怪しい二人

暇神

文字の大きさ
上 下
4 / 151
#1 ひとりかくれんぼ

#1ー3 対峙

しおりを挟む
 私は、娘と思われる光に向かって走っている。
 その光は、小さく、だが、確実に光り続けている。
「美由紀……!美由紀……!」
 そして、光が在る場所に辿り着いた。
 そこには、何も無かった。いや、正しくは……

 そこには、人形が居た。

「何故……?どうして美由紀が居ないの……?」
 その人形が僅かに動いた事に気が付いた時には、もう遅かった。
「奥さん!その人形から離れて!」
 人形はいつの間にか巨大な化物へ変わり、その巨大な腕で、私を宙吊りにした。
 私は悲鳴を上げ、宙吊りのまま、自らの脚を掴む人形の腕を蹴ったり叩いたりした。
 しかし、人形にそんな物が通じる筈も無く、私は勢い良く宙に放り投げられた。
 美由紀、待っててね。今、迎えに行くから。
 そう思っているうちに、私の体は地面に叩き付けられた。

 私は、その衝撃に耐えられず、気絶してしまった。

 マズい事になった。『ひとりかくれんぼ』で起こり得る最悪の可能性を引いたと言っていい。
 先生は何処に行った?肝心な時に役に立たない人だ!
 俺は自分の武器でもある原稿用紙を広げ、退魔の呪文を唱える。
「世の境界を跨ぎし、自然ならざる魂よ!我が力を以て、封印する!」
 原稿用紙は光を放ち、見事な五芒星を描いた。

「我が名は八神蒼佑!百の物語を紡ぐ者也!」

 五芒星は化物を捕らえ、化物は一時的にその動きを止めた。
 これも一時しのぎでしかない。やる事はやっておかねば。
 俺は、依頼人を安全な場所まで運び、また化物が動き始めた事を確認すると、原稿用紙を取ろうとした。
 しかし、その手は何も掴めなかった。
 確認すると、原稿用紙は無くなってしまっていた。
「まさか依頼人の家に置いて来たのか?」
 我ながらとんでもない失敗をした!
 そんな事を考えている内に、化物は自身を捕らえていた五芒星を砕き、襲い掛かって来た。
「クソッ!」
 化物はその鋭い爪で、俺の体を掠めた。
 切り裂かれた服には、血が滲んだ。折角新調したコートが台無しだ!
「痛えなあ!」
 俺は大声を出す事で、自らを奮い立たせ、次なる攻撃に備える。
 だが、化物は巨大な腕で俺の体を叩き、そのまま吹き飛ばした。
 一瞬、体が浮いたのを感じ、その後すぐに地面に叩きつけられた。
 間違いなく骨がイっている。右足と左腕が動かない。
 化物は俺に近付くと、処刑だと言わんばかりに巨大な腕を鋭い斧に変え、それを振り上げた。
 俺は、肝心な所で役に立たない人を、その時出せる最も大きな声で呼んだ。
「先生ー!」
 化物は俺が何を言おうと構わないと言う風に、その斧を振り下ろした。

「よくぞレディを守ったな!八神くん!」

 その声が聞こえた直後、俺に振り下ろされた斧は切られ、俺の体のすぐ横に落下した。
「少し良い男になったかい?」
 彼女はこんな時でも自分のペースを崩さない。
「気のせいでしょう?」
「その怪我も、そんな事を口にできるならまだ大丈夫だな」
 今までどっか行ってた癖に偉そうに。
 だが、偉そうに出来るだけ、この人は強い。
「さあ!成仏するが良い!」
 そう言うと、先生は懐から『悪霊退散』のお札を取り出した。
 化物は、何かを感じ取ったのか、残った左腕を振り回し、先生を吹き飛ばそうとしている。
 しかし先生は、焦りで大雑把になった攻撃に当たる人ではない。
 右から、左から、襲い来る剛腕を身軽に躱し、化物の懐に潜り込む。
 先生はお札を構えると、化物に貼り付け、退魔の呪文を唱え始める。
「この世への未練により、世の境界を跨いだ魂よ!自然の掟を破りし魂よ!我が力を以て、成敗する!」
 誇り高き文学少女は、高らかにその名を叫ぶ。

「我が名は岩戸咲良!真実を探求する者也!」

 刹那、お札は黄金の五芒星を描き、化物に向かって行った。
 化物は叫び声を上げながら、自身の体が崩れていくのを見つめている。
 やがて化物は光の塊へと変わり、中から一体の人形と、一人の女の子が現れた。
「う……此処は?」
「近所の公園ですよ。橋本美由紀さんですね?」
「そうですけど……貴女は?」
 自己認識は出来ているので一安心だが、まだ意識がボンヤリしているらしい。仕方の無い事だ。恐らく、化物の精神攻撃を受けたのだろう。
「貴女のお母上より依頼を受け、貴女を探しに来た探偵ですよ」
 彼女は暫く呆然としていたが、何かに気が付いたように、先生に質問した。
「あの人は!?人形の中に居た、高島花の父親は!?」
「ちょっと待ちたまえ。何があったのか、私に話してくれないか?」
 それから彼女は、人形の中であったこと、高島花とその父親についてを話し始めた。
「私……彼にとってこれ以上ない残酷なことを言ってしまったんです!私は、彼に謝らないといけないんです!」
 そんな事があったのか……
 亡者とは言え、生前の全てを覚えている訳では無い。自らの死を受け入れられていない魂なら尚更である。
 そんな状態の魂に、自身の死因を思い起こさせるような事を言うと、暴れ出す事があるのだ。
 人形が化物に変化した原因に納得した俺に、恐らく彼女が気の毒になったのであろう先生は、俺に『新作』の催促を始める。
「八神くん。彼女に小説を書いてはあげられないのかい?」
「原稿用紙は?」
「三枚」
「人使いの荒い人だな全く……」
 怪我人は労るべきだと思うのだがねえ。
 俺は一時間ほど使い、小説を書き上げた。
 高島花の父親の、彼女への謝罪と感謝を記した物語を。
『私は、許されない事をした。
 真実を述べただけの彼女に、恐ろしい思いをさせた。』

『願わくば、あの名も知らない、真実を教えてくれた少女へ、最大の感謝と、謝罪を……』

 それを読み終えると、彼女は原稿用紙をその胸に抱き、泣き始めた。
「まあ、彼への謝罪は、お墓参りに行った時にすれば良い。彼は、君を責めることだけはしない筈だよ」
 そう言う先生も、その目に涙を浮かべていた。

 誰も居ない公園には、彼女の嗚咽だけが聞こえていた。
しおりを挟む

処理中です...