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11・ポーカー

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 田村さんがバイトを始め、彼女と会える時間は日に日に減っていった。昼休みの間の中間授業も受けているようで、僕の授業が終わる頃にはバイトへ向かっていた。

「で? あの子は今日もいないわけね」

 学食では渚君と二郷木さんを前にカレーを食べていた。たまにはカツカレーでも食べてみたい。

「きっとバイトで忙しいんだよ。真二君、近所でいいバイトってないですかね」
「バイトかあ――正門前のコンビニは結構募集かけてるみたいだけど」

 言うと、二郷木さんが箸を止めた。

「ホント、バカシンジね。これだけ学生の集まる街で年中バイト募集してる店なんて、超ブラックに決まってるわ。入っては辞め、入っては辞めってことよ」

 バカシンジはひどいが、言っていることは理に適っている。

「それにしてもさあ、あの葛城先生の授業ってどうにかならないの? 話が脱線して全然前に進まないし。それに比べて赤木博士の講義は理路整然として分かりやすいわ」

 それも納得だ。葛城先生は昔の男の話まで実名入りで口にする。

「まあ、明日香はそう言うけれど、僕はそのコンビニに面接へ行ってみようかな。学校から近いのは何より魅力だ」
「えー、やめた方がいいんじゃない?」
「待遇を聞いて心配だったら断ればいいんだし。職業体験はどんなジャンルでも人を成長させるよ」

(田村さんも、そんなことを言ってたっけ――)

 三限目は孤独に過ごし、授業のない四限目を孤独につぶし、五限目に突入だ。いちばんに憂うつな時間帯の授業だ。まだまだ続く基礎授業と、ゴールデンウィーク間近のカレンダーのせいもある。田村さんは連休もバイトなのだろうか――。



『いいえ、連休は休みよ。夜の飲食店はカレンダー通りが多いの』

 夜の電話で、そう言った。

「そうなんだ――」
『そういうことを訊ねるということはデートの誘いね』
「いや、そういう訳じゃ――」
『デートね。デートでなければ切るわ。肩透かしよ』
「待ってって。その、デートでいいから、何か予定でも立てない?」
『そうはいっても毎日の自己投資で金欠なのよ。策はあるかしら。映画のチケットが二枚あるとか、商店街の福引で温泉旅行が当たったとか』

 そういう、アニメドラマ的な都合のいいものはない。

『ないのね――』
「ゴメン――」
『謝らなくてもいいわ。何もなければ無から創造する。それが我が学び舎のモットー。ということで、トランプをワンセット用意しておいてちょうだい』


 そんなわけで、電話は終わった。トランプ――。トランプとはあのトランプだろうか。

 二十九日。それから四月の終わる三十日が土日。二日の月曜日をいらぬ世話で休講日にして、あとの三日が今年のゴールデンウィークだ。非常にムダな七連休。その中で一日だけが田村さんのバイト日だった。


「なに? アンタたち、明日からゴールデンウィークだっていうのに何も予定がないの? バカじゃない?」

 あちこちに絆創膏を巻いた指でカレーをスプーンにすくっていた田村さんが、二郷木さんに言葉を返す。

「ない訳ではないわ」
「なによ。何があるの」
「竜崎君と三日間トランプで遊ぶのよ」

 すると二郷木さんが鼻で笑う。

「はあん。結局、何もないのね。いい歳してトランプだなんて」
「ええ。だから大人のトランプよ。ベットありの賭けポーカー」

 初耳だ。

「バカじゃないの! 賭け事っていうのは大人の世界でも罰則事項の賭博罪なのよ? 大学でも賭け麻雀で停学処分になった生徒だっているんだから」

 田村さんはスプーンに取ったカレーを口へ運び、

「――だからお金は賭けない。賭けるのは身体よ」

 それも初めて聞いた。

「何それ! いやらしい!」

 渚君だけがニコニコとその様子を眺めていた――。

 四限目が終わり、バイトへ向かう田村さんの背中を追い、声をかける。

「ねえ田村さん。昼の話なんだけど――」
「急ぐわ。焼き鳥の仕込みがあるの」
「いや、けど――」
「明日だったら聞くわ。それじゃあ」

 階段を降りる彼女の背中を見つめつつ、いつか屋上へ向かっていたその足を思い出していた。彼女の中の何かが変わってゆくような気がして、取り残された気分になった。


 翌日、ゴールデンウィーク初日。鏡より先に電話があった。

『今から行くわ。コーヒーとトランプを用意していてくれると朝から気分は最高潮だわ』

 夜更かしのせいでまだ眠気の残る頭でコーヒーを淹れていると、鍵が開いた。

「おはよう。コーヒーと顔料の匂いの入り混じった素敵な香りだわ。昨夜は初子さんの絵の具を出していたのね」

 彼女は僕の知られたくない習性を知っている。

「それで、トランプって。本当に三日間トランプするの?」

 僕はソーサーをダイニングテーブルに置く。彼女が答える。

「竜崎君、ポーカーを知っている?」

「知ってるけど」
「十三枚でやるのだけれど」
「ああ、羽白が教えてくれたっけ。チャイニーズポーカーってヤツであんまりやんなかったけど」
「そうじゃないの。あれは三枚、五枚、五枚で、役を上げてゆくけれども、私のルールは逆。三枚のボトムがいちばん強くて、ミドル、トップと弱くしてゆくのよ」

 言うと彼女はコーヒーカップを手に、鼻から大きく息を吸い込んだ。

「え……ってことは、えっと三枚だから、何が一番強い役になるの?」

「ストレートフラッシュよ。要するに最大の手は、フルハウス、フォーカード、ストレートフラッシュ。順にトップから対戦して二勝以上した者の勝ち。そのルールで三日間、腕を磨いておくのね。私は残念ながら、講義のノートをまとめるのに前半三日間使うわ。

 謎の笑みを浮かべて、彼女はカップを口へ運ぶ。その思惑も分からず、僕は三日間トランプを投げっぱなしだった。
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