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67・近況それぞれ

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 母の作業部屋は落ち着く。彼女が置いた作業台の場所。クローゼットを背にして右手にカーテン。窓へ向けて少し細長い部屋は圧迫感がなく、いろいろとイメージを組むのに向いている。
僕はパソコンをリビングから動かして、取り込んだ金魚の図柄を無数に並べ、法則性を探す。


(360度――って訳にはいかないけど)

 一度、金魚を取り除いた青の上に、僕は金魚を泳がしてみるつもりだ。作業はそう難しくない。秒数二十四コマのそのアニメーションをどう使うかが大きな課題だ。

 東横さんの緻密なジオラマ、浴衣姿の二人。黒猫マリィ。普通の生徒では揃えられないほど贅沢なモチーフを手にして、僕は考えをめぐらす。


(初ちゃんは、田村さんの指先を通して、この絵で何を伝えたかったのか――)

 フラクタル――。母と田村さんの口癖。母が言うには、その意味は大きく違うという。内へと向いたフラクタルの渦と、外へ向けて広がりゆくという田村さんのフラクタル。なのに、それが位相的には同じものだという。


 子どもの頃、丸いリンゴを切る母に訊ねた。

 ――「リンゴはどこまで半分になるの?」

 母はリンゴを切る手を止めて、

 ――「どこまでも、半分になるのよ。ただし、どんどん小さくなるリンゴを切るために半分の小さなナイフが必要になる。それを切る人間も小さく小さくなってゆく。今、私たちが見えるくらいの点になっても、まだまだそれは続く。真二はどこまで小さくなってみたい?」

 僕はリンゴの種より小さくなる自分を想像して、思わず怖くなって母にしがみついた。


(それは決して外へ向かうフラクタルじゃない。フラクタルですらないかもしれない。田村さんが口にするフラクタルは、いったいどこへ――何がどこへ向かってゆくものなのだろう)

 制作課題から離れてゆく思念の中で、どうしてもぶつかり続ける一つの問題から逃げ出すことができなかった。
 
 田村さんの身体は心配だ。
 けれど、最後に母に、完成した課題作品を見てもらいたい。
 二つの思いは相反するものだった。

 

 翌日の学食では、久しぶりの面子が揃う。田村さんを除いて。

「真二君。課題の方はどうなんだい? 今回も期待してるんだけど」

 渚君は、最近かけうどんから豚骨ラーメンにチェンジしている。

 明日香が口を挟む。

「どうせまた、田村敦子のイメージアニメーションよ。間違いないわ」

 間違いはないのだが、今回は勝手が違う。

「真二君、そうなのかい?」

 渚君はそう言いおいて上品にラーメンを啜る。まるでパスタでも食べるように優雅に。

「田村さんのことは置いといて、ある程度はイメージは決まってるけど。今回はスマホじゃなくて学校貸し出しのハンディカメラ回すし、ごまかしは効かないと思うんだ」

 そこへ、カツ丼の進まない東横さんが、

「作品に愛情をかけるっていうのは、ものすごく大変なことなんです。時に愛情が上回ってしまって、作品が追いつかないこともあります」

 珍しく、会話に一石を投じた。彼女自身、自分の作品があるのだと知ってはいたけれど、本人が「もう完成している」と言うので、その言葉に甘えていた。僕は彼女の言葉に重責を感じる。

「ふーん。瑞奈もいろいろ考えてる訳ね。そのジオラマっていうの、展示するんでしょ。見に行ってやってもいいわよ」

 なぜか明日香が上からものを言う。東横さんの実力を見たら、その高飛車な態度も引っ込むだろう。



 昼食はそんな感じで終わり、昼休みの残り時間、僕と東横さんは教室で時間をつぶす。

「マリィのことなんですけど――」

 東横さんが少し心配そうな顔で話し始めた。

「マリィが? どうかしたの?」

「ええ――。なんだか妙に張り切ってて。何をやるのか楽しみではあるんですけど、小さくなれる喋る黒猫が、どういうことをやるのか気になって――」

 まあ、千年以上生きた賢い猫だ。無茶はしないだろう。

「心配いらないと思うよ。たぶんだけど」

 ですよね、とだけ答えて、彼女は次の授業の準備を始めた。ゲームグラフィックコースでは、すでに3次元CGの精細な授業にも取りかかっているらしい。僕も負けてはいられない。アニメーション制作コースでは今回の制作に取り入れるための、背景・音響・動画の三要素を主に授業は進んでいる。今は背景トレースの技法と具体例を学んでいた。


(田村さんは今ごろ何をやってるんだろう)


 そう思うこともあるが、気にしても仕方ない。彼女の行動はいつも事後報告だ。とにかくムダな時間が嫌いな人なので、すでに昼間のバイトを探しているかもしれない――。



「マリィをポケットに入れて自転車宅配をやってるのよ。ちなみに会社は黒猫マークのアレではないんだけれども」

 やはりすでにバイトを始めていた。僕はマンションに帰ると、田村さんがやってくる午後六時を待っていたところだ。

「それにしても、マリィが一緒っていうのはまずくないの?」

「いえ、竜崎君。マリィあってこそのバイトよ。曲がり角を三回過ぎると元の場所へ戻れなくなる特技を持つ私にとって、マリィは格好のナビゲーター。彼女はすでに、この辺りの地理を半径三キロで覚えているわ。カラスのカー助に背負われて」

 向いているのかいないのか、分からないバイトだ。

「とにかく今から急いで赤たぬきよ。店長が膝を揺らしてオープンを待ってるわ」

 店長一人では開けないのか。どれだけバイト頼りの店なのだろう。

「まあ、頑張ってとしか言えないけど――体調だけは気をつけてね」

「ええ。行ってくるわ」

 慌ただしく出ていったドアの音のあとに、電話が鳴った。東横さんなら、このあとに会う。明日香という訳もない。嫌な予感だ――。
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