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第一章

6.きざし

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婚礼から半年がたった。相変わらずヴィルフリートとは夜しか顔を合わせることはなく、ブランシュが思い描いていた夫婦とはほど遠い関係性のままである。
だが、義妹であるブリュンヒルデとは非常に良好な関係を築いていた。ブリュンヒルデもブランシュもそれぞれの立場での学問の時間や公務があり多忙だが、スケジュールを調整しては二人でお茶の時間を楽しんでいる。それはブランシュにとって、サンティエールに嫁いできてから唯一心安らぐ時間だった。



その日もブランシュはブリュンヒルデとともに自室でお茶を楽しんでいた。故郷から届いた茶葉を使って紅茶を用意したのだが、ブリュンヒルデの侍女であるゲルダが「まずは私が毒見をいたします」と淹れたてを飲んでしまった。毒を仕込んでいるのではと疑われているようで正直ブランシュは不快だったしリリアーナは露骨に不快感をあらわにしていた。だが、この国では王族が口にするものは必ず毒見をしなければならないことは学んでいる。
だが、

「……?」

お茶を一口飲んだブランシュは、なんだかいつもより味がよくない気がして思わず怪訝な表情を浮かべた。

「妃殿下?どうなさいました?」

主君の表情の変化にすぐに気づいたリリアーナが問いかける。ブランシュは返答しようとしたが、胃の奥から吐き気がせり上がってきて思わず口元を押さえた。

「う……」
姉様ねえさま?」

この数ヶ月ですっかり打ち解け「姉様」と呼んでくれるようになったブリュンヒルデが、突然のブランシュの異変に驚きの表情を浮かべる。大丈夫、と答えるが吐き気は治まらない。

「……まさか」

その様子を見てとある可能性に思い至り、思わず呟くブリュンヒルデ。

「ベネデッタ。医官を呼んできてちょうだい」
「かしこまりました」

ブリュンヒルデの指示を受け、ベネデッタがすぐに動き出す。カルラ、クララ、エバもてきぱきとブランシュを寝台に寝かせ、服の襟元を緩めて呼吸を楽にしている。リリアーナはおろおろした様子だったが、ゲルダが「殿下にお知らせを」と指示するとすぐさま飛んでいった。



「ご懐妊かと思われます」

呼ばれてきた医官は、問診や触診を行ったあとそう告げた。ブランシュ付きの侍女四人――リリアーナ除く――とゲルダがすぐさま跪き、「妃殿下、おめでとうございます」と揃って口にした。

「……懐妊?私が……」

思いもよらなかった事実に、ブランシュは動揺していた。
確かにこの半年、ヴィルフリートと幾度となく身体を重ねた。子ができるのも時間の問題というほどに。だが、それは愛に満ちたものではなく義務的な、機械的なもので。愛し合った末に授かったわけではないという現実が、ブランシュの心に重い影を落としていた。

「妃殿下、これからはお身体に重々お気をつけてくださいませ」

カルラがそう言った。

「妃殿下が身ごもられたのは殿下の御子。いずれ殿下の後を継がれ、この国の王となる方になるかもしれません。王家の血を確実に繋いでいくために、どうか王子殿下をお産みくださいませ」
「……」

純粋に自分の身体を案じてくれたのではないかと一瞬期待しただけあって、ブランシュはカルラのその言葉にさらに気持ちが重くなるのを感じた。
分かっている。そもそもヴィルフリートの妃として迎えられたのだって、後継者を産むためだ。国内の貴族令状が軒並みヴィルフリートの無愛想さに耐えられなかったからこそ、政略結婚で国力を保っていたエーデンベルクと利害が一致してブランシュが嫁いだのだ。分かってはいても、気持ちは沈んだ。カルラたちにとって、何よりも大事なのはヴィルフリートの次の王が生まれること。もし月満ちて出産となり、母体と赤子のどちらかを優先すべきかとなったら、彼女たちは確実に赤子を優先するのだろう。ヴィルフリートの血を引いてさえいれば、その赤子の母は誰だっていいのだから。

「……カルラさん、それはあんまりではないですか?」

こらえかねたようにリリアーナがそう言った。

「お子が無事であれば、妃殿下の御身はどうなってもいいと仰るんですか!?」
「口を慎みなさい、リリアーナ」
「いいえ!言わせていただきます!」

エバの制止をリリアーナは一蹴した。

「お言葉ながら申します。妃殿下はこの国に請われて嫁がれたのです!それなのに、今までもずっと……妃殿下に対しての態度、慇懃無礼にもほどがあります!妃殿下は殿下の御子を産むためのからくり人形ではありません!」
「リリアーナ、やめなさい。もういいの」
「妃殿下、ですが!」
「いいから」

ブランシュとて、リリアーナの気持ちは嬉しい。だが、もともと侍女たちと上手く関係性を築けていない今のリリアーナが彼女らに歯向かうのはまずい。内心の複雑な感情を押し込めて、ブランシュは微笑んだ。

「……ありがとう、カルラ。身体には重々気を付けるわ」
「はい、妃殿下」


その日の夕方。ブランシュの懐妊を聞いたらしいヴィルフリートが部屋を訪れた。

「体調はどうだ?」

そう問いかけられて、寝台に身体を起こしていたブランシュは面食らった。嫁いできて初めて、ヴィルフリートから気遣いの言葉をかけられたのだ。

「はい……今は少し楽になっています」
「……そうか。くれぐれも無理はするな。健やかな子を産み、お前も無事でいろ」
「えっ」

さらに驚く。まさかヴィルフリートからそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだ。今までずっと、ただ子を産ませるためだけに身体を重ねてきただけだったのだから。

「お前にしか俺の妃は務まらんだろう?お前に死なれたら困るんだ」

ヴィルフリートはふいっと視線をそらしながら言う。やや照れ隠しのようにも見えるその仕草に、ブランシュは思わず微笑んだ。

「……ありがとうございます、殿下。私も無事のまま、子を無事に産んでみせます」
「……ああ」

そのままヴィルフリートは部屋を出て行く。その後ろ姿を見送りながら、ブランシュはさっきまで重く沈んでいた気持ちがほんの少しだけ浮上してきたのを感じていた。
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