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もう始まるべき物語
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ここがどこかも分からない。『 』は橋の下のスペースで、薄い上着を布団の代わりにして寝た。自分でも馬鹿な事をした。体中が痛い上、筋肉痛だ。
一度寝たらスッキリする物でもない。『 』の腹の中は、相も変わらずぐちゃぐちゃだ。気分が悪い。何かを食べる気にすらなれない。『 』は起き上がった体をまた丸め、冷たいコンクリートの上に座る。
「どんな顔してたっけ、『 』……」
その言葉に答えられる人間は、この場には居なかった。『 』の言葉は、ただ橋の下の空間に、静かに響くだけだった。
僕は、誰も居ない家の中で、受話器を手に取って、部長の話を聞いていた。
「家出……って事ですか?」
『ああ。今日の朝、今日子君の母親から電話があった。昨晩の分の夕食が食べられてない上、風呂に湯が張られていた痕跡すら無かったらしい。俊介君が言うには、昨晩最後に今日子君と話ができたのは、恐らく君だろうという事だ』
その後の言葉は、容易に想像がついた。僕は「喧嘩……しました」と答え、返事を待った。
『そうか。まあそうだろうな』
「まあ、喧嘩……と呼べる物かも分かりませんけど」
『一応、俺は今日子君の母親から、何かあれば助けてほしいと言われている。俊介君も同様だ。今、町の南方向を当たってる。俺もこれから北西に向かう。春樹君は、北東に行ってくれ』
「分かりました」
受話器が置かれる音がした後に、いつもの音声が流れる。探すだけ探すか。そう言えば、まだ打ち上げの話すらしていない。僕は普段着に着替えた後に、靴を履いて、家を出た。
探すと言っても、僕にはまるで心当たりが無い。僕はあの人について何も知らない。そうだな……一度、今日子さんの家に向かってみるか。僕はスマホを取り出し、部長に電話を掛ける。案外直ぐに出てくれた。
『まだ何かあるか?』
「一度、今日子さんの家に行きます。住所教えてください」
僕は住所をメモした後、お礼を言ってから電話を切った。よし。ここに行けば何かあるかも知れない。僕は暫く走った後、その住所の家のベルを鳴らした。少し時間を空けて、中から人が出て来る。
「あら?貴方は?」
「どうも。荒木今日子さんの知り合いの、赤星春樹です」
「はあ……」と言ったその人の目の下には、濃くクマが刻まれていた。うん。似てる。顔の造形がどことなく。いやでも、雰囲気は結構違うな。なんか疲れてる感じだ。そういう意味だと、昨日の今日子さんには似てると思う。
「家出したと聞いたので、探す為の手掛かり探しに来ました」
「部活の子……なのよね?」
「はい」
「友達……なのよね?」
「それは僕一人で話す事じゃないです」
今日子さんの母親は胸に手を当て、自分を落ち着かせるように時間を置いた後、再び僕に問いを投げ掛ける。
「あの子が家出した原因は、貴方なの?」
「多分そうです」
僕がそう答えると、今日子さんの母親は、僕の頬を思い切り叩いた。『そうなるよな』と思った。これが当然の反応なんだと思う。今日子さんの母親は、怒りを露わにしたその表情で、僕を叱った。
「貴方は何のつもりなの!?」
「知り合いの義理と、文化祭の打ち上げをやりたいつもりです」
「何が面白いの!?」
「あの人を観察しているだけで面白いです」
「あの子が、どんな気持ちで……あの子がどんな気持ちで学校に行っていたか、知ってるの!?」
「僕の勝手な感想で良ければですけど、多分彼女なりに苦悩していたんだと思いますよ。じゃあ聞きますけど、貴女は知ってるんですか?家を留守にするばかりの貴女は」
僕がそう問うと、女性は少し怯んだ。しかしそれはただの一瞬で、また顔に怒りを浮かべる。この人は多分、良い母親になりたいんだろうな。かなり面白い人のようだ。
「知ってるわよ!」
「それは凄い。ですが、貴女は今日子さんがどこに行ったかすら知らないんでしょう?」
「それは貴方もでしょう!?」
「そうですよ。ですからここに来たんですよ」
女性は次第に息を整え始める。ようやく落ち着いたらしい女性は、僅かに怒りを込めたその目で、僕の顔を真っ直ぐ見た。その顔は確かに冷静に見えたが、やはり怒りを隠せてはいなかった。
「そうね。私は母親としての責任に背を向けた……良いわ。上がって」
「お邪魔します」
今日子さんの家の中は、装飾も家具もとてもスッキリとしていて、最低限の生活感と殺風景さに彩られていた。僕は女性の案内に従って、今日子さんの部屋へ向かう。
部屋の中には、大量の小説が並べられている。クローゼット、ベッド、勉強机以外のスペースは、全て本棚に埋め尽くされている。趣味の部屋と言っても良い程だろう。
「何で、今日子の部屋に?」
「ちょっと、あの人に興味がありまして……」
面白い部屋だ。凄く面白い。興味深い。僕は小説の背表紙を見て、安堵する。うん。この作品達なら、どれも一度は読んだ覚えがある。これならまだ行ける。
考えてみよう。『 』は、昨日みたいな事が起こった時、一体どこに向かう?『 』ならきっと、何も考えられない筈だ。多分何も考えず、『どこかに向かわなければならない』という思いだけで足を動かしただろう。だが、それでも多少頭は動く筈。少なくとも、雨が降っても当たらない場所に行くだろう。屋根がある場所……公園?いや、もっと人通りが少ない場所を選ぶ。屋根代わりの物があって、誰も来ない場所……橋の下とかか?
「ありがとうございます。ではお邪魔しました」
「え?もう良いの?」
「はい。では私……いや僕はここで」
僕は今日子さんの家を出る。手掛かり……なんて言えないけど、まあ無いよりかはマシだろう。取り敢えず、近くの橋の下を覗いてみよう。そこまで多くは無かった筈だ。僕はスマホで地図を見て、近くの橋の方へ進む。
一つ目。ハズレ。二つ目。ハズレ。三つ目。ハズレ。四つ目。ハズレ……日も沈んだ頃、僕は最後の橋へ向かう。うん。だけどその前に夕食を確保しておこう。僕はコンビニへ向かい、おにぎりとサンドウィッチを買って、また歩き出す。うん。懐が寒い。
ここに居なかったら手詰まり……頼むから居てくれよ。そんな思いで覗き込んだ僕は、安心で胸を撫で下ろす。僕はその人影に近付き、声を掛ける。
「今日子さん」
その人影はゆっくりと動き、蜒�の姿を見る。腕の隙間から見えるその顔は、不快感と怒り、そして蜒�が知らない感情に彩られていた。
「何をしに来たの?」
「話を聞きに」
声に滲んだ怒りは、針のように蜒�の心臓を刺した。これだよ。この人の面白い所はこれなんだ。感情を伝える事に特化した声。自身の感情を無理矢理、相手の頭にねじ込むような声。
だけど、ここで退いたらここまで来た意味が無い。蜒�はもう一歩近付く。
「お腹、空いてますよね。貴方の性格を考えると、多分何かを食べる気力も無いでしょう」
「食べたくない。君の声すら聞きたくない」
そうか。分かった。そう言葉を発するでもなく、蜒�は今日子さんの横にコンビニの袋を置く。
「食べないよ」
「なら食べるまで待ちます。餓死は苦しいらしいですよ」
蜒�は黙って、今日子さんから二メートル程離れた場所に座る。少しの間、静かな音がする。それを聞こえなくしたのは、今日子さんの方だった。
「皆に連絡するのはやめて」
考えていた通りの発言だ。蜒�は携帯の電源を消して、今日子さんと蜒�の中間辺りに滑らせた。小石が動く音がしたが、それも直ぐに止んだ。
「しませんよ。されたくないんでしょう?」
『理想の自分』と言うという事は、いつもは自分の姿を取り繕っているという事だ。多分、蜒�の前では取り繕えなくなるんだろう。それが不快感と怒りという形で表されている。そんな所を見られたくないのは当然の話だ。
ビニール袋の中が弄られる音が聞こえる。きっと、蜒�が買った夕食に手を伸ばしているんだろう。おにぎりの一つでも食べて置けばよかった。ま、諦めるか。『後悔先に立たず』と言うし。
ビニールの包装が破れる音。海苔が切れる音。またビニール袋を弄る音。ビニールの包装が破れる音。暫くの無音。また、ビニール袋を弄る音。そして、次は長い無音。
日がさらに沈む。周囲が真っ暗になる。橋の上から僅かに零れた電灯の光で、周囲の状況がほんの辛うじて分かる程度でしかない。無論、ビニール袋の中身がどうなっているかなんて、確認できた物ではない。
「ねえ、なんでここが分かったの?」
「なんで……怒りませんよね?」
「何したの?」
まあ、うん。親の許可を貰っているんだし、蜒�は悪くない筈だ。蜒�はここに来るまでの経緯を説明した。すると、今日子さんは自嘲混じりの声で応じた。
「やっぱり、凄いよね春樹君は」
「ただ、貴女の人となりを考えただけですよ。大した事じゃ……」
「君はもっと傲慢になってよ」
蜒�は本当に大した人間じゃない。何かが足りない。何かが足りない。いつもそう考えるばかりで、少しも満たされない。
今日子さんはきっと、蜒�よりも数段満たされていない人間なんだと思う。だけど、それを取り繕える器用さは持っている。それに、今日子さんの演技はいつも綺麗だった。蜒�よりも、ずっと凄い人だ。
「君はさ、凄い人なんだよ?傲慢になってくれなきゃ困るんだよ?そうじゃなきゃ、『 』は何の為に今まで頑張って来たのか分からなくなっちゃう。惨めで惨めで、消えたくなる」
『分かる』とは言えなかった。だがそれでも、共感はできた。凄い人が下手に出ていると、まるで皮肉を言っているように見える。それを、今日子さんはずっと感じていたんだろう。だけどそれでも……
「……貴女はそれでも、生きたんでしょう?」
「生きた?ただ理想の自分を演じてただけの私が?『死んでない』の間違いでしょう?」
その言葉が似合うのは、どちらかと言えば蜒�の方だ。ただ貪って、貪って、そして何も生み出さない。『生きている』という言葉が似合わない人間だ。蜒�はいつまでも、何もしないでいるクズだ。
「『 』は何も、凄い事ができないんだよ」
「人と接する時はずっと気を張って、決して自分を出さないで……今日子さん本人が言っていた事でしょう?『頑張った』と。なら、胸を張ってください」
今日子さんに何が足りないのかは明白だ。今日子さんは自己肯定感が圧倒的に足りないんだ。今日子さんの考えている事を理解しようとした時は、決まって胸の真ん中に穴が空いたような心地がする。今日子さんはいつもそうなんだろう。それが埋められるとすれば、今日子さんの行動だけだろう。
なら蜒�は、今日子さんの背中を押すだけで良い。今日子さんは凄い人だ。多分これは過大評価じゃない。もし今日子さんが、何か効果的な行動を取れたら、その空白は簡単に埋まるだろう。
「君は『 』の何を知ってるの?」
「貴女が凄い人だという事を」
「平行線だね」
「事実ですからね」
もう一度、沈黙。車が走る音が近付き、また遠ざかる。橋の上のまたその上に広がる空には、僅かに雲が漂い、時々小さな光の粒を隠す。月は見えない。橋の上だったら見えるのだろう。だけど、まだここを動く気は無い。
「……貴女はなんで理想の自分を見せようとしたんですか?」
「……なんでそんな事を聞くの」
その言葉には、少しだけ棘が混ざっているように感じた。僕はその痛みを噛み締めながら、その問に答える。
「簡単ですよ。蜒�は今の今日子さんの考え方なら分かりますけど、そこに至るまでの道は、ぼんやりとしか分からないんです。ゴールだけが分かってる迷路は詰まらないでしょう?」
蜒�の問い掛けに、今日子さんは少し間を空けた後に答える。その声には、怒りや不快感ではなく、後悔と自責が込められていた。
「多分ね、お父さんが事故で死んじゃった後、仕事に没頭するお母さんに、心配を掛けたくなかったんだと思う」
それだけ……と言う程小さくもないか。幼少期の経験というのはかなり重要な物だろう。もしそこでしくじれば、その後どんなに軌道修正しようと、上手く行く事は少ないだろう。
「それで、今まで続けてたんですか?」
「……そうだよ。そうしていれば何かと都合が良かったんだ。だからずっと続けて、続けて、続けて……今となっては、なんか分からなくなったけどね」
「途中で投げ出したりしなかったんですね」
「積み上げた物が崩れるのが、凄く怖かったんだと思う。ほら、素の『 』なんてこんなだし、嫌われたくなかったんだ。それが恒常化して、人前では私を演じるようになったんだよ」
その言葉には、既に後悔も自責も滲んではいなかった。蜒�がその言葉を聞いた少し後、靴底のゴムがコンクリートと擦れるような音がした。今日子さんが立ち上がった音だろう。今日子さんは蜒�のスマホを持ち上げ、それを蜒�の方へ差し出す。
「ごめんね。話聞いてもらっちゃって。私はもう大丈夫だから……」
「表情が作れなくなるのは二回目……いや、三回目ですかね」
ここに来てからどれ位経っただろうか。それは分からないが、ようやく橋の下からも月が見えるようになる。その光は今日子さんの顔を照らし、その表情を明らかにする。その引き攣った笑顔は、焦りで塗り潰されている。
「はは……やっぱり駄目か……丁度見えないし、ある程度誤魔化せると思ったんだけどね」
「でも、多少歩けそうな程度には元気が出たんですよね。少し歩きましょう」
「『 』、君と歩きたくないんだけど」
「ここに居ても大して変わらないでしょう。行きますよ」
蜒�は今日子さんの手の上のスマホと、地面に置かれたビニール袋を手に取った後、半ば無理矢理今日子さんの手を掴む。今日子さんは、振り解こうとはして来なかった。
歩く。どこへという訳でもない。取り敢えず、家がある方とは反対方向に行こう。多分この方向は、いつか皆で行った公園があった筈だ。
空の雲は、いつの間にか増えていた。もう月も星も見えない。天気予報を見て来なかった事と、傘を持って来なかった事を後悔した。
「どこに行くの?」
「どこにも」
歩き続ける。取り敢えず、それだけしかできない。体を動かせば楽になるなんて思っていない。でも、何かあるかも知れない。そんな僅かな希望に縋る為に、蜒�は足を進める。
きっと何も無いだろう。『現実は小説よりも奇なり』と言えども、それは常なる事ではない。それでも、何もしないでは何も変わらないだろう。
「何がしたいの?」
「貴女が知りたい。貴女の全てが知りたい」
蜒�はこの人の事をよく知らない。知ってるのなんて表面的な事だけで、その裏にある物まではよく分からない。知りたい。蜒�の知る中で誰よりも人間的なこの人の事を。
暫く歩き続けると、いつかの公園が見えて来た。人影は無い。蜒�は今日子さんをベンチに座らせて、自分も少し離れた場所に座る。古くなったベンチは、小さく軋む音を立てながら、人間二人の体重を支える。
「懐かしいね」
「覚えてたんですね」
「そりゃあね。私は友達と遊んだ思い出を忘れる人間じゃないから」
目を閉じた。以前ここに来た時の事、そしてその一日の事を思い出す。良い人達と知り合えた。たった一日だったけど、こうして思い出すだけでも、それが実感できる。
「ここに来たのが、凄い昔の事のように感じますよ」
「そうだね。『 』もだ」
背もたれに体重を預けると、それだけで体から力が抜ける心地がした。思っていたよりも疲れが溜まっていたのかも知れない。考えてみれば当たり前のその事に、蜒�はこの時、初めて気が付いた。
沈黙。車が通り過ぎる音が遠くに聞こえる。そしてまた、静かな音が聞こえる。次第に、周囲の家屋の灯りが消される。視界に入る灯りが、コンビニと街灯以外に無くなった辺りで、蜒�は目を開いた。
公園にある時計の針は、既に一時を指している。蜒�はベンチから立ち上がって、今日子さんの方に手を突き出した。今日子さんは表情を貼り付けていないその顔を上げると、蜒�の手を取った。
「次はどこに?」
「どこにも」
蜒�らは歩き出した。公園を出て、どこなのかも分からない道路を。今の季節でも、この時間帯は少し寒い。蜒�はほんの少しの後悔を抱えたまま、暗い夜道を歩き続ける。
「『 』に何を求めてるの?」
「何も。もう求める所なんてありませんから」
ああでも、まだこの人から見れていない感情があった。それさえ見れれば、今日子さんの事が分かる気がする。強いて言うならそれが見たい程度で、これ以上を求めるのは贅沢が過ぎるという物だろう。
駅が見える。確か、最寄りの駅から二つ程度離れた駅だった筈だ。多分このまま行けば、海に行き着く。なら、次の目的地も決まったな。
「暫く歩きますよ」
「目的地は決まったんだ?」
「ええ。当ての無い散歩も良いですけどね」
歩く。それも長い時間。足も疲れて来たが、それでも歩く。そうしていると、次第に潮風の匂いがして来る。そこから更に歩くと、やがてどこまでも黒い海が見える。こっちの方は雲が少ない。来て正解だった。
蜒�らは防波堤の上に座る。耳を澄ますと、小さく波の音が聞こえて来る。目立った波も見えないが、やはり波はあるらしい。綺麗だなんて言えない風景だが、この音だけで、ここが海である事を実感する。手を少し後ろの方に置く。そのまま上を向くと、空には数個の光が見えた。これだけ真っ暗なのに、これしか見えない事に、蜒�は小さく落胆の息を吐いた。潮風が頬を撫で、その冷たさに驚く。
再度、目を閉じる。最初にここに来たのは、確か俊介さんと政宗さん達とだった。蜒�はその日の事を思い出す。まだ半年も経っていないのに、多くの友人達と遊んだ風景が、酷く懐かしく感じた。
「『 』、海好きだな。泳げないけど、こうして見ているだけで、なんでか落ち着くんだ」
「そうですか。それは良かった」
小さな波の音。少し冷たい潮風の香り。蜒�がそれらを、十分に体の内側に溜め込んだ頃、今日子さんが小さく口を開いた。
「次はどこに連れて行くの?」
水平線の向こう側が、ほんの少しだけ明るくなって来ている。もうこんな時間か。生憎と、蜒�はその問いへの答えを持ち合わせていない。ここに留まり続けるのも飽きたし、そろそろ移動しても良い頃合いかもな。
「町の方へ行きましょう」
蜒�は防波堤から立ち上がって、また今日子さんの方へ手を伸ばす。今日子さんは蜒�の手を取り、防波堤から降りる。
来た道を少し戻って、以前行ったゲームセンターがある町へ向かう。そこまで遠くはなかった筈だ。まあ、ここまで歩いて来たのなら誤差のような物かも知れないけど。
「『 』はさ、本当に君が羨ましいんだ。それで、劣等感を持ってる」
「蜒�もです。ああでも、劣等感は違いますね」
「君でも、『 』が羨ましいと思うんだ」
「今日子さんは器用ですからね」
今日子さんは「そっか」とだけ言って、また何も話さなくなる。この時間帯になると、流石に車の音も聞こえなくなる。お互いに何も話さなくなった蜒�の耳に、また静かな音が入って来る。
以前に来た時は人通りもあった街並みも、すっかり暗く、静かになっていた。スマホの時計は、既に四時を回っていると蜒�に知らせる。蜒�らは道端のベンチに座り、また目を閉じる。公園に居た時よりも詳細に、ここに来た時の事を思い出す。
「前に来た時は、確か今日子さんだけ本屋に行ってましたね。その後、皆で服屋に行った」
「楽しかったね。演技とかじゃなくて、本当に楽しかった」
今日子さんの口から笑みが零れる。それは、今日子さんの家出以降、初めての事だった。自分を押し殺して押し殺して、それでも今日子さんの中には、れっきとした『我』がある。面白い人だ。だからこそ、知りたい。
「君はさ、なんで『 』にこんな構うの?」
不意に、今日子さんが話し掛けて来た。蜒�は驚くでもなく、自分の意思で答える。
「知りたいからですよ。貴女は面白い」
「同情じゃなくて?人なんてそんな物なんでしょ?」
言葉に詰まる。確かにそうだ。蜒�が興味だけで動いている事を証明する事はできない。それでも蜒�は、ここで今日子さんという現時点で最大の興味の対象を失う訳にはいかない。
「だったら何です?蜒�に『温かい優しさで接しろ』とでも言う気ですか?」
「『 』は君が嫌いだよ。『 』よりもずっと上手に演じられるのにさ、それを決してひけらかさない。『 』がそれをどれだけ妬ましく思ったか分からないでしょ?」
「分かる……なんて傲慢な事言えませんよ。意地悪な問いですね」
今日子さんがここまで追い込まれた原因は、確実に蜒�の出現だろう。蜒�が居なければ、蜒�があの部活に入らなければ、今日子さんは心穏やかとまでは行かなくとも、今のような状態に陥る事は無かった。少なくとも、蜒�があの部屋で演じた、『 』という一人の少女は、そういう人だ。
「私は完璧なの。そうでなきゃいけないの。誰にも暗い面を見せないの。それなのに、君が来たせいでこんな事になって……」
「僕には何も無かったんですよ。ただただ消費活動を続けるだけの肉の塊だった。僕が今の蜒�になれたのは、誰でもなく、貴女のお陰なんですよ」
今日子さんは蜒�の方を見る。蜒�は目を開き、少しも変わる事の無いその思いを打ち明ける。空はまだ暗いままだ。それでも、車が走る音は僅かに聞こえて来る。
「初めてあの部室で今日子さんを見た時、僕は体の内側に、何か熱い物ができたんですよ。胸が打ち震え、頭の奥が痺れるような心地の中、核とでも呼ぶべきそれが、全身に熱を与えて行ったんです」
「だから何?だから、『 』は素晴らしい人間だと?」
「素晴らしい人間だとは言いません。素晴らしい程に人間なだけです」
妬み、嫉み、怒り、泣き、もがいている人間程、人間的な人間は居ない。ただ笑っているだけでもなく、ただ怒るだけでもない、そういう人間が何より面白い。今日子さんは正にそれだ。素晴らしい程に人間だ。
「今はただ楽しい。蜒�は初めて、蜒�がどんな人間か掴めた気さえするんですよ。貴女はどうですか?」
「『 』は君が嫌い。君が嫌いで、妬ましくて、それで……」
それだけじゃない筈だ。それだけであって良い筈が無い。抑圧は秘めた感情を何倍にもする。情熱も後悔も嫉妬も憤怒も歓喜も全て、この人の中にあるんだ。それは何よりも美しい。蜒�はそれを見たい。何よりも知りたい。蜒�は立ち上がり、今日子さんの肩を掴む。
「違いますよね。蜒�が知っている限りの貴女は、もっと大きな何かを抱えていた筈だ。虚しくて空っぽで苦しくて、それでも何か、重い物を抱えていた筈だ」
「違う。私は、私は明るくて、完璧で……」
「それは貴女の『理想の女の子』でしょう?蜒�が知りたいのは、『荒木今日子』なんですよ」
知らなければならない。蜒�という人間を形作る最後のピースが知りたい。蜒�という人生を通しての興味の対象を決定付ける、その最後のピースを。
「ねえ荒木今日子。蜒�は貴女程面白い人間を見た事が無い。貴女を知りたい。貴女の本音を。貴女が胸の内に封じ込めた、その黒い感情も白い感情も」
蜒�の言葉に、荒木今日子は少しだけ笑みを浮かべた。荒木今日子はこの日初めて、蜒�と目を合わせた。
「『 』今、口説かれてたりする?」
「口説きもするよ。誠意を見せる為ならね」
荒木今日子は蜒�から目を逸らして、また話を始める。表情には笑いを、声には自嘲を湛えていた。
「私と君が初めて会った日……君は、私の演技が切っ掛けで変わり始めたんだよね?実は『 』もなんだ。ずっと演じて、演じて、良い自分を見せる事だけを考えて来たのに、その演じる事ですら、君はあっさりと私を超えて行った。あの時、『 』は初めて自分の胸の穴に気付いたんだ」
ほんの少し、間が空く。ベンチの後ろを車が通り、そのライトで蜒�らの姿が浮き彫りになる。一呼吸置いた後、荒木今日子はまた話を始めた。
「天才っていうのはさ、きっと最初からできる人の事なんだと思う。そういう意味で、『 』は凡人だったからね。三歳頃から演劇はしてたから、努力したんだ。ここに至るまでの十四年と少し。皆私を褒め称えたし、皆私に拍手を贈った。だけど『 』はまだ足りない気がして、更に努力した。去年一年で、ようやく天才と呼ばれてる人達と並べるようになった気がしたんだ」
この辺りで、荒木今日子の呼吸はほんの少しだけ、意識してやっと気付く程度だけ乱れていた。蜒�は荒木今日子の目の前に立っている状態で、その話を聞き続ける。
「だけどさ、今年に入って君が来て、君を通してそのキャラクターを見た時、『ああ敵わない』と思ったんだ。君はそのキャラそのものになってた。そんな風に見えた。無理だったんだ。演じている時点で、努力している時点で、楽しい事を楽しいままやってる君に敵う筈も無かった」
空が明るくなり始めている。道を通る車も、段々と多くなって来る。遠く聞こえる電車の音に、蜒�は長い時間が過ぎている事を理解した。
「私を褒めてくれる人は居るけどさ、その素直な言葉も勝手に解釈して理解した気になって捻じ曲げちゃうんだ。『 』は嫌になっちゃったんだ。誰かは私を素直に褒めてくれるけどさ、誰かにその言葉を贈られる度に、『 』は打ちのめされたんだ。『自分は満たされていないのに、この子は他人にそんな言葉を贈れる余裕があるんだ』ってさ。褒められて嬉しかった。だけど、その言葉で打ちのめされるんだ。苦しくて苦しくて、それでも誰かにそう言うのは『理想』じゃなくて……それで……ずっと……」
膝の上で握り締められた荒木今日子の手の上に、一粒の透明な液体が落ちる。自嘲一色だった声に、僅かな涙と大きな後悔が滲む。荒木今日子は手でその目の周りを拭い、なんとか笑いを浮かべようとする声で弁解する。
「あれ?『 』……これ……違うんだよ。泣くつもりも無くて、笑顔で、キチンと、話をしようと思ってたんだけど……やっぱり駄目だね。一回止めちゃうと、その後は続けられないのかも……」
荒木今日子は、それ以上言葉と呼べる物を発さなかった。嗚咽混じりの音を発するその体を、蜒�はなるべく力を込めずに抱き締めた。少し、肩の布地が涙で濡れる感覚がした。
「うう……春樹君……」
「ごめん。幼少期に母にこうしてもらった時以外で、誰かに慰められて落ち着いた経験なんて無いんだ」
背中の方に回された手に、小さく、でも確かに力が込められる。荒木今日子の発する音は次第に大きくなり、蜒�の肩に顔が埋められる。
「理想を追うのは人の性。それを咎めるも妥協させるもしないけど、貴女は貴女が思ってる以上に、いやきっと、貴女を知る誰が思うよりも遥かに、頑張ってる人だ。弱音を吐いて然るべき人だ。泣いて然るべき人だ。貴女は蜒�が見て来た中で、一番綺麗な人だ」
泣き叫ぶその音が大きくなる。それに比例して、押し殺すように蜒�の肩に顔を埋めるその力と、耐えるように蜒�の背中に回された手に入る力が大きくなる。声と呼べるようになったその言葉に、僕は心底安堵した。
「皆嫌い!君も、クラスの皆も、俊介君も部長もお母さんも!皆大嫌い!『 』の事なんか少しも知らない癖に!『 』が好きな本も知らない癖に!『 』が嫌いな食べ物も知らない癖に!皆大嫌い……」
涙で声が潰れてしまう。その後の声は、声と呼ぶにはあまりにも不完全で、泣きたくなる程大きな感情に満ちていた。だけど、ここで泣くのは蜒�の役目じゃない。蜒�は荒木今日子に肩を貸したまま、ただ頷くだけだった。
建物の隙間から日の光が覗く。今日子さんの息が次第に整う。嗚咽が聞こえなくなる。�は今日子さんの背中を撫でて、「そろそろ帰りましょう」と言う。今日子さんは涙を流しながらも、今までとは決定的に何かが違う、それでも尚明るい笑顔で、「うん。そうだね」と答えた。
一度寝たらスッキリする物でもない。『 』の腹の中は、相も変わらずぐちゃぐちゃだ。気分が悪い。何かを食べる気にすらなれない。『 』は起き上がった体をまた丸め、冷たいコンクリートの上に座る。
「どんな顔してたっけ、『 』……」
その言葉に答えられる人間は、この場には居なかった。『 』の言葉は、ただ橋の下の空間に、静かに響くだけだった。
僕は、誰も居ない家の中で、受話器を手に取って、部長の話を聞いていた。
「家出……って事ですか?」
『ああ。今日の朝、今日子君の母親から電話があった。昨晩の分の夕食が食べられてない上、風呂に湯が張られていた痕跡すら無かったらしい。俊介君が言うには、昨晩最後に今日子君と話ができたのは、恐らく君だろうという事だ』
その後の言葉は、容易に想像がついた。僕は「喧嘩……しました」と答え、返事を待った。
『そうか。まあそうだろうな』
「まあ、喧嘩……と呼べる物かも分かりませんけど」
『一応、俺は今日子君の母親から、何かあれば助けてほしいと言われている。俊介君も同様だ。今、町の南方向を当たってる。俺もこれから北西に向かう。春樹君は、北東に行ってくれ』
「分かりました」
受話器が置かれる音がした後に、いつもの音声が流れる。探すだけ探すか。そう言えば、まだ打ち上げの話すらしていない。僕は普段着に着替えた後に、靴を履いて、家を出た。
探すと言っても、僕にはまるで心当たりが無い。僕はあの人について何も知らない。そうだな……一度、今日子さんの家に向かってみるか。僕はスマホを取り出し、部長に電話を掛ける。案外直ぐに出てくれた。
『まだ何かあるか?』
「一度、今日子さんの家に行きます。住所教えてください」
僕は住所をメモした後、お礼を言ってから電話を切った。よし。ここに行けば何かあるかも知れない。僕は暫く走った後、その住所の家のベルを鳴らした。少し時間を空けて、中から人が出て来る。
「あら?貴方は?」
「どうも。荒木今日子さんの知り合いの、赤星春樹です」
「はあ……」と言ったその人の目の下には、濃くクマが刻まれていた。うん。似てる。顔の造形がどことなく。いやでも、雰囲気は結構違うな。なんか疲れてる感じだ。そういう意味だと、昨日の今日子さんには似てると思う。
「家出したと聞いたので、探す為の手掛かり探しに来ました」
「部活の子……なのよね?」
「はい」
「友達……なのよね?」
「それは僕一人で話す事じゃないです」
今日子さんの母親は胸に手を当て、自分を落ち着かせるように時間を置いた後、再び僕に問いを投げ掛ける。
「あの子が家出した原因は、貴方なの?」
「多分そうです」
僕がそう答えると、今日子さんの母親は、僕の頬を思い切り叩いた。『そうなるよな』と思った。これが当然の反応なんだと思う。今日子さんの母親は、怒りを露わにしたその表情で、僕を叱った。
「貴方は何のつもりなの!?」
「知り合いの義理と、文化祭の打ち上げをやりたいつもりです」
「何が面白いの!?」
「あの人を観察しているだけで面白いです」
「あの子が、どんな気持ちで……あの子がどんな気持ちで学校に行っていたか、知ってるの!?」
「僕の勝手な感想で良ければですけど、多分彼女なりに苦悩していたんだと思いますよ。じゃあ聞きますけど、貴女は知ってるんですか?家を留守にするばかりの貴女は」
僕がそう問うと、女性は少し怯んだ。しかしそれはただの一瞬で、また顔に怒りを浮かべる。この人は多分、良い母親になりたいんだろうな。かなり面白い人のようだ。
「知ってるわよ!」
「それは凄い。ですが、貴女は今日子さんがどこに行ったかすら知らないんでしょう?」
「それは貴方もでしょう!?」
「そうですよ。ですからここに来たんですよ」
女性は次第に息を整え始める。ようやく落ち着いたらしい女性は、僅かに怒りを込めたその目で、僕の顔を真っ直ぐ見た。その顔は確かに冷静に見えたが、やはり怒りを隠せてはいなかった。
「そうね。私は母親としての責任に背を向けた……良いわ。上がって」
「お邪魔します」
今日子さんの家の中は、装飾も家具もとてもスッキリとしていて、最低限の生活感と殺風景さに彩られていた。僕は女性の案内に従って、今日子さんの部屋へ向かう。
部屋の中には、大量の小説が並べられている。クローゼット、ベッド、勉強机以外のスペースは、全て本棚に埋め尽くされている。趣味の部屋と言っても良い程だろう。
「何で、今日子の部屋に?」
「ちょっと、あの人に興味がありまして……」
面白い部屋だ。凄く面白い。興味深い。僕は小説の背表紙を見て、安堵する。うん。この作品達なら、どれも一度は読んだ覚えがある。これならまだ行ける。
考えてみよう。『 』は、昨日みたいな事が起こった時、一体どこに向かう?『 』ならきっと、何も考えられない筈だ。多分何も考えず、『どこかに向かわなければならない』という思いだけで足を動かしただろう。だが、それでも多少頭は動く筈。少なくとも、雨が降っても当たらない場所に行くだろう。屋根がある場所……公園?いや、もっと人通りが少ない場所を選ぶ。屋根代わりの物があって、誰も来ない場所……橋の下とかか?
「ありがとうございます。ではお邪魔しました」
「え?もう良いの?」
「はい。では私……いや僕はここで」
僕は今日子さんの家を出る。手掛かり……なんて言えないけど、まあ無いよりかはマシだろう。取り敢えず、近くの橋の下を覗いてみよう。そこまで多くは無かった筈だ。僕はスマホで地図を見て、近くの橋の方へ進む。
一つ目。ハズレ。二つ目。ハズレ。三つ目。ハズレ。四つ目。ハズレ……日も沈んだ頃、僕は最後の橋へ向かう。うん。だけどその前に夕食を確保しておこう。僕はコンビニへ向かい、おにぎりとサンドウィッチを買って、また歩き出す。うん。懐が寒い。
ここに居なかったら手詰まり……頼むから居てくれよ。そんな思いで覗き込んだ僕は、安心で胸を撫で下ろす。僕はその人影に近付き、声を掛ける。
「今日子さん」
その人影はゆっくりと動き、蜒�の姿を見る。腕の隙間から見えるその顔は、不快感と怒り、そして蜒�が知らない感情に彩られていた。
「何をしに来たの?」
「話を聞きに」
声に滲んだ怒りは、針のように蜒�の心臓を刺した。これだよ。この人の面白い所はこれなんだ。感情を伝える事に特化した声。自身の感情を無理矢理、相手の頭にねじ込むような声。
だけど、ここで退いたらここまで来た意味が無い。蜒�はもう一歩近付く。
「お腹、空いてますよね。貴方の性格を考えると、多分何かを食べる気力も無いでしょう」
「食べたくない。君の声すら聞きたくない」
そうか。分かった。そう言葉を発するでもなく、蜒�は今日子さんの横にコンビニの袋を置く。
「食べないよ」
「なら食べるまで待ちます。餓死は苦しいらしいですよ」
蜒�は黙って、今日子さんから二メートル程離れた場所に座る。少しの間、静かな音がする。それを聞こえなくしたのは、今日子さんの方だった。
「皆に連絡するのはやめて」
考えていた通りの発言だ。蜒�は携帯の電源を消して、今日子さんと蜒�の中間辺りに滑らせた。小石が動く音がしたが、それも直ぐに止んだ。
「しませんよ。されたくないんでしょう?」
『理想の自分』と言うという事は、いつもは自分の姿を取り繕っているという事だ。多分、蜒�の前では取り繕えなくなるんだろう。それが不快感と怒りという形で表されている。そんな所を見られたくないのは当然の話だ。
ビニール袋の中が弄られる音が聞こえる。きっと、蜒�が買った夕食に手を伸ばしているんだろう。おにぎりの一つでも食べて置けばよかった。ま、諦めるか。『後悔先に立たず』と言うし。
ビニールの包装が破れる音。海苔が切れる音。またビニール袋を弄る音。ビニールの包装が破れる音。暫くの無音。また、ビニール袋を弄る音。そして、次は長い無音。
日がさらに沈む。周囲が真っ暗になる。橋の上から僅かに零れた電灯の光で、周囲の状況がほんの辛うじて分かる程度でしかない。無論、ビニール袋の中身がどうなっているかなんて、確認できた物ではない。
「ねえ、なんでここが分かったの?」
「なんで……怒りませんよね?」
「何したの?」
まあ、うん。親の許可を貰っているんだし、蜒�は悪くない筈だ。蜒�はここに来るまでの経緯を説明した。すると、今日子さんは自嘲混じりの声で応じた。
「やっぱり、凄いよね春樹君は」
「ただ、貴女の人となりを考えただけですよ。大した事じゃ……」
「君はもっと傲慢になってよ」
蜒�は本当に大した人間じゃない。何かが足りない。何かが足りない。いつもそう考えるばかりで、少しも満たされない。
今日子さんはきっと、蜒�よりも数段満たされていない人間なんだと思う。だけど、それを取り繕える器用さは持っている。それに、今日子さんの演技はいつも綺麗だった。蜒�よりも、ずっと凄い人だ。
「君はさ、凄い人なんだよ?傲慢になってくれなきゃ困るんだよ?そうじゃなきゃ、『 』は何の為に今まで頑張って来たのか分からなくなっちゃう。惨めで惨めで、消えたくなる」
『分かる』とは言えなかった。だがそれでも、共感はできた。凄い人が下手に出ていると、まるで皮肉を言っているように見える。それを、今日子さんはずっと感じていたんだろう。だけどそれでも……
「……貴女はそれでも、生きたんでしょう?」
「生きた?ただ理想の自分を演じてただけの私が?『死んでない』の間違いでしょう?」
その言葉が似合うのは、どちらかと言えば蜒�の方だ。ただ貪って、貪って、そして何も生み出さない。『生きている』という言葉が似合わない人間だ。蜒�はいつまでも、何もしないでいるクズだ。
「『 』は何も、凄い事ができないんだよ」
「人と接する時はずっと気を張って、決して自分を出さないで……今日子さん本人が言っていた事でしょう?『頑張った』と。なら、胸を張ってください」
今日子さんに何が足りないのかは明白だ。今日子さんは自己肯定感が圧倒的に足りないんだ。今日子さんの考えている事を理解しようとした時は、決まって胸の真ん中に穴が空いたような心地がする。今日子さんはいつもそうなんだろう。それが埋められるとすれば、今日子さんの行動だけだろう。
なら蜒�は、今日子さんの背中を押すだけで良い。今日子さんは凄い人だ。多分これは過大評価じゃない。もし今日子さんが、何か効果的な行動を取れたら、その空白は簡単に埋まるだろう。
「君は『 』の何を知ってるの?」
「貴女が凄い人だという事を」
「平行線だね」
「事実ですからね」
もう一度、沈黙。車が走る音が近付き、また遠ざかる。橋の上のまたその上に広がる空には、僅かに雲が漂い、時々小さな光の粒を隠す。月は見えない。橋の上だったら見えるのだろう。だけど、まだここを動く気は無い。
「……貴女はなんで理想の自分を見せようとしたんですか?」
「……なんでそんな事を聞くの」
その言葉には、少しだけ棘が混ざっているように感じた。僕はその痛みを噛み締めながら、その問に答える。
「簡単ですよ。蜒�は今の今日子さんの考え方なら分かりますけど、そこに至るまでの道は、ぼんやりとしか分からないんです。ゴールだけが分かってる迷路は詰まらないでしょう?」
蜒�の問い掛けに、今日子さんは少し間を空けた後に答える。その声には、怒りや不快感ではなく、後悔と自責が込められていた。
「多分ね、お父さんが事故で死んじゃった後、仕事に没頭するお母さんに、心配を掛けたくなかったんだと思う」
それだけ……と言う程小さくもないか。幼少期の経験というのはかなり重要な物だろう。もしそこでしくじれば、その後どんなに軌道修正しようと、上手く行く事は少ないだろう。
「それで、今まで続けてたんですか?」
「……そうだよ。そうしていれば何かと都合が良かったんだ。だからずっと続けて、続けて、続けて……今となっては、なんか分からなくなったけどね」
「途中で投げ出したりしなかったんですね」
「積み上げた物が崩れるのが、凄く怖かったんだと思う。ほら、素の『 』なんてこんなだし、嫌われたくなかったんだ。それが恒常化して、人前では私を演じるようになったんだよ」
その言葉には、既に後悔も自責も滲んではいなかった。蜒�がその言葉を聞いた少し後、靴底のゴムがコンクリートと擦れるような音がした。今日子さんが立ち上がった音だろう。今日子さんは蜒�のスマホを持ち上げ、それを蜒�の方へ差し出す。
「ごめんね。話聞いてもらっちゃって。私はもう大丈夫だから……」
「表情が作れなくなるのは二回目……いや、三回目ですかね」
ここに来てからどれ位経っただろうか。それは分からないが、ようやく橋の下からも月が見えるようになる。その光は今日子さんの顔を照らし、その表情を明らかにする。その引き攣った笑顔は、焦りで塗り潰されている。
「はは……やっぱり駄目か……丁度見えないし、ある程度誤魔化せると思ったんだけどね」
「でも、多少歩けそうな程度には元気が出たんですよね。少し歩きましょう」
「『 』、君と歩きたくないんだけど」
「ここに居ても大して変わらないでしょう。行きますよ」
蜒�は今日子さんの手の上のスマホと、地面に置かれたビニール袋を手に取った後、半ば無理矢理今日子さんの手を掴む。今日子さんは、振り解こうとはして来なかった。
歩く。どこへという訳でもない。取り敢えず、家がある方とは反対方向に行こう。多分この方向は、いつか皆で行った公園があった筈だ。
空の雲は、いつの間にか増えていた。もう月も星も見えない。天気予報を見て来なかった事と、傘を持って来なかった事を後悔した。
「どこに行くの?」
「どこにも」
歩き続ける。取り敢えず、それだけしかできない。体を動かせば楽になるなんて思っていない。でも、何かあるかも知れない。そんな僅かな希望に縋る為に、蜒�は足を進める。
きっと何も無いだろう。『現実は小説よりも奇なり』と言えども、それは常なる事ではない。それでも、何もしないでは何も変わらないだろう。
「何がしたいの?」
「貴女が知りたい。貴女の全てが知りたい」
蜒�はこの人の事をよく知らない。知ってるのなんて表面的な事だけで、その裏にある物まではよく分からない。知りたい。蜒�の知る中で誰よりも人間的なこの人の事を。
暫く歩き続けると、いつかの公園が見えて来た。人影は無い。蜒�は今日子さんをベンチに座らせて、自分も少し離れた場所に座る。古くなったベンチは、小さく軋む音を立てながら、人間二人の体重を支える。
「懐かしいね」
「覚えてたんですね」
「そりゃあね。私は友達と遊んだ思い出を忘れる人間じゃないから」
目を閉じた。以前ここに来た時の事、そしてその一日の事を思い出す。良い人達と知り合えた。たった一日だったけど、こうして思い出すだけでも、それが実感できる。
「ここに来たのが、凄い昔の事のように感じますよ」
「そうだね。『 』もだ」
背もたれに体重を預けると、それだけで体から力が抜ける心地がした。思っていたよりも疲れが溜まっていたのかも知れない。考えてみれば当たり前のその事に、蜒�はこの時、初めて気が付いた。
沈黙。車が通り過ぎる音が遠くに聞こえる。そしてまた、静かな音が聞こえる。次第に、周囲の家屋の灯りが消される。視界に入る灯りが、コンビニと街灯以外に無くなった辺りで、蜒�は目を開いた。
公園にある時計の針は、既に一時を指している。蜒�はベンチから立ち上がって、今日子さんの方に手を突き出した。今日子さんは表情を貼り付けていないその顔を上げると、蜒�の手を取った。
「次はどこに?」
「どこにも」
蜒�らは歩き出した。公園を出て、どこなのかも分からない道路を。今の季節でも、この時間帯は少し寒い。蜒�はほんの少しの後悔を抱えたまま、暗い夜道を歩き続ける。
「『 』に何を求めてるの?」
「何も。もう求める所なんてありませんから」
ああでも、まだこの人から見れていない感情があった。それさえ見れれば、今日子さんの事が分かる気がする。強いて言うならそれが見たい程度で、これ以上を求めるのは贅沢が過ぎるという物だろう。
駅が見える。確か、最寄りの駅から二つ程度離れた駅だった筈だ。多分このまま行けば、海に行き着く。なら、次の目的地も決まったな。
「暫く歩きますよ」
「目的地は決まったんだ?」
「ええ。当ての無い散歩も良いですけどね」
歩く。それも長い時間。足も疲れて来たが、それでも歩く。そうしていると、次第に潮風の匂いがして来る。そこから更に歩くと、やがてどこまでも黒い海が見える。こっちの方は雲が少ない。来て正解だった。
蜒�らは防波堤の上に座る。耳を澄ますと、小さく波の音が聞こえて来る。目立った波も見えないが、やはり波はあるらしい。綺麗だなんて言えない風景だが、この音だけで、ここが海である事を実感する。手を少し後ろの方に置く。そのまま上を向くと、空には数個の光が見えた。これだけ真っ暗なのに、これしか見えない事に、蜒�は小さく落胆の息を吐いた。潮風が頬を撫で、その冷たさに驚く。
再度、目を閉じる。最初にここに来たのは、確か俊介さんと政宗さん達とだった。蜒�はその日の事を思い出す。まだ半年も経っていないのに、多くの友人達と遊んだ風景が、酷く懐かしく感じた。
「『 』、海好きだな。泳げないけど、こうして見ているだけで、なんでか落ち着くんだ」
「そうですか。それは良かった」
小さな波の音。少し冷たい潮風の香り。蜒�がそれらを、十分に体の内側に溜め込んだ頃、今日子さんが小さく口を開いた。
「次はどこに連れて行くの?」
水平線の向こう側が、ほんの少しだけ明るくなって来ている。もうこんな時間か。生憎と、蜒�はその問いへの答えを持ち合わせていない。ここに留まり続けるのも飽きたし、そろそろ移動しても良い頃合いかもな。
「町の方へ行きましょう」
蜒�は防波堤から立ち上がって、また今日子さんの方へ手を伸ばす。今日子さんは蜒�の手を取り、防波堤から降りる。
来た道を少し戻って、以前行ったゲームセンターがある町へ向かう。そこまで遠くはなかった筈だ。まあ、ここまで歩いて来たのなら誤差のような物かも知れないけど。
「『 』はさ、本当に君が羨ましいんだ。それで、劣等感を持ってる」
「蜒�もです。ああでも、劣等感は違いますね」
「君でも、『 』が羨ましいと思うんだ」
「今日子さんは器用ですからね」
今日子さんは「そっか」とだけ言って、また何も話さなくなる。この時間帯になると、流石に車の音も聞こえなくなる。お互いに何も話さなくなった蜒�の耳に、また静かな音が入って来る。
以前に来た時は人通りもあった街並みも、すっかり暗く、静かになっていた。スマホの時計は、既に四時を回っていると蜒�に知らせる。蜒�らは道端のベンチに座り、また目を閉じる。公園に居た時よりも詳細に、ここに来た時の事を思い出す。
「前に来た時は、確か今日子さんだけ本屋に行ってましたね。その後、皆で服屋に行った」
「楽しかったね。演技とかじゃなくて、本当に楽しかった」
今日子さんの口から笑みが零れる。それは、今日子さんの家出以降、初めての事だった。自分を押し殺して押し殺して、それでも今日子さんの中には、れっきとした『我』がある。面白い人だ。だからこそ、知りたい。
「君はさ、なんで『 』にこんな構うの?」
不意に、今日子さんが話し掛けて来た。蜒�は驚くでもなく、自分の意思で答える。
「知りたいからですよ。貴女は面白い」
「同情じゃなくて?人なんてそんな物なんでしょ?」
言葉に詰まる。確かにそうだ。蜒�が興味だけで動いている事を証明する事はできない。それでも蜒�は、ここで今日子さんという現時点で最大の興味の対象を失う訳にはいかない。
「だったら何です?蜒�に『温かい優しさで接しろ』とでも言う気ですか?」
「『 』は君が嫌いだよ。『 』よりもずっと上手に演じられるのにさ、それを決してひけらかさない。『 』がそれをどれだけ妬ましく思ったか分からないでしょ?」
「分かる……なんて傲慢な事言えませんよ。意地悪な問いですね」
今日子さんがここまで追い込まれた原因は、確実に蜒�の出現だろう。蜒�が居なければ、蜒�があの部活に入らなければ、今日子さんは心穏やかとまでは行かなくとも、今のような状態に陥る事は無かった。少なくとも、蜒�があの部屋で演じた、『 』という一人の少女は、そういう人だ。
「私は完璧なの。そうでなきゃいけないの。誰にも暗い面を見せないの。それなのに、君が来たせいでこんな事になって……」
「僕には何も無かったんですよ。ただただ消費活動を続けるだけの肉の塊だった。僕が今の蜒�になれたのは、誰でもなく、貴女のお陰なんですよ」
今日子さんは蜒�の方を見る。蜒�は目を開き、少しも変わる事の無いその思いを打ち明ける。空はまだ暗いままだ。それでも、車が走る音は僅かに聞こえて来る。
「初めてあの部室で今日子さんを見た時、僕は体の内側に、何か熱い物ができたんですよ。胸が打ち震え、頭の奥が痺れるような心地の中、核とでも呼ぶべきそれが、全身に熱を与えて行ったんです」
「だから何?だから、『 』は素晴らしい人間だと?」
「素晴らしい人間だとは言いません。素晴らしい程に人間なだけです」
妬み、嫉み、怒り、泣き、もがいている人間程、人間的な人間は居ない。ただ笑っているだけでもなく、ただ怒るだけでもない、そういう人間が何より面白い。今日子さんは正にそれだ。素晴らしい程に人間だ。
「今はただ楽しい。蜒�は初めて、蜒�がどんな人間か掴めた気さえするんですよ。貴女はどうですか?」
「『 』は君が嫌い。君が嫌いで、妬ましくて、それで……」
それだけじゃない筈だ。それだけであって良い筈が無い。抑圧は秘めた感情を何倍にもする。情熱も後悔も嫉妬も憤怒も歓喜も全て、この人の中にあるんだ。それは何よりも美しい。蜒�はそれを見たい。何よりも知りたい。蜒�は立ち上がり、今日子さんの肩を掴む。
「違いますよね。蜒�が知っている限りの貴女は、もっと大きな何かを抱えていた筈だ。虚しくて空っぽで苦しくて、それでも何か、重い物を抱えていた筈だ」
「違う。私は、私は明るくて、完璧で……」
「それは貴女の『理想の女の子』でしょう?蜒�が知りたいのは、『荒木今日子』なんですよ」
知らなければならない。蜒�という人間を形作る最後のピースが知りたい。蜒�という人生を通しての興味の対象を決定付ける、その最後のピースを。
「ねえ荒木今日子。蜒�は貴女程面白い人間を見た事が無い。貴女を知りたい。貴女の本音を。貴女が胸の内に封じ込めた、その黒い感情も白い感情も」
蜒�の言葉に、荒木今日子は少しだけ笑みを浮かべた。荒木今日子はこの日初めて、蜒�と目を合わせた。
「『 』今、口説かれてたりする?」
「口説きもするよ。誠意を見せる為ならね」
荒木今日子は蜒�から目を逸らして、また話を始める。表情には笑いを、声には自嘲を湛えていた。
「私と君が初めて会った日……君は、私の演技が切っ掛けで変わり始めたんだよね?実は『 』もなんだ。ずっと演じて、演じて、良い自分を見せる事だけを考えて来たのに、その演じる事ですら、君はあっさりと私を超えて行った。あの時、『 』は初めて自分の胸の穴に気付いたんだ」
ほんの少し、間が空く。ベンチの後ろを車が通り、そのライトで蜒�らの姿が浮き彫りになる。一呼吸置いた後、荒木今日子はまた話を始めた。
「天才っていうのはさ、きっと最初からできる人の事なんだと思う。そういう意味で、『 』は凡人だったからね。三歳頃から演劇はしてたから、努力したんだ。ここに至るまでの十四年と少し。皆私を褒め称えたし、皆私に拍手を贈った。だけど『 』はまだ足りない気がして、更に努力した。去年一年で、ようやく天才と呼ばれてる人達と並べるようになった気がしたんだ」
この辺りで、荒木今日子の呼吸はほんの少しだけ、意識してやっと気付く程度だけ乱れていた。蜒�は荒木今日子の目の前に立っている状態で、その話を聞き続ける。
「だけどさ、今年に入って君が来て、君を通してそのキャラクターを見た時、『ああ敵わない』と思ったんだ。君はそのキャラそのものになってた。そんな風に見えた。無理だったんだ。演じている時点で、努力している時点で、楽しい事を楽しいままやってる君に敵う筈も無かった」
空が明るくなり始めている。道を通る車も、段々と多くなって来る。遠く聞こえる電車の音に、蜒�は長い時間が過ぎている事を理解した。
「私を褒めてくれる人は居るけどさ、その素直な言葉も勝手に解釈して理解した気になって捻じ曲げちゃうんだ。『 』は嫌になっちゃったんだ。誰かは私を素直に褒めてくれるけどさ、誰かにその言葉を贈られる度に、『 』は打ちのめされたんだ。『自分は満たされていないのに、この子は他人にそんな言葉を贈れる余裕があるんだ』ってさ。褒められて嬉しかった。だけど、その言葉で打ちのめされるんだ。苦しくて苦しくて、それでも誰かにそう言うのは『理想』じゃなくて……それで……ずっと……」
膝の上で握り締められた荒木今日子の手の上に、一粒の透明な液体が落ちる。自嘲一色だった声に、僅かな涙と大きな後悔が滲む。荒木今日子は手でその目の周りを拭い、なんとか笑いを浮かべようとする声で弁解する。
「あれ?『 』……これ……違うんだよ。泣くつもりも無くて、笑顔で、キチンと、話をしようと思ってたんだけど……やっぱり駄目だね。一回止めちゃうと、その後は続けられないのかも……」
荒木今日子は、それ以上言葉と呼べる物を発さなかった。嗚咽混じりの音を発するその体を、蜒�はなるべく力を込めずに抱き締めた。少し、肩の布地が涙で濡れる感覚がした。
「うう……春樹君……」
「ごめん。幼少期に母にこうしてもらった時以外で、誰かに慰められて落ち着いた経験なんて無いんだ」
背中の方に回された手に、小さく、でも確かに力が込められる。荒木今日子の発する音は次第に大きくなり、蜒�の肩に顔が埋められる。
「理想を追うのは人の性。それを咎めるも妥協させるもしないけど、貴女は貴女が思ってる以上に、いやきっと、貴女を知る誰が思うよりも遥かに、頑張ってる人だ。弱音を吐いて然るべき人だ。泣いて然るべき人だ。貴女は蜒�が見て来た中で、一番綺麗な人だ」
泣き叫ぶその音が大きくなる。それに比例して、押し殺すように蜒�の肩に顔を埋めるその力と、耐えるように蜒�の背中に回された手に入る力が大きくなる。声と呼べるようになったその言葉に、僕は心底安堵した。
「皆嫌い!君も、クラスの皆も、俊介君も部長もお母さんも!皆大嫌い!『 』の事なんか少しも知らない癖に!『 』が好きな本も知らない癖に!『 』が嫌いな食べ物も知らない癖に!皆大嫌い……」
涙で声が潰れてしまう。その後の声は、声と呼ぶにはあまりにも不完全で、泣きたくなる程大きな感情に満ちていた。だけど、ここで泣くのは蜒�の役目じゃない。蜒�は荒木今日子に肩を貸したまま、ただ頷くだけだった。
建物の隙間から日の光が覗く。今日子さんの息が次第に整う。嗚咽が聞こえなくなる。�は今日子さんの背中を撫でて、「そろそろ帰りましょう」と言う。今日子さんは涙を流しながらも、今までとは決定的に何かが違う、それでも尚明るい笑顔で、「うん。そうだね」と答えた。
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