ユーズド・カー

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第2章 港湾

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 瑛莉香と最初に出会った場所を出発してから、早くも数時間が経過していた。
 揺れの激しいコバルトブルーの軽自動車はビル群がそそり立つ湿った街をようやく抜け、住宅が点々と並ぶ幅広い国道をゆっくりと走る。西の空に構える太陽は1日の終わりを前に鋭い光を絞り出し、サンバイザーを下ろしても背筋を伸ばさないと突き刺すようにして目の奥に入ってきた。

 勇太が座る角度に苦戦している中、瑛莉香はサングラスをすっと取り出して視界を覆った。日よけのために装着されたものが、鼻筋の通る美麗な顔を引き立てる。無造作に下ろしていた後ろ髪は右肩へまとまって流れ、露わになったうなじが婉美に輝いていた。

「コンビニ寄っていい?」
瑛莉香が眼前に見えた看板を指差しながら勇太に聞いた。

「あっ、はい…!」
勇太は片手で目をかざしながら彼女の指した先を確認した。

 瑛莉香は小さく頷くとウィンカーを出して速度を落とし、素早くハンドルを切ってコンビニの駐車場へと入っていった。
 前輪を車止めに接触させ、パーキングに入れてサイドブレーキをかける。
 キーを抜き取るとエンジン音がフェードアウトし、国道のコンクリートを勢いよく蹴る車の走行音が車内へ入り込んだ。

「…トイレとか大丈夫?」
静寂に包まれた車内。一息ついて脱力した瑛莉香が柔らかい表情で問いかけた。サングラスを額の上まで持ち上げた姿に一瞬胸が掴まれる。

「あー…そうですね…行っておきたいです…!」
彼女のまっすぐな視線に対し緊張しながら答えた。尿意があったわけではないが、またいつ休憩を挟めるか分からないと思った。

「OK~」
瑛莉香はシートベルトを外すと、後部座席に放り投げていたガウンを羽織り、運転席から身を乗り出してバッグの中をまさぐった。片膝をシートの上に乗せ、身体を前に屈めながら重いバッグの中を覗き込む。屈伸した色白の長い生足を勇太は隣からさりげなく見つめた。

「よいしょ…!」
瑛莉香は黒の長財布を引き当てると、身体を席へ戻して中身を確認した。わずかに見えた数枚のお札と、銀色のクレジットカードが1枚ポケットに収まっているのが見えた。

「よし、行こっ!」
瑛莉香はそう言い運転席から降りた。勇太もその後に続いて助手席を降りて外へ出る。夕刻に入っても変わらない真夏の蒸し暑さが否応なく蘇る。瑛莉香は両サイドのドアをキーで直接閉め、勇太を手招きして店内へ入った。



 勇太はトイレで用を足して店内に戻り、まだ出てきていない瑛莉香を待った。雑誌や漫画が並べられた白い本棚の窓側から、遠くに深緑に染まる山稜が見える。退屈するのが嫌だからと、高速道路を避けて市街地を延々と車で走ってきたが、勇太には今どこを走りどこへと向かっていくのかが全く見当がつかなかった。カーナビはついていないので、瑛莉香が事前に調べて頭に叩き込んだルートでここまで来たのだろうとは思う。人見知りが続くせいか、隙を見計らって挟めるはずの簡単な質問すら言葉に出来ずにいた。

 何度となく味わった己の不甲斐なさを抱えて窓の外をぼんやりと眺めていると、瑛莉香がハンカチで両手を丁寧に拭いながらトイレから出てきた。ドリンク棚の方向を人差し指でつつく仕草をし、勇太を促した。

「…さてさて、何にしようかな~」
瑛莉香が左足に重心をかけながら腰に手を当て、ドリンクの陳列棚を覗き込む。顎に指先を添えてから少しだけ沈黙すると、ペットボトルのコーラとスポーツドリンクを手に取った。勇太は遠慮がちに天然水を棚から1本取り上げる。

「…あれ?お水だけでいいの?」
すかさず瑛莉香が聞いた。

「あっ…はい、一応…」
「やだ、遠慮しなくていいよ?」
「は、はい…すみません…」
そう言われ、傍にあったリンゴジュースをとりあえず手に取った。

「ねぇ、あとアイス食べない?」
「アイス…あっ…はい…!」

 ドリンクとアイスを持ってレジへ向かい、瑛莉香は勇太の分とまとめて会計を済ませた。勇太は彼女のスマートな気遣いに有り難さと恥ずかしさが募った。家族や親戚以外で年上の女性とちょっとした買い物をすることすら、勇太にとっては初めてのこと。こういう場面ではどんな選択や言動が適切なのか感覚的に掴めておらず、甘え上手な可愛げある振る舞いも出来ずに、ただただ移り変わる場面を眺めることしか出来なかった。出会ってまだ初日、数時間とは思いながらも、このギクシャクした動きはしばらくやめられそうにない。

 車内へ戻り、瑛莉香がキーを差してエアコンを起動させた。
 早速、買ったばかりの冷え切ったアイスをコンビニ袋から取り出した。棒のついたチョコレートのアイスは、一口噛むと沁みるような冷たさと共に甘みが口の中で広がる。瑛莉香は紙の容器を片手に、プラスチックの小さなスプーンでバニラアイスを一心不乱にすくって食べた。何も言葉を発さず、無心になってアイスを口の中へ運んでいくあどけない姿が少し可愛らしかった。

「…はぁ、美味しかった!」
瑛莉香は最後の一口を飲み込んで幸せそうに息を吐いた。燃えるゴミと燃えないゴミとに律儀に分別して、コンビニ袋の中へアイスの容器やビニールを放り込む。

「…さーて、出発しよっか」
瑛莉香は椅子に座り直し、シートベルトを締めた。アイスで冷えた身体が再び熱を帯び、勇太の息遣いが激しくなっていく。

 瑛莉香は差し込んでいたキーをそのまま奥まで回した。セルモーターが回転し、数秒間ほど一定の調子でキュルキュルと乾いた音を鳴らす。やはりエンジンは1発で掛からず、勇太はまたも興奮した。
 瑛莉香が再びキーを回すと、セルモーターが3秒ほど弱々しく回転を続けたところでようやくエンジンが繋がった。

 瑛莉香はコーラを喉に流し込み、ペットボトルをドリンクホルダーの中に入れると、サイドブレーキを外してギアをバックに入れた。助手席へ左腕を回し、後方に目を凝らして慎重に確認しながら車を方向転換させた。彼女がまとったラベンダーの香水が不意に鼻の中へ滑り込んだ。

 向きを変えるとギアを入れ直して、後方から車が来ていないことを見計らって素早く国道へと出た。広々とした一直線の道で、アクセルを力強く踏まれた車が呼応するように速度を上げていく。勇太の視線は少し躊躇いながらも、やはり最後はペダルを踏む色白の素足にとらわれる。一人の女性を前にジュースの1本すら逡巡してしまっても、その素足でひとたびペダルを踏まれれば迷いなどなかった。



 青空に悠々と浮かんだ太陽が最後の一滴を絞り終え、辺りは月明かりの映える闇夜に包まれた。車は鬱蒼とした木々に囲まれた車中泊の可能な駐車場に停まり、ここで一夜を過ごすと告げられた。エンジンを切って窓を開けた車内に川のせせらぎがそよ風と共に運ばれてくる。

 瑛莉香は車のトランクを開けてクーラーボックスの中を覗き込んでいた。虫が入るからと懐中電灯を使わずにまさぐり、何かを2つ手にして運転席に戻ってきた。

「はいこれ!」
座るやいなや、瑛莉香が2段に重なったプラスチックの弁当箱を差し出した。蓋がベージュ色の長方形の女性らしい弁当箱だ。

「…あっ、えーっとこれは…」
勇太が戸惑った表情を見せると、瑛莉香は得意げに「今日の夜ごはん!」と答えた。薄暗い中で朧げに見えたその表情から、手作りの弁当を用意してきたのだと気づいた。緊張で胸がそわそわと動き出す。

「ね、開けてみて開けてみて…!」
ワクワクした表情を浮かべる瑛莉香に急かされ、言われるがままに蓋を開けた。

「…あっ、待って、暗いよね」
瑛莉香がキーを差し込んで車の窓を閉め、天井のルームランプをつけた。オレンジ色の明かりが勇太の手元にある弁当箱を照らし出す。1段目には卵焼き、ウィンナー、唐揚げ、小松菜のナムル、一切れサイズの焼き鮭が丁寧に並べられていた。2段目には箱いっぱいに敷き詰められた白米の上に梅干しが一つ乗せられている。何度か見たことのあるようなスタンダードなメニューだったが、母親以外の手料理など口にしたことがない勇太にとっては何か期待と不安が入り乱れるような気持ちだった。

「…あの…これ…いいんですか…?」
勇太が恐る恐る口を開いた。他人の女性から手作りの料理を振る舞われたことなど初めてだ。惜しげもなく与えられる優しさを前に、勇太はいちいち尻込みする。

「えっ、もちろん!口に合うか分かんないけど、良かったら食べて!」
瑛莉香がビニールに入れられた割り箸を素早く渡す。

 勇太は膝をくっつけて、弁当が落ちないように気を遣いながら割り箸を割った。左右非対称に割れた箸で、卵焼きを掴んで口に運ぶ。冷めて少しだけ固くなっていたが、中に閉じ込められていた甘みが強張った頬を一気に腑抜けさせた。

「……わっ…えと…お、美味しいです…!」
率直な感想を口にしたつもりだったが、たったその一言すら吃ってしまった。まるで内心は不味かったかのように捉えられないか不安になった。

「ほんと?やったぁ…!」
瑛莉香は特段気にすることなくホッとしたように口角を上げ、自分用に作った弁当箱を開いた。中身は全く一緒だが、勇太に渡した方とは違って具の配置が雑然としていた。家庭的な顔を見せながらもどこか面倒くさがりな部分を隠し切れていないのが彼女らしかった。




 夕飯を終えて数時間が経った頃、瑛莉香のした大きなあくびを合図に就寝することになった。駅前で出会ったことが遠い過去のように感じられるほど濃密な1日が、こうして終わりを告げる。
 レバーを引っ張ってシートを最大限まで後ろに倒し、瑛莉香から渡された1枚の薄い毛布を腹部にかけた。昼間の蒸し暑さは夜の冷気に変わり、快適に寝られそうだ。足元に置いていた荷物をトランクの方へと移動させると、可動範囲が広がってリラックスした状態がつくれた。

「女子力…」
瑛莉香はハンドル脇のダッシュボードに両足を重ねて乗せる。薄闇の中、毛布から突き出される彼女の裸足に交感神経をつつかれた。

「ほんとごめんね。いちいちだらしない女で」
瑛莉香が苦笑いを浮かべながら呟いた。勇太はぎこちなく愛想笑いしてリアクションした。

「…こんなやつだけど、明日からもよろしくね。おやすみ」
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