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12・駆け引き

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「どうやら三日間、何もしていなかったようね」

 ガラステーブルに残ったトランプタワーの残骸を見て、青いワンピースの田村さんがかなり悲しそうに言った。

「そうは言っても。一人でポーカーとかできないし」
「役の作り方を覚えてほしかったのよ。ガッカリだわ。今日を楽しみに三日間耐えてきたというのに、ど素人の雑魚を相手にしなくてはならないなんて」

 なんかひどい言われようだ。

「とにかくその散乱したトランプをまとめてください。それからコーヒーを淹れてください。靴下の色は白です。ワンポイントも禁止です」

 クラス委員のようだ。

「まずはカフェー竜崎のコーヒーに免じて一勝負目はカウントしないわ」

 彼女はカードを美しくシャッフルしながら言うと、素早く配り始めた。

「ノーカウントよ。気楽にやってちょうだい」

 手元にカードが配られた。十三枚。かなりの量だ。これだけの数が配られるゲームはババ抜きか七並べしか経験がない。

 とはいえ、ゲームは単純だ。配られたカードを組み合わせて五枚、五枚、三枚にすればいいのだ。そして――。

(なんだ、スリーカードがあるじゃないか。これでフルハウス)

 が、そうすると三枚の役がない。フォーカードには逆立ちしてもできないので、ストレートフラッシュを作る。しかし、それもスリーカードのハートのキングに取られてしまう。

(ワンペアとツーペアはできるから、三枚役はストレートフラッシュだ)

 田村さんの様子を見ると、とっくに役ができたのかカードを伏せている。

「いいわね。予行練習第一戦よ。まずトップの五枚をお互いに開くわ」

 お互いにワンペア――僕がキングで彼女が8。

「こういう場合は数字の大きさで決めるから竜崎君の勝ちね。しかもトップの対戦はワンペア同士になることが多いから大きな数字を持ってくるのは定石」
「やった!」

 次の五枚をめくると、田村さんはスリーカード。僕はツーペアでもちろん負けた。一勝一敗だ。

「さあ、最後はボトムの三枚勝負よ。いいかしら」
「うん」

 これは自信がある。何せ、ハートのクイーン、キング、エースのストレートフラッシュなのだから。

「オープン」

 彼女はコーヒー片手に三枚のカードを開けた。すると気の抜けることに普通のフラッシュだった。二勝だ。やっぱりストレートフラッシュは強いのだ。

「やった、僕の勝ちだよね」
「そうね。ストレートフラッシュのない場合、これが最高の手になるから。じゃあ、次から本番よ。何を賭ける?」
「賭けるって……」
「言ったでしょ、身体を賭けると。私は『マッサージサロン真二』を十分間頼むわ。腰を重点的に。床に座り疲れてるのよ」

 身体とはそういうことだったのか。ホッとした裏で残念な気持ちもあった。

「じゃあ僕は……ベランダの窓拭きを頼むよ」
「乗ったわ。じゃあ開始。勝った竜崎君が配ってちょうだい」

 お互いに十三枚のカードを配る。彼女はそれを一枚ずつ手に取り、素早く並べてゆく。僕も同じくカードを手にするとやけに真っ黒な手札だった。が、それが惜しいところで途切れている。それでもスペードの10からストレートフラッシュを組み上げ、ワンペア、ツーペアとしながらも初戦のワンペアにはエースを使った。

「いいよ、もうできた」

「私もよ。さあ、トップをお見せするわ」

 と、出されたのは4のスリーカード。ダメだ。負けた。

 ということは自動的に次の勝負も負け、田村さんはストレート。

「ちなみに最後の手を見てあげるわ。あらまあ見事なストレートフラッシュだこと。私はただのフラッシュよ。ボトムを捨ててトップとミドルで勝負する。こういうやり方もあるわ。竜崎君は死んでもストレートフラッシュを狙ってくると思ったもの。これで『マッサージサロン真二』はいただいたわ」

 くっ……思いの外で悔しい。


 しかし、僕はその後も順調に負け続けた。そのたびに『インスタントでいいわ中華屋竜ちゃん』や『コーヒー濃い目にもう一杯』とか『足の爪切りをお願い』などが増えてゆくのだった。

「やだよ、足の爪とか。すごい屈辱的な気分になるから」
「ネイルでもできればいいのに」
「やれないよ、そういうのは」
「初子さんはやらなかったの」

 母は普段から化粧気のない人だった。それでも美しかった。

「けれど、家へ来た時は化粧をしてたわ。それはキレイに」
「よそのお宅だからだよ。それよりリベンジ、もう一回」



 テーブルを挟み、日は翳ってゆく。そのうち僕も何度か勝つようになってきて、足の爪切りからは逃れられた。

「じゃあ、初日はこんなものね。まずは最初にマッサージを頼もうかしら」

 言うと彼女は当然の顔でソファーへうつ伏せた。約束は約束だ。僕は母を思い出しながら細い腰に手を当てる。

「ああ……い……ん……」
「あんまり声出さないでよ」
「出しているのではないわ。出るのよ。湧き水のように」

 しばらく心地よさそうな顔をしていた彼女が、

「竜崎君は駆け引きが苦手だわ。カードゲームは相手の顔を見て行うもの。自分の手ばかりを見つめていてもダメ。抜き取ったカードを三枚端に揃えたら、だいたいの手は読める。そういうことを見ていくのよ。ああ、気持ちよかったわ。次は『カフェー竜崎』ね」

 彼女はコーヒーを待ちながら、

「私はあなたを頼まれたの。初子さんに。今もその思いはひとつも変わっていなくてよ。頼まれたからには、全力で尽くす。変わりはないの」

 その言葉に、少し空しいものを感じた。田村さんが僕を気遣ってくれるのは結局、母の遺言のせいなのだ。死の間際に彼女へかけた一本の電話を、律義に守っているだけなのだと。

「明日もトランプというのも芸がないわね」

 コーヒーをテーブルへ運ぶと彼女は続けた。
「温泉旅行は当たりませんでしたが、映画のチケットが二枚あるのです。一緒に行きませんか、まる」

 最近覚えた軽い微笑みでそう言った。映画のチケットなどたまたまあることはなく、きっと彼女が自腹で買ってきたのだろう。そう思えばまだ母のことにこだわっている自分が小さく思えた。
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