かくされた姫

葉月葵

文字の大きさ
上 下
7 / 8
第壱章

弐:茶々の憂鬱

しおりを挟む
和子が京へ旅立って数ヶ月後、竹千代と国松が元服の儀を迎えた。竹千代は『家光』、国松は『忠長』と名を改め、それぞれ官位を賜って大人の仲間入りを果たした。



近頃茶々の機嫌がすこぶる悪い。乳母であるうめは主君の不機嫌とわがままに困り果てていた。

「嫌じゃ!とにかく嫌じゃっ!」

新しい着物を仕立てるために江が取寄せてくれた反物を畳の上にぶちまけて、茶々は泣きわめいていた。

「姫様、駄々をこねてはなりませぬ。お母上がせっかく取寄せてくださったのですから」
「嫌じゃ!茶々はもう子供ではない!母上と同じ着物がよい!」

子供ではないと言われても、茶々はまだ六歳である。それに、将軍の正室である江と姫君である茶々が同じ着物を着るにはなかなかに無理があった。だが、うめは頭ごなしにこの幼い姫君を叱ることはできない。主君であるというのもあるが、茶々がなぜこんな風になったかもわかっているからだ。
茶々は寂しいのだ。和子は輿入れして江戸を離れ、家光と忠長は元服して秀忠の政務を手伝うようになった。これまで一緒に遊んでくれた兄や姉と過ごす時間がなくなり、一人でいるのが辛く寂しいのだ。だから、構ってほしくてこうやって駄々をこねるのだ。乳母であるため己も子を持つうめは、茶々の気持ちが分かった。

「何の騒ぎじゃ?」

そこに、すっと襖が開いて江が入ってきた。茶々が母の姿を見てぱっと表情を明るくしすぐさま居住まいを正す。江は室内にぶちまけられた反物と、うめの疲れ切った表情、そして茶々の頬に残る涙の痕を見て大体の状況を察した。

「茶々。またうめを困らせておるのか?」
「……」

厳しい声音に、茶々はむすっとした表情になって俯いた。図星だったからだろう。
ここ最近の茶々の機嫌が悪く、我が儘を言ってうめや侍女たちを困らせている話は秀忠と江、そして家光と忠長の耳にも入っていた。その理由も察しがついていたし、一人で寂しい茶々の気持ちも分かっていた。だが、

「和子が嫁ぎ、家光と忠長とも遊べなくなって寂しい思いをさせているのは私も承知している、そなたにはすまぬと思うておる。……されど、だからといって我が儘を申してはならぬぞ」

江はそう言った。

「そなたは徳川の姫じゃ。この国のすべての姫の鑑でなくてはならぬ」
「お方様……それは姫様には酷では」

うめは控えめにそう進言した。そばでお世話をしてきて、幼い姫の寂しさを分かっているからの発言だった。しかも、茶々はまだ六歳。姫の鑑であれというのはさすがに酷だ。
しかし江は小さく首を横に振り、茶々の前にそっと座った。

「和子も申していたであろう?徳川の姫としての役目があると」
「……はい。兄上と兄君とともに、父上と母上をお支えすると……」
「そうじゃな。されど、私はそなたにもう一つ徳川の姫としての役目を授けようと思うておる」

江はそう言って茶々の小さな手を取る。

「よいか、茶々。そなたは徳川の姫として、この国にいる姫すべての手本となるのじゃ」

そう語り掛けながら、江は数日前に夫とかわした会話を思い出していた。


「おそらくあの子をどこかに嫁がせることはできぬ」
「……そうでありましょうね」

茶々は表向きは秀忠と江の六人目の娘とされているが、実際は千が豊臣秀頼との間にもうけた一人娘である。豊臣の直系は豊臣国松の処刑と奈阿姫の出家によって絶えたことになっている以上、茶々の本来の血筋を知られるわけにはいかない。最悪の場合茶々の命が危ぶまれる。だからこそ、自分たちの娘として手元に置くことで守ろうとしたのだ。家光が将軍になったあとも将軍の妹という立場があれば守られるだろうし、家光が茶々を無碍には扱うまいという信頼もあった。
そうなる以上、茶々を他家に嫁がせるわけにはいかないのだ。どんなに気をつけていようと、自分たちの目の届かないところでひょんなことから血筋が露呈するかもしれない。茶々の本当の親が誰であるか知られないためにも、徳川宗家から出すわけにはいかないのだ。

「ならばせめて、あの子が徳川で生きる理由を与えなければな」

その秀忠の言葉が、茶々に『この国のすべての姫の鑑であれ』という役目を与えることに繋がったのだ。



「徳川の姫として気高くあれ。この国における姫の手本として、鑑として、強くあるのじゃ」

江のまっすぐな眼差しに、茶々は息を飲む。母の表情はどこか切なくて、でも凛々しく美しかった。

「よいな、茶々」
「……はい」

母の静かな勢いに気圧されるように、茶々は頷くのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

峽の剣

Shikuu
歴史・時代
阿波國の山塊にある小さな集落で失われた霊剣を探すために、山を下りた若者の出会いと試練の物語です。

日は沈まず

ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。 また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。

奇妙丸

0002
歴史・時代
信忠が本能寺の変から甲州征伐の前に戻り歴史を変えていく。登場人物の名前は通称、時には新しい名前、また年月日は現代のものに。if満載、本能寺の変は黒幕説、作者のご都合主義のお話。

近衛文麿奇譚

高鉢 健太
歴史・時代
日本史上最悪の宰相といわれる近衛文麿。 日本憲政史上ただ一人、関白という令外官によって大権を手にした異色の人物にはミステリアスな話が多い。 彼は果たして未来からの転生者であったのだろうか? ※なろうにも掲載

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

融女寛好 腹切り融川の後始末

仁獅寺永雪
歴史・時代
 江戸後期の文化八年(一八一一年)、幕府奥絵師が急死する。悲報を受けた若き天才女絵師が、根結いの垂髪を揺らして江戸の町を駆け抜ける。彼女は、事件の謎を解き、恩師の名誉と一門の将来を守ることが出来るのか。 「良工の手段、俗目の知るところにあらず」  師が遺したこの言葉の真の意味は?  これは、男社会の江戸画壇にあって、百人を超す門弟を持ち、今にも残る堂々たる足跡を残した実在の女絵師の若き日の物語。最後までお楽しみいただければ幸いです。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

楽将伝

九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語 織田信長の親衛隊は 気楽な稼業と きたもんだ(嘘) 戦国史上、最もブラックな職場 「織田信長の親衛隊」 そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた 金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか) 天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!

処理中です...