怪しい二人 夢見る文豪と文学少女

暇神

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#8 むらさきかがみ

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 目が覚めると、俺は協会の医務室に寝かされていた。俺は頭の中に霧が掛かっているような心地で、ベッドから上体を起こした。
 ぼんやりとしている。何も考えられない。なんでここに居るのか、ここに来る前どうしていたのか、全く分からない。ここに居るだけではいけないような気がする。何かが起こっているような気がする。俺はベッドから降りようと、布団を退かし、床に降りる。
 その瞬間、俺は身体中から力が抜けたように、床へ倒れ込んだ。頭が床にぶつかり、鈍い痛みが広がる。しかし、それでも頭はぼんやりとしたままだ。
 立ち上がろうともできない。腕一つ、指の一本でさえ動かせない。ただ、床の冷たい感触と、頭の痛みだけが伝わる。なんでだろう。なんで俺はここに居るんだろう。なんで俺は床に倒れているんだろう。
 突然、部屋の扉が空けられる音がした。俺は目だけを動かして、その人物の顔を見る。
「八神くん!起きたのかい!?」
「良かった~成功したんだ~」
 どうやら、先生が英祐を連れて、部屋に入って来たようだ。しかし、俺は目の前に居る人物の名前が直ぐに出て来なかった。
 一拍置いて、ようやく目の前の人物の名前を思い出した俺は、小さな声で呟く。
「先生……英祐……」
「ギエルとの意思の接触が分かった時から、お兄ちゃんの術を無理矢理中断させようとしたんだ。お兄ちゃんの体には相当な負荷が掛かった筈だ。もう少し寝てた方が良いよ」
「良かった……本当に……もう目を覚まさないんじゃないかと……」
 俺の英祐が俺の額に触れると、そこから霊力が流れ込んで来た。どうやら、俺から吸い取った霊力を俺に戻しているらしい。次第に意識がはっきりとして来る。
 先生は俺の体をベッドに寝かせ、布団を掛ける。
「今、七海お姉ちゃんがお見舞いを買いに行ってる所なんだ。果物だと思うよ」
「そうか……それは良い……」
 次第に鮮明さを増していく意識と記憶の中で、俺は違和感に気が付いた。いや、以前からこの違和感はあった。ずっと昔から。以前からずっと存在していた、その何かの正体が掴めたような気さえする。
 鮮明になって行く。細部まで。自分の今までの経験の全てが、再び、俺の頭になだれ込んで来る。俺は吐き気を催しながら、必死に口を手で押さえた。恐ろしい程の情報量が、今の俺の頭を埋め尽くして行く。押しつぶそうとしている。

 頭の中が、晴れ渡ったような気がする。

 ようやく吐き気が収まった俺は、先ず最初に、先生に話し掛けた。
「先生、いつからですか?」
「え?君が倒れたのは、ほんの一時間前の……」
「そうじゃない」
 俺の声は、自分でも驚く程に落ち着いていた。一種の恐ろしさも含まれていたと思う。表情を作る事さえ忘れ、俺はただ、晴れ渡っている頭の中に浮かぶ、たった一つの疑問を、先生……いや、岩戸咲良に投げ付ける。
「いつから、俺の頭を弄っていた?」
「八神くん……もしかして術が……」

「聞いているのは俺だ。アンタは俺の質問にだけ答えろ」

 俺の言葉には霊力が込められ、それは強力な言霊となって、この部屋に響く。だが、それは術と呼べる物ではなく、例えるなら、鞭のような物となっていた。目の前の存在に言う事を聞かせる為の、力の差を頭に植え付ける為の、或いはただ単に痛めつける為の物だった。
 岩戸咲良は、この涼しい部屋で汗を掻きながら、息を荒くしている。しきりに、「八神くん」と「私は」という言葉を繰り返している。この人間からは何も聞けない。なら、何の役にも立たない。
「英祐、俺に術が掛けられていたと、気付いていたか?」
「いや全く」
「そうか。じゃあ、何も聞けないな」
 俺はベッドから降りる。そして、自分の体の内側に、今までに感じた事が無い程の力が渦巻いているのに気が付いた。俺は岩戸咲良の目の前に立つ。岩戸咲良は俺の顔を見上げて、何かの言い訳を始めようとする。
「八神くん、私は!」
 彼女の言葉は、そこで途切れた。俺は彼女を見下ろしながら、命令した。
「出て行ってくれ。暫く、顔も見たくない」
 彼女は何かを再び言おうとしたが、それが口から出て来る事は無かった。彼女はそのまま部屋を出て、二度と振り返る事は無かった。
 俺は再び、ベッドの上に横たわる。英祐が俺の方を、心配そうに見つめている。俺は英祐に一言だけ、「少し時間をくれ」と言った。もう少し、整理する時間が欲しい。このぐちゃぐちゃの感情を、少しでも綺麗に整理する時間が。
 俺の頭の中にあった、違和感。それはたった一つ、そして、今まで感じた中で最大の、現実との、明らかな差異だった。

 何故俺は、父が死んだ後に現れたあの見知らぬ男を、自身の父と思っていたのか。


 公式の実験における、全ての血液を用いた退魔の術は、その全てが失敗に終わっている。しかし、今まででたった一度だけ、退魔の術を、血液を用いて行う事に成功した例がある。
 無論、快挙である。しかし、当事者達はこの事について、一切を公表しなかった。そもそも、この術自体が、不当な物であったからだ。

 術の対象となったのは、当時十六歳の、退魔師ではない少年、八神蒼佑だったからである。
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