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第一部 魔法少女は、ふたつの世界を天翔る
第1話 桜の魔法少女 その一
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『名字川白音は魔法少女ではない』
少女が独り、夜の公園のベンチに座っていた。
近くの自販機で買ってきたカフェラテのボトルを片手にスマートフォンをいじっている。
時刻は九時少し前。アルバイトを終えた帰りはいつもこのくらいの時間になる。
少女は黎鳳女学院の制服を着ていた。
セーラー服をベースに、今時の女子高生が好むようなデザインにアレンジされている。
一年生である彼女たちの代から採用されたものだ。
難関と呼ばれる大学への高い進学率を誇り、名門女子高校として知られる黎鳳では、三年間学業に専念することを求められる。
だから当然のようにアルバイトは禁止されているのだが、少女は特別に許可を受けて放課後のアルバイトをしていた。
『名字川白音は親の顔を知らない』
少女は孤児だった。
まだ一歳にもなる前、身ひとつで葦の河原に放置されていたところを近所の人に保護され、若葉会乳児院に引き取られている。
完全に身元不明の乳児が引き取られた場合、名字は院長の性である『名字川』が付けられることになっている。
『白音』は泣き声が赤ん坊なのに透き通るように綺麗な声だったことから、職員の案で付けられた。
三歳からは併設の児童養護施設である若葉学園に移っている。
学業成績は常に優秀で、この春からは難関進学高校として知られる黎鳳女学院に、授業料等完全免除の特待生として籍を置いている。
黎鳳が持つ寮で新生活を始めているのだが、入学試験時の成績により寮費の免除も受けていた。
将来的には国立大学の法学部への進学、そして弁護士になることを目指している。
『若葉会』を支えるために費用的な負担を少なく、しっかりした収入のある職業に就くにはどうすればよいかを考えての夢である。
もちろん奨学金を得ることは必須なので、可能な限り優秀な学業成績を収めなければならない。
加えて今のうちから貯蓄もしたいので学院から特別な許可を貰い、放課後にカフェでアルバイトをしているのである。
アルバイトの帰りにその少女、名字川白音はバスの中で知らない女子高生たちが話しているのを聞いた。
曰く、最近ネットで『エレメントスケイプ』なる四人組のアイドルが注目されているらしい。
彼女たちは四人組魔法少女という設定で歌とダンスの動画を上げている。
動画でもなかなかのパフォーマンスを見せるが、生で見るとそんなものではないらしい。
あまりのすごさに彼女らは本物の『魔法少女』なのではないかと噂されている、というのだ。
「設定って言わないであげてよね」
白音はクスッと笑いながらエレメントスケイプを検索する。
この公園は無線環境が整っているので快適に動画が見られる。
夜遅くにこんなことどうかとは思うが、魔法少女と聞いて白音はどうにも我慢ができなかった。
近頃ネット界隈では、都市伝説的な魔法少女の噂をよく聞くようになった。
エレメントスケイプがそうなのかは知らないが、中には本物の魔法少女の動画もあるというのだ。
ただし魔法少女の存在の証拠となり得るような動画は、アップした瞬間に即座に消去される。
そしてそれをアップした者もいつの間にか消えていなくなる、らしい。
『名字川白音は魔法少女が好きである』
白音は幼い頃誘拐されかけたことがある。
後から聞けばそれは変質的な行為を目的としたもので、犯人は余罪もある連中だった。
誘拐されていればどんな目に遭っていたかなど想像もしたくない。
それを危ういところで助けてくれたのが魔法少女だったのだ。
当時五歳だった白音は、数人がかりでワンボックスカーに押し込まれ、拉致された。
だが車は発進直後に魔法少女の手によって強制的に停車させられた。
バリバリと音を立てて扉が引き剥がされて、手を差し伸べてくれた赤いコスチュームの魔法少女に、白音は今でも憧れている。
赤い魔法少女は仮面を付けて顔を隠していた。
そして幼い上に気も動転していた白音は、しっかりとお礼も言えていなかったと思う。
名前を問う白音に彼女は確か、
「名乗るほどの者でもない」
と言っていたと思う。
今思うといささか乱暴な正義のヒロインだった。
車には走って追いついたのだろうし、車を止めた時に掴んだ指の後がワンボックスカーの車台後部にはっきりとのこっていたのを覚えている。
誘拐犯はボコボコにされて病院送りになったらしく、
「赤い悪魔にやられた」
と証言していたと聞いている。
それが、白音にとってのヒロインである。
エレメントスケイプの動画をいくつか見終えた。
白音は「悪くない」と思った。でも残念ながら白音が見たいものとは違っていた。
やはり先程の女の子たちが話していたとおり、実物を生で見ないと分からないものがあるのかもしれない。
白音はずっとこうやって、魔法少女が実在するという手がかりがを探し続けていた。
自分を助けてくれた魔法少女に、もう一度会いたいと思っていたのだ。
ただし実は、白音にはその『赤い悪魔』の正体について、「こいつではないか?」という心当たりがあった。
ただでさえ「魔法少女が助けてくれた」などとは幼子の戯言であろう。
しかし、この話にはもっと信じがたい続きがある。
白音の記憶に残る魔法少女は、自分とほとんど同じくらいの体格だったのだ。
だから多分、魔法少女は自分と同じ年の頃だったはずだと白音は考えている。
五歳児が誘拐犯から五歳児を救ったなどと、なおさら誰も信じないかもしれないが、そんなことは白音には関係ない。
白音は今年で十六歳になる。
自分と同い年の親友がその正体ではないのかと、ほぼ確信に近い目を向けていた。
ただ、本人が真相を明かしてくれないので、こうやって外堀を埋める作戦に出ているのだった。
これだけ噂になっているのだから、きっと他にも魔法少女はいるのだろうと白音は思う。
だからまずはその存在の確証を掴み、理解を深め、それから尋問……ではなくてじわじわと詰めていけばいずれ話してくれるのではないかと考えていた。
白音はふと、スマホの時計表示に目をやった。
動画に夢中になり過ぎてしまっていたらしい。
アルバイトが許されている身とは言え、帰りがあまり遅くなるのはまずい。
しかし帰り支度をしようと慌てていたその時、公園に女性の悲鳴が響いた。
長く尾を引くような声だったが、途中からくぐもって口を塞がれているような呻きに変わる。
白音ははじかれたように立ち上がると、イヤホンを外した。
そして聞こえにくくはなったが、まだ続いている苦悶の声の主を求めて走り出した。
躊躇なく闇の向こうへと切り込んでいく。
「ここはそんなに危ない場所じゃなかったはずだけど……」
白音は、近場で快適な無線環境のある場所はだいたい事前にチェックしている。
この公園にはすぐ近くに交番があることも確認している。
木立のある遊歩道の方へ向かうと、月明かりが僅かに差す中、ひとりでもがいている女性の姿があった。
他には誰もいない。立ったまま、ひとりで口や喉のあたりをかきむしって苦しんでいる。
もう声は発していなかったが、先程の悲鳴はこの女性で間違いなさそうだった。
「落ち着いて下さい。どうされましたか?」
近づくと女性がずぶ濡れであることに気づいた。
月の薄明かりにぬらぬらと光っている。
今日は朝から少し早い初夏の到来を思わせるような晴天だったし、この公園には池もない。
一体どこでこんな風になるのだろうかと訝る。
「しっかりして下さい」
なおも恐慌状態にある女性の両肩を掴んだ。と、ぬちゃっ、と気味の悪い感触があった。
ただの水ではない。
何か弾力のあるような、粘り着くような、そういう不定形の物が女性の体を覆っていた。
(顔にまとわりついて、それで息ができないんだわ)
白音はそのヌルヌルとした感触に顔をしかめながら、粘性物質を引きはがしにかかる。
ひとまず息ができるように………………。
するとそれは、でろんとはがれて今度は白音の方に向かってきた。
(自分で動いてる!?)
白音自身も口と鼻を守りながら、それでも思いっきり粘液質の本体と思える部分をひっ掴み、女性の体を体当たりで突き飛ばす。
弾みで女性は転んでしまったが、どうにか粘性物質からの解放には成功したようだった。
よろよろと女性が立ち上がるのを確認して白音が叫ぶ。
「逃げて! できたら交番お願い!」
警察ではどうにもできない事態が起こっているようにも感じる。
しかし白音には、それ以外に助けを求めるべき相手が思いつかなかった。
粘性物質は完全にターゲットを白音に定めたようだった。
まるで生きているような動きで体中にまとわりついてくる。
襲われていた女性は覚束ない足取りながらも、大通りのある明るい方へと逃げていった。
交番へ駆け込んでくれるかどうかは分からない。
それでも白音は少し安堵していた。
(助かってくれたなら、それでいい)
体が徐々に生き物のようにうねる粘性体に覆われていく。
白音は、先程の女性が呼吸を奪われながらも突っ立ったままだった理由をようやく理解した。
まとわりつく粘性の物体が体の自由を奪い、倒れることすら許してくれないのだ。
最初にまとわりつかれた両腕は全周から強い圧力をかけられて、既にぴくりとも動かなくなっている。
体の自由を奪って、呼吸を止める。
まるで生きた動物の捕食行動のようだった。
やがて顔を覆い呼吸を止め、口から白音の体の中へと侵入してくる。
「ぐ…………、ごほっ、くはっ、う、う…………」
酸素を失い、白音の視界が白くなり始める。
やがて意識も遠くなり始めた白音の目に、駆けつける少女の姿がぼんやりと映った。
その少女こそが親友のヤヌル佳奈だった。
こんな所にいるはずもないその姿に、白音は走馬燈のように蘇るとかいう想い出を見ているのかと思った。
「白音っ!」
彼女は幻影などではないと主張するように大きな声でそう叫ぶと、およそ常人にはできないような素早く、しなやかな身のこなしで白音に走り寄った。
少し浅黒い肌に、すらりとした長身の体躯。
彼女は白音とは別の高校、曙台高校のブレザーの制服を着ている。
「莉美と待ち伏せしてたのにちっとも来ないからっ!」
白音は遠ざかる意識の中、とてもそれどころではないのに佳奈の言葉が妙にはっきりと聞こえた。
(待ち伏せって何なのよ……)
佳奈が何の迷いもなく、白音がやった時と同じように粘性物体を引きはがしにかかる。
「このっ、スライムがっ!!」
(これ、スライムって言うんだ……。でもこのままじゃわたしと同じになっちゃう…………)
佳奈は、ひとまず白音の口からスライムを剥がして呼吸を確保してくれた。
しかしやはり、佳奈の腕にもそれはまとわりついてくる。
「か、佳奈……、上っ!」
「え? うひゃっ!!」
べちゃっ。
木の上から別のスライムが降ってきて佳奈にのしかかる。
そしてさらにもう一匹、もう一匹……。
少女が独り、夜の公園のベンチに座っていた。
近くの自販機で買ってきたカフェラテのボトルを片手にスマートフォンをいじっている。
時刻は九時少し前。アルバイトを終えた帰りはいつもこのくらいの時間になる。
少女は黎鳳女学院の制服を着ていた。
セーラー服をベースに、今時の女子高生が好むようなデザインにアレンジされている。
一年生である彼女たちの代から採用されたものだ。
難関と呼ばれる大学への高い進学率を誇り、名門女子高校として知られる黎鳳では、三年間学業に専念することを求められる。
だから当然のようにアルバイトは禁止されているのだが、少女は特別に許可を受けて放課後のアルバイトをしていた。
『名字川白音は親の顔を知らない』
少女は孤児だった。
まだ一歳にもなる前、身ひとつで葦の河原に放置されていたところを近所の人に保護され、若葉会乳児院に引き取られている。
完全に身元不明の乳児が引き取られた場合、名字は院長の性である『名字川』が付けられることになっている。
『白音』は泣き声が赤ん坊なのに透き通るように綺麗な声だったことから、職員の案で付けられた。
三歳からは併設の児童養護施設である若葉学園に移っている。
学業成績は常に優秀で、この春からは難関進学高校として知られる黎鳳女学院に、授業料等完全免除の特待生として籍を置いている。
黎鳳が持つ寮で新生活を始めているのだが、入学試験時の成績により寮費の免除も受けていた。
将来的には国立大学の法学部への進学、そして弁護士になることを目指している。
『若葉会』を支えるために費用的な負担を少なく、しっかりした収入のある職業に就くにはどうすればよいかを考えての夢である。
もちろん奨学金を得ることは必須なので、可能な限り優秀な学業成績を収めなければならない。
加えて今のうちから貯蓄もしたいので学院から特別な許可を貰い、放課後にカフェでアルバイトをしているのである。
アルバイトの帰りにその少女、名字川白音はバスの中で知らない女子高生たちが話しているのを聞いた。
曰く、最近ネットで『エレメントスケイプ』なる四人組のアイドルが注目されているらしい。
彼女たちは四人組魔法少女という設定で歌とダンスの動画を上げている。
動画でもなかなかのパフォーマンスを見せるが、生で見るとそんなものではないらしい。
あまりのすごさに彼女らは本物の『魔法少女』なのではないかと噂されている、というのだ。
「設定って言わないであげてよね」
白音はクスッと笑いながらエレメントスケイプを検索する。
この公園は無線環境が整っているので快適に動画が見られる。
夜遅くにこんなことどうかとは思うが、魔法少女と聞いて白音はどうにも我慢ができなかった。
近頃ネット界隈では、都市伝説的な魔法少女の噂をよく聞くようになった。
エレメントスケイプがそうなのかは知らないが、中には本物の魔法少女の動画もあるというのだ。
ただし魔法少女の存在の証拠となり得るような動画は、アップした瞬間に即座に消去される。
そしてそれをアップした者もいつの間にか消えていなくなる、らしい。
『名字川白音は魔法少女が好きである』
白音は幼い頃誘拐されかけたことがある。
後から聞けばそれは変質的な行為を目的としたもので、犯人は余罪もある連中だった。
誘拐されていればどんな目に遭っていたかなど想像もしたくない。
それを危ういところで助けてくれたのが魔法少女だったのだ。
当時五歳だった白音は、数人がかりでワンボックスカーに押し込まれ、拉致された。
だが車は発進直後に魔法少女の手によって強制的に停車させられた。
バリバリと音を立てて扉が引き剥がされて、手を差し伸べてくれた赤いコスチュームの魔法少女に、白音は今でも憧れている。
赤い魔法少女は仮面を付けて顔を隠していた。
そして幼い上に気も動転していた白音は、しっかりとお礼も言えていなかったと思う。
名前を問う白音に彼女は確か、
「名乗るほどの者でもない」
と言っていたと思う。
今思うといささか乱暴な正義のヒロインだった。
車には走って追いついたのだろうし、車を止めた時に掴んだ指の後がワンボックスカーの車台後部にはっきりとのこっていたのを覚えている。
誘拐犯はボコボコにされて病院送りになったらしく、
「赤い悪魔にやられた」
と証言していたと聞いている。
それが、白音にとってのヒロインである。
エレメントスケイプの動画をいくつか見終えた。
白音は「悪くない」と思った。でも残念ながら白音が見たいものとは違っていた。
やはり先程の女の子たちが話していたとおり、実物を生で見ないと分からないものがあるのかもしれない。
白音はずっとこうやって、魔法少女が実在するという手がかりがを探し続けていた。
自分を助けてくれた魔法少女に、もう一度会いたいと思っていたのだ。
ただし実は、白音にはその『赤い悪魔』の正体について、「こいつではないか?」という心当たりがあった。
ただでさえ「魔法少女が助けてくれた」などとは幼子の戯言であろう。
しかし、この話にはもっと信じがたい続きがある。
白音の記憶に残る魔法少女は、自分とほとんど同じくらいの体格だったのだ。
だから多分、魔法少女は自分と同じ年の頃だったはずだと白音は考えている。
五歳児が誘拐犯から五歳児を救ったなどと、なおさら誰も信じないかもしれないが、そんなことは白音には関係ない。
白音は今年で十六歳になる。
自分と同い年の親友がその正体ではないのかと、ほぼ確信に近い目を向けていた。
ただ、本人が真相を明かしてくれないので、こうやって外堀を埋める作戦に出ているのだった。
これだけ噂になっているのだから、きっと他にも魔法少女はいるのだろうと白音は思う。
だからまずはその存在の確証を掴み、理解を深め、それから尋問……ではなくてじわじわと詰めていけばいずれ話してくれるのではないかと考えていた。
白音はふと、スマホの時計表示に目をやった。
動画に夢中になり過ぎてしまっていたらしい。
アルバイトが許されている身とは言え、帰りがあまり遅くなるのはまずい。
しかし帰り支度をしようと慌てていたその時、公園に女性の悲鳴が響いた。
長く尾を引くような声だったが、途中からくぐもって口を塞がれているような呻きに変わる。
白音ははじかれたように立ち上がると、イヤホンを外した。
そして聞こえにくくはなったが、まだ続いている苦悶の声の主を求めて走り出した。
躊躇なく闇の向こうへと切り込んでいく。
「ここはそんなに危ない場所じゃなかったはずだけど……」
白音は、近場で快適な無線環境のある場所はだいたい事前にチェックしている。
この公園にはすぐ近くに交番があることも確認している。
木立のある遊歩道の方へ向かうと、月明かりが僅かに差す中、ひとりでもがいている女性の姿があった。
他には誰もいない。立ったまま、ひとりで口や喉のあたりをかきむしって苦しんでいる。
もう声は発していなかったが、先程の悲鳴はこの女性で間違いなさそうだった。
「落ち着いて下さい。どうされましたか?」
近づくと女性がずぶ濡れであることに気づいた。
月の薄明かりにぬらぬらと光っている。
今日は朝から少し早い初夏の到来を思わせるような晴天だったし、この公園には池もない。
一体どこでこんな風になるのだろうかと訝る。
「しっかりして下さい」
なおも恐慌状態にある女性の両肩を掴んだ。と、ぬちゃっ、と気味の悪い感触があった。
ただの水ではない。
何か弾力のあるような、粘り着くような、そういう不定形の物が女性の体を覆っていた。
(顔にまとわりついて、それで息ができないんだわ)
白音はそのヌルヌルとした感触に顔をしかめながら、粘性物質を引きはがしにかかる。
ひとまず息ができるように………………。
するとそれは、でろんとはがれて今度は白音の方に向かってきた。
(自分で動いてる!?)
白音自身も口と鼻を守りながら、それでも思いっきり粘液質の本体と思える部分をひっ掴み、女性の体を体当たりで突き飛ばす。
弾みで女性は転んでしまったが、どうにか粘性物質からの解放には成功したようだった。
よろよろと女性が立ち上がるのを確認して白音が叫ぶ。
「逃げて! できたら交番お願い!」
警察ではどうにもできない事態が起こっているようにも感じる。
しかし白音には、それ以外に助けを求めるべき相手が思いつかなかった。
粘性物質は完全にターゲットを白音に定めたようだった。
まるで生きているような動きで体中にまとわりついてくる。
襲われていた女性は覚束ない足取りながらも、大通りのある明るい方へと逃げていった。
交番へ駆け込んでくれるかどうかは分からない。
それでも白音は少し安堵していた。
(助かってくれたなら、それでいい)
体が徐々に生き物のようにうねる粘性体に覆われていく。
白音は、先程の女性が呼吸を奪われながらも突っ立ったままだった理由をようやく理解した。
まとわりつく粘性の物体が体の自由を奪い、倒れることすら許してくれないのだ。
最初にまとわりつかれた両腕は全周から強い圧力をかけられて、既にぴくりとも動かなくなっている。
体の自由を奪って、呼吸を止める。
まるで生きた動物の捕食行動のようだった。
やがて顔を覆い呼吸を止め、口から白音の体の中へと侵入してくる。
「ぐ…………、ごほっ、くはっ、う、う…………」
酸素を失い、白音の視界が白くなり始める。
やがて意識も遠くなり始めた白音の目に、駆けつける少女の姿がぼんやりと映った。
その少女こそが親友のヤヌル佳奈だった。
こんな所にいるはずもないその姿に、白音は走馬燈のように蘇るとかいう想い出を見ているのかと思った。
「白音っ!」
彼女は幻影などではないと主張するように大きな声でそう叫ぶと、およそ常人にはできないような素早く、しなやかな身のこなしで白音に走り寄った。
少し浅黒い肌に、すらりとした長身の体躯。
彼女は白音とは別の高校、曙台高校のブレザーの制服を着ている。
「莉美と待ち伏せしてたのにちっとも来ないからっ!」
白音は遠ざかる意識の中、とてもそれどころではないのに佳奈の言葉が妙にはっきりと聞こえた。
(待ち伏せって何なのよ……)
佳奈が何の迷いもなく、白音がやった時と同じように粘性物体を引きはがしにかかる。
「このっ、スライムがっ!!」
(これ、スライムって言うんだ……。でもこのままじゃわたしと同じになっちゃう…………)
佳奈は、ひとまず白音の口からスライムを剥がして呼吸を確保してくれた。
しかしやはり、佳奈の腕にもそれはまとわりついてくる。
「か、佳奈……、上っ!」
「え? うひゃっ!!」
べちゃっ。
木の上から別のスライムが降ってきて佳奈にのしかかる。
そしてさらにもう一匹、もう一匹……。
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