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14・フェンス越しの当たり前の夕陽

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 日曜日――。バイト明けだからと時刻を一時に決めて、田村さんには家へ来てもらった。のだが……。

「……なんで高校の制服なの……」

 彼女はバッグを肩にかけてクルリと一回りしてみせ、

「これが私の持ってるいちばんなのよ。ついこの間まで着ていたのだからおかしくもないわ。映えるし。最近は暖かいし、中間服でよかったわよね」

「いや、そういう問題じゃ――」
「なんにせよ、今から着替え直しもできないわ。今日はこれで最高の映像を撮ってちょうだい。どこに行くの。アフォーレ跡? 駅前? 萬代?」
「いや、いろいろ考えてたんだけど。たった今、全部すっ飛んだ」

 グチを言っても始まらず、その格好でバスに乗った。終点の駅までなので最後部に座る。それだけでなぜか恥ずかしかった。自分まで高校生に思われているのだろうと。

「それで、竜崎君はどういうのを撮るのかしら。撮りたいのかしら」

 ある程度、考えてはいる。しかしそのプロットを先に話すと構えるかと思って伏せておきたかった。が、そのプロットも意味がなくなった。

 駅前に着くと日曜だけに人は多かった。イメージとしては通勤通学ラッシュの時間だったので、プロット変更だ。休日の女子高生か――。

「じゃあ、改札の奥からゆっくり歩いてきて。普通に。表に出たところで一度カメラを止めるから」
「分かったわ。きれいに撮ってちょうだい」

 言うと素直に改札へ向かった。僕はスマホを横に抱えて、あえて左へ少し傾けた。人は右に傾いた絵を見ると不安になるがそれが逆だと不思議と安定感を持つのだという。ここは安定感を選んだ。

 ややして彼女が改札の奥から歩いてくる。そして表へ立つと腰に左手を当て、手にしたペットボトルを豪快に飲んだ。カットだ。

「田村さん! なに飲んでるの!」
「のどが渇いたのよ。普通にと言われたから極力自然にしたわ。自然にすればのども乾く」
「分かったから、次はペットボトルなしで」

 舌打ちが聞こえる。

 次こそはと思ってカメラを構えていると、彼女が表へ出たところで前を歩いていたお婆さんがつまづいた。それを抱き起こす田村さん――。

「転んだお婆さんを無視して歩いて来いというの? そんな非道な真似をしてまで撮影モデルを引き受けたい訳ではないわ」
「いや、今のは田村さんのせいじゃないから。次こそ――」

 テイク3で十五秒の画は撮れた。三分の尺のうちの十五秒。先は長そうだ。

「次は、ホームで電車を待つ姿。これはなるべく人の少ないホームを選ぶから」
「ならば緑新線ね。車両もたったの三両よ」
「そっか。じゃあ、そうしよう」

 ホームへ向かって時刻表を見ると、次の電車は十四時五十二分――。待ち時間が長すぎる。下調べ失敗だ。

「ひとまずそこの椅子に座って、電車を待ってる感じになってて」
「電車を待つ感じというのはどういうもの? イヤホンを差して必死になってスマホを操作している姿とか。そういう滑稽な姿がたぶん一般的だわ」

 そういうイメージではない。

「ところで田村さん。そのバッグ何が入ってるの」
「普通の学生のカバンよ。テキストに参考書。なんなら体操服にも着替えられる」
「それ!」
「え? 体操服?」
「じゃなくて参考書。それを出して読んでてみて。五メートル前から撮るから」
「いいけれど。ホームから落ちないでね」

 まばらな人が彼女の前を歩いてゆく。電車の時間もまだなので、本当にまばらだ。やがて彼女の背中に人が座る。至近距離でカメラを回しているせいで、彼女の隣に座ろうという猛者はいなかった。好都合だった。

「田村さん、OK。駅から出よう」
「乗らないの? そのつもりだったのだけれど」
「そうすると夕方になって画の繋がりがおかしくなるんだよ。明るいうちに街中で撮りたいから――」



 駅からこの街いちばんの人混みに出会う萬代へ徒歩で向かう。その間にも立ち止まってもらい、何度もカメラを回した。背中から――ビルのショーウィンドウの前を横切る後ろ姿――信号待ちの足下――雑踏の中の制服。照れ臭さはいつしか不思議な高揚感に変わっていった。

「お疲れ。日も暮れるし、最後は公園で撮ろうと思うんだけど」
「公園。どうして」
「天気がよかったから、夕暮れの長い影のできる公園がいいかなって」
「長い影――なら、いいところを知っているわ。他にないほど長い影のできるところを」

 そのままビル街へと歩いてゆく彼女は途中で立ち止まり、

「コーラを買ってちょうだい。今日のギャラよ」
「ああ。いいけど。それよりどこに行くの」
「私にしか行けない場所よ。ついてきてちょうだい」

 コーラを手にした彼女は、この街でも古いファッションビルのエスカレーターを上ってゆく。延々と、十階も通り越して。思わずカメラを回した。

「こっちよ」
「こっちって――」

 見ればプラスチックのチェーンの張られた薄暗い階段がある。

「ちょっと、まさか田村さん?」

 彼女は気にも留めずそれを乗り越えて、歩いてゆく。僕はカメラを回していたのも忘れて急いでついていった。

 錆びたドアの前に彼女は立つ。その右手がそっと触れると、静かなフロアにカチャリと音が響いた。

「何か月ぶりかしら――」

 空を仰いで背伸びをする彼女。僕は慌ててカメラを構え直した。時は夕暮れ、いわゆるマジックアワー。何もかもが幻想的に美しくなる瞬間。

「私、学校の屋上へ上る前はここに来ていたのよ。しょっちゅう警備員から怒られていたわ」

 言うと、乗り越えらえそうもないフェンスへ向かって歩いた。その制服姿が、記憶を呼び起こす。遠くには電車の音。

「撮影、上手くいったのかしら」
「分かんない。これをパソコンで編集して音を入れるんだけど」
「頼りないわね。いいこと、カメラを回しているのよ」

 言うと、彼女はいきなり踊り始めた。既視感のある光景だ。それがキャップをひねる。

「ちょっ――」

 もちろんコーラは噴き出して、携帯ごとずぶ濡れになった。

「あっはっは、おかしい。そうなったコーラが美味しくないことは去年すでに証明ずみだから、竜崎君にあげるわ」

 今日いちばんの笑顔だ。らしくない。

「僕だっていらないよ。何してくれてんだよ――」

 しかし彼女は何も構わず、フェンスの影を格子状に身体へ受けて、ありふれた当たり前の夕陽を見つめる。

「ほら、きっとこの街でいちばん長い影」

 彼女の背中には、どこまでも続く黒い影が伸びていた。それは僕と彼女の中に何かを刻む、おぼろな日時計のようにも見えた。
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