考えられない。私達の仲間皆だってそう思っている筈。そうじゃなきゃ管理社会に反抗する反乱軍なんて生まれないわ」
アダムはふと思い出した。
かつて、ハンからカンフーを教わった時、過去、現在、未来、という全体の繋がりが大事だと教わった。そして先日針治療を受けた際、体の一部ではなく体の部分同士の関係性が中国医療の本質だと知った。
(今こそ教えるべきだ。この先の為にも)「……アンジュ、言いたい事がある」
少しだけ周囲を見渡したような挙動を見せ、そして呼び掛ける。「言って」と相手がそそのかした。
「頭に映像が浮かぶんだ。自分は何も無い何処かの部屋に寝かされ、誰かが注射を打った」
「……それって記憶?」
「恐らく。はっきりと“視え”る……」
少年が何かを考えているのか、口ごもる。アンジュリーナはただ黙って見守っていた。
「壁も天井も白い、医療室らしい所だった。注射を打った人物は赤毛で四十代、身長百七十センチメートル台の男性だ」
急に具体的な情報が出されると、少女はその場で拍子抜けして目を丸くしたのだった。アダムがぼんやり上を向きながら話は続く。
「そしてこう呟いていたな。アダム、起きてくれ、と。分かっているのはこれだけだ。その後はどうやら一度寝たらしい」
「……じゃあその人が何かを知っているって事?」
「多分。それと別の事だが、この前戦ったマルクという奴がディック中佐という人物を聞いた。ロサンゼルス防衛戦も別の人物から中佐という単語が聞こえた。自分を狙ってくる所からどちらも恐らく同一だろう。理由までは分からない」
「ディック中佐……」
アンジュリーナが呟いたのは話を整理付ける為だろう。実際、彼女は脳内で思考を巡らせていた。
(ハンさんなら管理軍のネットワークに侵入して調べられるかなあ……)
「何を考えている」
冷淡な問い。純粋な疑問である事は分かっているのだが、責められるようにも聞こえる言い方に、少女は背筋をビクリとさせた。
「え、えっと、ハ、ハンさんとか情報収集得意だし、こ、こういったの分かるかなあって……」
「成程。頼まなくては」
少女は何故か少年に恐れるかの如く震えながら、思った事を白状する。そんな姿を気にも留めず、アダムは自分の世界へ再び突入した。
「そ、そうだ、あと、可能性は薄いかもしれないけど、ストーン先生に注射されたものを調べて貰ったらどうかしら」
「管理組織の機密も分かるという訳か」
怯えながら少女の提案。頷く少年。
すると、アダムは突然目を逸らし、アンジュリーナが視線を追う。
「ひゃっ?!」
少女は、ガタガタと震えるフライパンの蓋を見て素っ頓狂な声を上げたのだ。アダムは冷静に、振動する蓋を取ってみせた。
「火が少し強いな。もう十分煮込まれていると思う」
「ご、ごめん。夢中だったわ……」
「料理が出来ているなら問題ない」
無愛想な指摘とフォローをそれぞれ。アンジュリーナは胸をなで下ろした。少年の方は片方のフライパンを持って底の深い皿へ具材を流し込んでいた。
はっ、と我に返ったアンジュリーナももう片方を持ち、お玉杓子で丁寧にすくうのだった。細かい具材や汁も均等に分ける。
「じゃあ持って行くわよ。手伝ってくれてありがとうね」
「どういたしまして」
条件反射のような即刻の返事だが、少女は笑顔を更に返した。アンジュリーナが何処からかお盆を持って来て、アダムは二つ、アンジュリーナは三つを抱えると、二人は厨房を出てダイニングスペースへ出る。
席は大型のテーブル一つに八つ程の椅子があったが、その内人が座っているのは三つだけ。
その三人は何か談笑していたが、二人の少年少女を見ると彼らは笑顔で歓迎した。
「アンジュちゃん、また火加減間違えたか? 見た目と同じで可愛い声だったぜ」
「次は失敗しませんから。文句言うとアクアパッツァ食べさせないですよー!」
黒人男性、リカルドの冗談に頬を膨らませてそっぽを向き、抗議するアンジュリーナ。連鎖してリカルドと話し合っていた、テーブルの向かいに座る友人二人も笑う。
「可愛いアンジュちゃん見れれば飯抜きでも構わねえ……ごめんごめん、感謝して頂くよ」
「アダム君も手伝ってくれたんです」
「二人ともありがとよ。食うぞ食うぞ」
皿がそれぞれ五箇所の席に置かれる。アダムはリカルドの右隣に、アンジュリーナは更にその右側についた。
少女のほうは「いただきます」と挨拶し、黒人は手をテーブルの上で組み、何かを呟き始める。残るリカルドの友人二人は何も言わず食べ始めた。
少年も右隣に習って合掌、そしてスプーンを取る。後は食事に浸るのみ。スプーンで煮込まれて柔らかくなった魚を削り取り、口の中へ突っ込んだ。
(ワインのアルコール分が消えて旨味が魚の身へ溶け込んでいる。血液の少ない白身だから調味料が溶けやすいのか。臭みも消えているな)
次は汁を多めにすくいながら野菜と共に味わう。ブドウとオリーブオイルの香りが一層深まった。
(あらかじめ焼く事で火の通りや染み込みを良くしているのか。トマトの甘味と酸味でさっぱりするのも良い)
そして今度は貝殻のついたままのアサリとムール貝を手で取り、双方に食いつく。
(味が濃い。出汁の役割も果たしているようだな。汁と絡ませると美味い)
左隣では黒人青年が小さな貝殻で皿に溜まったスープをチビチビ飲んでいる。そして対面する友人達と何やら談笑していた。
「結局お前一番凄かったな。運だけは良いんだから」
「運も実力の内だぜ。今夜も行っちまう?」
「俺はもうこりごりだ。今日は全然駄目っぽいし」
「俺は調子良かったがな。何なら深海魚でも狙うか?」
傍らでアンジュリーナが眺めながら料理を嗜んでいる。彼女は左隣で無言のままただ食事にありつける少年を見て、無意識に嬉しそうな笑顔を見せた。
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皇帝ガレスと娼婦ソーニャの間に生まれた第七皇子ルクスは、魔力が少ないからという理由で無能皇子と呼ばれ冷遇されていた。
だが実はルクスの中身は転生者であり、自分と母親の身を守るために、ルクスは魔法を極めることに。
毎日人知れず死に物狂いの努力を続けた結果、ルクスの体内魔力量は拡張されていき、魔法の威力もどんどん向上していき……
『なんだあの威力の魔法は…?』
『モンスターの群れをたった一人で壊滅させただと…?』
『どうやってあの年齢であの強さを手に入れたんだ…?』
『あいつを無能皇子と呼んだ奴はとんだ大間抜けだ…』
そして気がつけば周囲を畏怖させてしまうほどの魔法使いの逸材へと成長していたのだった。
輪廻転生AIー裏外山腐敗研(第一話、第二話、第三話、及び第四話 AIに備わった第六感)
Kazu Nagasawa
SF
人工知能AIが飛躍的な進歩をみせるなか、先々は人間の能力と差が無いようになるという見方があります。でも、人間には第六感という不思議な力があります。また霊魂や輪廻転生による蘇りが言い伝えられています。もしAIに第六感がそなわって人間がAIと一体化して蘇るとしたらどうなるのでしょう?! そんなことをテーマにして書いてみました。
おそらくAIは近い将来、コンピューターのレベルを超え、未知の生命体のような位置づけになると思います。つまり現在の能力に、動物のような運動機能とコミュニケーション能力が加われば長寿命型の生き物のようになるのでしょう。その存在を人間が脅威に感じるか否かは人間側にかかっているように思います。たぶん今のままでは悪いことに使われ、かなり危険ではないかと思っているのではないでしょうか。
一方、もう一つのテーマとしてこの作品でとりあげた人間の蘇生というテクノロジーはAI以上に危険だと言えます。たとえばスプーン一杯で何十万人もの致死量があると言われるボツリヌス細菌やキノコなどの神経毒は危険すぎて軍事用にも使うことが出来ません。もしこれをAIが代わりに行うと大変なことになります。わたしたちは先端技術の裏につねにリスクがあることを忘れてはならないのです。そして、このAIやバイオテクノロジーなどの共通点は開発したごく一部の人にしか本当の脅威が分らないということです。もし、この二つの脅威が融合することとなったとき、人間はいったいどうなるのでしょう・・・?
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まだ少しですが読ませていただきましたー
内容のところで難しい設定だなぁと思って読みましたがうまく世界観が表現できていてすごい!と思いました!
これからも頑張ってください!
手に汗握りながら読ませて頂きました!
まだ始めしか読んでいないのに、スムーズにワクワクしながら読めました!
Twitterから来た者ですが、これからも執筆活動も頑張ってください!!
感想ありがとうございます
描写とか特にリアリティと細かさを追求している限りです
これからも是非読んでやって下さい