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第二部・スノーフレークを探して
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大浴場は広々としていて面食らった。すぐに壁の鏡へ向かって髪を泡立て、身体の汗を流し、知った顔の誰もいない湯船に浸かると心細さとは裏腹に解放感で満ちてきた。実家のある茅ヶ崎を遠く離れ、一日で静岡まで来た。それは美子のお蔭ではあったが、自分自身の力で手に入れた出会いだと小さく胸を張れた。
(けどどうしよう……。本当は三千円しか持ってないって言った方がいいかな)
その不安を振り切るようにジャグジーの泡に打たれた。
勝手の分からない満陽にとってすべての行動は誰かの真似をするしかなく、若い男性が向かう先についていくと露天風呂があった。岩に囲まれた小さな湯の中で見知らぬ他人と向かい合い、間が持たず三分で上がった。そうするとあとはすることがなくなり、脱衣所へ戻って身体を拭くとまた館内着に着替えた。裸の子供が親の言うことを聞かずに走り回っている。
(まだ四十分。女性のお風呂って長いっていうもんな)
濡れた髪を乾かし、二階のフロアで迷っているとスマホが震えた。意外と早いなと着信を見ると母親からだった。
息を飲んだが、出ることはない。この一か月この番号には出ない。それが父親であっても。頑なに満陽は決めていた。
美子の言ったライブラリーはラグマットの上にクッションの並んだスペースで、壁中に漫画が並んでいた。先客は四人。そして子供が走り回っている。
昔読んだ漫画は飛び飛びに並んでいたが、中盤の盛り上がる辺りを手にして読み始めた。窓から入る陽射しとクッションの心地よさですぐに眠気が襲い、マンガを放り出して目を閉じていると肩を叩かれた。
「遅くなったわね」
「ああ、すみません。なんか気持ちよくて――」
「そうみたいね。五分眺めてても全然動かなかったから」
そんなに見られていたのかと、満陽は慌ててマンガを棚に戻して彼女のあとについた。
「いい感じ。これはちょっと飲めそうだわ」
ダイニングと書かれた店内に入るとテーブルがいくつも並び、館内着の客が食事をとっていた。
「ミツハ君、座敷の方行きましょう。旅行気分のためにはのんびりしたいのよね」
彼女が真剣にメニューを眺めている。
「ふーん。意外とバラエティー。けど――あ、あったあった。マグロ、すごそう。こういうのって写真と違ってガッカリするのかしら。漬け丼もいいけど、ここはストレートにマグロ丼ね。ミツハ君は? 決まった?」
満陽が見ているのは五百円のかけうどんだ。しかし、それではあまりにも露骨だと思い直し、六百円のカレーに決めた。これで二千円。
「あの、カレーで」
彼女がこの旅で何回目かの目を丸くする。
「せっかくいろいろあるのに? カレー? 朝から蒲鉾しか食べてないのよ?」
「ええ、好きなんです」
「人の好みにいろいろは言えないもんね。でもせっかくなら大盛りにしなさい」
そう言って彼女は注文ボタンを押す。店員がやってくる。
「すみません。生ビールとマグロ丼。それとカツカレーの大盛り。ミツハ君、なんか飲む? ウーロン茶とかコーラとか」
「いえ、水でいいです」
「そうよね。カレーにはお冷やがいちばん。じゃあ、それだけでお願いします」
すでに満足そうな彼女の左手首を店員がバーコードで読んだ。
「あの、それよりナユキさん。僕、カツカレーとか頼んでないですけど」
頼めないんですけど、と言いたかった。
「ああいいの。ここは私が持つから。知ってる? ヒッチハイクで乗せた人におごるのはいいけど、もらうのはダメなんだって。旅客運送業の法令違反になるのよ。青森から乗せたハイカーさんが教えてくれたわ。その代り、楽しい話ばっかり聞かせてもらったのよ。だからその辺はミツハ君もお願いね」
(けどどうしよう……。本当は三千円しか持ってないって言った方がいいかな)
その不安を振り切るようにジャグジーの泡に打たれた。
勝手の分からない満陽にとってすべての行動は誰かの真似をするしかなく、若い男性が向かう先についていくと露天風呂があった。岩に囲まれた小さな湯の中で見知らぬ他人と向かい合い、間が持たず三分で上がった。そうするとあとはすることがなくなり、脱衣所へ戻って身体を拭くとまた館内着に着替えた。裸の子供が親の言うことを聞かずに走り回っている。
(まだ四十分。女性のお風呂って長いっていうもんな)
濡れた髪を乾かし、二階のフロアで迷っているとスマホが震えた。意外と早いなと着信を見ると母親からだった。
息を飲んだが、出ることはない。この一か月この番号には出ない。それが父親であっても。頑なに満陽は決めていた。
美子の言ったライブラリーはラグマットの上にクッションの並んだスペースで、壁中に漫画が並んでいた。先客は四人。そして子供が走り回っている。
昔読んだ漫画は飛び飛びに並んでいたが、中盤の盛り上がる辺りを手にして読み始めた。窓から入る陽射しとクッションの心地よさですぐに眠気が襲い、マンガを放り出して目を閉じていると肩を叩かれた。
「遅くなったわね」
「ああ、すみません。なんか気持ちよくて――」
「そうみたいね。五分眺めてても全然動かなかったから」
そんなに見られていたのかと、満陽は慌ててマンガを棚に戻して彼女のあとについた。
「いい感じ。これはちょっと飲めそうだわ」
ダイニングと書かれた店内に入るとテーブルがいくつも並び、館内着の客が食事をとっていた。
「ミツハ君、座敷の方行きましょう。旅行気分のためにはのんびりしたいのよね」
彼女が真剣にメニューを眺めている。
「ふーん。意外とバラエティー。けど――あ、あったあった。マグロ、すごそう。こういうのって写真と違ってガッカリするのかしら。漬け丼もいいけど、ここはストレートにマグロ丼ね。ミツハ君は? 決まった?」
満陽が見ているのは五百円のかけうどんだ。しかし、それではあまりにも露骨だと思い直し、六百円のカレーに決めた。これで二千円。
「あの、カレーで」
彼女がこの旅で何回目かの目を丸くする。
「せっかくいろいろあるのに? カレー? 朝から蒲鉾しか食べてないのよ?」
「ええ、好きなんです」
「人の好みにいろいろは言えないもんね。でもせっかくなら大盛りにしなさい」
そう言って彼女は注文ボタンを押す。店員がやってくる。
「すみません。生ビールとマグロ丼。それとカツカレーの大盛り。ミツハ君、なんか飲む? ウーロン茶とかコーラとか」
「いえ、水でいいです」
「そうよね。カレーにはお冷やがいちばん。じゃあ、それだけでお願いします」
すでに満足そうな彼女の左手首を店員がバーコードで読んだ。
「あの、それよりナユキさん。僕、カツカレーとか頼んでないですけど」
頼めないんですけど、と言いたかった。
「ああいいの。ここは私が持つから。知ってる? ヒッチハイクで乗せた人におごるのはいいけど、もらうのはダメなんだって。旅客運送業の法令違反になるのよ。青森から乗せたハイカーさんが教えてくれたわ。その代り、楽しい話ばっかり聞かせてもらったのよ。だからその辺はミツハ君もお願いね」
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