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6・交流会

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 ドアの開く音で目が覚める。鍵はかけていたので田村さんだと安心していた。
 リビングの方で足音が聞こえる。足音は大きくなり、寝室にまで響いてくる。そうなると穏やかな気分も吹き飛んでしまう。

「ちょっと田村さ――」
「てえぇい!」

 雄たけびと共に布団が勢いよく剥ぎ取られた。

「普通に起こしてよ……」
「あらそうですかい。その普通が分からないけれど、もう一度やり直しましょう。ならば部屋に戻ってミラー・オン・ザ・ベランダから始めるわ、竜崎君は布団に戻っていて」
「そこからじゃなくていいから――お昼でしょ? あれから掃除したし、まだ大丈夫だって」

 言うと、

「迂闊者が。シェフの朝は早いのよ。竜崎君もお花を飾ると言っていたじゃないの」
「まだ、その花屋が開いてないって」

 時計は八時だ。

「何はともあれ、起きたからにはコーヒーを淹れなければ。それが終わればキッチンは戦場よ」

 昨夜は十時までいろいろとやっておきながら、今さら何が必要なのだろう。

 コロンビアの香りを鼻に吸い込みながら、まだジャージのままでソファーに座る。

「まずはエビフライの下ごしらえね。これがなくてはパーティーが始まらないわ。なんと自家製タルタルソースを作るのよ。それが終われば飾りの野菜を切るわ。飾り切りというのを覚えているの。そして煮豚をうまくアレして、メインのチキンは早めに火を入れて――これには余熱を二十分。提供一時間前には焼き上がるようにしなければ。余熱で仕上げるのよ。そうそう、魚成分のシシャモは直前でいいわね。冷めると美味しくないもの」

 その気合は昨夜から衰えていない。ということで、朝のコーヒーを飲んだら花屋だ。いつものスーパーでいいだろう――。



「すごいマンションですね。立地もいい」
「ふーん。まあまあね」

 田村さんの指示で午後一時四十分にコンビニへ向かうと、渚君と二郷木さんがすでに立っていた。会話も少なくマンションへ案内してきたのが一時五十分だ。

「まあ、狭いかも知れないけど上がって――」

 と、ドアを開けて驚愕した。部屋中に黒煙が舞っているのだ。

「田村さん! これどうなってるの!」

 僕は二人を玄関に置き去りにして、部屋へ上がるとベランダの窓を開けた。

「ねえ、田村さん?」

 彼女を見ると、キッチンで呆然と立ち尽くしていた。

「さっきまでは上手くいっていたのよ――」

 気がつくと二郷木さんがすでに上がり込んでいて、

「こりゃまた。料理できない女が頑張ってみましたけど案の定で大失敗しましたあ、って感じじゃ?」
「明日香。招いてもらって、そういうこと言うものじゃないよ。けれど真二君、これはいったい――」

 それは僕にも分からない。田村さんが言いにくそうに口を開く。

「オーブンに予熱が入っていなかったのよ。少し温度を上げてやればオールオッケーと思ったら、羽根も肉も骨まで黒いと言われるインドネシア原産のニワトリ、『アヤム・セマニ』のようになってしまったわ。煮豚もうっかり煮すぎてカチカチで石のよう。これはもうゴメンなさい。ということでピザでも取りましょう」

 すると二郷木さんが、

「あーあ。せっかく期待して来たのに。じゃあこれ私から。ポテトサラダ作ってきたの。ピザだけじゃ栄養バランス悪いでしょ。あ、ここ座っていいの? 私さっさとハイボール飲みたい。あとジュースとか適当に置いとくから。冷蔵庫どこ? これ残り、入れといて」

 僕は缶の入った袋を手渡されて素直に冷蔵庫へ向かう。それでも田村さんはエプロン姿で立ち尽くしているだけだった。



「日本のピザってバカ高いけど、味だけはいいのよね。あ、これチェダーの味がしっかりしてる。あ、ポテサラ皆も食べてね。チョー美味しいから。あー、ハイボール最高」

 一人で賑やかな二郷木さんがピザを頬張っている。

「明日香は病気で一年、海外に行ってたんですよ。向こうではお酒は十九からいいんです」

 渚君はポテトサラダをフォークで口へ運び、さりげなく彼女の言葉を補った。

「清治。そういうのいいから。あー、昼間から飲むお酒って最高。それだけでいいわ」

 そこまで黙っていた田村さんが、椅子を立ちあがる。テーブルに生けた黄色いオンシジウムが揺れた。

「エビフライがあるわ。今から揚げるの。それにシシャモ」

 すると二郷木さんは意地悪そうに目を細め、

「いいわよ今さら別に。どっちかっていうとピザにはチキンよね。まあ、あれだけ真っ黒じゃどうしようもないけど」

 それを聞いた渚君が、さすがに間へ割って入る。

「明日香、いい加減に失礼だよ。田村さんは一生懸命にもてなそうとしてくれたんだから」
「それが分かんないのよ。だったらなんで他人の家に呼ぶわけ? ていうか、ここって親いないの? なんか妙な感じがするのよね。まるで二人で住んでるみたい」

 黙っている僕にふと目線を投げて、田村さんがこぼした。

「竜崎君のご両親はいらっしゃらないわ。私の両親も遠く。静かなの。だから私はここで賑やかにパーティーを開きたかったの。けれど力不足だったようね。これに懲りて、今後は慎ましやかに学生生活を送ることにするわ」

 そのままキッチンへ向かうと、オーブンを開けて真っ黒なチキンを取り出して、流しへ開けようとした。その時――。

「田村さん。それを少し僕に任せてくれないかな」

 ポテトサラダを突いていた渚君が立ち上がった。

「いいの。これは私の失敗。自分で片づけるわ」
「それは早計だ。まずは味を見てからでも遅くないですよ」

 彼はキッチンへ立ち、立ち尽くす田村さんの後ろから手を伸ばした。
「失礼――」

 そう言って黒い天板へ指を入れてそれをひと舐めすると、

「いいグレービーじゃないですか。悪いことは言いません。少し時間をください。田村さんはテーブルに座ってお茶でもどうぞ。皆さんも食事を続けてください」
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