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決戦
わすれな草の海
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目の前に、シュウがいた。
「よかった!戻ってきたんだね!」
シュウは驚いた顔でユイを見る。
――違う……! シュウが現実に戻ったんじゃない! 私が私の夢の中に入ったんだ!
「ユイ! どうして……!」
シュウのすぐ背後にユメクイが迫っていた。
ザッ!
ユメクイの鋭い爪がシュウに襲いかかった。シュウはすぐさまそれをかわしたが、左腕上部に少し当たってしまった。傷は浅かったがシュウの腕からみるみる血が滲み出る。攻撃をかわすとほぼ同時にシュウは腰の刀を素早く抜き、ユメクイに向かって勢いよく踏み込んだ。刀は紫の炎のような光に包まれていた。
ザシュッ!
シュウの刀がユメクイの芋虫のような首の付け根を切り裂いた。
ぎゃおおおおう!
鋭い鳴き声をあげる。ユメクイの体から、まっ黒な血のような液体が溢れ出た。
――手ごたえはあった。でも致命傷ではない。
さらに続く攻撃を、という所だが、シュウはすぐさま刀を納め後方に下がり、立ちつくすユイをその腕に抱え上げ、ユメクイとは反対方向に駆けだした。
ユイの登場で、戦況はシュウにとって一気に不利となった。
先程の攻撃は、選択肢のない危険な捨て身の攻撃だった。成功したのは運がよかったとしかいいようがなかった。まったくの自殺行為だった――下手をすれば、自分もユイもやられていた――シュウは走りながらも素早く思考を巡らせる。焦る気持ちをなだめ、なんとか平常心を保とうとした。
――勝敗は、おそらく一瞬。この戦いは一瞬の差で運命が決まる。またそうでなければ勝ち目はない!
それにしても、とシュウは思う。術を超えて昨晩ユイは夢を見てしまった。そのため、改めてさらに術を強力にしたつもりだった。今ユイがユメクイのいる夢を見ること、ましてや夢に登場することなど不可能なはずだった。シュウは思いを巡らす。
――ユイの中によほど強いなにか――たとえば、強い想い――があったのか。やはり、人の心、人の力というものは、計り知ることなど到底できない……。
ユイを抱えるシュウの腕から、鮮血がしたたり落ちる。足元に群生している、小さな青い花びらのわすれな草が点々と赤に染められていく。流れ出る血など構わずシュウはさらにスピードをあげ、草原の中を駆け抜ける。
夢の中であっても、そこに存在すれば紛れもない現実、だった。
シュウの息遣い、鼓動、体温、筋肉――一見細く華奢に見えるが、その肉体は鋼のように鍛え上げられていた――すべてが現実の感覚として感じられた。
「シュウ! ごめんなさい! 私、シュウが心配で……! 腕、大丈夫!? 血! 血が出てる! どうしよう! 早く、早く血を止めなきゃ!」
悲鳴に近い叫び声。ユイはパニックに陥っていた。
「大丈夫です。かすり傷です。それから、ユイさんが謝ることではありません。こちらこそ本当にすみません。私の術がもっと強力だったら防げたことです。こんなことになってしまって本当に申し訳ありません」
謝っている場合でも、謝っているような余裕も、本当はない状況だった。
――早く、次の手を考えねば。他にも何か所か術を仕掛けてあるが、どれもユイを抱えたままの状態では危険だ。どうすればユイを安全に守り抜くことができるだろうか。
シュウはユイを抱えたまま、草原を吹き抜ける風のように駆けていく。夢の中だから、肉体の限界を超越する動きが可能なのだった。
耳元に聞こえるシュウの冷静な声――正しくは冷静さを装った声――のおかげで、ユイは幾分落ち着きを取り戻した。と、同時に強い自責の念に囚われていた。
――あきらかに自分はシュウの足手まといだ。自分はなんて愚かで無力なんだろう……。
ユイは思った。
――こんなとき、たとえば……。あの映画のヒロイン、アリスならどうするだろう――強くて賢くて勇敢な女性、アリス――彼女なら、どうするだろう。
『精神力』
シュウは夢の中では精神力で戦う、と言っていた。
『夢主の力は強力』
そうもシュウは言っていた。
……そうだ!
ここは私の夢の中なんだ!
夢なら、私なら、なんでもできるはず!
ユイは、アリスを思い浮かべた。
できるだけ、細かい部分まで正確に思い出そうとした。
――絶対できる。絶対できるはず!
私にだって絶対、できるんだ!
まったく、全然、ほんとに大丈夫、なんだから!
走りながらふとユイを見て、シュウはぎょっとした。
ユイの女性らしい可憐な白い手に、しっかりと拳銃が握られていたのである。さながら映画「アリス」のように――。
「マジですかっ!?」
思わず、二度見した。
それは拳銃、というより、拳銃のようなもの、だった。できるだけ精巧に思い出そうとしたが、もともと拳銃などには興味がなかったユイの想像力には限界があった。その拳銃のようなものは、とてもざっくりとして、大雑把な作りだった。
いつの間にか、背後に再びユメクイが迫っていた。
ユイはシュウの肩越しからユメクイを狙う。
「ユイ! そんな、無理だ!」
「ここは私の夢の中なんだもん! 大丈夫!」
ドドッドドッドドッ!
土煙をあげ猛スピードで接近してくるユメクイ。胴体、足を黒い血で染め、蠢く四つの不気味な目は怒りに燃えている。
――うっ…。怖い……。嫌だ! 怖いよ!
思わず拳銃を持つ手が震える。悲鳴が喉まで出かかった。シュウの胸に顔をうずめ、恐ろしい光景から目を背けたかった。
――でも、やる! やるしかないんだ!
懸命に意識を集中しようとするユイ。効果的かつ外れないような面積の広い部分を的にしようと思った――。やはり胴体部分が一番当たりそうだ。
ユイはユメクイの首から下、血で染まった胴体辺りに照準をあて、引き金に指をかけた。
――お願い! アリス! 私に力を貸して!
アリスは実在しない映画の主人公にすぎないのだが、この際なんでもよかった。
ぼん。
ぼこん。
およそ銃とは思えない音。やはり拳銃の仕上がりのクオリティがそのまま性能に現れた。
的も外れた。
が、それが幸いした。胴を狙ったはずの弾丸は見事に大きく逸れ、なぜかユメクイの四つある目の内の一つ、左の上の目の端に命中していた。拳銃の威力と比べ物にならないくらい破壊力のないこの弾丸の場合、もっとも効果的といえる場所だった。
ぎゃおおおおおおおおう!
十秒程、隙ができた。
十秒。
それだけあれば、充分だった。
青い疾風が走る。
ザンッ!
炎の刀が鮮やかに弧を描き、ユメクイの首を勢いよく跳ね飛ばした。
――あ。首、首が……! ということは……!
ユメクイも、恐ろしい光景を目の当たりにしたユイも、叫び声をあげる間もなかった。
あっけない終幕。
すべては、ほんの一瞬のできごとだった。
一瞬。でもユイにとって決して忘れえぬ強烈な一瞬だった。
――勝った……。
へなへなと、わすれな草の青い海に座り込むユイ。
――わすれな草……。こんなに群生している光景は、たぶん世界中のどこにもない。私の、心の中だけの風景。
澄みわたる空。風にそよぐ青の髪。そして広がる一面のわすれな草――。
不思議だった。自分だけの心の風景に、シュウと自分、二人がいる――。とても不思議な、夢のような光景。
――ああ。そうか。これは夢なんだっけ……。
主を失ったユメクイの体は、いつの間にか巨大な砂の塊のような物体となっていた。あたかも精巧な砂の像のようになったユメクイは、風に乗って少しずつ散っていこうとしていた。
シュウは、静かに手を合わせていた。
「次に生れ来るときは、光ある地に住まう者として誕生する、そう祈っています」
いつも、だった。いつも、いつだって戦いを終える度、シュウはそう願っていた。
――次は祝福される者として、生を受けて欲しい――。
遠くでツバメの鳴き声が聞こえる。現実の世界のものか、夢の世界のものかわからない。ただ、幸福の使いであることだけは間違いなさそうだった。
「よかった!戻ってきたんだね!」
シュウは驚いた顔でユイを見る。
――違う……! シュウが現実に戻ったんじゃない! 私が私の夢の中に入ったんだ!
「ユイ! どうして……!」
シュウのすぐ背後にユメクイが迫っていた。
ザッ!
ユメクイの鋭い爪がシュウに襲いかかった。シュウはすぐさまそれをかわしたが、左腕上部に少し当たってしまった。傷は浅かったがシュウの腕からみるみる血が滲み出る。攻撃をかわすとほぼ同時にシュウは腰の刀を素早く抜き、ユメクイに向かって勢いよく踏み込んだ。刀は紫の炎のような光に包まれていた。
ザシュッ!
シュウの刀がユメクイの芋虫のような首の付け根を切り裂いた。
ぎゃおおおおう!
鋭い鳴き声をあげる。ユメクイの体から、まっ黒な血のような液体が溢れ出た。
――手ごたえはあった。でも致命傷ではない。
さらに続く攻撃を、という所だが、シュウはすぐさま刀を納め後方に下がり、立ちつくすユイをその腕に抱え上げ、ユメクイとは反対方向に駆けだした。
ユイの登場で、戦況はシュウにとって一気に不利となった。
先程の攻撃は、選択肢のない危険な捨て身の攻撃だった。成功したのは運がよかったとしかいいようがなかった。まったくの自殺行為だった――下手をすれば、自分もユイもやられていた――シュウは走りながらも素早く思考を巡らせる。焦る気持ちをなだめ、なんとか平常心を保とうとした。
――勝敗は、おそらく一瞬。この戦いは一瞬の差で運命が決まる。またそうでなければ勝ち目はない!
それにしても、とシュウは思う。術を超えて昨晩ユイは夢を見てしまった。そのため、改めてさらに術を強力にしたつもりだった。今ユイがユメクイのいる夢を見ること、ましてや夢に登場することなど不可能なはずだった。シュウは思いを巡らす。
――ユイの中によほど強いなにか――たとえば、強い想い――があったのか。やはり、人の心、人の力というものは、計り知ることなど到底できない……。
ユイを抱えるシュウの腕から、鮮血がしたたり落ちる。足元に群生している、小さな青い花びらのわすれな草が点々と赤に染められていく。流れ出る血など構わずシュウはさらにスピードをあげ、草原の中を駆け抜ける。
夢の中であっても、そこに存在すれば紛れもない現実、だった。
シュウの息遣い、鼓動、体温、筋肉――一見細く華奢に見えるが、その肉体は鋼のように鍛え上げられていた――すべてが現実の感覚として感じられた。
「シュウ! ごめんなさい! 私、シュウが心配で……! 腕、大丈夫!? 血! 血が出てる! どうしよう! 早く、早く血を止めなきゃ!」
悲鳴に近い叫び声。ユイはパニックに陥っていた。
「大丈夫です。かすり傷です。それから、ユイさんが謝ることではありません。こちらこそ本当にすみません。私の術がもっと強力だったら防げたことです。こんなことになってしまって本当に申し訳ありません」
謝っている場合でも、謝っているような余裕も、本当はない状況だった。
――早く、次の手を考えねば。他にも何か所か術を仕掛けてあるが、どれもユイを抱えたままの状態では危険だ。どうすればユイを安全に守り抜くことができるだろうか。
シュウはユイを抱えたまま、草原を吹き抜ける風のように駆けていく。夢の中だから、肉体の限界を超越する動きが可能なのだった。
耳元に聞こえるシュウの冷静な声――正しくは冷静さを装った声――のおかげで、ユイは幾分落ち着きを取り戻した。と、同時に強い自責の念に囚われていた。
――あきらかに自分はシュウの足手まといだ。自分はなんて愚かで無力なんだろう……。
ユイは思った。
――こんなとき、たとえば……。あの映画のヒロイン、アリスならどうするだろう――強くて賢くて勇敢な女性、アリス――彼女なら、どうするだろう。
『精神力』
シュウは夢の中では精神力で戦う、と言っていた。
『夢主の力は強力』
そうもシュウは言っていた。
……そうだ!
ここは私の夢の中なんだ!
夢なら、私なら、なんでもできるはず!
ユイは、アリスを思い浮かべた。
できるだけ、細かい部分まで正確に思い出そうとした。
――絶対できる。絶対できるはず!
私にだって絶対、できるんだ!
まったく、全然、ほんとに大丈夫、なんだから!
走りながらふとユイを見て、シュウはぎょっとした。
ユイの女性らしい可憐な白い手に、しっかりと拳銃が握られていたのである。さながら映画「アリス」のように――。
「マジですかっ!?」
思わず、二度見した。
それは拳銃、というより、拳銃のようなもの、だった。できるだけ精巧に思い出そうとしたが、もともと拳銃などには興味がなかったユイの想像力には限界があった。その拳銃のようなものは、とてもざっくりとして、大雑把な作りだった。
いつの間にか、背後に再びユメクイが迫っていた。
ユイはシュウの肩越しからユメクイを狙う。
「ユイ! そんな、無理だ!」
「ここは私の夢の中なんだもん! 大丈夫!」
ドドッドドッドドッ!
土煙をあげ猛スピードで接近してくるユメクイ。胴体、足を黒い血で染め、蠢く四つの不気味な目は怒りに燃えている。
――うっ…。怖い……。嫌だ! 怖いよ!
思わず拳銃を持つ手が震える。悲鳴が喉まで出かかった。シュウの胸に顔をうずめ、恐ろしい光景から目を背けたかった。
――でも、やる! やるしかないんだ!
懸命に意識を集中しようとするユイ。効果的かつ外れないような面積の広い部分を的にしようと思った――。やはり胴体部分が一番当たりそうだ。
ユイはユメクイの首から下、血で染まった胴体辺りに照準をあて、引き金に指をかけた。
――お願い! アリス! 私に力を貸して!
アリスは実在しない映画の主人公にすぎないのだが、この際なんでもよかった。
ぼん。
ぼこん。
およそ銃とは思えない音。やはり拳銃の仕上がりのクオリティがそのまま性能に現れた。
的も外れた。
が、それが幸いした。胴を狙ったはずの弾丸は見事に大きく逸れ、なぜかユメクイの四つある目の内の一つ、左の上の目の端に命中していた。拳銃の威力と比べ物にならないくらい破壊力のないこの弾丸の場合、もっとも効果的といえる場所だった。
ぎゃおおおおおおおおう!
十秒程、隙ができた。
十秒。
それだけあれば、充分だった。
青い疾風が走る。
ザンッ!
炎の刀が鮮やかに弧を描き、ユメクイの首を勢いよく跳ね飛ばした。
――あ。首、首が……! ということは……!
ユメクイも、恐ろしい光景を目の当たりにしたユイも、叫び声をあげる間もなかった。
あっけない終幕。
すべては、ほんの一瞬のできごとだった。
一瞬。でもユイにとって決して忘れえぬ強烈な一瞬だった。
――勝った……。
へなへなと、わすれな草の青い海に座り込むユイ。
――わすれな草……。こんなに群生している光景は、たぶん世界中のどこにもない。私の、心の中だけの風景。
澄みわたる空。風にそよぐ青の髪。そして広がる一面のわすれな草――。
不思議だった。自分だけの心の風景に、シュウと自分、二人がいる――。とても不思議な、夢のような光景。
――ああ。そうか。これは夢なんだっけ……。
主を失ったユメクイの体は、いつの間にか巨大な砂の塊のような物体となっていた。あたかも精巧な砂の像のようになったユメクイは、風に乗って少しずつ散っていこうとしていた。
シュウは、静かに手を合わせていた。
「次に生れ来るときは、光ある地に住まう者として誕生する、そう祈っています」
いつも、だった。いつも、いつだって戦いを終える度、シュウはそう願っていた。
――次は祝福される者として、生を受けて欲しい――。
遠くでツバメの鳴き声が聞こえる。現実の世界のものか、夢の世界のものかわからない。ただ、幸福の使いであることだけは間違いなさそうだった。
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