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2 : Calm
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「チキンタコス三つだ。一つは唐辛子三倍にしてくれ」
「あいよ。仕事は大変だったかねリョウ」
「おう、お陰さまで。別に元気だ。そっちこそどうだ? あっあとコーヒーも三杯、こっちも一つは濃く淹れてくれ」
「オッケイ……最近かね、変わらんよ。でもそう安心出来ない世の中だからなあ……」
「働いた後で嫌なフラグ言うなよ。俺が過労死しちまう」
「すまんすまん」
カウンターの奥の黒い無精髭を生やした店主が笑った。リョウは、外の舗装された通りに面したカウンター席で頬杖をつき、後ろを見渡す。
朝日に照らされたロサンゼルス郊外。通りには飲食店が並び、多くの通行人で賑わいを見せている。その中ではヒスパニック系や東アジア系の顔ぶりも見られた。
太陽はロッキー山脈から既に顔を全部出したところだ。リョウからはテーブルを正面にすると右側にある。
遠くを見れば都市の中心部にあるビルが見える。せいぜい六十メートル程度だろうが、文明の“復興”の証である事を示している。
「第三次世界大戦」によって世界の重要都市の殆どは破壊され、戦争が終わって西暦が廃止され、それから十七年後の「地球暦」〇〇一七年現在となる。
アメリカ合衆国は戦争が始まった西暦二〇七〇年から真っ先にあらゆる国家の敵となり、崩壊を余儀なくされた。経済的理由、宗教的理由、何であれアメリカ合衆国は主に発展途上国、中南米国家、イスラム教国家、多数の国々から非難と共に爆弾やミサイルを浴びせられた。
メキシコ国境に近かったカルフォルニアは真っ先に攻撃を受け崩壊した。しかし、アメリカ合衆国に敵意が向けられなくなる程衰退すると、州規模の経済圏の上で大戦終結前から再建が進んだ。生活水準はまだ大戦以前どころか西暦二〇五〇年代にすら追いついていない。とはいえ、生活に苦しむ程度ではないのだが。
「浮かない顔してどうした?」
「取っておいてくれたみたいで助かるよリョウ」
ぼんやりと路上を見渡していたリョウに声が二つ。彼の意識は目の前のメキシコ料理店に引き戻され、音源を確かめるべく首を横に曲げた。
「よう、チキンタコスとコーヒーにしといたぜ。ハン、お前の分は両方とも濃くしてもらった」
「どうも。僕はポークが良かったんだけどね」
「てかリョウ、途中で抜け出しやがって、大変だったんだぞ」
声の主達である、ハンがお礼と独り言を述べ、レックスが軽く顔をしかめた。しかし、リョウの方は更に不満をぶちまけた。
「どいつもこいつも働け働け言うくせに何もくれねえんだっての。産業革命から今までブラック企業って何で無くならねえんだよ」
「……言っておくが“僕ら”は法に従った企業なんかではない、法から外れた“組織”だ。その事は分かっているだろう?」
「おう……何でアジア人はこんな説教が好きなんだ? 俺が「反乱軍」に反乱を起こしてえよ」
リョウは話を聞く気無しで返事し、冗談を利かせて愚痴を平然と吐く。
「仕事の話ばかりしてると飯が不味くなるぞ。ほれ、おまちどう」
店主がレックスとハンへタコスを手渡した。受け取ったレックスは舌なめずりせんばかりだった。
「サンキューおじさん。ここのタコスは良いっすね、特にこのサルサに入ってるアボカドが良いんですよ。あと焼き方も最高」
「ほほう分かっているねえ、レックス」
店主が得意げに胸を張ったが、一口食べたラテン人の方は、何か引っかかっている表情だった。
「……でもこれ、何か辛過ぎだと思いますが……」
「そうかい? 物足りない気が……店長、いつもよりマイルドじゃないですか?」
レックスの意見と噛み合わなかったのはハン、首を捻っていた。
「二人共どうした? 疲れて味覚でも狂ったのか?」
二人が黙って目を見合わせる。それぞれ自分のをもう一度、一齧り。
「……やっぱ辛い。てか痛いじゃねえか」
「……やっぱ辛くない。店長、唐辛子をもっとくれないか」
「ちょっと待ってな」
レックスは目頭を押さえながら口直しに、ハンは唐辛子を待つ合間に、それぞれのコーヒーを一口――傍観していたリョウが何かを確信してニヤリと笑った。
「苦っ!」
「薄っ!」
レックスが予想を超える苦味で、口の中の液体を吐き出した。ハンの方は期待より薄味で驚き、思わず一気に飲み込み、むせる。
「ハハハハハ!」
それらが予め起こるのが分かっていたようにリョウが笑い出した。残る店長は呆れ顔で、リョウを眺めながらため息をついた。
「またお前か……」
「ハハハッ、そのまま食うとは思わなかったぜ」
「てめえ! 後でなんか奢れよー」
「分かった分かった。昼飯は俺の代だ」
「全く、昔から変わらんなお前は」
「そうじゃなきゃ生きてられねえ。お前らはもっと楽しめよ」
「お前はいつも能天気だよな……」
リョウは三人から呆れの視線を送られても笑顔を崩さなかった。三人も過ぎた事だ、と仕方なく、ただし呆れを残してリョウに加わって笑った。
「ところで、他の皆は元気か? あの、アンジュとかいう可愛い女の子が居たろう」
「アンジュは良くやってくれてますよ。ただ今は元気無さそうですが……」
ハンの沈みがちな返答に店主も声を落とした。
「……なら今度会った時伝えてやってくれ、今度来たらタコスでもトトポスでもブリトーでも何か一つタダで食わせてやるってな」
「良いなあー。じゃあ俺も超過労働だから何かくれ」
「お前は敬語というのを知らんのか? それにさっきは元気と言ってなかったか?」
「さあ、健忘症でね……分かったってば」
店主のしかめ面にリョウは諦めた。店長は笑いながら鼻をフンとならし、店の厨房奥へと姿を隠した。
少しの間、リョウはタコスを完食し、ハンとレックスはそれぞれ持っているのを交換してようやく落ち着いて食べている途中だ。
ラテン人の方は目の前のトルティーヤ生地に挟まった肉の味を堪能するのに夢中になっていた。東洋人の方はゆっくり食べながら何故か首を曲げて骨を鳴らしている。
「……ハン、何か言いたい事でもあるのか?」
日系アメリカ人が食事に割って入る。
「……よく分かったね」
「これでも七年の付き合いだろ?」
ハンが意外感を口に出した。「飯食うの遅かったぜ」とリョウ。レックスも「良く分かるな」と表情に出していた。
「……例の少年がまた起きたそうだ」
「本当か?」
「大丈夫なんすか?」
二人が思わず声を上げる。ハンは静かに続けた。
「言葉は話せる。歩きも可能だ。チャック先生によればやはり「トランセンド・マン」だそうだ。今は先生とアンジュが付き添っているってさ」
「流石アンジュちゃん、面倒見良いな」
リョウが感心して言い、ハンは更に奥に込めた思考を打ち明けた。
「それと、彼の事なんだけど、実はトレバーに任せているんだ」
「えっ? トレバーの奴に?!」
まるで冷水を浴びた様に驚愕の声を出したリョウ。レックスの食事を口へ運ぶ手が止まる。
「トレバーさんって自分から何かを話す事ってめったにないですよね? 任せて大丈夫なんすか……」
レックスも驚きと疑いを隠せていなかった。言い出した本人であるハンも訝しげな表情だ。
「実は彼から直に頼まれたんだ。あの少年に何かを見出したのか……」
「あいつ何も喋らんからコミュ障と思ってたが……」
「それにトレバーさんが動くときって何か大事な時っすよね? 俺何か嫌な予感するんですが……」
「同感だレックス。こりゃ傘でも持っておけば良かったかな」
リョウが雲一つ無い晴天を眺めながら呟いた。
「本当に大丈夫なのか?」
ベッドの傍らの椅子に座る医師、チャック。ベッドから起き上がり、スリッパを履かず裸足で床に立った少年への台詞だ。
「問題ない」
短く告げた少年。その反応は以前とはかけ離れていた。
(静か過ぎる……どういう事だ?)
それがチャックの素直な感想だった。
彼自身は、起き上がる前の彼の様子を「赤子」と評していた。しかし、今はまるで違う。
アダムと名乗ったその少年の、何かを見透かすような視線には不審がった。まるで目の前のチャックの姿が目に入っていないのか。
「……何を見てるんだ?」
「全てを見たい。知りたい」
即答。抑揚が無いのがやけに気味悪い。
アンジュリーナとの接触を見た時、この少年は確かに未知の状況に置かれた子供のような反応を見せた。広い世界に怯えていた。
だが、今は落ち着いた老人の如く感情が見えない。いや、起きてからの無表情から何も変わらないのを見れば、彼に感情があるのか……それを置いたとしても、落ち着くのが早過ぎる。
仁王立ち状態の少年が、妙に大人に見えて不気味だった。
(これじゃあ別人だぞ……一体どうなっている? それに未知の状況にこれ程驚かない奴など居るのか?)
「一つ訊きたい」
「ん、んん? 何だ?」
唐突に声を掛けられ、思わず跳び上がりそうになったチャック。少年の顔を見れば、人によっては怒っていると思うかもしれない。
「何時になったら教えるのだ?」
「あ、ああ、今君に異常が無いか調べ終わったところだ。特に身体的な異常は無かった。精神も安定しているようだしな」
チャックは精神状態を“普通”とは言わずに“安定”と言って誤魔化した。感情の起伏が無いのなら安定とは言えるが……
少年の動作に無駄は無い。黙って、チャックを観察していた。凝視というよりその周囲全体を見通す目付き。
(研究する側が観察されるとは、皮肉だな……)
「自分は誰だ?」
またも前触れなしに少年の唇から言葉が飛び出る。最初よりかは驚かなかったが、突然の発言に驚く事に変わりはない。
「……少年、自分で名はアダムだと言っていたそうだな」
「そうだ」
必要最低限の返事。他に何も読み取れない。
「……で、少年、お前自身が分かる事は他に無いんだな?」
「そうだ。戦場であの男に殴られ、それ以前の記憶が分からない」
はっきりと告げる。それ以上は何も言わない。本当に何も覚えていないのだろう。
チャックも自分がハンとアンジュリーナと協力してすら不利状況だった、あの指揮官らしきプレートアーマーの男は覚えている。やはり、と歯を噛み締めた。
「……少年、あの男は君を探しているらしかった。いや、あの男は君が目的だと言っていたんだ」
医師の言葉が止まったのは、少年の反応を見る為だ。心理学は専門ではないが、簡単な事なら分かる。
だが少年は仁王立ちから動じない。話の続きを聞きたいらしく、視線をこちらへ定めたまま。
「研究施設で君を助け出したアンジュ……あの灰髪の少女覚えているだろう? 彼女は君が「管理組織」……君を追っていた奴らの事だ。そいつらに酷い扱いをされているのではないかと言っていた。思い当たる節は無いだろうか?」
「無い」
たった一言で一蹴された。軽いショックと共に眉を曇らせ、首を捻る。
「……だが少年、記憶というのは決して消えるものではない。記憶とは箱だ。箱に記憶を出し入れするんだ。記憶を失うというのは、ショックによってその箱が開かないだけの事。開けるきっかけは必ずある筈だ」
「思い出せるのか?」
「どれぐらい掛かるかは分からないがな。突然ショックで思い出したりするかもしれん」
今度は何も言わなかった少年。ふと、彼の首が九十度横を向いた。
彼の視線には、部屋の廊下に面したドア――その時、扉が静かに開いた。
「チャックさん、彼は……あっ、もう大丈夫なんですか?」
入ってきたのは長い灰色の髪が特徴的なスラヴ系の少女、アンジュリーナ。少年がベッドから立ち上がっているのを見ると、跳び上がりそうな勢いで嬉しそうに喋った。
「丁度良かったアンジュ。どうか少年をトレバーの所へ連れて行ってやってくれんか?」
「えっ? はい分かりました……ちゃんと歩けるの?」
「大丈夫だ」
少年がアンジュリーナの元へ歩き寄る事で発言を証明した。
「少年、今から君に合わせる人物は君が求めている答えを教えてくれるかもいれない。だが話が分かりにくいかもしれんから気を付けろよ」
「……分かった」
少年は少し間を置いてから、首だけこちらに向けて短く応答。少女がドアを開け、部屋から出るのを促す。少年は振り返りもせずに出ていき、少女は一礼して外から静かに扉を閉めた。
一人残されたチャックは、息を深く吐いた。
「ふいー……あの少年と向き合うと寿命が減りそうだ……」
気分直しに彼は部屋の片隅に置かれたポットを取った。
「くそう、多めに淹れておくべきだった……」
持った重みが無く、中身が空のポットを開ける。ポットが置かれていた隣の水道の蛇口を開け、乱雑に中身を洗い始めた。
「あいよ。仕事は大変だったかねリョウ」
「おう、お陰さまで。別に元気だ。そっちこそどうだ? あっあとコーヒーも三杯、こっちも一つは濃く淹れてくれ」
「オッケイ……最近かね、変わらんよ。でもそう安心出来ない世の中だからなあ……」
「働いた後で嫌なフラグ言うなよ。俺が過労死しちまう」
「すまんすまん」
カウンターの奥の黒い無精髭を生やした店主が笑った。リョウは、外の舗装された通りに面したカウンター席で頬杖をつき、後ろを見渡す。
朝日に照らされたロサンゼルス郊外。通りには飲食店が並び、多くの通行人で賑わいを見せている。その中ではヒスパニック系や東アジア系の顔ぶりも見られた。
太陽はロッキー山脈から既に顔を全部出したところだ。リョウからはテーブルを正面にすると右側にある。
遠くを見れば都市の中心部にあるビルが見える。せいぜい六十メートル程度だろうが、文明の“復興”の証である事を示している。
「第三次世界大戦」によって世界の重要都市の殆どは破壊され、戦争が終わって西暦が廃止され、それから十七年後の「地球暦」〇〇一七年現在となる。
アメリカ合衆国は戦争が始まった西暦二〇七〇年から真っ先にあらゆる国家の敵となり、崩壊を余儀なくされた。経済的理由、宗教的理由、何であれアメリカ合衆国は主に発展途上国、中南米国家、イスラム教国家、多数の国々から非難と共に爆弾やミサイルを浴びせられた。
メキシコ国境に近かったカルフォルニアは真っ先に攻撃を受け崩壊した。しかし、アメリカ合衆国に敵意が向けられなくなる程衰退すると、州規模の経済圏の上で大戦終結前から再建が進んだ。生活水準はまだ大戦以前どころか西暦二〇五〇年代にすら追いついていない。とはいえ、生活に苦しむ程度ではないのだが。
「浮かない顔してどうした?」
「取っておいてくれたみたいで助かるよリョウ」
ぼんやりと路上を見渡していたリョウに声が二つ。彼の意識は目の前のメキシコ料理店に引き戻され、音源を確かめるべく首を横に曲げた。
「よう、チキンタコスとコーヒーにしといたぜ。ハン、お前の分は両方とも濃くしてもらった」
「どうも。僕はポークが良かったんだけどね」
「てかリョウ、途中で抜け出しやがって、大変だったんだぞ」
声の主達である、ハンがお礼と独り言を述べ、レックスが軽く顔をしかめた。しかし、リョウの方は更に不満をぶちまけた。
「どいつもこいつも働け働け言うくせに何もくれねえんだっての。産業革命から今までブラック企業って何で無くならねえんだよ」
「……言っておくが“僕ら”は法に従った企業なんかではない、法から外れた“組織”だ。その事は分かっているだろう?」
「おう……何でアジア人はこんな説教が好きなんだ? 俺が「反乱軍」に反乱を起こしてえよ」
リョウは話を聞く気無しで返事し、冗談を利かせて愚痴を平然と吐く。
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店主がレックスとハンへタコスを手渡した。受け取ったレックスは舌なめずりせんばかりだった。
「サンキューおじさん。ここのタコスは良いっすね、特にこのサルサに入ってるアボカドが良いんですよ。あと焼き方も最高」
「ほほう分かっているねえ、レックス」
店主が得意げに胸を張ったが、一口食べたラテン人の方は、何か引っかかっている表情だった。
「……でもこれ、何か辛過ぎだと思いますが……」
「そうかい? 物足りない気が……店長、いつもよりマイルドじゃないですか?」
レックスの意見と噛み合わなかったのはハン、首を捻っていた。
「二人共どうした? 疲れて味覚でも狂ったのか?」
二人が黙って目を見合わせる。それぞれ自分のをもう一度、一齧り。
「……やっぱ辛い。てか痛いじゃねえか」
「……やっぱ辛くない。店長、唐辛子をもっとくれないか」
「ちょっと待ってな」
レックスは目頭を押さえながら口直しに、ハンは唐辛子を待つ合間に、それぞれのコーヒーを一口――傍観していたリョウが何かを確信してニヤリと笑った。
「苦っ!」
「薄っ!」
レックスが予想を超える苦味で、口の中の液体を吐き出した。ハンの方は期待より薄味で驚き、思わず一気に飲み込み、むせる。
「ハハハハハ!」
それらが予め起こるのが分かっていたようにリョウが笑い出した。残る店長は呆れ顔で、リョウを眺めながらため息をついた。
「またお前か……」
「ハハハッ、そのまま食うとは思わなかったぜ」
「てめえ! 後でなんか奢れよー」
「分かった分かった。昼飯は俺の代だ」
「全く、昔から変わらんなお前は」
「そうじゃなきゃ生きてられねえ。お前らはもっと楽しめよ」
「お前はいつも能天気だよな……」
リョウは三人から呆れの視線を送られても笑顔を崩さなかった。三人も過ぎた事だ、と仕方なく、ただし呆れを残してリョウに加わって笑った。
「ところで、他の皆は元気か? あの、アンジュとかいう可愛い女の子が居たろう」
「アンジュは良くやってくれてますよ。ただ今は元気無さそうですが……」
ハンの沈みがちな返答に店主も声を落とした。
「……なら今度会った時伝えてやってくれ、今度来たらタコスでもトトポスでもブリトーでも何か一つタダで食わせてやるってな」
「良いなあー。じゃあ俺も超過労働だから何かくれ」
「お前は敬語というのを知らんのか? それにさっきは元気と言ってなかったか?」
「さあ、健忘症でね……分かったってば」
店主のしかめ面にリョウは諦めた。店長は笑いながら鼻をフンとならし、店の厨房奥へと姿を隠した。
少しの間、リョウはタコスを完食し、ハンとレックスはそれぞれ持っているのを交換してようやく落ち着いて食べている途中だ。
ラテン人の方は目の前のトルティーヤ生地に挟まった肉の味を堪能するのに夢中になっていた。東洋人の方はゆっくり食べながら何故か首を曲げて骨を鳴らしている。
「……ハン、何か言いたい事でもあるのか?」
日系アメリカ人が食事に割って入る。
「……よく分かったね」
「これでも七年の付き合いだろ?」
ハンが意外感を口に出した。「飯食うの遅かったぜ」とリョウ。レックスも「良く分かるな」と表情に出していた。
「……例の少年がまた起きたそうだ」
「本当か?」
「大丈夫なんすか?」
二人が思わず声を上げる。ハンは静かに続けた。
「言葉は話せる。歩きも可能だ。チャック先生によればやはり「トランセンド・マン」だそうだ。今は先生とアンジュが付き添っているってさ」
「流石アンジュちゃん、面倒見良いな」
リョウが感心して言い、ハンは更に奥に込めた思考を打ち明けた。
「それと、彼の事なんだけど、実はトレバーに任せているんだ」
「えっ? トレバーの奴に?!」
まるで冷水を浴びた様に驚愕の声を出したリョウ。レックスの食事を口へ運ぶ手が止まる。
「トレバーさんって自分から何かを話す事ってめったにないですよね? 任せて大丈夫なんすか……」
レックスも驚きと疑いを隠せていなかった。言い出した本人であるハンも訝しげな表情だ。
「実は彼から直に頼まれたんだ。あの少年に何かを見出したのか……」
「あいつ何も喋らんからコミュ障と思ってたが……」
「それにトレバーさんが動くときって何か大事な時っすよね? 俺何か嫌な予感するんですが……」
「同感だレックス。こりゃ傘でも持っておけば良かったかな」
リョウが雲一つ無い晴天を眺めながら呟いた。
「本当に大丈夫なのか?」
ベッドの傍らの椅子に座る医師、チャック。ベッドから起き上がり、スリッパを履かず裸足で床に立った少年への台詞だ。
「問題ない」
短く告げた少年。その反応は以前とはかけ離れていた。
(静か過ぎる……どういう事だ?)
それがチャックの素直な感想だった。
彼自身は、起き上がる前の彼の様子を「赤子」と評していた。しかし、今はまるで違う。
アダムと名乗ったその少年の、何かを見透かすような視線には不審がった。まるで目の前のチャックの姿が目に入っていないのか。
「……何を見てるんだ?」
「全てを見たい。知りたい」
即答。抑揚が無いのがやけに気味悪い。
アンジュリーナとの接触を見た時、この少年は確かに未知の状況に置かれた子供のような反応を見せた。広い世界に怯えていた。
だが、今は落ち着いた老人の如く感情が見えない。いや、起きてからの無表情から何も変わらないのを見れば、彼に感情があるのか……それを置いたとしても、落ち着くのが早過ぎる。
仁王立ち状態の少年が、妙に大人に見えて不気味だった。
(これじゃあ別人だぞ……一体どうなっている? それに未知の状況にこれ程驚かない奴など居るのか?)
「一つ訊きたい」
「ん、んん? 何だ?」
唐突に声を掛けられ、思わず跳び上がりそうになったチャック。少年の顔を見れば、人によっては怒っていると思うかもしれない。
「何時になったら教えるのだ?」
「あ、ああ、今君に異常が無いか調べ終わったところだ。特に身体的な異常は無かった。精神も安定しているようだしな」
チャックは精神状態を“普通”とは言わずに“安定”と言って誤魔化した。感情の起伏が無いのなら安定とは言えるが……
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(研究する側が観察されるとは、皮肉だな……)
「自分は誰だ?」
またも前触れなしに少年の唇から言葉が飛び出る。最初よりかは驚かなかったが、突然の発言に驚く事に変わりはない。
「……少年、自分で名はアダムだと言っていたそうだな」
「そうだ」
必要最低限の返事。他に何も読み取れない。
「……で、少年、お前自身が分かる事は他に無いんだな?」
「そうだ。戦場であの男に殴られ、それ以前の記憶が分からない」
はっきりと告げる。それ以上は何も言わない。本当に何も覚えていないのだろう。
チャックも自分がハンとアンジュリーナと協力してすら不利状況だった、あの指揮官らしきプレートアーマーの男は覚えている。やはり、と歯を噛み締めた。
「……少年、あの男は君を探しているらしかった。いや、あの男は君が目的だと言っていたんだ」
医師の言葉が止まったのは、少年の反応を見る為だ。心理学は専門ではないが、簡単な事なら分かる。
だが少年は仁王立ちから動じない。話の続きを聞きたいらしく、視線をこちらへ定めたまま。
「研究施設で君を助け出したアンジュ……あの灰髪の少女覚えているだろう? 彼女は君が「管理組織」……君を追っていた奴らの事だ。そいつらに酷い扱いをされているのではないかと言っていた。思い当たる節は無いだろうか?」
「無い」
たった一言で一蹴された。軽いショックと共に眉を曇らせ、首を捻る。
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「思い出せるのか?」
「どれぐらい掛かるかは分からないがな。突然ショックで思い出したりするかもしれん」
今度は何も言わなかった少年。ふと、彼の首が九十度横を向いた。
彼の視線には、部屋の廊下に面したドア――その時、扉が静かに開いた。
「チャックさん、彼は……あっ、もう大丈夫なんですか?」
入ってきたのは長い灰色の髪が特徴的なスラヴ系の少女、アンジュリーナ。少年がベッドから立ち上がっているのを見ると、跳び上がりそうな勢いで嬉しそうに喋った。
「丁度良かったアンジュ。どうか少年をトレバーの所へ連れて行ってやってくれんか?」
「えっ? はい分かりました……ちゃんと歩けるの?」
「大丈夫だ」
少年がアンジュリーナの元へ歩き寄る事で発言を証明した。
「少年、今から君に合わせる人物は君が求めている答えを教えてくれるかもいれない。だが話が分かりにくいかもしれんから気を付けろよ」
「……分かった」
少年は少し間を置いてから、首だけこちらに向けて短く応答。少女がドアを開け、部屋から出るのを促す。少年は振り返りもせずに出ていき、少女は一礼して外から静かに扉を閉めた。
一人残されたチャックは、息を深く吐いた。
「ふいー……あの少年と向き合うと寿命が減りそうだ……」
気分直しに彼は部屋の片隅に置かれたポットを取った。
「くそう、多めに淹れておくべきだった……」
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2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。
異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。
唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。
伯爵令嬢の秘密の知識
シマセイ
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16歳の女子高生 佐藤美咲は、神のミスで交通事故に巻き込まれて死んでしまう。異世界のグランディア王国ルナリス伯爵家のミアとして転生し、前世の記憶と知識チートを授かる。魔法と魔道具を秘密裏に研究しつつ、科学と魔法を融合させた夢を追い、小さな一歩を踏み出す。
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