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人を生きる物語
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夏休み。家には誰も居ない。お陰で自由に生活できる。
ただ今日だけは、一つ予定がある。寝起きの頭を急いで起こし、出掛ける支度を始める。それも終わると、水着とタオル、その他の荷物を詰め込んだ鞄を持って、家の扉を開けた。
寝坊してしまったので急がなければ。少し小走りになりながら、待ち合わせの場所へ向かう。
待ち合わせ場所に着くと、思っていたよりも大分早く早く来てしまったらしく、そこに居たのは部長だけだった。部長はグラサンを掛けて浮き輪まで持って、準備万端といった様子だ。
「時間よりも早いな」
「一応早めにと思ってたんですけど、早過ぎでしたね」
「大丈夫だろう。早く来て悪い事と言えば、時間を持て余す事位だしな」
少し待つと、俊介さんが、そしてその後に今日子さんが着た。二人共、夏休みという事でかなりラフな格好をしている。でもお洒落なんだよな。なんでだろ。
「春樹君は早いね」
「部長はいつも通りですね」
「そうなんですか?」
「俺は待ち合わせには絶対遅れないぜ」
僕らは全員集まったが、部長が手配したという人はまだ来ていない。どういう事なのかと問い詰めようとした所で、部長が「あ、来たな」と言った。その視線の先にあったのは、何やら高級そうな黒塗りの車だった。その車の運転席の窓が開くと、この世の物とは思えない美形の男性が顔を出した。
「やあ葵。そっちが後輩くんか?」
「そうだ。ああ皆。この人達は俺の知り合いの……」
「八幡です。八幡凛太朗。よろしくお願いします」
僕らはその顔の美しさに息を飲んだが、直ぐに気を取り直して挨拶した。凛太朗さんは僕らを車に乗せると、直ぐに車を発進させた。
「部長。あの人、どういう人なんですか?」
「俺の知り合いで、ついでに友達だ」
「ねえ、連絡先って……」
「あの人恋人居るぞ」
「そんな……」
「今日子さん、そんながっかりしないで……」
落ち込む今日子さんを慰める俊介さんの横で、僕は部長の方を見ている。やっぱりこの人、人脈の広がりかたおかしいだろ。どうなってるんだ。どこかの芸能人だろうか。テレビで見た覚えは無いけど。
暫く車の中で待っていると、次第に海が見えて来た。凛太朗さんは駐車場で僕らを降ろすと、自分の分の水着も持って降りて来た。
「あれ?凛太朗さんも来るんだ?」
「君らを家に帰す役割も持ってますから。基本遠目に見てるだけなので、私にはお構いなく」
「ありがとうございます」
「友人の頼みですから、大丈夫ですよ」
僕らは海の家の更衣室で着替えてから合流する事になった。部長はアロハ柄のチャラい感じの物を、俊介さんと僕は柄の無いシンプルな物を着た。
「部長はなんでそんなチャラい奴ばっか着るんですか?」
「だってほら、俺、こういうの似合うじゃん?」
「俺達に聞かないでくださいよ。まあ似合いますけど」
少し待つと、普通にお洒落な水着を着て来た今日子さんも合流したので、僕らは早速、海へ繰り出す事にした。僕と俊介さんは、今年二度目である。
僕と俊介さんと部長の数少ない共通点。いやまあ少なくはないかも知れないが、そんな事はどうでも良い。それは、『全員負けず嫌いである事』だ。海に体を慣らした後、僕らは誰が一番長く海も潜れるかや、誰が一番遠くまで泳げるかで勝負を始めた。今日子さんも最初は参加しようとしていたが、どうやら泳げないらしく、直ぐに止められた。今は浜辺で砂の城を作っている。「超大作作ってやる」と言っていた。楽しみだ。
「負けたー!」
「春樹君強すぎない!?」
「これでも昔、水泳習ってたんですよ」
どうやら僕は、この中では比較的泳げる方らしく、慣れない海ではあるが、俊介さんと部長よりかは長く、そして早く泳げた。詰まる所、ほぼ勝ち確定である。
「最後に賭けないか?一番最初にあの岩まで泳ぎ切ったら勝ちで、残った二人はソイツに昼飯奢るってルールだ」
「良いですよ。今回ばっかりは負ける気もしませんし」
「春樹君、言うようになったねえ」
僕らは、目標の岩までの距離が全員同じ位になる場所に集まってから、部長の合図で一斉にスタートした。少しの間、僕らは全員横に並んでいたが、最初に部長、次に俊介さんが減速して、僕が先頭に立った。そしてそのまま、岩まで泳ぎ切る。
自分の手が岩に着いた後、僕はその場所に留まって、二人共岩にタッチするのを待った。少し経って、二人が岩にタッチした時には、全員が少しだけ息が切れていた。
「僕の勝ちですね。約束通り、昼は奢ってください」
「くっ……二つ年下に負けるなんて……」
「大人げ無いですよ部長。もう直ぐ成人なんですから、もっと寛大な心を持ちましょう」
「まだ二週間ある!まだ二週間ある!」
二週間はかなり短いと思うけどな。まあ良いか。奢ってはくれるみたいだし。高いのにして苦しめてやろうか、それとも安いのにしてあげようか……悩む。
僕らはその後も、勝負と言う名目のじゃれ合いを続け、日が真上に昇った頃、昼食を買う為に、海から上がった。今日子さんは宣言通り、とんでもない大きさと精巧さの砂の城を作っていた。
「おお……今日子君、まさかこの手のプロだったとは……」
「ノイシュバンシュタイン城です」
「の……え?」
「ノイシュバンシュタイン城。確か、シンデレラ城のモデルと言われてた奴ですね」
どこかで見覚えがある雰囲気だと思ったら、テレビだったり旅行雑誌だったりで何度か見た奴なんだ。ていうか本当に細かいな。どうやって作ったんだコレ。素手だよな?素手で作ったんだよな?おかしいだろこんなの。
「さ、昼食買いに行きますか」
「ノイシュバンシュタイン城崩されちゃうかもだからヤダ」
「じゃあ、俺と俊介君と春樹君で買いに行くか。良いよな?」
「なんで俺も……良いですけどね?」
僕らは海の家へ向かい、自分達の昼食を買う。
「何にする?俺は焼きそばにするぞ」
「俺も焼きそばですかね」
「じゃ、僕は部長に焼きそば奢ってもらいますかね。俊介さんはかき氷をお願いします」
海の家のご飯って、なんでこうも高いんだろ。まあ、奢りを賭けのチップにしたのは向こうだし、罪悪感は無い。うん。感じなくて良い。因みに、今日子さんは何が良いかを聞いていなかった僕らは、取り敢えず焼きそばを買って行く事にした。
「ま、文句言われる筋合い無いよな」
「ギリギリあると思いますよ」
「右に同意」
「……マジで?」
砂のノイシュバンシュタイン城が見えて来た辺りで、僕らは目を見張った。なんと今日子さんが、部長に似た服装で金髪の、いかにも柄の悪そうなお兄さん二人にナンパされているのだ。
「おお……マジでこんなのあるんですね」
「今日子さん顔良いですもんね」
「作業中だったろうし、さっさと合流ついでに追い払うぞ」
確かに、足元に何やら砂の山が見える。もしや、もう一つ城を作る気だったのか?とんでもない人だな。多分、邪魔されて不快なのだろう。何となく表情に出てる。
しかし、僕らの心配はどうやら不要だったらしい。何故なら、忘れられないような顔の男性、要するに凛太朗さんが、今日子さんとお兄さん二人の間に割って入ったからだ。凛太朗さんはお兄さん二人に何か話した末に、お兄さん二人を撤退させて行った。
「部長。あの人顔だけじゃなくて性格も良いんですか?」
「ああ。モテる。何故ならああだから」
「答えになってないですよ」
僕らに気が付くと、凛太朗さんは元々居た方へ戻って行った。人の影に隠れて、その姿は直ぐに見えなくなる。僕らは今日子さんの方に向かって歩いて行った。
「あ、遅かったね?」
「すまんな。ちょっと見物してた」
「それさ、堂々と言う事じゃないよ?」
どうやら今日子さんも焼きそばで良かったらしく、僕らは仲良く、プラスチックのパックに入れられた焼きそばを啜った。うん。旨い。
「こういう風に食べるご飯って、妙に美味しいですよね」
「分かる」
「こういう経験は学生の内にしておかないとだな」
「部長もそういう事言えるような年じゃないでしょ?」
俊介さんにそうツッコまれた部長は、「まあ……ははっ」と言って誤魔化した。まあ、誤魔化せてたかと言われればそうでもないんだけど。本当にどういう立ち位置から言った言葉だったんだろうか。
考えてみれば、僕は部長はどういう人なのかをよく知らないな。今日子さんも以前の俊介さんもそうだが、それ以上に底が見えないと言うか、何と言うべきだろうか。何と表現しても間違いな気がする。兎に角、好みとか外見みたいな、そういう表面的な事しか知らない。だからだろうか。よく分からないのは。
「ま、こんなモンか。さ、午後は何で勝負する?」
「皆で砂のお城作る!?」
「俺達の誰が手伝っても、多分足手纏いでしょうよ」
「今日子さんも海入ればどうですか?部長が浮き輪持って来てましたし」
「泳げないのもそうだけど、やっぱり怖いよ」
困ったような顔で、今日子さんはそう答えた。まあ、そう言うなら無理強いはしない。僕らは再び海に向かって走り出した。因みに、記念すべき今日子さんの二つ目の作品は、なんと安土城だった。うん。共通点が見当たらない。
午後も遊び終わった僕らは、凛太朗さんの車で帰る事になった。遊び疲れた僕らは、帰りの車の中でぐったりとしている。
「寝てても良いですよ?学校に着いたら起こしますから」
「いや、僕は大丈夫です」
「俺も大丈夫です」
「俺はその言葉に甘えるわ……おやすみ」
そう言って、部長はスイッチが切れたように寝た。あまりにも自然に眠りに入る物だから、最初は目を閉じただけかと思った。僕は眠くなかった。体中が疲れて思いが、眠気は感じなかった。
帰り道。ふと窓を見ると、丁度夕日が海に沈む所が見られた。オレンジ色の光が海に反射し、視界に入る全ての人影が伸びる。とても綺麗で、面白い。
面白い?なんで僕は面白いと感じているんだろう。考えてみれば、僕は自分の事をよく知らない。どういう物を面白いと感じるのかが分からない。これはいけない。就職なんかで重要なのは『自己分析』だと聞く。自分に関して知る事は、僕にとってコレ以上無い急務だ。
この後、僕は自分の事を考える事に時間を使い過ぎたらしく、凛太朗さんの車が学校に着いて、いつの間にか寝ていた三人を起こす声が運転席から聞こえるまで、僕はずっと、窓の外を眺めていた。
「ほら、三人共起きてください。着きましたよ」
「うう……あれ?私寝てた?」「着いたか」「頭がぼーっとする……」
「ほら部長、俊介さん、今日子さんも。起きてください」
三人は、寝起きで上手く動かない頭をなんとか動かして、凛太朗さんの車から降りた。そのゆっくりとした動きと雰囲気が、どこかのゾンビ映画を思い出させた為、僕は思わず笑ってしまった。
「「「ありがとうございました」」」
「いえいえ。葵、また何かあれば呼んでくれ」
「ああ。冬にまた頼む事になるだろうからな」
僕らのお礼と部長の意味深な発現を聞いた凛太朗さんは、車の窓を閉じ、そのまま帰って行った。周囲は少し暗くなっており、そろそろ帰るべきだという事を僕らに告げている。
僕らはいつもの道を通って、それぞれの家へと帰る事にした。疲れ果てた僕らは、一歩進めるのも苦痛に感じた。
「疲れたな~」
「でも楽しかったですよ。部長、ありがとうございます」
「私も砂のお城二つ作れて楽しかった!」
「今日子さんはあんな物をどうやって作ったんだ……」
「俊介君。お城は浪漫なんだよ」
「答えになってないぞ今日子君」
暗くなった空の下を歩く僕らの顔は、疲れてはいたが、それでも明るくなっている。楽しかったという実感が、自然とそうさせている。僕は胸が躍るような感覚を持ちながら、帰路についた。
こうして、僕らの夏休みが幕を開けた。
二週間目。僕はヒッキーと一緒に、部長をつけ回している。だが誤解しないでほしいのは、始めからこういうつもりで出掛けて来た訳ではないという事だ。
今日、僕はヒッキーと一緒にゲームセンターへ行く予定だったのだ。ところが、待ち合わせ場所に来た僕に、一通のメッセージが届いたのだ。なんでも、部長が一人で人気の無い所を歩いていると言うではないか。
『合流しよう』というメッセージに、僕は『勿論』と返した。ヒッキーと合流した僕は、早速部長の尾行を始めたという事だ。
「どこに行くんだ?」
「夏休みだしな~……駄目だ暑くて頭動かん」
「いつもの事でしょ?」
「なんだとハルてめえこの野郎」
しかし、本当にどこに行くんだろう。この先は確か田んぼで、俊介さんの時とは違って、本当に何も無い筈だ。なのに部長は、ずっとこの道を進んで行っている。何がしたいんだろう。本当に分からない。
部長はそのまま、田んぼの方へ出た。これでは追い掛けるのも無理だ。隠れる場所が無い。
「どうするんだ?」
「僕に考えがある。僕らには文明の利器があるんだ」
僕はスマホを取り出して、部長に『今何してます?』とメッセージを送る。直ぐに既読が付き、『暇してる』と返事が返って来る。
『出掛けたりしないんですか?』
『今は家』
『いつも外に出てるイメージがあるんですけど』
『用も無く外に出ない』
僕はヒッキーと顔を見合わせる。なんで嘘を吐くんだろう。僕らに言えない事情でもあるんだろうか。
『何か用?』
『一緒に遊びませんか?』
『すまんが無理』
『なんでですか?』
『気分じゃない』
益々怪しい。なんでこんな嘘を吐くんだろう。出掛けてるのにそれを隠すし、用がある筈なのにそれも言わない。不自然この上無い。
「どうする?」
「ここから尾行は無理だな……葵先輩の知り合いに聞けないか?」
「それなら……一人心当たりがあるかも」
凛太朗さんはどこに住んでるのかも知らないから無理だけど、最初に演劇部の皆で出掛けた時に会った、五朗さんなら大丈夫だろう。何やら親し気な様子だったし、あの人なら今どこに居るかも分かる。僕らは早速バスに乗り、五朗さんが居る筈の公園へ向かう。
「どこに居るんだ?その五朗さんって」
「たしかこの公園に……ああ居た居た」
公園のベンチに見慣れた人影が見えたので、僕はその人影に声を掛ける。その人は僕の方を見ると、「確か君は……葵君と一緒に居た」と言った。どうやら、覚えていてはくれたようだ。
「そっちは?」
「友人の響輝君ですよ」
「初めましてっす。竹田響輝っす」
ヒッキーを見た五朗さんは、「元気な若者だな」と言って笑った。やっぱり、陽気で気さくな人だな。関わり易いと言うか。
「で、何の用事かな?」
「葵さんについて聞きたい事があって来たんです」
「あの子に関して?」
僕は五朗さんに、今までにあった事と、葵さんについて知りたいという事を話した。だが、五朗さんは頭を悩ませている。関わりが深いと思っていたが、存外そうでもないらしい。
「スマンが、俺の方から教えられる事は無いな。あの子について知ってる事なんて、食べ物の好き嫌いとか好きな事程度だ」
「じゃあ、それを教えてください」
五朗さんは少し驚いたような顔で、僕の方を見た。まるで、目の前に何か、信じられないような物があるような顔だ。確か母が僕を叱っている時のような顔だ。後ろを見ると、ヒッキーまで似たような顔をしている。
僕は何か、おかしい事でも言っただろうか。誰か知りたい人の事について、自分よりもその人について詳しい人に聞くのは普通の事だ。文脈もおかしい所は無い筈だ。部長について知りたいから教えてくれという話だった筈だ。それなら、食べ物の好き嫌いや好きな事を聞くのも変な事ではない。
「君……葵君が何をしているのかを知りたいんじゃないのか?」
「そうですね。でもそれは通過点で、僕は高橋葵という人間が知りたいんですよ」
それから、五朗さんは葵さんについて話し始めた。好き嫌いは少ない事、洋食よりも和食が好きな事、貝類は苦手な事、そして、同年代との関わりが極端に少ない事。
「え?あの人友達多そうな印象なんすけど」
「そうだな。友人が多いのは確かだ。だが俺は、あの子が同年代の子供の話をしている所を見た事が無い。自分よりも年上の、大人の友達の話はするのに……だ。あの子自身も、同年代の子供との関わりを持とうとしていないようだった。以前君達とここに来た時、俺は最初、夢でも見てるんじゃないかと疑ったよ」
ふむ。考えてみれば、部長が学校で誰かと一緒に居るのを見た事が無い。居たとしても、その友達についての話はしていない。
「まあ、ありがとうございました。面白い話が聞けました」
「これ位なら何でもない。また来ると良いよ」
「あざっした。今度来る時はお土産でも持って来るっす」
同年代の友人が少ないか。面白い事が聞けたな。話も面白く、顔も良く、察しが悪い訳でも話が長い訳でもない。モテるタイプだし、友達が作れるタイプだ。事実、同年代ではないというだけで、友人は多いらしい。
何故だろう。同年代が気が合わないという事なら、僕と俊介さん、今日子さんとだけ気が合う事がおかしい。そもそも、結構普通の若者だ。これは無いな。かと言って、今日のように不可解な行動をしたのが原因というのも考え辛い。誰かに言ってから来ている訳でも、人通りが多い場所を歩いている訳でもない。本当に分からない。
「結局何だったんだろうなー」
「今日の行動についてもそうだけど、僕は部長についての事が何より不可解だな」
いっその事、本人に聞いてみようか。丁度一緒に遊びに行く予定がある。良いタイミングを見計らって、今日何をしていたのか、何故同年代と関わろうとしないのかを聞いてみよう。
家に帰るが、そこには誰も居ない。嫌いな両親も、大好きな友人達も、誰も居ない。安堵と落胆を抱えた状態で、風呂を沸かすボタンを押す。
自分の部屋に入り、一冊の小説を取ってから一階に向かう。クーラーを点け、小説を開き、風呂が沸くまでの時間を潰す。そこそこ歩いたが、そこまで疲れてもいない。あまり空腹も感じないのは夏バテだろうか。
小説が名場面の所に差し掛る。臆病な主人公がヒロインに告白する、この小説を代表するシーンだ。しかし、何も感じない。普通は泣いたり、感動したりする場面なのに。おかしいな。本当におかしい。なんで僕は何も感じないんだろう。なんで私は何も感じないんだろう。なんで俺は何も感じないんだろう。なんで、なんで、なんで……
なんで『 』は、何も感じていないんだろう。
夏休み二週間目。昨日の夕食を抜いたせいか、僕は若干の空腹を感じている。それでも僕は炎天下を歩き、待ち合わせ場所まで進む。
「おはよう春樹君」
「おはようございます」
待ち合わせ場所に居たのは俊介さんだけで、部長と今日子さんはまだ来ていないようだ。僕らは少し話して、時間を潰す。
暫くすると、やつれた様子の部長と、夏なのに元気そうな今日子さんが来た。正反対の二人の様子が、それぞれの様子をより印象的にしている。
「おはよう二人共……」
「夏バテですか?」
「ああ……俊介君も春樹君も気を付けるんだぞ……」
「あはは。部長は大袈裟なんだから~」
今日子さんは笑いながら、部長の頬を突く。止めて差し上げろ。凄い顔色になってるから。下手したら上向いた状態でゲロっちゃうから。目も当てられない状態になっちゃうから。
「さて、どこに行くんですか?」
「今回は私プレゼンツだからね。私が案内するよ」
「ほら部長、行きますよ」
「俊介君よ。何故創世の神はこのような季節を創造したのだろう」
部長が死んでしまわない内にさっさと行こうという事になった僕らは、最寄りの駅から電車に乗り込んだ。部長は俊介さんが買って来た水を飲んで、電車の中の冷たい空気を吸ったからか、少しは元気を取り戻した様子だ。
「電車で行く程度には遠いんですか?」
「そうだね。ここら辺美味しいお店少ないし」
「コンビニスイーツ位かもな。ここらで美味しいスイーツは」
「それは流石に舐めすぎ……って言えるレベルじゃないんだよな」
俊介さんは遠い目をしている。最近のコンビニお菓子はそんなに美味しいのか。今度食べてみようかな。
僕らは暫く電車に揺られた後、電車を降り、近くにあるというアイス屋へ向かう。因みに、目的地に着くまでの間で、部長はすっかりバテてしまい、しきりに「まだなのか……」と呟いていた。
そして、目当てのアイス屋に着いた僕らは、開店直ぐに来た筈なのに並ぶ長蛇の列に驚く。相当人気なのが伺える。これは中々期待できそうな店だ。
だが、今日子さんは僕らと見ている所が違った。今日子さんは少し考える素振りをした後、僕の腕を掴んだ。
「さ、着替えようか」
「……え?」
うん。何を言っているんだろうか。そこそこ目がキマっていて怖いんだが。僕は腕を放させようとするが、僕が思っているよりかは力があった今日子さんの腕を、僕は振り解けなかった。
「汗はかいてますけど、着替える程じゃないですよ?」
「ルックアットあの看板」
今日子さんが指差した先には、恐らく僕らの腰程度の大きさの看板が立てられており、そこには、今日子さんの目がキマっている理由が書いてあった。
『カップル割半額』
「さて、並んでますし、この店は止めておきますか」
「許されると思ってる?」
僕はその後も抵抗したが、奮闘虚しく、近くのコンビニのトイレに連れて来られてしまった。そして今日子さんは、僕に袋を渡して来た。
「何ですか……とは言いませんよ」
「準備の良い先輩を褒めてくれて構わないよ」
「化粧はどうするんですか?流石にそのままだと男だってバレるでしょう?」
「部長」
「仰せのままに」
おい部長。さっきまでバテてぐったりしていただろうが。なんだその速さと準備の良さ。おかしいだろうが。なんでそんなに目を輝かせてるんだよ。そう言えば僕に女装させたの、アンタが最初だったな。だからか?だからそんなに元気なのか?
「まあ春樹君。これも予行練習だと考えるんだな。大丈夫だ心配要らない。俺の化粧の技術で、君を絶世の美少女にしてやる」
「望んでないんですが」
しかし、これは案外丁度良い。二人きりになれるのだから、以前の事や同年代との関わりが薄い事に関して聞くのも簡単だろう。まあ、それは向こうに答える気がある時の話だが。
部長は僕に服を着させ、化粧をさせる。僕は頃合いを見計らって、自分が知りたい事の話を切り出す。
「部長、この間連絡した時、本当は外出してましたよね?」
「……俊介君の時と言い、君と君の友達は、本当に人の後を尾行するのが好きなんだな」
「何してたんですか?」
「ただの散歩さ。ああいう何も無い光景は、自然と心が落ち着くんだ」
「じゃあ、なんで同年代の友人が少ないんですか?」
部長は一拍間を置いた後、「吉田さんだな?」と聞く。僕が頷くと、難しい顔をして、首を様々な方向へ捻る。どうやらそこまで言いたくないらしい。部長は一度頷いてから、また僕の化粧を始めた。
「言いたくないんですか?」
「まあ、話せば長くなるからな。隠している訳ではないから、今日帰る時、俺の家に来てくれ」
そう話している内に、部長の化粧は終わっていた。どんな出来なのか気になった僕が鏡を見ると、そこには見知らぬ美少女が居た。
「これが……私?」
「何言ってるんだ?」
「言いたかっただけです。にしても凄いですね。これで飯食えるんじゃないですか?」
「それも良いかもな。ま、今の俺にそのつもりは無いが」
僕らはコンビニを出て、今日子さんと俊介さんと合流する。どうやら二人も、僕がここまで変わるとは思っていなかったらしく、口を大きく開けて、目を見開いている。
「誰?」
「酷くないですか俊介さん」
「私よりもかわいい……」
「そりゃ俺がメイクしたんだから当然だぞ」
さて。これでカップル割も使えるし、今日子さんも満足してくれるだろう。さっさと食べて、さっさと着替えよう。このままじゃ羞恥心で頭がおかしくなる。
「あ、春樹君には今日一日そのままでいてもらうから。女声も出してね」
「死刑宣告と同義ですね」
気が遠くなったのは、きっと暑さのせいだけではない筈だ。まあこれも練習だ。頑張ろう。私達は少し列に並んでから、クーラーが効いた屋内へ入った。
「おお。これは中々美味しそうだ。なあ、ハル子ちゃん?」
「堂々とそういう事を言い続ける気ならひっぱたきますよ」
「まあまあ春樹君。落ち着いて。かわいい顔が台無しだよ」
「今日子さん。それ誉め言葉になってないですよ。止めましょう?」
それぞれが食べたい物を注文し、暫く待つと、私達の目の前に派手で豪華な、所謂『インスタ映えする』感じのアイスが置かれた。私達はそれを、スプーンで掬って口へ運ぶ。冷たい感触と甘みが口に広がり、外の暑さと息苦しさを忘れさせてくれるようだった。
全員が食べ終わると、いよいよ会計……つまり、その時が訪れる。私達はレジの前に横一列に並び、堂々と宣言する。
「「「「カップルです」」」」
「ではカップルの証明の為、キスをしてください」
うん。まさかここまでテンプレみたいな事を言われるとは思わなかった。SNSに投稿されている漫画みたいだ。本当にこんな事言われる物なんだ。いやしかし、私達は偽物のカップルな訳だし、これは無理だな。ここは諦めて帰るしか……
そう思った私は、隣に居た部長に顎を掴まれ、唇を重ねられた。頭の中が真っ白になり、何が起こったのかを必死に理解しようとする。部長の唇が離れると、私は俊介さんと今日子さんの方を見る。二人は何でもない顔をして、店員の方を見ている。
「これで良いですか?」
そう聞いたのは部長だった。店員は「はい」と答え、粛々と自分の仕事を済ます。マジかこの人。凄いな。職人気質って奴だろうか。
店を出た後、僕は部長の背中を叩いた。それはもう思いっ切り。ついでに沢山。あと色んな感情を込めて。
「ははは。そんなに叩かなくても良くないか?」
「そんな事はありません。僕はさっき、何か凄い後ろめたさを覚えました」
「大丈夫。この世の中同性カップルとか居るから」
「そういう問題じゃないですよね?」
「はっはっは。じゃ、次の店はどこなのかな?」
こんな感じで、僕は今日一日、女装に女声で過ごす事になった。苦痛という程でもないが、少しの羞恥心を感じたのは、多分僕の感覚が正常だからだろう。
帰り道。僕らは電車の中で、罪悪感と幸福感の余韻を同時に味わっていた。
「美味しかったね~」
「楽しかったな。それに、春樹君の良い場面も見れたし」
「部長の腕がまさかここまでとは思いませんでしたよ」
「一度位疑ってくれても良かったのに……」
まさか一度も疑われないとは思わなかった。一度位は疑われると思ってたのに。いや確かに女子と言われて違和感が無い外見に仕上がってたけども!なんなら美少女に仕上がってたけども!
因みに、女装している間の僕は、部長の彼女という事になっていたらしい。発案は今日子さん。解せぬ。
「もし僕が女性だったら、俊介さんが彼氏だった方が嬉しいですね」
「おうそれどういう意味なのか聞かせろ」
「これが人徳の差ですよ部長」
「まあまあ部長落ち着いて」
僕らの家の最寄り駅に着くと、僕らはいつもと同じ道で、途中まで一緒に帰る。しかし今回は、僕は部長の家に寄る事になっている。僕は途中で俊介さんと今日子さんに別れを告げて、部長の家に向かう。
「綺麗な家ですね」
「二年前に建った家なんだ。さ、入れ」
部長の家の中は、慎ましい内装と落ち着いた色の家具で飾られており、家族は全員外出しているのか、とても静かな室内は、いつもの部長の印象とはかけ離れた印象を与える。物が少ない訳ではないが、無駄な装飾が施された物は一つとして無い。
「ほら、麦茶」
「ああ、ありがとうございます」
麦茶を一口飲んだ時、僕は自分の喉が渇いていた事に気が付いた。部長は部屋の電気を点けないまま、僕の前に座って話し始めた。
「俺が同年代の奴等とつるまない理由だったな。単に、全ての年代の人間と同じ程度につるんでるだけだ。意識して少なくしてる訳でもない」
「じゃあ、なんでそうしてるんですか?」
「そこだ。俺が今話すのは。俺が好きなのは、人間らしい人間そのものなんだ」
部長はそう言った後、麦茶を一口飲んだ。やがて部長は、何か尊い、美しい物を見つめるような、慈しむような目で話し始めた。
「理由は俺でも分からん。だがまあ、俺の人間性がそうだったんだろうな。いつの間にか、人という物が愛しくなってたんだ。人が最も人らしい瞬間はいつだと思う?俺は、何か罪を犯している時だと思うんだ。ああ罪っつっても、法に違反しているって意味じゃない。『七つの大罪』ってあるだろ?あれみたいな、人を腐らせる、人の自意識の根底にある罪の事だ」
部屋の外はオレンジ色に染まっている。僕は出されたお茶を少しずつ飲みながら、その話を聞き続ける。部長の手振りは次第に大きく、力強くなる。
「例えば、『自分一人でどうとでもなる』みたいな傲慢さは、人間だからこそ持てる感覚だ。例えば、『あの人ならやってくれるだろう』という怠惰は、人間だからこそ持てる感覚だ例えば、『あの人は凄い人だ』みたいな嫉妬は、人間だからこそ持てる感覚だ。そういう部分が、人間らしいんだ。俺はな春樹君、運命という物を信じてるんだ。どんな快楽を貪って、どんな罪を犯して、どんな奴と出会うのか……それらは全部、神様とでも言うべき何かに決められてるんだ。俺達はそれに沿って、自分の意思で行動している。その中で、生命は必ず一つの目的を達成しようとする」
部長の解釈は最もだと感じた。人という芸術作品を、僕が知る誰よりも深く理解している。部長の目は、今までのどの瞬間よりも、鮮烈に輝いている。
「快楽を貪る事は、生命に課せられた至上命題だ。飯を食って、セックスして、寝て、また飯を食って、セックスして、寝る。現代における快楽は、これら原始的な物だけではないんだろう。だが、人間に限らない万物の生命が生きる目的は、間違い無く快楽を貪る事だ。俺が感じる至上の快楽はな、罪を犯した人間を見る事なんだ。手を貸さない。道を塞がない。何もしない。ただ見るだけだ。俺が全ての年代の人間と同じ程度に関わる理由は、自然とそうなってただけで、俺が作為的に選んだ訳じゃない。俺が関わっている人間は、俺が面白いと感じる、人としてあるまじき罪を持っている」
部長の声は明らかに高揚していた。部長は自分を落ち着かせるように麦茶を一口飲む。その間に、僕も一つの言葉を掛ける。
「僕にもですか?」
「ああ」
「それは何ですか?」
「言っただろう?俺は手を貸さない。今回家に招いたのは……君が一番、俺と似ているからだな」
心外だ。僕は部長みたいなチャラい感じの人間じゃない。僕が不機嫌そうな顔をすると、部長は愉快そうに腹を抱えて笑った。一頻り笑い終わった部長は、僕に向かって堂々と宣言した。
「ついでだ。メイクのやり方と落とし方、そして女物の服の着方、そして今後の予定について話そう」
メイクのアレコレと女物の服の着こなし方を簡単に教わった上、それらを纏めたノートを受け取った僕は、来週の夏休みに皆で行く事を明かされた。一緒に行きたい友人が居たら、連れて来ても良いとの事だった。ヒッキー連れて行こう。
『 』以外誰も居ない家の鍵を閉める。外はもう日暮れも過ぎて、次第に暗くなるだろう。『 』はソファに寝転がり、天井を見上げる。
「何をしてるんだろう」
誰に言うでもなく、そう呟いた。楽しんで、頑張って、張り切って、何をしたいんだろう。『 』はソファから起き上がって、夕食の支度を始める。誰も家に居ないのは良いけど、こういう所で手間が掛かるのは難点だな。まあ、どうせ近々一人暮らしを始めるのだ。予行練習だと思おう。
予行練習と言えば、今日の春樹君は面白かったな。まさかあそこまで頑張るとは思わなかった。キャラもしっかり作って、本物の女子みたいだった。思わず笑いがこみ上げたので、『 』は信じられなくて口を押さえた。
自然に笑えそうになったのなんて、いつぶりだろうか。楽しいは楽しいが、なんでか自然には笑えない。まあ、仕方の無い事なんだろう。こんな家庭だしな。夏休みはいつもこうだ。お陰で自分勝手にできる
自分で作った夕食を前に、『 』は「いただきます」と小さく呟いてから、それを口に運び始める。夏バテのせいで、やはり食欲が湧かない。『 』はそれを無理矢理口に入れ、腹に詰める。喉を押し通る異物感を押し殺して、食事を終える。
『 』は身体を包む不快感に耐えられず、クーラーの温度を更に下げる。そして、次の予定を頭の中で反芻しながら、次はどんな事をしようかを考え始める。拭いきれぬ不快感から、頭の中が纏まらない。風呂に入ろうか。そうすれば何とかなるかもしれない。
風呂に入った後、『 』は自分の部屋に戻り、布団の中に潜り込む。寝てしまおう。あまり嫌な事を考えなくて済むように。『 』は目を閉じ、呼吸を整えて、一刻も早く眠れるよう祈った。
そんな生活を続けていると、日々は思っている以上に早く過ぎ去る。僕らは演劇部の皆とヒッキーを合わせたメンバーで、夏祭りに来ていた。
「響輝君射的上手いんだな」
「幼少期から鍛えてたお陰で出禁寸前ですよ」
「射的下手な私が言うのもアレだけどさ、それ誇れる事じゃないよね?」
「思いの外直ぐ馴染んだな、彼」
「ヒッキーは人と関わるのが上手いですからね」
ヒッキーは射的の店で、いくつかの景品を獲得している。既にお菓子やらフィギュアやらを抱えているのにだ。一体いくつ獲るつもりなんだろう。因みに僕は、ガムを一個取って終わった。悔しい。
僕らは所狭しと立ち並ぶ出店を回りながら、たった三日しか無い祭を楽しむ。既に輪投げや射的を出禁になっている部長と俊介さんは、僕とヒッキーと今日子さんが遊んでいるのを眺めながら、屋台で買ったから揚げやら焼きそばやらを食べる。なんか保護者っぽい感じがする。面白い。
「お!シュンにハル、それにヒッキーじゃねえか!」
不意に聞こえたその声に、僕とヒッキー、俊介さんは聞き覚えがあった。声がした方を向くと、そこには政宗さんを始めとした、懐かしい不良集団が並んでいた。
「お?そっちは初めましてだな」
「高橋葵だ。よろしく」
「今日子だよ。よろしく」
「俺は政宗。シュンとハルとヒッキーの友人だ。よろしく」
政宗さんはそう言って、部長と今日子さんと握手した。やっぱり人と関わるのを躊躇しない人だ。部長は政宗さんの手を握った状態で、愉快そうに顔を綻ばせる。
「一緒に来るか?俊介君の友人なら駄目な理由も無い」
「いや、今回はこいつらも居るしな。迷惑だろ。それに、そっちはそっちで楽しんだ方が良い」
そう言って、政宗さん達は人込みの中に消えて行った。部長は「気持ちの良い人間だったな」と言って、その背中を見送った。その言葉は、相手を観察している人間の感情が込められていた。
あれ以来、ずっと考えている。部長が言う、僕の『罪』とは何だろう。僕が思うに、それは『自分の事が分からない』という怠惰だ。僕は自分で思っていた以上に、自分について無関心だったようで、この答えさえ合っているのか分からない。それを『怠惰である』と断じるのは、多分僕だけじゃない筈だ。
なら後はどうするか。徹底的に、自分が楽しいとか退屈とか感じる物を体験し尽くす。そうすれば、自分の事が今よりも分かる筈だ。やってみるに越した事は無い。退屈でも何でも良い。何かを感じる物を体験する。それだけで良い。少なくとも今は、それだけで。
「お、そろそろ花火の時間だな。移動するか」
「でもこの時間、どこも良い場所は取られてるでしょ?」
「先に場所取っとくんでしたね部長。まあ、人に押されながら見る花火も悪くないんじゃないですか?」
ふむ。僕とヒッキーはそうでも無いんだけどな。さてどうしよう。僕はヒッキーの方をちらりと見て、軽くアイコンタクトをする。ヒッキーは僕に向かって、一つウィンクをする。ヒッキーは「それなら、良い所がありますよ」と声を掛けた。
「ん?良い所?」
「はい。俺とハルが昔から行ってる所なんですけど、毎年誰も居ないんですよ」
「近いの?」
「そりゃ勿論」
この祭りの目玉は、二日目の夜にある花火だ。特別大きい訳でも有名な訳でもないが、来たなら見るべき物だ。僕とヒッキーはこれを見る為、幼少期からここら一帯の地図を見ていた。そして、一つの場所を見つけたのだ。ヒッキーと僕は人を掻き分けながら、その場所へ向かう。
そこは、とうの昔に廃れた神社だ。不気味がって誰も近寄らないのか、そもそも知られていないのかは知らないが、お陰で僕らは、誰に邪魔されるでもなく花火を鑑賞できる。この神社の神様には感謝しよう。ありがたや。
「へえ。こんな所もあるんだこの町」
「知らなかったな……部長は知ってましたか?」
「いや、ここがある事は知ってたが、ここにある事は知らなかった」
「さ、もうすぐ始まりますよ」
僕らは石段の上に座って、花火を見る。赤、青、緑、黄……その他様々な色の光で描かれた大小様々な花は、暗い夏の空を明るく照らす。この時だけは、暮らしの光が目立たない。火薬が弾ける音と共に空に咲く花は、この町の夏を明るく、鮮やかに彩って行く。
花火も終わり、空に残るのが煙だけになった後、部長は神社のお社に、一パック分の焼きそばを置いた。
「葵さんは何をやってるんですか?」
「お供え物だ。お前達も何か備えた方が良い」
「まあ確かに、今までも助かってましたしね」
「から揚げで良いかな」
「そもそも食べ物で良いんだろうか……俺はたこ焼きにします」
僕らは一人一つ食べ物をお供えした後、それぞれの家へ帰る事にした。すっかり暗くなった道には街灯が点き、僕らの顔を照らしている。
「楽しかったですね」
「そうだな。久し振りに、あんなに落ち着いて花火を見れた」
「部長は好きですもんね。花火」
「綺麗だしね」
部長は「まあな」と言って、買っていたべっこう飴を一口齧る。
沈黙が流れる。だが、自然と気まずくはなかった。僕らはそれぞれの家に行く分かれ道で、別れの挨拶をして、それぞれの道へ進む。僕は最後だった。ヒッキーと別れる前に、僕は「どうだった?」と聞く。
「最高だった」
「それは良かった」
ヒッキーは「じゃ、またな」と言って、自分の家へ向かって行った。
家に入る。なんでか外よりも暑く感じる。『 』はリビングの電気を点け、エアコンの電源を入れる。そしてソファに体を投げ、脱力する。疲れたけど、楽しかった。誰に邪魔される事も無い娯楽というのは、何にも代えられない思い出を作ってくれる。
自然と口角が上がる。信じられないような心地だが、不思議と悪い気はしない。自分の中の何かが変わって行く。良い方向に。無理の無い程度の速度で。それは何よりも良い事で、嬉しい事だ。
『 』は体を起こして、お風呂場に向かう。服を脱ぐと、意図せずとも体が鏡に映る。そこに映るのは、少女でも少年でもない、ただの化物の姿だ。いつからこうなってしまったのだろう。きっと今のように、気付かない程度の速度でこうなって行ったのだろう。込み上げる不快感を腹の奥底に押し殺し、お風呂場へ入る。体の疲れが流されるようだが、この体を動かすのを邪魔する倦怠感は無くならない。
脱力する。脱力する。体の骨まで湯に浸し、この体にある邪魔な物を全て洗い流す。何かしなければ。何もできないのに?僕は何もできないのに?私なら何かできるんだろうか。俺なら何かできるだろう。だけど、『 』には何もできない。
退屈だ。そう感じるのは簡単で、とても罪深い事だ。体の隅々まで洗った後、『 』は風呂場から上がり、体を拭いて、髪を乾かして、服を着た。リビングに戻った『 』は小説を開き、自分の好きなキャラの台詞を呟く。
「『誰よりも人らしい貴方が、私は堪らなく愛おしいのです。』」
私の愛は、きっと『 』には届かないのだろう。『 』はとても、人らしいとは言えない人間だからだ。『 』は小説を一通り読み終わると、それを宙に投げ捨て、ソファに寝転がる。相当疲労が溜まっていたのだろう。『 』の意識は、思っていたよりも早く遠のいた。
夜中に目が覚めた。ソファから体を起こした僕は、何をするでも無く玄関へ向かった。そこの光景を見た僕は、声にならない声を上げた。
『ありがとう おいしかったよ』
そこには、拙い字で書かれた一枚の手紙と、ソースがこびりついた、一つのプラスチックのパックが置いてあったのだった。
ただ今日だけは、一つ予定がある。寝起きの頭を急いで起こし、出掛ける支度を始める。それも終わると、水着とタオル、その他の荷物を詰め込んだ鞄を持って、家の扉を開けた。
寝坊してしまったので急がなければ。少し小走りになりながら、待ち合わせの場所へ向かう。
待ち合わせ場所に着くと、思っていたよりも大分早く早く来てしまったらしく、そこに居たのは部長だけだった。部長はグラサンを掛けて浮き輪まで持って、準備万端といった様子だ。
「時間よりも早いな」
「一応早めにと思ってたんですけど、早過ぎでしたね」
「大丈夫だろう。早く来て悪い事と言えば、時間を持て余す事位だしな」
少し待つと、俊介さんが、そしてその後に今日子さんが着た。二人共、夏休みという事でかなりラフな格好をしている。でもお洒落なんだよな。なんでだろ。
「春樹君は早いね」
「部長はいつも通りですね」
「そうなんですか?」
「俺は待ち合わせには絶対遅れないぜ」
僕らは全員集まったが、部長が手配したという人はまだ来ていない。どういう事なのかと問い詰めようとした所で、部長が「あ、来たな」と言った。その視線の先にあったのは、何やら高級そうな黒塗りの車だった。その車の運転席の窓が開くと、この世の物とは思えない美形の男性が顔を出した。
「やあ葵。そっちが後輩くんか?」
「そうだ。ああ皆。この人達は俺の知り合いの……」
「八幡です。八幡凛太朗。よろしくお願いします」
僕らはその顔の美しさに息を飲んだが、直ぐに気を取り直して挨拶した。凛太朗さんは僕らを車に乗せると、直ぐに車を発進させた。
「部長。あの人、どういう人なんですか?」
「俺の知り合いで、ついでに友達だ」
「ねえ、連絡先って……」
「あの人恋人居るぞ」
「そんな……」
「今日子さん、そんながっかりしないで……」
落ち込む今日子さんを慰める俊介さんの横で、僕は部長の方を見ている。やっぱりこの人、人脈の広がりかたおかしいだろ。どうなってるんだ。どこかの芸能人だろうか。テレビで見た覚えは無いけど。
暫く車の中で待っていると、次第に海が見えて来た。凛太朗さんは駐車場で僕らを降ろすと、自分の分の水着も持って降りて来た。
「あれ?凛太朗さんも来るんだ?」
「君らを家に帰す役割も持ってますから。基本遠目に見てるだけなので、私にはお構いなく」
「ありがとうございます」
「友人の頼みですから、大丈夫ですよ」
僕らは海の家の更衣室で着替えてから合流する事になった。部長はアロハ柄のチャラい感じの物を、俊介さんと僕は柄の無いシンプルな物を着た。
「部長はなんでそんなチャラい奴ばっか着るんですか?」
「だってほら、俺、こういうの似合うじゃん?」
「俺達に聞かないでくださいよ。まあ似合いますけど」
少し待つと、普通にお洒落な水着を着て来た今日子さんも合流したので、僕らは早速、海へ繰り出す事にした。僕と俊介さんは、今年二度目である。
僕と俊介さんと部長の数少ない共通点。いやまあ少なくはないかも知れないが、そんな事はどうでも良い。それは、『全員負けず嫌いである事』だ。海に体を慣らした後、僕らは誰が一番長く海も潜れるかや、誰が一番遠くまで泳げるかで勝負を始めた。今日子さんも最初は参加しようとしていたが、どうやら泳げないらしく、直ぐに止められた。今は浜辺で砂の城を作っている。「超大作作ってやる」と言っていた。楽しみだ。
「負けたー!」
「春樹君強すぎない!?」
「これでも昔、水泳習ってたんですよ」
どうやら僕は、この中では比較的泳げる方らしく、慣れない海ではあるが、俊介さんと部長よりかは長く、そして早く泳げた。詰まる所、ほぼ勝ち確定である。
「最後に賭けないか?一番最初にあの岩まで泳ぎ切ったら勝ちで、残った二人はソイツに昼飯奢るってルールだ」
「良いですよ。今回ばっかりは負ける気もしませんし」
「春樹君、言うようになったねえ」
僕らは、目標の岩までの距離が全員同じ位になる場所に集まってから、部長の合図で一斉にスタートした。少しの間、僕らは全員横に並んでいたが、最初に部長、次に俊介さんが減速して、僕が先頭に立った。そしてそのまま、岩まで泳ぎ切る。
自分の手が岩に着いた後、僕はその場所に留まって、二人共岩にタッチするのを待った。少し経って、二人が岩にタッチした時には、全員が少しだけ息が切れていた。
「僕の勝ちですね。約束通り、昼は奢ってください」
「くっ……二つ年下に負けるなんて……」
「大人げ無いですよ部長。もう直ぐ成人なんですから、もっと寛大な心を持ちましょう」
「まだ二週間ある!まだ二週間ある!」
二週間はかなり短いと思うけどな。まあ良いか。奢ってはくれるみたいだし。高いのにして苦しめてやろうか、それとも安いのにしてあげようか……悩む。
僕らはその後も、勝負と言う名目のじゃれ合いを続け、日が真上に昇った頃、昼食を買う為に、海から上がった。今日子さんは宣言通り、とんでもない大きさと精巧さの砂の城を作っていた。
「おお……今日子君、まさかこの手のプロだったとは……」
「ノイシュバンシュタイン城です」
「の……え?」
「ノイシュバンシュタイン城。確か、シンデレラ城のモデルと言われてた奴ですね」
どこかで見覚えがある雰囲気だと思ったら、テレビだったり旅行雑誌だったりで何度か見た奴なんだ。ていうか本当に細かいな。どうやって作ったんだコレ。素手だよな?素手で作ったんだよな?おかしいだろこんなの。
「さ、昼食買いに行きますか」
「ノイシュバンシュタイン城崩されちゃうかもだからヤダ」
「じゃあ、俺と俊介君と春樹君で買いに行くか。良いよな?」
「なんで俺も……良いですけどね?」
僕らは海の家へ向かい、自分達の昼食を買う。
「何にする?俺は焼きそばにするぞ」
「俺も焼きそばですかね」
「じゃ、僕は部長に焼きそば奢ってもらいますかね。俊介さんはかき氷をお願いします」
海の家のご飯って、なんでこうも高いんだろ。まあ、奢りを賭けのチップにしたのは向こうだし、罪悪感は無い。うん。感じなくて良い。因みに、今日子さんは何が良いかを聞いていなかった僕らは、取り敢えず焼きそばを買って行く事にした。
「ま、文句言われる筋合い無いよな」
「ギリギリあると思いますよ」
「右に同意」
「……マジで?」
砂のノイシュバンシュタイン城が見えて来た辺りで、僕らは目を見張った。なんと今日子さんが、部長に似た服装で金髪の、いかにも柄の悪そうなお兄さん二人にナンパされているのだ。
「おお……マジでこんなのあるんですね」
「今日子さん顔良いですもんね」
「作業中だったろうし、さっさと合流ついでに追い払うぞ」
確かに、足元に何やら砂の山が見える。もしや、もう一つ城を作る気だったのか?とんでもない人だな。多分、邪魔されて不快なのだろう。何となく表情に出てる。
しかし、僕らの心配はどうやら不要だったらしい。何故なら、忘れられないような顔の男性、要するに凛太朗さんが、今日子さんとお兄さん二人の間に割って入ったからだ。凛太朗さんはお兄さん二人に何か話した末に、お兄さん二人を撤退させて行った。
「部長。あの人顔だけじゃなくて性格も良いんですか?」
「ああ。モテる。何故ならああだから」
「答えになってないですよ」
僕らに気が付くと、凛太朗さんは元々居た方へ戻って行った。人の影に隠れて、その姿は直ぐに見えなくなる。僕らは今日子さんの方に向かって歩いて行った。
「あ、遅かったね?」
「すまんな。ちょっと見物してた」
「それさ、堂々と言う事じゃないよ?」
どうやら今日子さんも焼きそばで良かったらしく、僕らは仲良く、プラスチックのパックに入れられた焼きそばを啜った。うん。旨い。
「こういう風に食べるご飯って、妙に美味しいですよね」
「分かる」
「こういう経験は学生の内にしておかないとだな」
「部長もそういう事言えるような年じゃないでしょ?」
俊介さんにそうツッコまれた部長は、「まあ……ははっ」と言って誤魔化した。まあ、誤魔化せてたかと言われればそうでもないんだけど。本当にどういう立ち位置から言った言葉だったんだろうか。
考えてみれば、僕は部長はどういう人なのかをよく知らないな。今日子さんも以前の俊介さんもそうだが、それ以上に底が見えないと言うか、何と言うべきだろうか。何と表現しても間違いな気がする。兎に角、好みとか外見みたいな、そういう表面的な事しか知らない。だからだろうか。よく分からないのは。
「ま、こんなモンか。さ、午後は何で勝負する?」
「皆で砂のお城作る!?」
「俺達の誰が手伝っても、多分足手纏いでしょうよ」
「今日子さんも海入ればどうですか?部長が浮き輪持って来てましたし」
「泳げないのもそうだけど、やっぱり怖いよ」
困ったような顔で、今日子さんはそう答えた。まあ、そう言うなら無理強いはしない。僕らは再び海に向かって走り出した。因みに、記念すべき今日子さんの二つ目の作品は、なんと安土城だった。うん。共通点が見当たらない。
午後も遊び終わった僕らは、凛太朗さんの車で帰る事になった。遊び疲れた僕らは、帰りの車の中でぐったりとしている。
「寝てても良いですよ?学校に着いたら起こしますから」
「いや、僕は大丈夫です」
「俺も大丈夫です」
「俺はその言葉に甘えるわ……おやすみ」
そう言って、部長はスイッチが切れたように寝た。あまりにも自然に眠りに入る物だから、最初は目を閉じただけかと思った。僕は眠くなかった。体中が疲れて思いが、眠気は感じなかった。
帰り道。ふと窓を見ると、丁度夕日が海に沈む所が見られた。オレンジ色の光が海に反射し、視界に入る全ての人影が伸びる。とても綺麗で、面白い。
面白い?なんで僕は面白いと感じているんだろう。考えてみれば、僕は自分の事をよく知らない。どういう物を面白いと感じるのかが分からない。これはいけない。就職なんかで重要なのは『自己分析』だと聞く。自分に関して知る事は、僕にとってコレ以上無い急務だ。
この後、僕は自分の事を考える事に時間を使い過ぎたらしく、凛太朗さんの車が学校に着いて、いつの間にか寝ていた三人を起こす声が運転席から聞こえるまで、僕はずっと、窓の外を眺めていた。
「ほら、三人共起きてください。着きましたよ」
「うう……あれ?私寝てた?」「着いたか」「頭がぼーっとする……」
「ほら部長、俊介さん、今日子さんも。起きてください」
三人は、寝起きで上手く動かない頭をなんとか動かして、凛太朗さんの車から降りた。そのゆっくりとした動きと雰囲気が、どこかのゾンビ映画を思い出させた為、僕は思わず笑ってしまった。
「「「ありがとうございました」」」
「いえいえ。葵、また何かあれば呼んでくれ」
「ああ。冬にまた頼む事になるだろうからな」
僕らのお礼と部長の意味深な発現を聞いた凛太朗さんは、車の窓を閉じ、そのまま帰って行った。周囲は少し暗くなっており、そろそろ帰るべきだという事を僕らに告げている。
僕らはいつもの道を通って、それぞれの家へと帰る事にした。疲れ果てた僕らは、一歩進めるのも苦痛に感じた。
「疲れたな~」
「でも楽しかったですよ。部長、ありがとうございます」
「私も砂のお城二つ作れて楽しかった!」
「今日子さんはあんな物をどうやって作ったんだ……」
「俊介君。お城は浪漫なんだよ」
「答えになってないぞ今日子君」
暗くなった空の下を歩く僕らの顔は、疲れてはいたが、それでも明るくなっている。楽しかったという実感が、自然とそうさせている。僕は胸が躍るような感覚を持ちながら、帰路についた。
こうして、僕らの夏休みが幕を開けた。
二週間目。僕はヒッキーと一緒に、部長をつけ回している。だが誤解しないでほしいのは、始めからこういうつもりで出掛けて来た訳ではないという事だ。
今日、僕はヒッキーと一緒にゲームセンターへ行く予定だったのだ。ところが、待ち合わせ場所に来た僕に、一通のメッセージが届いたのだ。なんでも、部長が一人で人気の無い所を歩いていると言うではないか。
『合流しよう』というメッセージに、僕は『勿論』と返した。ヒッキーと合流した僕は、早速部長の尾行を始めたという事だ。
「どこに行くんだ?」
「夏休みだしな~……駄目だ暑くて頭動かん」
「いつもの事でしょ?」
「なんだとハルてめえこの野郎」
しかし、本当にどこに行くんだろう。この先は確か田んぼで、俊介さんの時とは違って、本当に何も無い筈だ。なのに部長は、ずっとこの道を進んで行っている。何がしたいんだろう。本当に分からない。
部長はそのまま、田んぼの方へ出た。これでは追い掛けるのも無理だ。隠れる場所が無い。
「どうするんだ?」
「僕に考えがある。僕らには文明の利器があるんだ」
僕はスマホを取り出して、部長に『今何してます?』とメッセージを送る。直ぐに既読が付き、『暇してる』と返事が返って来る。
『出掛けたりしないんですか?』
『今は家』
『いつも外に出てるイメージがあるんですけど』
『用も無く外に出ない』
僕はヒッキーと顔を見合わせる。なんで嘘を吐くんだろう。僕らに言えない事情でもあるんだろうか。
『何か用?』
『一緒に遊びませんか?』
『すまんが無理』
『なんでですか?』
『気分じゃない』
益々怪しい。なんでこんな嘘を吐くんだろう。出掛けてるのにそれを隠すし、用がある筈なのにそれも言わない。不自然この上無い。
「どうする?」
「ここから尾行は無理だな……葵先輩の知り合いに聞けないか?」
「それなら……一人心当たりがあるかも」
凛太朗さんはどこに住んでるのかも知らないから無理だけど、最初に演劇部の皆で出掛けた時に会った、五朗さんなら大丈夫だろう。何やら親し気な様子だったし、あの人なら今どこに居るかも分かる。僕らは早速バスに乗り、五朗さんが居る筈の公園へ向かう。
「どこに居るんだ?その五朗さんって」
「たしかこの公園に……ああ居た居た」
公園のベンチに見慣れた人影が見えたので、僕はその人影に声を掛ける。その人は僕の方を見ると、「確か君は……葵君と一緒に居た」と言った。どうやら、覚えていてはくれたようだ。
「そっちは?」
「友人の響輝君ですよ」
「初めましてっす。竹田響輝っす」
ヒッキーを見た五朗さんは、「元気な若者だな」と言って笑った。やっぱり、陽気で気さくな人だな。関わり易いと言うか。
「で、何の用事かな?」
「葵さんについて聞きたい事があって来たんです」
「あの子に関して?」
僕は五朗さんに、今までにあった事と、葵さんについて知りたいという事を話した。だが、五朗さんは頭を悩ませている。関わりが深いと思っていたが、存外そうでもないらしい。
「スマンが、俺の方から教えられる事は無いな。あの子について知ってる事なんて、食べ物の好き嫌いとか好きな事程度だ」
「じゃあ、それを教えてください」
五朗さんは少し驚いたような顔で、僕の方を見た。まるで、目の前に何か、信じられないような物があるような顔だ。確か母が僕を叱っている時のような顔だ。後ろを見ると、ヒッキーまで似たような顔をしている。
僕は何か、おかしい事でも言っただろうか。誰か知りたい人の事について、自分よりもその人について詳しい人に聞くのは普通の事だ。文脈もおかしい所は無い筈だ。部長について知りたいから教えてくれという話だった筈だ。それなら、食べ物の好き嫌いや好きな事を聞くのも変な事ではない。
「君……葵君が何をしているのかを知りたいんじゃないのか?」
「そうですね。でもそれは通過点で、僕は高橋葵という人間が知りたいんですよ」
それから、五朗さんは葵さんについて話し始めた。好き嫌いは少ない事、洋食よりも和食が好きな事、貝類は苦手な事、そして、同年代との関わりが極端に少ない事。
「え?あの人友達多そうな印象なんすけど」
「そうだな。友人が多いのは確かだ。だが俺は、あの子が同年代の子供の話をしている所を見た事が無い。自分よりも年上の、大人の友達の話はするのに……だ。あの子自身も、同年代の子供との関わりを持とうとしていないようだった。以前君達とここに来た時、俺は最初、夢でも見てるんじゃないかと疑ったよ」
ふむ。考えてみれば、部長が学校で誰かと一緒に居るのを見た事が無い。居たとしても、その友達についての話はしていない。
「まあ、ありがとうございました。面白い話が聞けました」
「これ位なら何でもない。また来ると良いよ」
「あざっした。今度来る時はお土産でも持って来るっす」
同年代の友人が少ないか。面白い事が聞けたな。話も面白く、顔も良く、察しが悪い訳でも話が長い訳でもない。モテるタイプだし、友達が作れるタイプだ。事実、同年代ではないというだけで、友人は多いらしい。
何故だろう。同年代が気が合わないという事なら、僕と俊介さん、今日子さんとだけ気が合う事がおかしい。そもそも、結構普通の若者だ。これは無いな。かと言って、今日のように不可解な行動をしたのが原因というのも考え辛い。誰かに言ってから来ている訳でも、人通りが多い場所を歩いている訳でもない。本当に分からない。
「結局何だったんだろうなー」
「今日の行動についてもそうだけど、僕は部長についての事が何より不可解だな」
いっその事、本人に聞いてみようか。丁度一緒に遊びに行く予定がある。良いタイミングを見計らって、今日何をしていたのか、何故同年代と関わろうとしないのかを聞いてみよう。
家に帰るが、そこには誰も居ない。嫌いな両親も、大好きな友人達も、誰も居ない。安堵と落胆を抱えた状態で、風呂を沸かすボタンを押す。
自分の部屋に入り、一冊の小説を取ってから一階に向かう。クーラーを点け、小説を開き、風呂が沸くまでの時間を潰す。そこそこ歩いたが、そこまで疲れてもいない。あまり空腹も感じないのは夏バテだろうか。
小説が名場面の所に差し掛る。臆病な主人公がヒロインに告白する、この小説を代表するシーンだ。しかし、何も感じない。普通は泣いたり、感動したりする場面なのに。おかしいな。本当におかしい。なんで僕は何も感じないんだろう。なんで私は何も感じないんだろう。なんで俺は何も感じないんだろう。なんで、なんで、なんで……
なんで『 』は、何も感じていないんだろう。
夏休み二週間目。昨日の夕食を抜いたせいか、僕は若干の空腹を感じている。それでも僕は炎天下を歩き、待ち合わせ場所まで進む。
「おはよう春樹君」
「おはようございます」
待ち合わせ場所に居たのは俊介さんだけで、部長と今日子さんはまだ来ていないようだ。僕らは少し話して、時間を潰す。
暫くすると、やつれた様子の部長と、夏なのに元気そうな今日子さんが来た。正反対の二人の様子が、それぞれの様子をより印象的にしている。
「おはよう二人共……」
「夏バテですか?」
「ああ……俊介君も春樹君も気を付けるんだぞ……」
「あはは。部長は大袈裟なんだから~」
今日子さんは笑いながら、部長の頬を突く。止めて差し上げろ。凄い顔色になってるから。下手したら上向いた状態でゲロっちゃうから。目も当てられない状態になっちゃうから。
「さて、どこに行くんですか?」
「今回は私プレゼンツだからね。私が案内するよ」
「ほら部長、行きますよ」
「俊介君よ。何故創世の神はこのような季節を創造したのだろう」
部長が死んでしまわない内にさっさと行こうという事になった僕らは、最寄りの駅から電車に乗り込んだ。部長は俊介さんが買って来た水を飲んで、電車の中の冷たい空気を吸ったからか、少しは元気を取り戻した様子だ。
「電車で行く程度には遠いんですか?」
「そうだね。ここら辺美味しいお店少ないし」
「コンビニスイーツ位かもな。ここらで美味しいスイーツは」
「それは流石に舐めすぎ……って言えるレベルじゃないんだよな」
俊介さんは遠い目をしている。最近のコンビニお菓子はそんなに美味しいのか。今度食べてみようかな。
僕らは暫く電車に揺られた後、電車を降り、近くにあるというアイス屋へ向かう。因みに、目的地に着くまでの間で、部長はすっかりバテてしまい、しきりに「まだなのか……」と呟いていた。
そして、目当てのアイス屋に着いた僕らは、開店直ぐに来た筈なのに並ぶ長蛇の列に驚く。相当人気なのが伺える。これは中々期待できそうな店だ。
だが、今日子さんは僕らと見ている所が違った。今日子さんは少し考える素振りをした後、僕の腕を掴んだ。
「さ、着替えようか」
「……え?」
うん。何を言っているんだろうか。そこそこ目がキマっていて怖いんだが。僕は腕を放させようとするが、僕が思っているよりかは力があった今日子さんの腕を、僕は振り解けなかった。
「汗はかいてますけど、着替える程じゃないですよ?」
「ルックアットあの看板」
今日子さんが指差した先には、恐らく僕らの腰程度の大きさの看板が立てられており、そこには、今日子さんの目がキマっている理由が書いてあった。
『カップル割半額』
「さて、並んでますし、この店は止めておきますか」
「許されると思ってる?」
僕はその後も抵抗したが、奮闘虚しく、近くのコンビニのトイレに連れて来られてしまった。そして今日子さんは、僕に袋を渡して来た。
「何ですか……とは言いませんよ」
「準備の良い先輩を褒めてくれて構わないよ」
「化粧はどうするんですか?流石にそのままだと男だってバレるでしょう?」
「部長」
「仰せのままに」
おい部長。さっきまでバテてぐったりしていただろうが。なんだその速さと準備の良さ。おかしいだろうが。なんでそんなに目を輝かせてるんだよ。そう言えば僕に女装させたの、アンタが最初だったな。だからか?だからそんなに元気なのか?
「まあ春樹君。これも予行練習だと考えるんだな。大丈夫だ心配要らない。俺の化粧の技術で、君を絶世の美少女にしてやる」
「望んでないんですが」
しかし、これは案外丁度良い。二人きりになれるのだから、以前の事や同年代との関わりが薄い事に関して聞くのも簡単だろう。まあ、それは向こうに答える気がある時の話だが。
部長は僕に服を着させ、化粧をさせる。僕は頃合いを見計らって、自分が知りたい事の話を切り出す。
「部長、この間連絡した時、本当は外出してましたよね?」
「……俊介君の時と言い、君と君の友達は、本当に人の後を尾行するのが好きなんだな」
「何してたんですか?」
「ただの散歩さ。ああいう何も無い光景は、自然と心が落ち着くんだ」
「じゃあ、なんで同年代の友人が少ないんですか?」
部長は一拍間を置いた後、「吉田さんだな?」と聞く。僕が頷くと、難しい顔をして、首を様々な方向へ捻る。どうやらそこまで言いたくないらしい。部長は一度頷いてから、また僕の化粧を始めた。
「言いたくないんですか?」
「まあ、話せば長くなるからな。隠している訳ではないから、今日帰る時、俺の家に来てくれ」
そう話している内に、部長の化粧は終わっていた。どんな出来なのか気になった僕が鏡を見ると、そこには見知らぬ美少女が居た。
「これが……私?」
「何言ってるんだ?」
「言いたかっただけです。にしても凄いですね。これで飯食えるんじゃないですか?」
「それも良いかもな。ま、今の俺にそのつもりは無いが」
僕らはコンビニを出て、今日子さんと俊介さんと合流する。どうやら二人も、僕がここまで変わるとは思っていなかったらしく、口を大きく開けて、目を見開いている。
「誰?」
「酷くないですか俊介さん」
「私よりもかわいい……」
「そりゃ俺がメイクしたんだから当然だぞ」
さて。これでカップル割も使えるし、今日子さんも満足してくれるだろう。さっさと食べて、さっさと着替えよう。このままじゃ羞恥心で頭がおかしくなる。
「あ、春樹君には今日一日そのままでいてもらうから。女声も出してね」
「死刑宣告と同義ですね」
気が遠くなったのは、きっと暑さのせいだけではない筈だ。まあこれも練習だ。頑張ろう。私達は少し列に並んでから、クーラーが効いた屋内へ入った。
「おお。これは中々美味しそうだ。なあ、ハル子ちゃん?」
「堂々とそういう事を言い続ける気ならひっぱたきますよ」
「まあまあ春樹君。落ち着いて。かわいい顔が台無しだよ」
「今日子さん。それ誉め言葉になってないですよ。止めましょう?」
それぞれが食べたい物を注文し、暫く待つと、私達の目の前に派手で豪華な、所謂『インスタ映えする』感じのアイスが置かれた。私達はそれを、スプーンで掬って口へ運ぶ。冷たい感触と甘みが口に広がり、外の暑さと息苦しさを忘れさせてくれるようだった。
全員が食べ終わると、いよいよ会計……つまり、その時が訪れる。私達はレジの前に横一列に並び、堂々と宣言する。
「「「「カップルです」」」」
「ではカップルの証明の為、キスをしてください」
うん。まさかここまでテンプレみたいな事を言われるとは思わなかった。SNSに投稿されている漫画みたいだ。本当にこんな事言われる物なんだ。いやしかし、私達は偽物のカップルな訳だし、これは無理だな。ここは諦めて帰るしか……
そう思った私は、隣に居た部長に顎を掴まれ、唇を重ねられた。頭の中が真っ白になり、何が起こったのかを必死に理解しようとする。部長の唇が離れると、私は俊介さんと今日子さんの方を見る。二人は何でもない顔をして、店員の方を見ている。
「これで良いですか?」
そう聞いたのは部長だった。店員は「はい」と答え、粛々と自分の仕事を済ます。マジかこの人。凄いな。職人気質って奴だろうか。
店を出た後、僕は部長の背中を叩いた。それはもう思いっ切り。ついでに沢山。あと色んな感情を込めて。
「ははは。そんなに叩かなくても良くないか?」
「そんな事はありません。僕はさっき、何か凄い後ろめたさを覚えました」
「大丈夫。この世の中同性カップルとか居るから」
「そういう問題じゃないですよね?」
「はっはっは。じゃ、次の店はどこなのかな?」
こんな感じで、僕は今日一日、女装に女声で過ごす事になった。苦痛という程でもないが、少しの羞恥心を感じたのは、多分僕の感覚が正常だからだろう。
帰り道。僕らは電車の中で、罪悪感と幸福感の余韻を同時に味わっていた。
「美味しかったね~」
「楽しかったな。それに、春樹君の良い場面も見れたし」
「部長の腕がまさかここまでとは思いませんでしたよ」
「一度位疑ってくれても良かったのに……」
まさか一度も疑われないとは思わなかった。一度位は疑われると思ってたのに。いや確かに女子と言われて違和感が無い外見に仕上がってたけども!なんなら美少女に仕上がってたけども!
因みに、女装している間の僕は、部長の彼女という事になっていたらしい。発案は今日子さん。解せぬ。
「もし僕が女性だったら、俊介さんが彼氏だった方が嬉しいですね」
「おうそれどういう意味なのか聞かせろ」
「これが人徳の差ですよ部長」
「まあまあ部長落ち着いて」
僕らの家の最寄り駅に着くと、僕らはいつもと同じ道で、途中まで一緒に帰る。しかし今回は、僕は部長の家に寄る事になっている。僕は途中で俊介さんと今日子さんに別れを告げて、部長の家に向かう。
「綺麗な家ですね」
「二年前に建った家なんだ。さ、入れ」
部長の家の中は、慎ましい内装と落ち着いた色の家具で飾られており、家族は全員外出しているのか、とても静かな室内は、いつもの部長の印象とはかけ離れた印象を与える。物が少ない訳ではないが、無駄な装飾が施された物は一つとして無い。
「ほら、麦茶」
「ああ、ありがとうございます」
麦茶を一口飲んだ時、僕は自分の喉が渇いていた事に気が付いた。部長は部屋の電気を点けないまま、僕の前に座って話し始めた。
「俺が同年代の奴等とつるまない理由だったな。単に、全ての年代の人間と同じ程度につるんでるだけだ。意識して少なくしてる訳でもない」
「じゃあ、なんでそうしてるんですか?」
「そこだ。俺が今話すのは。俺が好きなのは、人間らしい人間そのものなんだ」
部長はそう言った後、麦茶を一口飲んだ。やがて部長は、何か尊い、美しい物を見つめるような、慈しむような目で話し始めた。
「理由は俺でも分からん。だがまあ、俺の人間性がそうだったんだろうな。いつの間にか、人という物が愛しくなってたんだ。人が最も人らしい瞬間はいつだと思う?俺は、何か罪を犯している時だと思うんだ。ああ罪っつっても、法に違反しているって意味じゃない。『七つの大罪』ってあるだろ?あれみたいな、人を腐らせる、人の自意識の根底にある罪の事だ」
部屋の外はオレンジ色に染まっている。僕は出されたお茶を少しずつ飲みながら、その話を聞き続ける。部長の手振りは次第に大きく、力強くなる。
「例えば、『自分一人でどうとでもなる』みたいな傲慢さは、人間だからこそ持てる感覚だ。例えば、『あの人ならやってくれるだろう』という怠惰は、人間だからこそ持てる感覚だ例えば、『あの人は凄い人だ』みたいな嫉妬は、人間だからこそ持てる感覚だ。そういう部分が、人間らしいんだ。俺はな春樹君、運命という物を信じてるんだ。どんな快楽を貪って、どんな罪を犯して、どんな奴と出会うのか……それらは全部、神様とでも言うべき何かに決められてるんだ。俺達はそれに沿って、自分の意思で行動している。その中で、生命は必ず一つの目的を達成しようとする」
部長の解釈は最もだと感じた。人という芸術作品を、僕が知る誰よりも深く理解している。部長の目は、今までのどの瞬間よりも、鮮烈に輝いている。
「快楽を貪る事は、生命に課せられた至上命題だ。飯を食って、セックスして、寝て、また飯を食って、セックスして、寝る。現代における快楽は、これら原始的な物だけではないんだろう。だが、人間に限らない万物の生命が生きる目的は、間違い無く快楽を貪る事だ。俺が感じる至上の快楽はな、罪を犯した人間を見る事なんだ。手を貸さない。道を塞がない。何もしない。ただ見るだけだ。俺が全ての年代の人間と同じ程度に関わる理由は、自然とそうなってただけで、俺が作為的に選んだ訳じゃない。俺が関わっている人間は、俺が面白いと感じる、人としてあるまじき罪を持っている」
部長の声は明らかに高揚していた。部長は自分を落ち着かせるように麦茶を一口飲む。その間に、僕も一つの言葉を掛ける。
「僕にもですか?」
「ああ」
「それは何ですか?」
「言っただろう?俺は手を貸さない。今回家に招いたのは……君が一番、俺と似ているからだな」
心外だ。僕は部長みたいなチャラい感じの人間じゃない。僕が不機嫌そうな顔をすると、部長は愉快そうに腹を抱えて笑った。一頻り笑い終わった部長は、僕に向かって堂々と宣言した。
「ついでだ。メイクのやり方と落とし方、そして女物の服の着方、そして今後の予定について話そう」
メイクのアレコレと女物の服の着こなし方を簡単に教わった上、それらを纏めたノートを受け取った僕は、来週の夏休みに皆で行く事を明かされた。一緒に行きたい友人が居たら、連れて来ても良いとの事だった。ヒッキー連れて行こう。
『 』以外誰も居ない家の鍵を閉める。外はもう日暮れも過ぎて、次第に暗くなるだろう。『 』はソファに寝転がり、天井を見上げる。
「何をしてるんだろう」
誰に言うでもなく、そう呟いた。楽しんで、頑張って、張り切って、何をしたいんだろう。『 』はソファから起き上がって、夕食の支度を始める。誰も家に居ないのは良いけど、こういう所で手間が掛かるのは難点だな。まあ、どうせ近々一人暮らしを始めるのだ。予行練習だと思おう。
予行練習と言えば、今日の春樹君は面白かったな。まさかあそこまで頑張るとは思わなかった。キャラもしっかり作って、本物の女子みたいだった。思わず笑いがこみ上げたので、『 』は信じられなくて口を押さえた。
自然に笑えそうになったのなんて、いつぶりだろうか。楽しいは楽しいが、なんでか自然には笑えない。まあ、仕方の無い事なんだろう。こんな家庭だしな。夏休みはいつもこうだ。お陰で自分勝手にできる
自分で作った夕食を前に、『 』は「いただきます」と小さく呟いてから、それを口に運び始める。夏バテのせいで、やはり食欲が湧かない。『 』はそれを無理矢理口に入れ、腹に詰める。喉を押し通る異物感を押し殺して、食事を終える。
『 』は身体を包む不快感に耐えられず、クーラーの温度を更に下げる。そして、次の予定を頭の中で反芻しながら、次はどんな事をしようかを考え始める。拭いきれぬ不快感から、頭の中が纏まらない。風呂に入ろうか。そうすれば何とかなるかもしれない。
風呂に入った後、『 』は自分の部屋に戻り、布団の中に潜り込む。寝てしまおう。あまり嫌な事を考えなくて済むように。『 』は目を閉じ、呼吸を整えて、一刻も早く眠れるよう祈った。
そんな生活を続けていると、日々は思っている以上に早く過ぎ去る。僕らは演劇部の皆とヒッキーを合わせたメンバーで、夏祭りに来ていた。
「響輝君射的上手いんだな」
「幼少期から鍛えてたお陰で出禁寸前ですよ」
「射的下手な私が言うのもアレだけどさ、それ誇れる事じゃないよね?」
「思いの外直ぐ馴染んだな、彼」
「ヒッキーは人と関わるのが上手いですからね」
ヒッキーは射的の店で、いくつかの景品を獲得している。既にお菓子やらフィギュアやらを抱えているのにだ。一体いくつ獲るつもりなんだろう。因みに僕は、ガムを一個取って終わった。悔しい。
僕らは所狭しと立ち並ぶ出店を回りながら、たった三日しか無い祭を楽しむ。既に輪投げや射的を出禁になっている部長と俊介さんは、僕とヒッキーと今日子さんが遊んでいるのを眺めながら、屋台で買ったから揚げやら焼きそばやらを食べる。なんか保護者っぽい感じがする。面白い。
「お!シュンにハル、それにヒッキーじゃねえか!」
不意に聞こえたその声に、僕とヒッキー、俊介さんは聞き覚えがあった。声がした方を向くと、そこには政宗さんを始めとした、懐かしい不良集団が並んでいた。
「お?そっちは初めましてだな」
「高橋葵だ。よろしく」
「今日子だよ。よろしく」
「俺は政宗。シュンとハルとヒッキーの友人だ。よろしく」
政宗さんはそう言って、部長と今日子さんと握手した。やっぱり人と関わるのを躊躇しない人だ。部長は政宗さんの手を握った状態で、愉快そうに顔を綻ばせる。
「一緒に来るか?俊介君の友人なら駄目な理由も無い」
「いや、今回はこいつらも居るしな。迷惑だろ。それに、そっちはそっちで楽しんだ方が良い」
そう言って、政宗さん達は人込みの中に消えて行った。部長は「気持ちの良い人間だったな」と言って、その背中を見送った。その言葉は、相手を観察している人間の感情が込められていた。
あれ以来、ずっと考えている。部長が言う、僕の『罪』とは何だろう。僕が思うに、それは『自分の事が分からない』という怠惰だ。僕は自分で思っていた以上に、自分について無関心だったようで、この答えさえ合っているのか分からない。それを『怠惰である』と断じるのは、多分僕だけじゃない筈だ。
なら後はどうするか。徹底的に、自分が楽しいとか退屈とか感じる物を体験し尽くす。そうすれば、自分の事が今よりも分かる筈だ。やってみるに越した事は無い。退屈でも何でも良い。何かを感じる物を体験する。それだけで良い。少なくとも今は、それだけで。
「お、そろそろ花火の時間だな。移動するか」
「でもこの時間、どこも良い場所は取られてるでしょ?」
「先に場所取っとくんでしたね部長。まあ、人に押されながら見る花火も悪くないんじゃないですか?」
ふむ。僕とヒッキーはそうでも無いんだけどな。さてどうしよう。僕はヒッキーの方をちらりと見て、軽くアイコンタクトをする。ヒッキーは僕に向かって、一つウィンクをする。ヒッキーは「それなら、良い所がありますよ」と声を掛けた。
「ん?良い所?」
「はい。俺とハルが昔から行ってる所なんですけど、毎年誰も居ないんですよ」
「近いの?」
「そりゃ勿論」
この祭りの目玉は、二日目の夜にある花火だ。特別大きい訳でも有名な訳でもないが、来たなら見るべき物だ。僕とヒッキーはこれを見る為、幼少期からここら一帯の地図を見ていた。そして、一つの場所を見つけたのだ。ヒッキーと僕は人を掻き分けながら、その場所へ向かう。
そこは、とうの昔に廃れた神社だ。不気味がって誰も近寄らないのか、そもそも知られていないのかは知らないが、お陰で僕らは、誰に邪魔されるでもなく花火を鑑賞できる。この神社の神様には感謝しよう。ありがたや。
「へえ。こんな所もあるんだこの町」
「知らなかったな……部長は知ってましたか?」
「いや、ここがある事は知ってたが、ここにある事は知らなかった」
「さ、もうすぐ始まりますよ」
僕らは石段の上に座って、花火を見る。赤、青、緑、黄……その他様々な色の光で描かれた大小様々な花は、暗い夏の空を明るく照らす。この時だけは、暮らしの光が目立たない。火薬が弾ける音と共に空に咲く花は、この町の夏を明るく、鮮やかに彩って行く。
花火も終わり、空に残るのが煙だけになった後、部長は神社のお社に、一パック分の焼きそばを置いた。
「葵さんは何をやってるんですか?」
「お供え物だ。お前達も何か備えた方が良い」
「まあ確かに、今までも助かってましたしね」
「から揚げで良いかな」
「そもそも食べ物で良いんだろうか……俺はたこ焼きにします」
僕らは一人一つ食べ物をお供えした後、それぞれの家へ帰る事にした。すっかり暗くなった道には街灯が点き、僕らの顔を照らしている。
「楽しかったですね」
「そうだな。久し振りに、あんなに落ち着いて花火を見れた」
「部長は好きですもんね。花火」
「綺麗だしね」
部長は「まあな」と言って、買っていたべっこう飴を一口齧る。
沈黙が流れる。だが、自然と気まずくはなかった。僕らはそれぞれの家に行く分かれ道で、別れの挨拶をして、それぞれの道へ進む。僕は最後だった。ヒッキーと別れる前に、僕は「どうだった?」と聞く。
「最高だった」
「それは良かった」
ヒッキーは「じゃ、またな」と言って、自分の家へ向かって行った。
家に入る。なんでか外よりも暑く感じる。『 』はリビングの電気を点け、エアコンの電源を入れる。そしてソファに体を投げ、脱力する。疲れたけど、楽しかった。誰に邪魔される事も無い娯楽というのは、何にも代えられない思い出を作ってくれる。
自然と口角が上がる。信じられないような心地だが、不思議と悪い気はしない。自分の中の何かが変わって行く。良い方向に。無理の無い程度の速度で。それは何よりも良い事で、嬉しい事だ。
『 』は体を起こして、お風呂場に向かう。服を脱ぐと、意図せずとも体が鏡に映る。そこに映るのは、少女でも少年でもない、ただの化物の姿だ。いつからこうなってしまったのだろう。きっと今のように、気付かない程度の速度でこうなって行ったのだろう。込み上げる不快感を腹の奥底に押し殺し、お風呂場へ入る。体の疲れが流されるようだが、この体を動かすのを邪魔する倦怠感は無くならない。
脱力する。脱力する。体の骨まで湯に浸し、この体にある邪魔な物を全て洗い流す。何かしなければ。何もできないのに?僕は何もできないのに?私なら何かできるんだろうか。俺なら何かできるだろう。だけど、『 』には何もできない。
退屈だ。そう感じるのは簡単で、とても罪深い事だ。体の隅々まで洗った後、『 』は風呂場から上がり、体を拭いて、髪を乾かして、服を着た。リビングに戻った『 』は小説を開き、自分の好きなキャラの台詞を呟く。
「『誰よりも人らしい貴方が、私は堪らなく愛おしいのです。』」
私の愛は、きっと『 』には届かないのだろう。『 』はとても、人らしいとは言えない人間だからだ。『 』は小説を一通り読み終わると、それを宙に投げ捨て、ソファに寝転がる。相当疲労が溜まっていたのだろう。『 』の意識は、思っていたよりも早く遠のいた。
夜中に目が覚めた。ソファから体を起こした僕は、何をするでも無く玄関へ向かった。そこの光景を見た僕は、声にならない声を上げた。
『ありがとう おいしかったよ』
そこには、拙い字で書かれた一枚の手紙と、ソースがこびりついた、一つのプラスチックのパックが置いてあったのだった。
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