俺はヒーローじゃない!

暇神

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僕は皆を守るヒーローじゃない!

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 自分でも、何がしたいのか分からない。

 いつもクラスメイトと馬鹿やってると、不意にそう思う。
 楽しくない訳じゃない。ただ、心の片隅に「なんで生きているのか」「なんでずっと笑おうとしているのか」と言う自分が居る。それが時々顔を出す。それだけなんだ。
 僕は木下正信きのしたまさのぶ。十七歳の高校二年生。一緒に遊ぶ程度に仲が良い人は居るが、友達と呼んで良いのか分からない。
 今日も何事も無く学校を終え、日課として書店に通う。
 この時まではいつもと同じ日常だった。それが急に消えたのは、いつも行っている高見書店たかみしょてんで、不思議な女性と出会ったからだろう。
 俺は、いつものように本を読んでいた。そこに彼女、佐々木遼子ささきりょうこが話かけて来たのだ。
「ねえ君、その本何て本?」
 彼女は、後ろからそんな質問をして来た。「鏡の孤城ですけど……貴女は?」と言うと、「佐々木遼子よ」と答えた。
「面白い?」
「はい。この間映画を見て、原作も読もうと思ったんです」
 遼子さんは少し頷くと、同じ本を一冊手に取り、レジの方に向かった。
 暫くするとまた戻って来て、僕の後ろにあった椅子に座ると、それを読み始めた。
 日が半分沈み、赤い光に辺りが照らされる頃になると、僕はもう帰らないといけなくなる。僕は本を棚に戻し、バッグを肩にかけ、外に向かって歩き出した。
 同時に遼子さんも立ち上がり、本を手提げかばんに入れて、立ち上がった。
 彼女はどうやら付いて来ているらしく、暫く歩いても、横に居た。
 家に近くなってきたので、そろそろこの人を引き離さなければならない。どうしてずっと付いて来るのか、どうして他の人も居る中で僕に話しかけたのか、聞きたい事は山程有るが、今はどうでも良い。
「あの……なんで付いて来るんですか?邪魔なので、止めてくれませんか?」
 僕がそう言うと、彼女は呆気無く「分かったわ」とだけ答え、今まで歩いていた道を戻り出した。
 その日の夕飯、僕は遼子さんの事を家族に話した。返って来たのは、まあ至極当然な答えと、結構変な意見の二つだった。
「それ、ストーカーでしょ。お兄何かしたの?」
 彼女は木下久美子きのしたくみこ。僕の妹で、とても顔が良い。もしストーカーなら、久美子の方に付くと思う。実際モテる。この間のバレンタインで、紙袋一杯のチョコ菓子を持って帰って来た時も、「ああバレンタインだな」程度に思うレベルでモテる。
 しかし、ストーカーと言われても心当たりが無い。僕は彼女に会った事も、彼女の名前を聞いた事も無いのだ。勿論、僕が覚えていないだけと言う事も、向こうが一方的に知っているだけと言う事だって有り得るが、自分でも悲しい事に、僕は顔が良い訳じゃない。クラスで十一番目と言われた事だって有る。それに、クラスに限らず、基本女子との関わりが無い。ストーカーが付くなんて事、考えた事も無い。
「いや、それはきっとお前が助けて忘れていた女の子が、かつての恋心を忘れられずに……」
「父さんは黙ってて」
 そう言われてしょぼくれたのは、木下栄一郎きのしたえいいちろう。僕達の父親で、恋愛脳。口から出る事は基本恋愛関連で、マトモな事を言う事の方が少ない印象が有る。
「でも、隣のクラスの子だったりするんじゃない?一回聞いてみた方が良いかもよ?」
 彼女は木下智子きのしたともこ。僕達の母親で、お父さんとは今もアツアツ。以前厨房で父さんとイチャイチャしながら料理しているのを見た事が有る。
 母さんが言っている事は正しい。しかし、なら何故学校で話しかけないのかが気になる。一応明日調べてみよう。何か分かるかも知れない。
 その日は、「明日色々と調べてみる」とだけ言って、僕は部屋に戻った。

 翌日、僕は学校に行くと、先ず名簿を確認した。すると、隣のクラスに佐々木遼子という名前の人が居る事が分かった。
 僕はクラスメイトや隣のクラスの友人に、遼子さんについて聞く事にした。答えは、予想できなかった物だった。
「え?佐々木遼子?そんなヤツ居たか?」
「俺は知らないぞ?」
「俺も」
「同志よ……!遂にイマジナリーガールフレンドを……!拙僧は味方だぞ」
 なんと、誰も遼子さんについて知っている事が無いのだ。情報通の人でさえ「ずっと不登校の人」程度しか知らない。益々謎が深まる。何故不登校なのか。何故昨日話しかけて来たのか。
 学校で困った事が有ったら、なんとかなりそうな場合だけ先生に聞け。取り敢えず、僕は先生に遼子さんについて聞いてみる事にした。
「佐々木?あいつとは顔を合わせた事が殆ど無いから多くは知らんが、親からは精神的外傷が有るとか何とかで、学校には極力行かせないとか聞いてる。それでも進級できるだけの点は取れてるんだから驚きだよ。金はあるらしいから、家庭教師でも雇ってるんだろう」
 なんと。そんな状態には見えなかったが、遼子さんは精神面の問題が有ったのか。進展は有ったが、それでも謎は残る。もう関わる事は無いだろうとは思うが、一度接触した人間は少し気になる物だ。興味は尽きない。
 その日は、先生も偶には役に立つと分かった事だけが収穫かと思っていたが、なんと遼子さんはまた現れた。

 高見書店で、いつものように立ち読みを行っていた僕は、話しかけて来た人に驚いた。
「あら、また会ったわね」
 そこには遼子さんが立っていた。
 遼子さんは、昨日と同じように僕の後ろに有った椅子に座る。今回は僕も用が有るので、一旦本を棚に戻し、遼子さんに向き合った。
「あの、なんで昨日付いて来てたんですか?」
「君に興味が有るからよ」
 遼子さんは間髪入れずに答える。
 興味が有るとはどういう事か。それを聞くと、遼子さんは「答えを直ぐ教えて貰えるという思い込みは、現代人の傲慢ね」と答えた。
「少しは自分の頭で考えて?そうしないと人として成長できないわ」
 なんだか達観した人だ。全て見透かされているような目だ。少なくとも良い気分ではない。
 しかし、彼女は正しい。考える事を放棄する事は、人からクズへ成り下がる行為であり、現代人が最も直面しているであろう問題だ。環境問題なんかよりよっぽど解決が難しい。
 しかし、基本不登校で、隣のクラス、僕との接点の無さを考えると、どうしても遼子さんが僕に興味を持つのかが分からない。
 それに、態度を見る限り、心的外傷を負っているようには見えない。たしかに何だか闇を感じるが、それでも先生が言っていた情報と印象が異なる。次はそこを聞こう。
「じゃあ、心的外傷を負っているというのは本当なの?」
 遼子さんは、「またか」と言わんばかりに顔を歪め、面倒臭そうに答えた。
「家の人が言ってるだけよ。学校の人達と関わる事がストレスではあるけど、心的外傷なんて大層な物じゃないわ」
 え。じゃあ、本当に何で不登校に?そうなる理由が無い。
 まだ聞きたい事は有ったが、その日もそこで日が沈み始めた為、荷物を持って帰る事にした。勿論遼子さんも付いて来たが、僕が何か聞いても、何も答えてくれない。どうやら書店以外では話しかけても無駄らしい。
 その日の収穫を家族に話したが、結局答えは分からずじまい。遼子さんは何がしたいのか、その根底が見つからない。
 いよいよ頼みの綱が切れた。翌日、学校で唸る僕に、普段話す事など無いクラスメイトが話かけて来るまでは。

 翌日、机に突っ伏して唸る僕に、三つ編みの女子が近づいて来た。
「あの……遼子ちゃんについて調べてるって、本当ですか?」
 誰だっけ。話した覚えが無い人だ。確か学級委員長をしてる子だったかな。
 「そうですけど、何ですか」と言うと、彼女は少し申し訳無さげな顔をしながら答えた。
「私……遼子ちゃんと小学校から同じ学校で……何か役に立てるかもと思って……」
 救いの神か?いや、女性だから女神だ。兎に角有難い。これで少しは胸のつっかえが取れるだろう。
「じゃあ聞くけど、彼女、昔はどんな子だったの?」
「凄く明るい子だったよ。いつもクラスの真ん中に居て、周りの皆が笑ってるような感じ」
 待て待て待て。いやいやいや。印象が違い過ぎる。少なくとも僕が知ってる遼子さんは、クラスの中心で笑ってるような人柄ではない。本当に同一人物か?
 しかし、写真まで取り出されれば同一人物だと信じざるを得ない。だが、彼女が知っている遼子さんと、僕が知っている遼子さんでは、かなり違いが見受けられる。これ以上彼女に遼子さんの性格を聞いても無駄だろう。
「ふうん……じゃあ、何か遼子さんについての事件か何かに心当たりは?」
「事件?さあ……知らない。ただ、同じ学校の人なら何か知ってるかも。ちょっと聞いてみるから、明日聞きに来て欲しいな」
 首の皮一枚繋がった。協力者の存在はとても心強い。遼子さんについて、少しでも知る切っ掛けになればと思う。

 その日も、遼子さんは書店で僕を待ち構えていた。いつも居るのかと聞くと、「いいえ。貴方が居る時だけ」と答えた。益々訳が分からない。
 その日は何も聞かず、ただ読書だけをしていた。時間は静かに過ぎ去って行く。
 夕暮れの赤い光が窓から差し込むと、僕は荷物を纏めて、家に帰る。当然のように遼子さんも付いて来た。
 家の近くの交差点に着くと、遼子さんは「また明日」とだけ言って、帰って行った。やっぱり何も分からない。

 翌日、また委員長ちゃんに遼子さんについて聞きに行った。「何か分かった事有る?」と聞くと、彼女は「勿論」と答えた。
「先ず、遼子ちゃんに関する事件だけど、聞いても何も出て来なかった。だけど、気になる事は有ったの」
 気になる事?事件ではないとすると、アブナイ大人との付き合いかな?
「噂程度に過ぎなかったんだけど、お母さんが再婚して、新しく家に来た人に暴行を受けたとか。痣や、傷跡を見たって言う人が複数居たから、結構良い線行ってると思う」
 なんと、遼子さんは母親の再婚相手に暴行を受けていたという噂が有ったとは。結構、いやかなり闇の深い家庭なのかも知れない。噂が流れ始めたのは遼子さんが中三の時の二月。時期もドンピシャ。もしこの噂が本当なら、中学校までと今現在の人柄が違うのも頷ける。
 僕は彼女にお礼を言って、次の授業の準備を始めた。

 その日も、遼子さんは高見書店に居た。僕は遼子さんの前に立ち、遼子さんに答え合わせをする。
「ねえ遼子さん。中学までは性格全然違ったの?」
 すると遼子さんは僕の方を睨み、「だったら何?」と言った。「いや友人から聞いて、気になったから聞いただけだよ」と言うと、遼子さんは黙ってしまった。この反応を見る限り、遼子さんはその事について触れられたくないらしい。
 その日はそのままいつものように読書をして、二人で帰って、家で報告会をしてから寝た。
 しかし、やはり何なのか分からない人だ。何故性格がああまで変わったのか。兎に角、今は委員長ちゃんの情報以外に頼りが無い。取り敢えず今は寝て、明日彼女が何か有益な情報を持って来る事を祈ろう。

 翌日、僕は委員長ちゃんに話しかけ、遼子さんについてもう少し詳しい情報は無いかを聞いた。
 彼女は、少し申し訳無さそうな顔をしながら「あまり大きな声で言えないんだけど……」と続けた。
「遼子ちゃん、エンコーしてたっていう噂が流れてたらしいの」
 援助交際なんて単語が出て来たので、驚いてしまった。実際、彼女は真面目そうに見えたし、噂程度でしかないらしいが、それでも彼女の変化を考えると、そこで何かあったのかと思ってしまう。
「ついでにその噂が流れてた頃、その前から遼子ちゃんの事がウザイって言ってた子達がその事を盾にイジメてたらしいよ。「黙ってないとバラすよ」って」
 いや既に噂が流れてる事で脅迫とは……どうやらその子らは頭が悪いらしい。
 しかし、援助交際の噂にイジメとは、遼子さんはかなりの扱いを受けていたのか。それでグレてしまったのか。

 その日も、遼子さんは高見書店に居た。僕は昨日と同じ場所に立ち、遼子さんに早速本題を話す。
「援助交際の噂って本当?」
 すると遼子さんは一瞬目を見開き、その後直ぐに帰ってしまった。何だか怒っているようだった。
 僕は遼子さんを追いかけ、書店の外で遼子さんの肩を掴んだ。
「待ってよ!何が有ったの!?僕は知りたいだけなんだ!」
 遼子さんは、「知りたいだけ……か」と笑ってから、僕に向き合った。
「その言葉が、どれだけ当事者を苦しめると思う!?「言った方が楽になる」なんて、善人ぶりたいだけの人間の良い訳だわ!」
 どうやら遼子さんは、相当思い悩んでいたらしい。無数に向けられる目線に心を痛ませ、差し伸べられた誰かの手に、刃を見るようになる程度には。
 遼子さんは自分の思いを叫び続ける。
「事実無根の噂程度で、皆私を避けるようになった!皆私をイジメた!火の無い所に煙は無くても、煙に見える何かを見せる事は可能だった!」
 遼子さんの噂は、全てとまでは行かずとも噂でしかなく、それを真に受けた人間と、噂の真偽を知ろうとした人間が遼子さんを苦しめた。一度流れた噂は長い間消えない。人から人へ、一部を面白おかしく改変された噂は、真実でなかったとしても、噂の登場人物にのしかかる。その重みを抱えきれない人間は、静かに姿を消す。遼子さんも、その一人だったのかも知れない。
 それでも、僕は……
「それでも!僕は他人を知りたい!それがエゴでも、人間は全員エゴを貫く為に生きているのだから!」
 辺りは静かになり、彼女は息を落ち着かせた。そしてゆっくりその場を離れる。

「自分が分からない人間が、他人を理解するなんて不可能だわ」

 それだけ言い残し、彼女は帰って行った。僕は、長い事立ち尽くしていた。
 その日は、ずっと悩んだ。『自分が分からない』とはどういう意味か。遼子さんの噂のどこからどこまでが嘘なのか。考えても答えは見つからない。まるで道徳の授業で理不尽な問題を出された時のような気分だ。
 僕はそのまま、次の日も会える事を願って眠った。

 翌日、委員長ちゃんが学校を休んだ。今日は何も情報を得られないと悟った僕は、いつも通りに過ごす事にした。

 放課後、高見書店に、遼子さんの姿は無かった。やはり昨日の一件で嫌われてしまったようだ。
 兎に角、ただ読書をしてるだけでは何も変わらない。僕は、今までで分かった事を纏めて、ついでに遼子さんに何があったのかを考える事にした。
 先ず、遼子さんの小、中学生時代。クラスの中心人物で、明るい人だった。しかし中学三年の末、援助交際をしているという噂が流れ、それによるイジメや詮索によって、心的外傷を負った。これが、中学までと高校からの性格の変化の要因だろう。
 そして、高校。心的外傷を負った遼子さんを案じたご両親は、彼女を学校に行かせないようにした。それでも学校に在籍させているのは、中卒という学歴が嫌だったからだろう。
 こうして考えると、初めて会った時に比べ、遼子さんについて大分分かって来た。しかし、まだ分からない事も多い。心的外傷を負った事は理解できたが、ならば何故あの日僕に話しかけて来たのか。遼子さんは『興味が有る』と言っていたが、それだけでは納得できない。
 ずっと悩んでいる内に、すっかり辺りは暗くなってしまった。僕は慌てて荷物をカバンに詰め、書店を出た。

 帰ると、両親から「どうして遅くなったのか」と聞かれた。当然である。
 荷物を自室に置いた僕は、いつも通りのルーティーンをやってから寝た。少し考え過ぎたからか、その日はいつもより良く眠れた。

 翌日、委員長ちゃんは再び学校に来た。やっと新しい情報が仕入れられると思ったが、彼女は「皆もう知ってる事は無いって」と言って、もう情報提供はできないと断られてしまった。今度こそ、頼みの綱が切れた。後は遼子さん本人に聞くしか道は無いと言う事か。
 僕は委員長ちゃんにお礼を言ってから、いつもの学校生活に戻った。

 放課後、高見書店に行くと、そこには見慣れない男性が居た。
 まあ、気分で来ただけの人だろうと思い、その人の前を通ろうとすると、急に腕を掴まれて、「君、ちょっと良いかな」と話しかけて来た。「何でしょうか」と返すと、「私の娘について、話が有ってね」と答えられた。
 近くのカフェに入った僕は、早速彼から色々言われる事になる。
「私は佐々木浩一ささきこういち。佐々木遼子の父親だ」
 ほほう。この人が遼子さんの母親の再婚相手。中々良い男だ。イケオジと言うヤツだろうか。
 「はあ……僕は……」と、自己紹介しようとすると、彼は「いや、娘から話は聞いた」と言って、話を続けた。
「確かに私は遼子の母親の再婚相手だが、遼子の事も実の娘のように愛している。だから困るんだよ。君みたいに他人様の家の事情に口を出して、遼子を困らせるようなヤツが居るとね」
 ふむ。どうやら僕は相当嫌われているらしい。まさか親父さんにも報告するとは。しかし妙だ。もし噂が本当だとして、果たして自分に暴行を加える人間に相談するだろうか。この人はあまり信じない方が良さそうだ。
「だから、話というのは、もう娘に近づかないで欲しいって事なんだ」
 さてどうした物か。遼子さんの事を調べていただけで、向こうから近づいて来たと言っても、信じないだろう。そういう目をしている。
 まあ、物は試しとも言う。本当の事を言って、それから考えよう。もしかしたらまだ人の話を理解する頭は残っているかも。
「いえ、僕は彼女の事を調べていただけで、そのキッカケも、彼女が話しかけて来た事です。文句なら、貴方の娘さんに言ってください」
「そんな訳が無いだろう?娘には聞いた。しかし遼子は黙った。つまり、口に出すのも憚られるような事を君にされたんだ。そうに違いない!」
 これは……末期だな。これは僕の妄想でしかないが、彼が遼子さんに暴力を振るうというのは本当だろう。遼子さんが僕の事を言わなかった理由は分からないが、彼が僕に危害を加えるのを避けたかったのではないか?彼は、自身の娘に隠し事があるのがたまらなく不愉快で、僕に聞きに来たのだろう。気持ち悪いったらありゃしない。
「一体娘に何をした……言え!言わないなら……」
 そう言うと、彼は懐に手を入れた。何が入っているかは知らないが、きっと碌な物じゃない。このまま黙っててもダメ。本当の事を言ってもダメ。嘘を言ってもダメ。詰んでる。
 こうなったら逃げるが勝ち。僕は店員さんに「お代はこの人に!」とだけ言って、店を出た。何一つ解決していないが、少なくともこのままあの場に居るよりは良い筈だ。

 僕はそのまま、家まで走り帰った。少し遅くなったのと、息を切らしていたので、親に心配された。僕は普通に、あった事を両親に話した。両親は、「学校の先生と、遼子さんのお宅に言っておく」と言っている。やったぜ。
 夕食の時、妹にも話した。
「え!お兄、大変だったね」
「流石に明日からは無いと信じたいよ」
「学校から注意してくれるらしいし、大丈夫よ」
 本当に大丈夫だろうか。学校は結構アテにならなかったりする。今は信じるしかないが、不安だ。

 翌日、なんと学校に遼子さんが居た。休み時間に話しかけて来た。
「正信君」
「え!?遼子さん!?何で学校に!?」
「昨日の……家の人がやった事を謝りによ」
 彼女は存外、真面目な人間らしい。身内の人間がやった事を謝りに来るなんて。
「昨日は……ごめんなさい」
「いや!君が何かした訳じゃないんだし!謝られても困るよ!」
「いえ、私があの人に黙った結果、貴方に彼の怒りが向けられた。結果として、私は貴方に危害を加えるキッカケを作った。申し訳無い事をしたわ」
 しかし、何もしていない人に謝られても、僕の良心が痛む。ここは、何か対価を差し出してもらう事で、手打ちにしよう。
「じゃあ、お詫び代わりに、今日、遼子さんの家に連れてってよ。僕は、君の事を知りたい」
 そう言うと、遼子さんは少し悩むように目を閉じ、「分かったわ」と答えた。思わぬ進展だ。遼子さんの家に行けるとなれば、きっと遼子さんの事も少しは知れるだろう。

 放課後、僕は遼子さんの家に案内された。遼子さんの家は、僕の家よりも広くて、庭らしい庭もあった。先生が言っていた「金はある」というのは本当らしい。
 遼子さんは、「今は誰も居ないから、楽にしてて。靴は一応持っていて」と言って、自分の部屋に僕を案内した。
 見回すと、あまり物が無かった。スッキリしてるとか、片付けが上手いとか、そういう話じゃない。本当に、必要最低限しか物が無い。それに、どれも無彩色で、なんだか不気味にも思える。
 遼子さんは、少しどこかに行ってから、お茶を持って部屋に戻って来た。麦茶だった。
「で、何がしたいの?」
「君の事が知りたい」
 そう、お詫び代わりという、体の良い言い訳を使って、僕は遼子さんの家に来た。僕は、遼子さんに興味を持っている。僕の今一番の目標は、佐々木遼子という人間を知る事だ。
 彼女は、「まあ、お詫びだしね」と言うと、部屋を出て、小学校、中学校の卒業アルバムを持って来た。
 そこには、噂通り、明るい表情をした遼子さんが写っていた。髪型も、雰囲気も、何もかも今と違うが、そこに写っているのは、間違い無く遼子さんだった。
 僕は、それを一通り見た後、遼子さんに質問する。
「お母さんが離婚したのは何時?」
「小学校低学年の頃」
「再婚したのは?」
「中学校を卒業した直後」
「暴行は?」
「それから直ぐ」
「心的外傷は?」
「家の人のでっち上げ。私を学校に行かせない理由があるのかも」
 以前の彼女からは考えられない程、正直に答えてくれる。これも『お詫び』の内という事か。
 一通り質問し終えた頃、遼子さんはおもむろに口を開いた。

「ねえ、何で貴方はいつも嘘をついているの?」

 心当たりが無い。僕だって嘘をついた事はある。だが、いつもついている訳じゃない。しかし、遼子さんはついていると言う。
「嘘って?」
「貴方は、いつもクラスメイトと遊んでいるけど、心の奥から笑ってはいない。いつも笑顔を作ってる」
 何を言っているのか。しかし、遼子さんが言う事も理解はできる。僕は時々、どうしようも無く『虚しい』と感じる時がある。その思いが遼子さんが言う『嘘』のせいなら、納得できる。だとしても、それでどうしろと言うのだろう。
「別にそれが悪いなんて言わない。だけど、自分を知らない人間が、他人を知りたいと願っても、その思いは報われないわ」
 そうかもしれない。僕は、僕の事なんてどうでも良い。ただ、『他人』という存在に惹かれているだけなのだ。他人がどうしてそうなったのか、他人はどう思っているのかを知って、自分の欲を満たしたいだけなのだろう。いつも他人と居るのも、その為だ。
「そっか……」
「私は、貴方が分からない。貴方は自分が分からないから、表に出ている貴方が何なのか、誰も分からない。私はそれに興味があるの。だから、話しかけた」
 そのまま、遼子さんが「ねえ、私達……」と言いかけた時、玄関が開く音がした。直ぐに、あの時の声がする。
「おい!遼子!居るんだろ!?さっさと出て来い!」
 すると、遼子さんは僕に「裏口から出て。あの人に気付かれると面倒だわ」と言った。そして、僕は裏口に、遼子さんは玄関に向かった。これで良いのだろうか。一抹の不安を抱えながら、僕は裏口に向かう。
「誰か居たのか?」
「誰も居ないわ」
「なんでお前は父さんの言う事が聞けないんだ?」
「聞いてるじゃない」
 玄関からは、そんなやり取りが聞こえて来る。
 そして、裏口まで来た時、玄関から物が割れる音がした。何かと思い、玄関の方を覗くと、左頬を押さえている遼子さんと、怒り狂った顔をしている男性の姿が見えた。
「なんでお前は父さんの言う事が聞けないんだ!あいつに子供が居たなんて知ってれば、結婚なんてしなかった!」
 なんて奴だ。義理とは言え、娘に手を上げるとは。暴行は本当だと分かってはいたが、まさか玄関でやる程考え無しだとは思わなかった。
 彼は、もう一度手を振り上げ、遼子さんを叩いた。
「お前が居なけりゃ、アイツがお前を生まなけりゃ、俺は自由だったんだ!この……疫病神め!」
 ああ、段々話が読めて来た。やっぱり佐々木浩一はヤバい奴だった。しかし、こんなのとヤルなんて、母親の方にも問題があったのでは?
 いや、そんな事を考えてる余裕は無い。今は、通報しよう。身近な人間が暴力を受けている現場を見ておいて何もしないでは、少々寝覚めが悪い。
 通報すると、案外直ぐに警察が来た。浩一は、とても驚いた顔をしていたが、割れた花瓶に左頬が腫れた娘。言い逃れができる筈も無く、彼は警察に連れて行かれた。
 それから、僕はコッソリ家に帰った。遼子さんの家であった事、通報した事、それらは誰にも話さなかった。

 翌日、朝のニュースで、昨日の事がやっていた。
『佐々木浩一 41歳 無職 娘に暴行』
「あら!これ、遼子さんのお父さんよ!」
 僕はそのまま一日を過ごし、高見書店に向かった。そこには、遼子さんが居た。
 遼子さんは、僕を見るなり、声をかけて来た。
「昨日通報したのは貴方ね?」
「何の事?」
 僕がそう言うと、遼子さんは黙って本を読み続けた。
 そのまま、時間は過ぎる。こんな当たり前だった光景が、とても愛おしい。静かな空間で、遼子さんと、一言も交わさずに読書をする。
 日は、直ぐに暮れる。僕が荷物を纏めると、遼子さんも立ち上がった。
 僕達は、初めて会った日のように、一緒に歩いた。ただ、一つ違う所があった。リョウコさんを邪魔と感じない。

 自分の変化に驚きながら、僕は彼女に、「また明日」と言う。

 自分でも、何がしたいのか分からない。

 他人を理解して、その先に何があるのか。

 それでも、僕は彼女と一緒に居る時間が愛おしい。

 僕は皆を守るヒーローじゃない。

 困っている人を助ける事も、悪から弱き人々を守る事もできない。

 だけど、人は他人に助けを求める。たとえ救われなくても、希望を見る為に。

 希望を見る為なら、僕も、この日常だけは、守りたいと思う。
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