かくされた姫

葉月葵

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序章

参:離別のきざし

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元和二年四月。徳川家康、駿府城にて逝去。
江戸幕府を作り上げた大御所の死に江戸城はにわかに忙しくなり、秀忠は息子としてではなく将軍として父の死に関する処理に追われた。江はそんな夫を支え、竹千代と国松も父を手伝った。



「おじい様のご遺言で、宮を作るそうですよ」

末の妹とともに香を焚き比べていた千は、その妹――和子の言葉に目を瞬かせた。
江戸城に戻ってきて初めて顔をあわせた和子は、今の千にとって茶々と並ぶ心のよすがだった。秀頼に嫁ぐ前から、千は妹と過ごす時間がほとんどなかったのだ。すぐ下の妹の珠は数え三歳で加賀の前田家に輿入れしてしまったし、二番目の妹勝は千が嫁いだとき数え三歳でまだ一緒に遊べる年でなかった。そして当時母が身ごもっていた三番目の妹初以降の弟妹きょうだいとは江戸城に来て初めて会った。幼くして大坂に渡り、同世代は夫の秀頼しかいなかった千にとって、初めて過ごす弟妹との時間は幸福なものだった。

「宮? 何かを祀るのか?」
「はい。なんでも、おじい様を神として祀るとか……」

千の問いに答える和子の表情は冴えない。和子にとって家康は可愛がってくれる祖父だが、千にとっては夫の仇なのだ。夫を奪った仇が神として祀られるなど、姉にとっては屈辱的だろうと思ったのだ。

「……そうか」

けれど、和子の予想に反して千の反応は落ち着いていた。秀頼を失ってもうすぐ一年、気持ちの整理がついたのかもしれないと和子は姉の表情を見て思った。
そのとき、廊下のほうから赤子の泣き声が聞こえてきた。千がぱっと立ち上がり襖のほうへと向かう。

「失礼いたします、お方様。姫様が……」

千が辿り着いたのとほぼ同時に開いた襖の向こうには、申し訳なさそうな顔をした茶々の乳母が立っていた。彼女はもともと江に仕える侍女であり、千と茶々が江戸に戻ってきた際に茶々の乳母に命じられたのだ。
乳母に抱かれた茶々は顔を真っ赤にして泣いており、じたばたと手足を動かしている。

「泣き止まぬのか?」
「は、はい。襁褓も濡れておりませぬし、乳も飲まず……母君を恋しがっておいでなのではないかと思いまして」

恐縮した様子でそう言う乳母に、千は「すまぬな」と微笑んで茶々を抱き取った。

「茶々、どうした? 母はここにおるぞ」

慈愛に満ちた笑みを浮かべ、千は優しい声でそう呼びかけて茶々をあやす。するとたちまち茶々は泣き止み、つぶらな瞳で母を見上げた。そんな娘の顔を見て、千の表情は緩んだ。

「本当にそなたは愛らしいのう……何より、瞳が秀頼様に、父上によう似ておる」

茶々の顔立ちからは、秀頼の面影が感じられた。紛れもなくこの子は秀頼との間に授かった子なのだと、千は娘の顔を見るたびに嬉しく思っていたのだ。

「……」

そんな母娘を見て、千の乳母・みね――後世では刑部卿局と名が伝わる――はやや不安な気持ちになっていた。
秀頼の血筋は、側室が産んだ国松の処刑、そして奈阿の出家により絶えたということになっている。この先、茶々が秀頼の子だと知られれば厄介だ。だが、今でさえ秀頼の面影を宿す茶々がこの先成長すれば、その出自を疑う者が必ず出てくるだろう。そうなれば茶々はもちろん、その母である千の身も危うい。幼き頃から守り育ててきた姫の安寧な未来を、みねは祈っていたのだ。

「失礼いたします」

そこに、江の侍女がやってきた。

「お千様。上様と御台様がお呼びにございます」




「千。父上のご遺言で、そなたを再び嫁に出すことになった」

呼び出された秀忠の私室で、千はそう告げられた。秀頼様と死に別れてからまだ一年しか経っていないのに――と千の後ろに控えていたみねは表情にこそ出さなかったが激しく動揺していた。

「……承知いたしました」

だが、千は静かに父の言葉を受け入れた。
覚悟していたことだった。自分はまだ数え二十歳で、表向きには子がいないことになっている。何より将軍の長女として、再び政のために使われることは察しがついていた。だが、茶々がそばにいればそれでいい。

「すまぬな、千。まだ大坂の戦いが終わって間もないというのに」
「いえ、覚悟はしておりました」
「……そうか。相手は桑名の本多家の倅、忠刻じゃ。忠刻の母は私の兄・信康の娘。そなたの従姉ゆえ、そなたを悪いようにはせぬだろう。安心するがよい」
「はい」

頷く千。そんな娘に、秀忠の傍らに座っていた江は険しい表情で言った。



「だがな、千。茶々は江戸に置いて行くのじゃ」



母の言葉に、千は目を見開いた。
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