地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第百九十六章

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第百九十六章

 王都の南。砂漠のただなか蜃気楼の立つあたりに天幕の群れが陣を張っていた。
 その中央にはひときわ大きく、濃い紫に金の縁取りのある天幕があった。
「ダファネア王国軍は闇の王を撃退したというのだな。例の魔物を。確かか」
「確かでございます。この目で王宮の謁見の間を見ましたところ、もう跡形もないんでございます。跡には崩れた玉座だけがございまして闇の王はどこへやら、きっと地の底へでも消えたんでございましょう」
 相手の顔色をうかがう上目遣いで報告しているのは、ロウデンだった。ココと組んで帝国の軍団長と偽り、カナ族長老ジルコンをペテンにかけようとした男だ。
 ロウデンは砂漠を越えようとして足手まといになったココを捨て、なんとかウラレンシス帝国にたどり着いた。
 お得意の口八丁手八丁で帝国の高官に取り入り、闇の王は帝国で考えられているような疫病でなく死霊を操る魔物の類だと納得させることに成功した。
 ついには高官の手引で皇帝の宮殿にまで入り込み、今こそダファネア王国侵攻の絶好の機会と説いて皇帝の長男スティロをその気にさせるまでになった。
「地の底へだと。お前の推測など聞いてはおらぬ。魔物は確かに王都を去ったのだな」
 帝国軍を統率する天幕の主であるスティロはこの当てにならぬ密偵の顔を横目でにらんだ。
「ええ、それは間違いございません。謁見の間はからっぽ、王都はどこもかしこも瓦礫の山だらけ、兵隊たちは戦に疲れてへたばっておりまして、今こそダファネア王国の田舎者どもに帝国の御威光をしらしめる絶好の機会かと存じまする」
 ロウデンはひざまずいた姿勢のまま図々しくもスティロの足元へにじり寄った。身につけているのは王国軍の兵士のものである短衣と裾を紐でくくったズボンだったが、それには血はおろか泥の小さな染みすらついていなかった。
「皇太子殿下、偉大なる帝国のお世継ぎよ。つきましては、この私、ロウデンを皇太子殿下の使節として派遣してくださいませ。私がこの弁舌をもって、砂漠にはウラレンシス帝国の大軍勢が威風堂々たる武装でもって陣取っており、王国には砂一粒ほどの勝ち目もないと言ってやれば、王の血脈だのイーグル・アイだとと虚勢を張っている王国も降伏してくること間違いありません」
 椅子にかけたスティロは磨き上げた長靴の先に頬ずりせんばかりに近寄ってくるロウデンに不興をもよおし、かすかに眉をひそめた。
「ダファネア王国がそう簡単に降伏するものか。でたらめを言うな!」
 怒鳴り声を上げたのはスティロではなく、その横に控えていた貴公子ヴァロだった。
「ミアレ姫はそのように心弱い方ではない。絶好の機会だと。今のような時こそ、かの王国は王の血脈のもと結束を固めているはず。侵攻の好機だなどと戯言はいい加減にするがいい」
 スティロは愉快そうな笑い声を上げた。
「心弱い方ではないと申すか。さもあらん。帝国きっての美丈夫に肘鉄を食らわせる女傑なのだからな」
 自分より二十歳以上も若いヴァロにスティロは全幅の信頼を置いていた。ヴァロが帝位への野心を秘めていることは承知のうえだ。
 ヴァロは思わず頬を赤らめた。ヴァロがダファネア王国を手に入れるために策略を用い、結局は決闘でそれをしくじったことは、スティロはもちろん皇帝その人にまで知られてしまっていた。
「伯父上、私はそのようなつもりで言っているのではありません。ミアレ姫はいざとなれば王国のために命を投げ出すことも辞さぬ覚悟を持っているお方。それに王国には戦士の部族を率いるカラゲルもおります。カラゲルが王となれば、我が帝国の歴史にも名が残るブルクット族を相手にすることになるでしょう」
「おお、稲妻の刺青の男か。捨て身の戦法とはいえ、お前を打ち負かすとはあっぱれな剣士よ。是非とも生かしたまま王国へ連れ帰り、宮廷の剣術師範として迎えたいものだ」
 その時、ロウデンがスティロの足元で下卑た笑い声をもらした。
「そうなさいませ。王国を降伏させれば、人質として姫さまなり、剣士なり、もしお望みならシャーマンだって連れ帰ることができるでしょう。なあに、シャーマンなんぞは旅芸人のはしくれに過ぎません。王宮の道化にでも使ったらよろしいでしょう。奴隷も大勢連れてお帰りなさいませ。帝国ではダファネア王国の奴隷は値が張るようですからな」
 奴隷という言葉を聞いたスティロは、またかすかに眉をひそめた。
「ヴァロよ。この者、不愉快だ。始末せい」
 スティロの命令にヴァロはためらい、戸惑った。
 すると、スティロは椅子から軽く腰を浮かせ、素早くヴァロの腰から細身の剣を抜くと何のためらいもなくロウデンの胸に突き立てた。
「殿下、どうして私を!」
 ロウデンの顔に驚愕の色が浮かび、やがてそれが苦痛に変わっていった。それまで、あれこれと弁じ立てていた唇からは虚しい言葉の代わりにどす黒い血がこぼれ、裏切り者ロウデンは死んだ。
 スティロはヴァロの剣を返してやり、若き甥の肩を叩いて笑った。
「どうしてこれしきのことができないのだ。それでは私の寝首をかくことなどできまい」
 立ち上がったスティロは倒れているロウデンの肩のあたりで長靴の爪先を拭うと、もはやそちらには目もくれずに天幕を出た。
 護衛に立っている当番兵に死体の始末を命じると、スティロは顔を蒼白にしているヴァロを振り返った。
「ヴァロよ、お前はどうも腰が引けているようだな。先鋒をお前にと思っていたが、やめた。お前の親衛隊とともにここで天幕の番をしておれ」
「腰が引けてなどおりません。ただ、ダファネア王国は容易に陥ちるようなものではないと考えているだけです」
「そうむきにならなくともよい。お前は砂漠を越える手引役として十分に役目を果たした。ここからは我ら帝国主力軍がやる」
 スティロは用済みの密偵をあっさり始末した冷血さなどおくびにも出さず、若き貴公子へ温かな微笑みを見せた。
「そう腐るな。なにしろ、お前は父上のお気に入りなのでな。その白い頬に傷を負わせては叱られる。援軍が必要になったら伝令を送るから後詰を頼む。まあ、その必要もなかろうが。我らはこれだけの軍勢を率いてきたのだから」
 天幕の間で演習に励む歩兵部隊が西日に青銅製の鎧をきらめかせていた。訓練の行き届いた大軍勢が整然と動き回る様子は壮観だった。
 武器も、盾、槍、剣、それに弓と万端整っている。
 どれもこれも帝国の技術を注ぎ込まれた最新のものだが、部隊長くらいになるとカナ族が密貿易で売り込んだ剣を腰に差している者もあった。切れ味鋭く厚味のある刀身は実戦向きだが、それでいて鞘は古風な意匠を凝らして見栄えがするので人気があった。
 騎兵隊の馬も数多く繋がれてあった。これらは帝国領辺境の山岳民族から手に入れた血統で気性は荒いが、その分、砂漠を越えるにあたっての飢えや渇きにも強いのだった。
 二頭立ての馬に曳かせた戦車数台が駆けていった。戦車は御者と槍兵の二人乗りだ。スティロとヴァロを見ると、槍兵は兜の端に手を当てて敬礼を送ってきた。
 それに挨拶を返してスティロとヴァロは天幕の間を歩いていった。二人の姿を目にした兵士たちは作業の手を休めて貴人に対する礼をとった。皇太子スティロは鷹揚な笑みでそれに答えた。
 やがて天幕が尽きたあたりで二人は立ち止まった。そこからは見渡す限り西日の差す砂漠が広がっているのが見えた。陣営からかなり離れたところに、また別の天幕が三つほどしつらえられている。
 その天幕の横に小山のような影が七つ見えていた。
「こうして見ると、獣どもも可愛いものだな」
 スティロが獣と呼んだ七つの影こそ、帝国の龍だった。
「あんな面倒なものが必要とも思えぬが、父上に連れて行けと言われては断れぬ。なんでも、ダファネア王国にも龍がいると聞く。帝国の龍と力比べさせよと仰せだ。知っての通り、父上は芸術と戦争に禁忌はないなどと『名言』を吐かれる粋人であらせられる。戦争を遊び事と変わらぬと思っていらっしゃるらしい。ヴァロよ、お前は王国の龍を見たか」
「いいえ。しかし、その龍のうちの一つはカナ族の町を滅亡させたとか」
「王国は龍を操る技術を持たぬのだろう。我らは違う。あの獣どもは我らの手の内にある」
 その時、龍のうちの一頭が耳をつんざく吠え声を上げた。首をもたげ、天に向って吠える声はすさまじいものだったが、どこか哀しげな声音でもあった。
 背中に毛皮を背負った姿の龍使いがその龍の胴体を鋭い鉄槍で突いて大人しくさせた。これは槍というより針に近く、龍の鱗の間を突き刺し、その苦痛によって服従させているのだ。
 龍使いは辺境の蛮族で帝国では奴隷と同等の存在だったが、この者たちの龍を操る秘術を得たことで帝国の領土は飛躍的に広がった。皇帝が『獣』を連れて行けと言ったのは、ダファネア王国に対し帝国の圧倒的な力を見せつけるという理由が大きかった。
 ヴァロは急速に傾いてきた砂漠の西日に目を細めた。うずくまる龍の影がしだいに濃く闇に沈み、不吉なものと見えた。
「伯父上、聞くところによると、ダファネア王国にはイーグル・アイと呼ばれるシャーマンがいるようです。龍の加護を得ているとか」
 スティロは呆れたような顔で甥の目をのぞき込んだ。
「シャーマンだと。まじない師に何ができるというのだ。闇の王とかいう魔物は追い払うことができても、我ら帝国軍を追い払う呪文はあるまい。ウラレンシス帝国はとうの昔に呪術などという迷信は克服しているのだ。おや、もしかして」
 美男子の甥っ子の肩を小突いてスティロはにやりと笑った。
「ミアレ姫にかけられた魔法がまだ解けておらぬのか。ダファネア王国では王の血脈と称する姫君は精霊の加護を得るというからな。油断がならぬ」
「何を仰せになるのです。そんなことは決して……」
 スティロはヴァロを陣営の方へ連れ戻しながら言った。
「ヴァロよ、私だってかの王国のことはあれこれ学んであるのだ。いずれ属領となる土地について知っておかねばならぬからな。お前は王国にご執心のようだから、私から父上にそう言って、ダファネア属領はお前が治めるようにさせてやろう。そうしたら姫君だろうと何だろうとお前の好きにできるのだ」
 その時、背後でまた龍の吠えるのが聞こえてきた。その声は嘆いているのか、恐れているのか、あるいは笑っているのか。誰にも分からなかった。
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