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決戦
炎のような意志
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「いえ。なにも。音楽を聴くのは好きですけれど」
ピアノどころか、シュウは大半の子どもが普通に出会う様々なことをほとんど体験していない。魔獣に命を狙われたり、子どもながらに依頼を受けて魔獣と戦ったり、そうでないときは自らの能力を高めるために厳しい修行に励んでいたり……。学校は一応なんとか高校まで卒業したが、魔獣との攻防で受けた怪我や病気のせいで、出席日数はいつもギリギリだった。
魔獣と遭遇する度、人間の負の感情や、心の闇にも直面した。魔獣ではなく、人間の恐ろしさに愕然とし震える夜を過ごしたことも一度や二度ではなかった。
両親や親族、身近な大人達は優れた教師だった。友達と遊びに行くことはほとんどなかったが、とてもよい親友はできた。よい先生との出会いもあった。学校も勉強も運動も好きだった。特に美術や音楽、それから歴史や文化を知ることが好きだった。人間の創り出す魂の結晶のような作品や、人間の活動から生まれ受け継がれていく有形無形の財産は素晴らしいと思った。人間だけじゃない、植物も動物も、鉱物や自然の精霊達も友達だった。よい出会い、豊かな心の交流がシュウを正しい光へと常に導いてくれた。過酷な境遇の中でも人生を、人間を、この世界を嫌いになることは決してなかった。
――ピアノ曲が聞こえる――。
たぶん、現実ではなく私の頭の中の記憶、とユイはわかっていた。
「……私、小さい頃ピアノを習ってたんだ。でも嫌ですぐに辞めちゃった。今思えばもったいなかった気がする。好きな曲を思いのままに弾けたら楽しいだろうな」
「ユイさんはピアノが似合いますね」
「そんなこと言われるの初めて。スポーツをガンガンやってそう、とはよく言われる」
「繊細で優しくて美しい。ユイさんはピアノのイメージそのままですよ」
――聞こえているのはショパンの曲だ。私の最も好きな曲。「舟歌嬰ヘ長調」。とても優しくときに力強く、ドラマティックな綺麗なメロディ。
「あれ? 手が熱いし顔も赤いし目もなんだか潤んでいる。また熱でも出たんじゃ……」
シュウはユイの額に手をあてた。
「よかった。熱はないようですね」
ほっとするシュウ。
――熱なんかじゃないよ。もう。鈍感――。
ユイは、シュウがすでに自分の気持ちを知っていることに気付いていない。そのうえ、自分で知らずに告げてしまっていたなんて――。
まだ眠りたくないよ……、幼い子どものように眠いのを堪え頑張っていたが、ユイはもう睡眠に入っていた。
輝く川面を小さな舟がゆっくりと滑るようにして進む。
きらきら。
きらきら。
ピアノに合わせて水面に光が踊る。
「舟歌」を奏でているのは、シュウ。
――ほうら。やっぱりシュウの方がピアノ、だんぜん素敵に似合ってる――。
穏やかな、無垢な寝顔。艶のある形のよい唇はかすかに微笑みを浮かべていた。シュウは安堵し、優しく微笑みを返す――。ユイが見ているわけではないのだけれど。
ユイが深い眠りについたのを確認して、シュウは一人呟く。
「……戦う相手がどんなものだろうと絶対に諦めたりはしない。だけど、いつも、つい自分の最期を意識してしまうんだ。ユイ……、君とはもっと早く、もっと違った形で出会いたかった……」
――もっと前に、自然に日常の中で出会い、ゆっくりと絆を深めていけたのだったら、どんなによかったことだろう――。
ふと、シュウが過去につき合った女性達の言葉がシュウの脳裏に蘇ってきた。
――ごめんなさい。私では無理。私はやっぱり「普通の人」がいい――。
シュウの能力や使命を知ると、そう言って皆シュウの前から去って行った。
シュウは思う――、「普通」とはなんだろう。自分は、自分しか知らない。複数の人間が言うのだから、間違いなく自分は「普通」じゃないんだろう。こんな普通じゃない人間をまるごと好きになってくれる人なんているんだろうか。もしかしたら、魔獣と戦っているうちに、自分でも知らないうちに怪物のようになってしまっているのかもしれない……。友達なら、たぶんこれからもできる。でも本当に愛し合える人なんているんだろうか。父や母、身近な大人達は家族を作ってきた。でも果たして自分は、共に歩めるような特別な人と出会うことができるのだろうか、と。
――そもそも、特殊な力以前に、なにか自分は人とは違う、もしかしたら欠けている所があるんじゃないのか――。
人として愛されないなにかがあるんじゃないのか。恋人との別れを特殊な能力や使命のせいにしていたけれど、本当はもっと違う理由で離れて行ったのではないか……。傷つくのが怖くなり、愛されることも愛することも、放棄していた。心に踏み込むようなこと、また踏み込まれるような状況は無意識に避けるようになっていた。いつのまにかシュウは自分の周りに薄い壁を作るようになった。ずっと、暗闇の中を歩いていた。
「シュウ、好きだよ」
突然、ユイの言葉が、ユイの声が天啓のようにシュウの頭の中に響く。
――春の日差しのようなユイ。おいしい料理を沢山作ってくれたユイ。よく笑い、よく泣き、子どものように純粋なユイ。
「シュウは……本当に……、大丈夫なの?」
――ユイはそう言って泣いていた。
「シュウは大丈夫? 疲れてない? 昨夜全然寝てないし、力を使わせてしまったし……」
――ユイは特殊な力をなんでもできる便利な魔法とは思わずに、普通の人間に対するように、まるで普通に徹夜で働いた人間を気遣うように、対等な目線で心配し労わってくれた。
「……シュウは怖くないの?」
――怖くて仕方がないだろうに、ずっと気遣ってくれたユイ。
……そうか。
今だから、この状況だから、ユイは自分を好きになってくれたんだ。
普通とは違う特殊な力を持っているところも、髪と目の色が変わるという人間離れした異常なところも、すぐ動揺して真っ赤になってしまうという男としてなんだか情けないところも、すべてユイに見せてしまった。それでも好きだと言ってくれた。
ユイだけがそのままの自分を、普通じゃない怪物のような自分を受け入れてくれた――。
「私の特殊な体質がたまには役に立つものですね」
――これは、昨日自分で言った言葉だ――。
その瞬間、シュウは強い自己肯定の気持ちに包まれていた。自分が、自分でよかった、そう思った。能力に誇りを持ち、常に自分の生き方を肯定してきたけれど、生まれて初めて心の底からそう思った。強い能力者の自分と、弱く脆い一人の男としての自分、ばらばらだった自分が初めて一つに統合されたように思えた。
――お互いを深く知り合うようになれば、もしかしたらユイも離れて行ってしまうのかもしれない。でも、それでもいい。もっとユイのことを知りたい。そして自分のことも知ってもらいたい。身も心も、理解し合いたい。深く深く――。
恋って本当に不思議だ。傷つくことや失う怖さを超えて、いつの間にかまた一歩、踏み出す力が湧いてくる――。
シュウは物心つき自分の能力に気付き、そして両親から自らの使命を宣告されたときから、ずっと死を覚悟してきた。ずっと死が隣にいた。諦念のような心境で、常に一瞬一瞬だけを見て生きてきた。それは悟りの境地などではなく、不安や恐怖から心を守るため自然と身についた自己防衛の策だった。
初めて、強く願った。
――生きたい。生きていたい。「今」だけじゃなく、自分にも「未来」が欲しい。自由に描ける、未来が……!
今を生き、未来を望む――。それは同時になにものにも代えがたい宝物のような時間、積み重ねられていく確かな「過去」というものを作っていきたいという渇望でもある。
点であった時間軸が線になる。線だけじゃない、「過去」「現在」「未来」、それぞれが響き合いなめらかな形となり――美しい色彩を内包し立ち上る豊かな立体となる。そして輝きながら流れていく。
――それは、特別なただ一人に出会ってしまったから――。
こんなにもシンプルで、こんなにも力強い理由が他にあるだろうか。
――絶対にユイを守る。そして自分も無事に生き延びて見せる!
炎のような激しい意志で、シュウは自らの髪と瞳を青に染めた。
ピアノどころか、シュウは大半の子どもが普通に出会う様々なことをほとんど体験していない。魔獣に命を狙われたり、子どもながらに依頼を受けて魔獣と戦ったり、そうでないときは自らの能力を高めるために厳しい修行に励んでいたり……。学校は一応なんとか高校まで卒業したが、魔獣との攻防で受けた怪我や病気のせいで、出席日数はいつもギリギリだった。
魔獣と遭遇する度、人間の負の感情や、心の闇にも直面した。魔獣ではなく、人間の恐ろしさに愕然とし震える夜を過ごしたことも一度や二度ではなかった。
両親や親族、身近な大人達は優れた教師だった。友達と遊びに行くことはほとんどなかったが、とてもよい親友はできた。よい先生との出会いもあった。学校も勉強も運動も好きだった。特に美術や音楽、それから歴史や文化を知ることが好きだった。人間の創り出す魂の結晶のような作品や、人間の活動から生まれ受け継がれていく有形無形の財産は素晴らしいと思った。人間だけじゃない、植物も動物も、鉱物や自然の精霊達も友達だった。よい出会い、豊かな心の交流がシュウを正しい光へと常に導いてくれた。過酷な境遇の中でも人生を、人間を、この世界を嫌いになることは決してなかった。
――ピアノ曲が聞こえる――。
たぶん、現実ではなく私の頭の中の記憶、とユイはわかっていた。
「……私、小さい頃ピアノを習ってたんだ。でも嫌ですぐに辞めちゃった。今思えばもったいなかった気がする。好きな曲を思いのままに弾けたら楽しいだろうな」
「ユイさんはピアノが似合いますね」
「そんなこと言われるの初めて。スポーツをガンガンやってそう、とはよく言われる」
「繊細で優しくて美しい。ユイさんはピアノのイメージそのままですよ」
――聞こえているのはショパンの曲だ。私の最も好きな曲。「舟歌嬰ヘ長調」。とても優しくときに力強く、ドラマティックな綺麗なメロディ。
「あれ? 手が熱いし顔も赤いし目もなんだか潤んでいる。また熱でも出たんじゃ……」
シュウはユイの額に手をあてた。
「よかった。熱はないようですね」
ほっとするシュウ。
――熱なんかじゃないよ。もう。鈍感――。
ユイは、シュウがすでに自分の気持ちを知っていることに気付いていない。そのうえ、自分で知らずに告げてしまっていたなんて――。
まだ眠りたくないよ……、幼い子どものように眠いのを堪え頑張っていたが、ユイはもう睡眠に入っていた。
輝く川面を小さな舟がゆっくりと滑るようにして進む。
きらきら。
きらきら。
ピアノに合わせて水面に光が踊る。
「舟歌」を奏でているのは、シュウ。
――ほうら。やっぱりシュウの方がピアノ、だんぜん素敵に似合ってる――。
穏やかな、無垢な寝顔。艶のある形のよい唇はかすかに微笑みを浮かべていた。シュウは安堵し、優しく微笑みを返す――。ユイが見ているわけではないのだけれど。
ユイが深い眠りについたのを確認して、シュウは一人呟く。
「……戦う相手がどんなものだろうと絶対に諦めたりはしない。だけど、いつも、つい自分の最期を意識してしまうんだ。ユイ……、君とはもっと早く、もっと違った形で出会いたかった……」
――もっと前に、自然に日常の中で出会い、ゆっくりと絆を深めていけたのだったら、どんなによかったことだろう――。
ふと、シュウが過去につき合った女性達の言葉がシュウの脳裏に蘇ってきた。
――ごめんなさい。私では無理。私はやっぱり「普通の人」がいい――。
シュウの能力や使命を知ると、そう言って皆シュウの前から去って行った。
シュウは思う――、「普通」とはなんだろう。自分は、自分しか知らない。複数の人間が言うのだから、間違いなく自分は「普通」じゃないんだろう。こんな普通じゃない人間をまるごと好きになってくれる人なんているんだろうか。もしかしたら、魔獣と戦っているうちに、自分でも知らないうちに怪物のようになってしまっているのかもしれない……。友達なら、たぶんこれからもできる。でも本当に愛し合える人なんているんだろうか。父や母、身近な大人達は家族を作ってきた。でも果たして自分は、共に歩めるような特別な人と出会うことができるのだろうか、と。
――そもそも、特殊な力以前に、なにか自分は人とは違う、もしかしたら欠けている所があるんじゃないのか――。
人として愛されないなにかがあるんじゃないのか。恋人との別れを特殊な能力や使命のせいにしていたけれど、本当はもっと違う理由で離れて行ったのではないか……。傷つくのが怖くなり、愛されることも愛することも、放棄していた。心に踏み込むようなこと、また踏み込まれるような状況は無意識に避けるようになっていた。いつのまにかシュウは自分の周りに薄い壁を作るようになった。ずっと、暗闇の中を歩いていた。
「シュウ、好きだよ」
突然、ユイの言葉が、ユイの声が天啓のようにシュウの頭の中に響く。
――春の日差しのようなユイ。おいしい料理を沢山作ってくれたユイ。よく笑い、よく泣き、子どものように純粋なユイ。
「シュウは……本当に……、大丈夫なの?」
――ユイはそう言って泣いていた。
「シュウは大丈夫? 疲れてない? 昨夜全然寝てないし、力を使わせてしまったし……」
――ユイは特殊な力をなんでもできる便利な魔法とは思わずに、普通の人間に対するように、まるで普通に徹夜で働いた人間を気遣うように、対等な目線で心配し労わってくれた。
「……シュウは怖くないの?」
――怖くて仕方がないだろうに、ずっと気遣ってくれたユイ。
……そうか。
今だから、この状況だから、ユイは自分を好きになってくれたんだ。
普通とは違う特殊な力を持っているところも、髪と目の色が変わるという人間離れした異常なところも、すぐ動揺して真っ赤になってしまうという男としてなんだか情けないところも、すべてユイに見せてしまった。それでも好きだと言ってくれた。
ユイだけがそのままの自分を、普通じゃない怪物のような自分を受け入れてくれた――。
「私の特殊な体質がたまには役に立つものですね」
――これは、昨日自分で言った言葉だ――。
その瞬間、シュウは強い自己肯定の気持ちに包まれていた。自分が、自分でよかった、そう思った。能力に誇りを持ち、常に自分の生き方を肯定してきたけれど、生まれて初めて心の底からそう思った。強い能力者の自分と、弱く脆い一人の男としての自分、ばらばらだった自分が初めて一つに統合されたように思えた。
――お互いを深く知り合うようになれば、もしかしたらユイも離れて行ってしまうのかもしれない。でも、それでもいい。もっとユイのことを知りたい。そして自分のことも知ってもらいたい。身も心も、理解し合いたい。深く深く――。
恋って本当に不思議だ。傷つくことや失う怖さを超えて、いつの間にかまた一歩、踏み出す力が湧いてくる――。
シュウは物心つき自分の能力に気付き、そして両親から自らの使命を宣告されたときから、ずっと死を覚悟してきた。ずっと死が隣にいた。諦念のような心境で、常に一瞬一瞬だけを見て生きてきた。それは悟りの境地などではなく、不安や恐怖から心を守るため自然と身についた自己防衛の策だった。
初めて、強く願った。
――生きたい。生きていたい。「今」だけじゃなく、自分にも「未来」が欲しい。自由に描ける、未来が……!
今を生き、未来を望む――。それは同時になにものにも代えがたい宝物のような時間、積み重ねられていく確かな「過去」というものを作っていきたいという渇望でもある。
点であった時間軸が線になる。線だけじゃない、「過去」「現在」「未来」、それぞれが響き合いなめらかな形となり――美しい色彩を内包し立ち上る豊かな立体となる。そして輝きながら流れていく。
――それは、特別なただ一人に出会ってしまったから――。
こんなにもシンプルで、こんなにも力強い理由が他にあるだろうか。
――絶対にユイを守る。そして自分も無事に生き延びて見せる!
炎のような激しい意志で、シュウは自らの髪と瞳を青に染めた。
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