俺はヒーローじゃない!

暇神

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『   』は、他人の死を嘆くヒーローじゃない。

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 自分は、何も生み出せない。

 何も共感する事ができない。

 きっと自分は、人としての失敗作なんだろう。

 昔から、自分は『子供っぽくない』、『人間らしくない』と言われて来た。嬉しい事があったら飛び跳ねて喜び、悲しい事があったら涙を流す。そんな『人間的』な物を望んでいた親にとって、自分は紛れも無い失敗作だろう。
 小学校の頃、クラスで飼っていたウサギが死んだ時、自分だけは何も言わなかった。皆して、『死んじゃったあの子に手紙を書こう!』と言い出した時に、「なんで届きもしない相手に手紙を書くの?」と聞いた。これが間違いだったようで、担任からは『何でそんな酷い事を言うんだ!』と言われた。正直、面倒だった。
 それが煩わしいと感じ、自分は『僕』と言う仮面を被った。人間的で、無邪気で、大人が大好きな、『子供』。そんな仮面を被って、僕は他人に溶け込んだ。
 それからは退屈だった。他人と合わせるだけの日々は、退屈で、面白味が無くて、時間だけが過ぎていくだけの、何ら生産性の無い日々だった。
 しかし、僕は楽だったから、それを続けた。

 そう、君に会うまでは。

 これはきっと、彼女の再生のお話だ。

「なあ春樹!一緒に帰ろうぜ!」
 荷物を纏め、学校を出ようとした時、後ろから話しかけて来た人間が居た。
 彼はひびき。何故か僕に付き纏う人間で、何がしたいのかが分からない。
 僕は赤星春樹あかほしはるき。高校一年。
「おお、今日は何処に付き合えば良い?」
「そうだなあ……駅前の本屋行こうぜ!お前も読むだろ?」
 僕は、「まあ読むけどさ……」と答え、彼について行く。ああ見えて、彼は読書家だ。小学校の時は、『読書感想文に困ったらひびきに聞け』なんていう話を何度も聞いた物だ。
 書店で時間を潰し、家に帰る時、彼に部活について聞かれた。
「なあ、部活どこに入る?」
「全く決めてねえ。全生徒入部制じゃ無けりゃ、考えなくて良いんだな」
 僕達が入学した公立の高校は、全ての生徒が、何らかの部活に入るように決められている。明日から、体験入部が
始まるので、そこでまだマシな部活を選ばなければならない。

 翌日の放課後、僕は体験入部に行った。因みに、ひびきとはもう別れて、別の部活に行く事にした。まあ、読書家の彼の事だ。文芸部にでも入るのだろう。
 さて、どこに行こうか。運動部は面倒だし、楽器類や合唱もキツイ。さてどうした物か。
「演劇同好会!演劇同好会に来てください!」
 校舎内をブラブラと歩いていた僕の耳に、そんな声が聞こえて来た。演劇部……いや、同好会か。見るだけ見てみよう。もしかしたら何か貰えるかも知れない。
 看板を持って呼び込みをしていた彼に話しかけ、活動場所に向かった。彼等は、小体育館のギャラリーで活動しているらしい。
 入ると、ニ、三人程の人達が練習しているのが目に入った。皆真剣そうな表情で、大きな声を出して練習していた。

 中でも一人、一際輝きを放つ人間が居た。

「『貴方と会えたなら、私は貴方の名を聞こう。それがこの命が尽き、死に絶えた後だとしても、私のこの思いは、きっと来世の私にも受け継がれる筈だから!』」
 彼女は、まるで自身が物語の登場人物であるかのように、堂々としていた。その姿は、とても美しく、凛々しく、完璧に見えた。
 僕をここまで案内してくれた彼は、練習している彼等を一旦止め、僕の紹介に入った。
「今日体験入部に来てくれた……えっと、誰だっけ?」
「赤星春樹です。よろしくお願いします」
 彼等は、僕に向かってお辞儀をして、「よろしく」と言ってくれた。
「早速だけど、『百聞は一見に如かず』。少し演劇のワンシーンをやってもらうよ。今日子ちゃん、よろしく」
 きょうこと呼ばれた彼女は、僕に近づき、これから僕がやる事の説明に入った。
「じゃ、今やってる事の説明ね。この劇は、部長……君を連れて来た彼が書いた脚本で、ラブロマンスと言うやつよ。君は、わたしの相手役をやってもらうわ」
 え?展開早くね?まあやるけどさ……僕は、自分の台詞を頭に叩き込んでから、定位置に立たされ、部長の合図を待っている。
「よーい……アクション」
 おいありきたりが過ぎるぞ。
 しかし、これが当たり前なのだろう。きょうこさんは、一番最初の台詞を言い、劇は始まった。
「『ああ、貴方は何時までそうしているつもりなの?もう、貴方の愛する彼女は居ない。祈りは届かない』」
「祈りは、生者に捧げる物ではない。人は無駄を愛するからこそ、美しい」
 彼女の演技は素晴らしかった。自身が、物語の中の人物であるかのように、又は、その人物の人生を、共に歩んできた、その人物本人であるかのように、彼女は言葉を紡いだ。
「『無駄こそ、美を損なう原因である事に気が付いていないの?鏡で自分を見てみなさい。そこには、疲弊し、摩耗し、美しさとは無縁の何かが写る筈』」
「去り行く時間は止められない。私はその時間の中で、少しでも自己満足したいだけなのです」
 彼女の一挙手一投足が、自分の心を揺らした。自分の中で、何か、大きな物が燻っている。
「『自己満足こそ、無駄なのです。他人の介入を得ずして、果たして美は成り立っただろうか。自然は、常に何かの影響を受けて来た。生物はそれに順応し、無駄を無くす事で、美を勝ち取った』」
「他人との関わりが、君の言う『無駄』なのだ。それが無い状態から始まれば、何も感じる事は無い。悲しむ事も無い。だが、私にはそれができなかったのだ」
 きっとこれが、この『何か』こそが、情熱なのだろう。自分の中に存在していたんだ。求めてやまなかった物は、直ぐそこにあったんだ。
「『貴方の今の姿、あの方が知ったら絶望するでしょうね。彼女が愛した彼は、もう居ない』」
「万物は変化する。その移ろいが、愛おしい。何一つ、変化しない物は存在しない」
 自分は、途轍もなく感動している。きっと、こんな感覚は、もう味わえないだろう。だが、今はまだ、この感情に浸っていたい。
「『もう、『貴方』はどこにも居ないのでしょう。私が愛した『貴方』は、既に死んでしまった』」
「ならば、もうここには居ない方が良い。もうじき雨が降る。傘を持たない貴女は、きっと風邪をひいてしまう」
 最後の台詞が終わった。たったの数分の事が、途方も無い感情を生み出した。部長は拍手をして、僕らを褒め称える。
「いやあ感動した!春樹くん!どうか、我らが演劇同好会に入ってくれないか!?君とならよりよい物が作れる!」
 それは有難い誘いだが、まだ他の文化部も見ていない。それらを見て、入りたい部活に入ろう。
 その旨を部長に伝えると、残念そうにしていたが。「無理強いはできない。入ってくれれば嬉しいが、好きにやるのが一番だ」と言ってくれた。どうやら優しい人らしい。

 帰り道。ひびきと出会ったので、喋りながら帰った。
「文芸部の奴等、教室で駄弁ってるだけの癖に、よく文芸部なんて名乗れたな!」
「全く災難だったね」
 どこの部活に入ろうかと愚痴る彼に、「運動部はどうだ?お前は顔が良いからモテるぞ」と言ったら、「読書の時間削れるからヤダ」と言われた。全く感心するよ。
「そんで?お前はどうだった?」
 ほほう。どうと言われても、演劇同好会に行って、感動したとしか言えないんだが。面白味の無い話をしても良いのだろうか。
 そう言ったら彼にキレられた。どうやら面白味の無い話でも良かったらしい。
 因みに、僕らは一週間の体験入部の末、ひびきは華道部、僕は演劇同好会に入る事にした。

 放課後、部活動が始まった。僕は、小体育館のギャラリーに向かい、彼は「月一でしか活動無いから」と言って、帰った。成程道理で人気な訳だ。
 ギャラリーには、既にいつものメンバーが揃っていた。
「じゃあ、一応形式だけ自己紹介。俺は高橋葵たかはしあおい。部長だ。敬え」
「僕は伊藤俊介いとうしゅんすけ。一応副部長。よろしく」
「わたしは荒木今日子あらききょうこ。今更だけど、よろしく」
「じゃあ、僕も自己紹介を。僕は赤星春樹。よろしく」
 自己紹介が終わると、いつもの活動に戻った。この一週間の活動でを通して、殆ど入部しているような扱いになっていて、活動内容は大体覚えている。
 先ず、部長が脚本を書く。これが終わるまでの数週間、僕らは発声練習や、使うであろう小道具の用意をする。次に、脚本が書き終わったら、その脚本の内容に合わせて、役決め、練習をする。一先ずの目標は、三か月後に予定されている、文化祭。ここで、僕らは発表をする。たった四人しか居ない部活だが、それで回せるのは、部長の脚本の役の少なさと、異様な早着替えの技術だろう。
 この同好会は、以前この学校に所属していた先輩方が立ち上げた物で、そこから何とか持たせている状態らしい。部長曰く、「文化祭の発表で、何人か興味を持って貰えれば、続けられる」との事。
 今回の脚本は、『現実』をテーマに挑戦したらしい。読んでみると、もう少し話を引き延ばせば、立派な小説として売り出せる程の出来だった。「夢は脚本家」なんて言う位だ。学生でこれは凄い。
 配役を決め、台詞と、台詞を言う時の立ち位置を覚えたら、早速練習に入る。
 部長は主役の青年役、副部長は主役の友人役、きょうこさんはヒロイン役、僕はヒロインの背中を押す、ヒロインの友人役。何故に僕が女性役なのかと言うと、僕が中性的な顔立ちな上、声も高いので、メイク次第でどちら役にもなれるからとの事だった。
「『君は何を思い、その本を手に取ったの?』」
「『私は、この本が好きでした。この本を読んでいる間は、現実の何もかもを忘れられたから』」
 僕は出番が少ない端役なので、結構暇がある。なので、他のメンバーの演技を見て、参考にできる物を探す。
 そして、終盤。僕の最後の出番が回って来た。僕は、事前に指示されていた場所に立ち、台詞を言う。
「『きっと、私の夢は笑われる。『できる訳が無い』、『現実を見ろ』そんな言葉で、彼は私を否定する』」
「なんでそう思うの?言った事も無い癖に」
 こんな感じで、この日は一回だけ通しで練習して、反省会に入った。
「やっぱり経験が浅いとは思えないよ赤星君!君が来てくれて良かった!」
 声が大きい部長は、副部長に「部長、はよ」と言われて、少し大人しくなった。
 帰り道、もう暗くなっていた道を歩いていると、きょうこさんが話しかけて来た。どうやら、僕に聞きたい事があったらしい。
「君、本当に初めて?凄い演技力よ」
「はあ、そうですけど」
 何がしたいんだこの人は。そんな事を言って、僕に近づいて、何をしたいんだ。折角一人だったのに、煩くなってしまった。
 ようやく本題に入ったらしいが、やはり煩い。
「君を見てると自信が無くなっちゃうよ。これでもわたし、去年は『ウチで一番凄い』って言われてたんだよ?」
「そうですか。貴女の演技は素晴らしいと思いますよ」
 やっぱり煩い。何を言いたいんだろう。早くしてくれないだろうか。
「ま、何が言いたいかと言うと……わたしは君に挑戦する!君は、初めて見つけた、『演技』においてのライバルだ!」
 勝手に気にされて、勝手にライバル視された。全くいい迷惑だ。しかし、そんな文句を言う暇も無く、彼女は「わたしの家こっちだから!」と言って、どこかに行ってしまった。『嵐のような人』とは、彼女のような人を指す言葉だろう。

 翌日から、彼女は僕に話しかけて来る事が多くなった。
「やあ!君の演技のコツ、見極めに来たよ!」
 何なんだこの人は。コツ?そんなのある訳が無いだろう。ただ、そのキャラクターになりきる。たったのそれだけだ。それに、彼女はもう出来ている。僕が口出しする事は無いだろう。
 しかし、そんな事が彼女に届く筈も無く、彼女はそれから数か月間、僕を観察し続けた。「これストーカーで良いよな?」とひびきに聞くと、「美人のストーカーとか羨ましいわ」と言われた。自分が言えた事じゃ無いが、『お前は人の気も知らないで、よくそんな事を言えるな』。

 それから、時間はあっと言う間に過ぎ去り、三か月後。文化祭の日がやって来た。

 演劇は午後の二時から。それまで、僕は校内を歩き、時間を潰していた。
 にしても、本当に色んな出し物がある。『お化け屋敷』、『焼きそば』、『型抜き』……皆よくやるな。

 『女装メイド喫茶』

「ラッシャッセエエエエエエエ!」
 本当によくやるな。
 午前中は、只時間を潰し、部長からの連絡を待った。
 そして、十二時を回った頃、携帯に部長からの連絡が届いた。
『そろそろ支度始めるから、適当に腹ごしらえして、いつものとこ集合』
 ふむ。腹ごしらえか。たこ焼きでも買うか。僕は結構あれが好きだ。銀だことか堪らん。
 たこ焼きを買い、いつもの小体に向かうと、そこにはもう全員揃っていた。
「おそいよ赤星君」
「お、たこ焼きか。お一つ貰えるかな?部長だぞ」
 脅しとは何か、彼には懇々と説教せねばなるまい。
 たこ焼きを食べ終わり、早速メイクに入る。どうやら部長がやっているらしく、彼は結構な腕らしい。実際、メイクを終えた僕の顔は、もうそこらの女子と遜色無い程だった。きょうこさんはショックを受けたような顔をしながら、「嘘……儚げでわたしより美少女になってる」と言っている。
「貴女は儚げより、溌溂としてた方が似合いますよ」
「そうそう。それに、彼は元が素晴らしい。だから気にする事は無いよ」
 おい部長。それは『傷口に塩を塗る』というヤツだぞ。
 きょうこさんが落ち込んでいるのはさておき、小道具やらセットやらの準備に入ろう。もうここは慣れた物で、テキパキと作業は進み、物の十分で、準備は終わった。
 ここからは宣伝だ。さっき、看板を持って校内を練り歩いていた彼等のように、僕らも演劇の宣伝をする。
 僕らは、二人一組になって、衣装を着た状態で宣伝に出た。看板には、簡単な絵と、演劇が始まる場所と時間が書いてある。
「この後二時!この後二時から、小体育館で演劇をやります!是非見に来てください!」
 とは言え、所詮は同好会の出し物に過ぎず、殆どの人が素通りしている。まあ、数人こっちを見ているだけ、来てくれる期待が高まる。やらないよりかはやった方が良いというのは本当らしい。
 因みに、途中でひびきも見かけたが、あっちは僕が女装しているとは夢にも思わなかったらしく、少しこっちを見た後、素通りした。全く薄情な奴だよ。
 数十分程校内を練り歩いた末、僕らは小体に戻った。
「いやあ!流石に同好会の出し物なんて、殆ど見向きもされない物だね!」
「部長、そういう事言うのは止めてください」
 きょうこさんは、終始落ち込んでいる様子だった。何故だ?
 僕らは、時間を見て配置に着く。

 開演まで、十分を切っていた。

 俺は、小柳響こやなぎひびき。この文化祭で、演劇同好会の出し物を見ようと思っている。
 と言うのも、演劇同好会には俺の友人、赤星春樹が所属している。アイツは、いつも心の奥で、全てを諦めたような、何も思っていないような顔をしていた。そんなアイツが、初めてワクワクした顔をしていた。それだけの事を、そんな当たり前の顔を、俺はさせてやれなかった。だから、俺はアイツが出る演劇を見たいと思った。
 文化祭で、演劇の宣伝はしていたが、アイツの姿は見えなかった。やっぱ一年は裏方なんだな。
 会場の小体に着いた。流石に人は疎らで、いい席も空いていた。俺はそこに座り、開演の時間を待った。
『皆様方、ようこそお越し下さいました。開演まで、十分程ありますので、携帯電話の電源を切る、又はマナーモードにして、お待ち下さい』
 ああ、電源は切らなきゃか。まあ、兎に角後十分で始まる。楽しみにして待とう。

 そして、幕が上がった。

『この物語は、やがて忘れ去られる、名も無き四人の物語である』
 そんな言葉で始まった演劇は、恋する両片思いの高校生の話だった。とても美しく、愛おしい話だった。
 中でも目を引いたのは、女生徒の二人だ。この二人は、顔が良いのはさることながら、まるで、目の前の演劇が、現実に起こった出来事であるかのように錯覚する程の演技力だった。
「『あの人は、私など気にかけはしない。あの人は、私よりも素晴らしい人間と結ばれるべき』」
「なぜそんな事を言うの?貴女は素敵な子よ?気持ちを打ち明けて、それでスッキリしてから諦めれば良い」
 あの二人は、どうやら親友という設定らしい。
 そして、あの二人が話題に上がったのか、何時の間にか、周りは人でごった返していた。
 クライマックスシーン。遂に、ヒロインが主人公に告白するシーンが訪れた。
「『私は、貴方を愛しています。そして、お願いがあります。貴方は私を振って下さい。それで、全ての諦めがつくのです』」
「『貴女の願いは、聞けません。私は、貴女が愛おしい。貴女がそれを望もうと、私は貴女を縛り付ける。貴女は、生きるべき人間だ。貴女の絵を見た時、私の心は震えたのです』」
「『貴方は酷い人だ。死を望む人間に、希望を与えるなんて』」
「『愛しい貴女を死なせない。その願いは、偽善でしょう。私の自己満足に過ぎないのでしょう。それでも、私は貴女を死なせない。私も、貴女を愛しています』」
 そして、彼等はフェードアウトした。そして、少しの暗転の後、場面は変わり、主役とヒロイン、それぞれの親友が話しているシーンに移った。
「ああ、これで良かったんだ。そう思っても、私は彼が好きだった。それが学生の薄い物だったとしても、この気持ちを、諦めてしまうのは、少し切ない」
「『貴女は自分を押し殺すのが得意な人だ。友人の為と言って、全てを諦めてしまった。それが、僕には悲しい。貴女が何時でも笑っているのは、きっと自分を隠していたいからでしょう』」
「貴方は、何でも分かってしまう。だから、私は貴方が嫌いです」
「『嫌いでも構わない。僕は貴女に、知的好奇心を刺激された。どうか僕に、貴女と共に過ごす権利をくれないだろうか』」
 そして、男性役が女性役の手を掴んだ所で、一旦幕は降ろされた。そして、もう一度幕が上がると、この演劇に出た役者全員が立っていた。全員が、やり切ったような、スッキリしたような、そんな顔をしている。けど、アイツは居ない。何で居ないんだ?あんなにワクワクした面してたのに、今日は体調不良とかで休んでる訳でもないのに、なんで居ないんだろう。後で問い詰めとこう。

 素晴らしい達成感だ。今まで感じた事の無い程の、途方も無い快感が、全身を貫いている。

 ああ、きっと初めてだろう。こんなにも心が高ぶったのは。何も思わなかった、何も無かった心の中が、とても熱い何かで埋め尽くされている。
 あの時、初めて感じた情熱が、ここまで大きくなるなんて、考えた事も無かった。
 きっと自分は、人生で初めて満ち足りているのだろう。いつも感じていた、胸の空白を感じないんだ。
 この後、僕らは再び校内を練り歩き、今度は劇じゃなく、同好会の宣伝をした。このままでは、二年後にはこの同好会も無くなってしまうらしい。丁度僕が三年になる頃だ。せめてそれまでは、この同好会を続けさせたい。
 その後、ひびきから連絡が入った。
『お前!なんで演劇出なかった!?』
 やっぱり、僕が女装しているとは思わなかったらしい。まあ、それだけ私の演技が素晴らしかったという事だろう。結構良い気分だ。
『ちゃんと出てたぞ。ヒロインの友人役としてな』
『は!?』『嘘だろ!?』『俺の初恋を返せ!』
 お~お~好き勝手言うな。まあ、女装位ならいつでもやってやるぞ。実は僕も、ここ数週間、部長にメイクを教えて貰っていたので、自分のならできるようになったのだ。そう返信すると、『今度の休日に頼む』と返って来た。現金な奴だよ全く。
 化粧を落とした僕らは、打ち上げに行く事になった。化粧は重かったから、丁度良かった。
 放課後、カラオケに行った僕らは、軽食をとって、学生の打ち上げらしく騒いだ。三か月間共に過ごした仲間との宴会は、とても楽しいと感じた。
 そろそろ帰る時間になった頃、僕らに向かって、部長が言い放った。
「次の目標は、冬にある、地域の発表会!明日からまた頑張ろう!」
 僕らは、威勢良く、「はい!」と言った。

 帰り道、またきょうこさんが着いて来た。
 以前は、少しの嫌悪感があったが、今は、もう仲間意識がある。三か月間、一緒に居た仲間だ。感謝しかない。
「結局、君の演技の秘訣は分からず終いか」
「そんなのはありませんよ。それに、演技と言うなら、貴女の方が優れている。貴女の演技を見たから、自分は熱を持てた。有難うございます」
 そう言うと、彼女は少し顔を背け、それから直ぐに僕と向き合った。
 その顔は、嬉しそうな、泣きそうな、どこか怒ったような顔だった。
「『ありがとう。君にそう言ってもらえて、嬉しいよ』。だけど、ちょっと妬けちゃうな」
 嫉妬とは、自分よりも優れた何かにする物だ。彼女は僕よりも優れているだろう。『妬ける』というのはよく分からない。
 彼女とは、その後別れた。また明日から練習だ。部長の書く脚本がどうなるかは知らないが、きっと素晴らしい出来だろう。

 自分は、僅かな期待を胸に、家の扉を開けた。
























 天才は、初めてやった時からできる人間の事なんだろうか。

 だとしたら、わたしは凡人だ。自分の演技に、これっぽっちの自身も持てない。

 わたしは、何も作れない。メッセージを送る事も、自信をつけてやる事もできない。

 ここで諦められたら、どんなに楽だっただろうか。馬鹿な所は誰に似たんだろう。

 私は、努力してしまった。諦めから、最も遠い行動をとった。

 最初は、人並みにしかできなかった。

 「これじゃダメだ」、「どうすれば良い」。そんな言葉を使って、わたしは努力した。

 『僕』にも、『私』にも、『俺』にもなった。与えられた役を忠実にこなした。

 わたしを、拍手喝采が包み込む。皆がわたしを褒め称える。

 それでも、わたしは満たされなかった。まだ足りない、これじゃ駄目だ。自分の演技に満足が行かなかった。

 だから、演技を磨いた。登場人物の人格を、自身に投影するような、自分が、その人間であるかのような、そんな演技を求めた。

 そして訪れた高校。わたしは迷い無く、演劇同好会に入った。

 そこはとても居心地が良く、ここなら、満足のいく演技ができる。

 一年目、わたしは同好会で一番だった。誰もが振り返るような、そんな演技がてきた。

 それでも、足りなかった。楽しむ天才と並ぶには、自分はまだ力不足だった。

 磨いた。磨き抜き、やっと天才と肩を並べられた気がした。

 だけど、二年目。本物の天才が現れた。まるで登場人物が、現実に現れたようだった。

 彼の才能は素晴らしかった。初めて演技を見た時、彼はそこには居なかった。居たのは、本の中のヒーローだった。

 「敵わない」。そう思った。

 彼は努力をしない。彼は、彼のやりたい事をやって、楽しんでいるだけだった。

 ならば、わたしはどうだろうか。努力し、『自分』を押し殺し、それでも天才に届かない。

 もう、自分が何なのか、何を目指し、何を成したかも、もう分からない。

 何がしたかったんだろう。何を目指していたんだろう。


『貴女の演技を見たから、自分は熱を持てたんです』


 どの口が言うんだ。君が居たから、わたしは打ちのめされているのに。

 まるで生きた心地がしなかった。自分の事を肯定する言葉で、自分は打ちのめされている。二つに分かれた心が、自分の体を引き裂いているようだった。

 ああ、わたしは何をしているのだろう。何をしたくて、演技をしているのだろう。

 今も、わたしは『わたし』の演技をしている。理想の人間像、明るくて、元気で、皆に好かれる。そんな『わたし』を演じてる。

 ああ、きっとどこにも、わたしは居ないのだろう。だって、自分の事が、何も分からないから。

 いっその事、自殺してしまえたら楽なのに、わたしにはその勇気が出ない。いや、気力が無い。

 ああ、もうどうしよう。何も感じたくない。何も考えたくない。『   』は、一体……


「今日子君。君は自己肯定が足りてないね」

 その言葉、すぐ横から聞こえた。そこには、部長が立っていた。
 彼は、わたしがどう思っているのかなど気にもせず、話を続けた。
「君を見ていると思うんだ。君はいつも悩んでる」
「それがどうしたんですか?それ位分かった所で、貴方に何かできるんですか?」
 彼は、それが当然だと言わんばかりに、「当然だ」と言ってのけた。彼は、踊るように歩きながら、わたしに話した。
「彼は、君が思う『天才』なんだろう。だがね?彼は努力しているよ。確かに楽しい事をしているだけに見えた。しかし、彼は俺に言って来たんだ。『僕はきょうこさんに届かない。あんなに感情がある演技ができない』ってね」
 そんな事は無いんだ。そんな事、有り得て良い筈が無い。彼は天才で、どんな事も笑顔で切り抜けてて、完璧な、そんな人間じゃなかったのか?
「君は、自分が彼に敵わないと思っているようだが、君は彼と違う魅力があるよ。何も相手と同じ土俵で戦う必要はないんだ。君は君の武器を使って戦えば良い」
 彼は、笑いながらそう言う。相変わらず食えない人だ。他人を観察し、その全てを見透かしている。
 そうか。久しく忘れていた。わたしは、自分で自分を縛っていた。昔の、演技を楽しいと感じていた自分を忘れていた。どこで、わたしは『全能の天才』になりたいと願ったのだろう。そんな物、存在しないのに。
 私も、楽しんでみよう。そうすれば、きっともう一度思い出せる。自分が演技を始めた、『原点』とも呼ばれる何かを。
 気付けば、わたしの目からは涙が流れていた。部長は、わたしの背中を擦りながら、わたしの家まで連れて行ってくれた。
 別れ際、彼はわたしに話しかけて来た。
「まあ、なんだ。『見えたか』」
「ええ、また頑張れそうです。初めて、貴方に感謝しましたよ」
 「初めては余計じゃない?」と言う彼を尻目に、わたしは家に帰った。

 わたしが演じる人間は、正義のヒーローじゃなかった。

 独善的で、身勝手な、ただの人間だった。

 わたしは、他人の死を嘆くヒーローじゃなかった。

 自分の願いも忘れ、他者から目を背けた。

 でも、もう一度頑張ってみようと思う。

 楽しいという思いを、もう少し感じれるように。

 『天才』の彼が、そうしていたように。

 わたしの原点が、そうであったように。

 わたしは、少し前を向けた気がした。
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