かくされた姫

葉月葵

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序章

弐:江戸城にて

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元和二年一月。体調が安定した千は茶々を連れて江戸へとやってきた。輿を降りた千はきょろきょろと周囲を見渡す。
江戸城は千の記憶からずいぶん様変わりしていた。千が嫁いでから大規模な改修工事が行われたとは聞いていたが、朧げな記憶のなかにある江戸城とは比べ物にならない華やかさだ。これがこの国を統べる徳川家の居城なのだ。

「御台様! 走ってはなりませぬ!!」

バタバタという慌ただしい足音、咎める声。はっとしてそちらを向くと、打掛を翻した女性がものすごい勢いでこちらに駆けてくるのが見えた。

「千! ああ、千……よくぞ無事であった……!」

彼女――江は涙を流しながら叫び、千を抱きしめた。懐かしい香の匂い、母の匂いに、千の目からも涙が溢れる。

「はは、うえ……母上……!」

まるで子供のようにしがみついて、千は大声で泣いた。



「母上、申し訳ございません……!」

江の居室にて。千は母の前に伏して詫びた。
義母は、淀は、江にとって実の姉だ。幼いうちに両親を失っている江にとって、淀は姉であり母だったはずだ。徳川と豊臣の絆を繋ぐ架け橋となるために千は秀頼に嫁いだのに、絆を繋ぐどころか二人を死なせてしまった。

「千が謝ることではない。きっと姉上は、豊臣の誇りを胸に逝ったのじゃ。徳川に下り生きるよりも、誇りをもって死ぬ道を選んだ……母上と同じようにな」

泣き伏して詫びる娘に、江はそう言って微笑んだ。そして立ち上がり、娘の前に跪いてその手を優しくとる。

「私こそ、そなたに詫びねばならぬ。まだ幼かったそなたに、私は重い責を負わせた……」

江戸城を発つ前日。江はまだ幼かった千を抱きしめて言ったのだ。

『よいか、千。そなたは徳川と豊臣を繋ぐ架け橋となる役目をもって、豊臣に嫁ぐのじゃ。それを忘れるでないぞ』

あの頃から、徳川と豊臣の間には溝が生まれ始めていた。大好きな姉と敵味方になるのは、戦が起こるのは、江にとって何よりも耐えがたいことだった。千が嫁ぐことで、姉の徳川への不信感も和らいでくれるといい。千と秀頼、二人の間に子が生まれれば、両家の絆は強くなって戦は避けられるかもしれない。そう思っていたのだ。

「私は愚かな母であった……まだ三つであった珠を義父上様によって前田家に輿入れさせられたとき、娘をまつりごとの道具にされることに反発したというに。結局私は、そなたを徳川と豊臣を繋ぐ道具のようにしてしまった。義父上様と同じじゃな……」
「母上は愚かではございませぬ! 母上のお言葉があったからこそ、私は秀頼様と深く想い合うことができたのです。秀頼様と想い合えたからこそ、茶々を授かることができたのです」
「……そうか……」

千の言葉に、江の表情が少し和らぐ。

「千。そなたの子を抱かせてはくれぬか?」

そう言われて千は涙を拭いながら「はい」と頷く。後ろに控えていた乳母に目をやって合図をすると、彼女はすっと一礼して部屋を後にする。そしてすぐに赤子を抱いて戻ってきた。

「母上、私の子にございます。茶々と申します」
「……茶々……」

赤子の名前を聞いた江の瞳が揺れる。自分が候補に挙げた名とはいえ、本当に姉の幼名を選んでくれるとは思わなかった。

「この子が、私と秀頼様の子である証にございます。出生を明かすわけにはまいりませんから……せめて、豊臣の姫であることを名に残したかったのです」
「そう……そうか。ありがとう、千」

千の説明に、江は嬉しげに目を細めた。千の乳母から茶々を受け取り、愛おしそうに見つめる。

「可愛らしいのう……」

ほう、と息を吐いて言う母の姿に千も嬉しくなる。江は孫娘のふっくらした頬をまるで慈しむような優しい手つきで撫でた。

「茶々。茶々……そなたは望まれて生まれてきたのじゃ。徳川も豊臣も関係ない……泰平の、安寧の世で、健やかに幸福に生きておくれ」

それは、心からの願いだった。孫娘の健やかな満ち足りた未来を、江は心から祈った。
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