怪しい二人 夢見る文豪と文学少女

暇神

文字の大きさ
上 下
47 / 169
#5 過去との対峙

#5ー13 鬼ごっこ

しおりを挟む
 エミリアの乗った馬車は、御者のマルコが馬を巧みに操り、父方の祖父であるグランツ・オロロージオの工房に急いでいる。
 エミリアは左手首の内側の腕着け時計をチラッと見た。


「急げばカンタラリア方面行の乗合馬車の時間には間に合いそう……」

 エミリアの腕着け時計は、一見すると手首に金糸の刺繍入りの、白いリボンを巻きつけているようにしか見えない。
 リボンはもちろん色を変えられるし、夜のパーティーとなるとリボンの部分を宝石のついたブレスレットに取り替えたりもできる。

 実はこの腕着け時計は、世界でただ一人、エミリアだけが持っている時計だ。
 なぜなら、エミリアが最初で最後に完成させたものだからだ。成長した今のエミリアには普通の時計は作れても、この小ささの腕着け時計はもう作れない代物である。

「エミリア様? オロロージオ様のお店で無くて、工房でよろしいんですね?」
「ええ、工房の方にお願い。おじい様もそこにいらっしゃると思うしね」

 エミリアの言うおじい様、正確には父方の祖父は、グランツ・オロロージオ男爵。リンデネート王国の一代限りの名誉貴族。
 元は平民の時計職人だった。

 建築物の大時計や柱時計、懐中時計しかなかった世の中で、初めて腕着け時計を発明し、実用化・製造した男。
 それだけでは王家から爵位をたまわる程ではないが、グランツの功績は腕着け時計の応用でもある。
 貴族男子となれば、懐中時計を持っているが、こと戦場において、いちいち懐中時計を取り出して確認することなどできなかった。

「エミリア様、もう間もなく到着しますよ」
「ええ、ありがとう。私が降りたら、都内をうろうろしてから帰ってちょうだい」
「へ、へぇ」

 グランツの功績は、騎士が身につける籠手や手鎧に時計を組み込む工夫と言うか、発明をしたこと。
 これによって、本陣にいるような指揮官・幕僚以外にも、現場の指揮官級の騎士も容易に時間が把握でき、時間を元に作戦の立案・実行をするという、戦争の仕方さえ変え得る実績を残したことで、国王陛下から名誉爵位をたまわったのだ。
 実際、この発明以降リンデネート王国は、戦争では負け知らずだ。

 ガラガラガラ、ガラッ。

「エミリア様、到着致しました」
「ありがとうマルコ。さっき言ったように色々回ってから帰ってね。私が何処で降りたかも内緒よ?」
「はい。お任せを」

 エミリアは馬車が動き出すのを確認して、王都郊外にあるグランツの工房に入っていく。

 コンッ! コンコロ!

 木製のドアチャイムが鳴ると、グランツも職人達もエミリアに気づいた。
 グランツは、男爵位を賜り貴族街に時計店の出店を許された後も、店ではなく工房にいて職人達と時計を作っている。

「エミリア! そんな恰好でどうしたんだい? 今日はパーティーのはずじゃ」

 グランツが作業台を離れ、エミリアの元へ進みかける。

「――ごめんなさい! ご挨拶したいのだけど……急いでいるの!」

(淑女のマナー違反だけれど、ご挨拶は無しでアレを先に持ち出さないと!)と、祖父に申し訳ないと思いつつも、駆け足で工房の奥に向った。

 ビリリッ! ツーーー!

(ああっ! ドレスが引っかかってしまったわ)

 慌てて走るエミリアのドレスが、工房のテーブルに引っかかって裂けてしまった。

(でもいいの、このドレスはアデリーナのドレスを仕立て直したもの。いわばお下がりだし……)

「ああエミリア! 綺麗なドレスが裂けてしまって!」
「おじい様、いいのです! ちょっとお待ちになってね」

 工房の奥の小部屋には、エミリアが小さい時から使っているエミリア専用の作業机がある。
 彼女はそこに向かい、椅子を引き出して机の下を見た。
 エミリアは、そこに旅支度のされた小さなトランクと、着替えの入った麻袋を隠しておいたのだ。
 それを引っ張りだして作業机に乗せると、孫娘を心配して追ってきたグランツに声をかける。

「おじい様! 私、ここで着替えるので見てはダメよ?」

 グランツは小部屋の入り口まで来ていたが、くるりと向きを変えてエミリアに背を向けた。

「えっ!? あ、ああ! 着替えながらでも話してくれるかい?」

(……話して大丈夫かしら? お母様に何も言えないお父様を怒ったりしないかしら?)

 エミリアは、できるだけ穏便に聞こえるように話をしなければと思った。

「実はね……お家を出――急に留学することになって! お隣のカンタラリアに!」
「そんな急な事あるのかい?」

 グランツは元々平民で、小さい頃から時計職人の徒弟とていに入ったので、学校――それも貴族の学校制度には詳しくない。

(騙すような真似をしてごめんなさい! おじい様……でも、リンデネート王国とカンタラリア帝国は仲はいいので、おじい様もそこは安心でしょう)

「そう! こんなに急なのは珍しいけれど、荷物は後からマルコが運んでくれるの!」

 エミリアはそう言いながら、どちらかと言えば平民に見える洋服に着替えている。
 ついでに、裂けたドレスを更に裂いて、自分の金髪をポニーテールにまとめるリボンにした。
 ここで、エミリアが忘れ物に気づいてしまった。

(あっ! いけない! 靴を忘れちゃったぁ。……仕方ない! このヒールで行くしかないわ!)

 今まで着ていたドレスを作業机の下に押し込めて、空になった麻袋に、トランクを入れる。
 平民の恰好をしたエミリアが、綺麗なトランクを持っているのもおかしいかなと思ってのことである。

 エミリアは、これで靴はともかく動きやすい服装にはなった。

(でも靴……いいえ、ここでお金は無駄にできないわ! 逃げおおせてからでいいわ)

「エミリア、本当に大丈夫かい? 私に何かできることはあるかい?」

 グランツは一八〇センチメートルと家族の中で一番の長身で、シャツを腕まくりして出しているがっしりとした腕でエミリアの肩を包み、優しい碧眼で見つめて聞いた。

(おじい様……いけないっ! おじい様と目を合わせていると、涙が溢れてきてしまう)

 グランツと父・リンクスとエミリア、この三人は揃って金髪碧眼で、連綿とグランツの血が流れている事が分かる。
 兄・クリスは瞳の色が母のマリアンやアデリーナと同じヒスイ色だが、顔や髪のクセはグランツに似ている。将来ダンディーになるだろう。

「大丈夫ですよ! 留学するだけですよ? もう、心配性なんだから~」

 エミリアはグランツに心配をかけてはいけないと、心に言い聞かせて気丈に振舞う。 

(それに……おじい様からは、もう十分すぎるモノを頂いているわ……。時計作りの基礎は完璧よっ!)

「いけない! もう時間だわ。おじい様、落ち着いたらお手紙を送りますね? どうかお元気で」
「ああ、エミリアも元気でな。おじいちゃんはエミリアの味方だからな!」

(ありがとう……おじい様)

 エミリアは心の中で、グランツに今までの礼を言い、グランツの目を見て、しっかり頷いた。

 コンコロッコン!

 グランツの工房を出ると、エミリアは「よしっ!」と気合を入れて、乗合馬車の停留所に向かった。

(でも……トランクを入れた麻袋を抱えて歩くのって窮屈だわ。靴もヒールだし……)



「カンタラリア方面はこっちだよー。もうすぐ出発だよー!」
「な、何とか間に合ったようです。はぁっ、はぁっ」

 幸い乗合馬車にはエミリアの乗るスペースは残ってるようだった。
 カンタラリア行きと言っても、距離的に直通というわけにはいかない。
 まずは今日の目的地の宿場町までの運賃を支払って……着いてから明日の宿場町からカンタラリアまでの分を予約する形だ。

(これで、今までの運命から抜け出せるっ!)

 客車は木のベンチで座り心地が悪いが、気にしてはいられない。
 エミリアは、洋服に似合わない靴をジロジロ見られてはいないか、気が気でなかった。

(えーい! 気にしてはいられないわ! 堂々としていれば誰も気にしないわ! 頑張れ私)

「じゃあ出発だよー。忘れ物はないかー?」

 エミリアはこの掛け声に、大事な事を思い出した。

(はっ! ルノワ!)

 そして、心の中でルノワに呼びかける。

(ルノワ? ついて来てる?)
(シャー!)

 エミリアは、ルノワがベンチの下、エミリアの麻袋と他の客の荷物の間にいるのを確認した。

(忘れていたわけではないの! ちょっと自分のことで精一杯だったの……ごめんね。さっ! 私のお膝においで~)
(ニャオ)

 ルノワがエミリアの膝にピョンっと乗って来て丸くなる。
 この子は猫のルノワ。エミリアにだけ見える尻尾が二本の黒ネコである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

闇に蠢く

野村勇輔(ノムラユーリ)
ホラー
 関わると行方不明になると噂される喪服の女(少女)に関わってしまった相原奈央と相原響紀。  響紀は女の手にかかり、命を落とす。  さらに奈央も狙われて…… イラスト:ミコトカエ(@takoharamint)様 ※無断転載等不可

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

戦国姫 (せんごくき)

メマリー
キャラ文芸
戦国最強の武将と謳われた上杉謙信は女の子だった⁈ 不思議な力をもって生まれた虎千代(のちの上杉謙信)は鬼の子として忌み嫌われて育った。 虎千代の師である天室光育の勧めにより、虎千代の中に巣食う悪鬼を払わんと妖刀「鬼斬り丸」の力を借りようする。 鬼斬り丸を手に入れるために困難な旅が始まる。 虎千代の旅のお供に選ばれたのが天才忍者と名高い加当段蔵だった。 旅を通して虎千代に魅かれていく段蔵。 天界を揺るがす戦話(いくさばなし)が今ここに降臨せしめん!!

夜鴉

都貴
キャラ文芸
妖怪の出る町六堂市。 行方不明に怪死が頻発するこの町には市民を守る公組織、夜鴉が存在する。 夜鴉に在籍する高校生、水瀬光季を取り巻く数々の怪事件。

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...