地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第百八十三章

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第百八十三章

 三日後の早朝、三つの出城に伝令が走った。
『王都への進軍は明日。夜明けまでに受け持ちの城門へ各部隊を移動すべし』
 すでに各軍、準備万端整っている。明るいうちに十分に休養を取った軍勢は夜に入って続々と出城から進撃を開始した。
 松明をかかげたダファネア王国各軍が三方向から王都へ押し寄せる様は、さながら地上に下った星々が星雲を成そうとするかのようであった。
 ただし、その中心はいまや死霊を充満させた死の都と化して暗黒のうちに奇怪な蠢きを孕んでいる。
 各軍が配置につくまでにはまだ時間がかかる。その中で一足先に城壁にたどり着いていたのはヤンゴ率いる遊撃隊だった。彼らはブンド族の門から城壁内へ突入するべく、鷲の飾りの落ちた下水口に集まっていた。
 ヤンゴ、ブルーノをはじめ、コウモリの巣の面々、それにブルクット族の屈強な鍛冶屋たちが加わっている。そして、その中心には蒼白な面持ちのココの姿があった。
 今夜、ココは純白の長衣を身にまとっていた。金色に近い黄色の縁取りがある。これは王家の者がまとうべき衣装だった。
 ココは荒れ野で着の身着のままに放置されて豪華な衣装を全て失っていた。今夜のこの衣装はクランがミアレ姫に頼んでもらい受けたものだった。
「『善き力』が我らのもとにありますように、との王の血脈からの伝言だ」
 クランの言葉にココは皮肉に口元をゆがめた。
「『善き力』じゃ、あの化け物どもに太刀打ちできないから、私の出番になったんじゃないか。でも、まあ、これはいいものだね。久しぶりにこんな綺麗なものを見たよ」
 夜明け前は一日のうちで最も暗い。今夜は月もない。それでも、ココの白装束の姿は闇に浮き上がって見えた。
 遊撃隊に続き、遅れて到着した部隊があった。工人ミケルが率いる工兵隊だ。ヤンゴたちが突入した後、城壁を崩してブンド族の門を再建するのが彼らの任務となる。
「かしら、本当に行くんですか。思っていたより遊撃隊の人数が少なくありませんか。私たちが門を開いてから、もっと大勢で乗り込んだ方がいいでしょうに」
 遊撃隊は屈強な者たちが揃っているとはいえ、総勢三十数名に過ぎない。
 この期に及んでなお口数の多いミケルにヤンゴは呆れ顔を見せた。
「おい、この前の夜、お前も見ただろう。あの真っ暗闇の操り人形どもを。あんなのが城壁のすぐ向こうに待ち構えているんだぜ。お前らが作業している間にも飛び出してくるかも知れねえ。まずはあの化け物どもを追っ払う必要があるだろうが」
「そりゃあそうでしょうがね、あの日、王都でどれだけの人間が死んだと思っているんです。あれが、みんな死霊兵にされているとしたら大変なことですよ」
 ヤンゴは禿げ頭を撫で上げると、分からねえ野郎だという顔でミケルの目に見入った。
「死霊兵を俺達だけでやっつけようなんて思っちゃいねえ。奴らをひっかきまわして、死霊の勢いを削ぐんだ。そうしたら城壁の封印も緩む。その時、王国の軍勢がどっとなだれ込むって寸法さ。このブンド族の門からは精霊たちも流れ込む。イーグル・アイがそう言っていた。精霊たちにはここが一番大きな門なんだとな。全部、出発前に説明しただろうが。お前にそれが分からねえとはどういうことなんだ」
 暗い中でも、ミケルの目から涙がこぼれているのが分かった。
「でも……でもですよ、かしら。軍勢が城門から突入するまで死霊でいっぱいの王都の中にはこの遊撃隊しか味方はいないんでしょう……もしも……もしものことがあったら、どうするんです……」
 ヤンゴはミケルの細い肩を抱き、力づけるように前後に揺さぶった。いつも酒の匂いをさせていたヤンゴだが、今日は奥歯で噛んでいるミアレの花の青臭いような匂いがした。
「お前は余計なことは考えなくていい。工兵隊の指揮のことだけ考えるんだ。言っておくが、お前は死んじゃならねえ。王都を取り戻してから元通りにするには荒くれ者の戦士なんかじゃなくお前のようなのが必要になる。おい、みんな行くぜ!」
 ヤンゴが声をかけると遊撃隊は馬を捨て、松明をかかげて下水口へ向かった。
 ブルクット族の鍛冶屋の長がヤンゴのところへやってきた。この男はカラゲルの名付け親になったあの男だった。
「工人よ、賢き匠よ。門を開くことだけでなく門を閉じることも忘れぬようにな」
「門を閉じるですって。門を開いて軍勢を迎え入れるんじゃないんですか」
「いかにも。門を開いたら味方を迎え、次に閉じる。厳重にな。我らは今、攻める側だが、王都を奪還したら攻められる側に変わる。城門の扉も運んできたか」
「ええ、総指揮官のお指図で仮のものではありますが、十分頑丈なのを。しかし、攻められるって誰にです。闇の王をやっつけたら王都は安泰でしょう」
 鍛冶屋は深くうなずいた。鍛冶屋もまたミアレの花の匂いをさせていた。
「次に総指揮官に会う時には、王よ、と呼びかけるがいいぞ、工人よ。しかし、あの小便垂れが王か。うむ、ここはひとつ踏ん張りどころだ」
 遊撃隊は下水口から奥をのぞき込んでいたが、ヤンゴの命令により次々に突入していった。
 屈強な男どもはココをまるで姫君か何かのように取り巻き、護っていた。その様子はどこかミアレ姫を守護して王国を経巡った旅の一行を思わせた。
 松明の火で下水溝の闇を払いつつ進み、部隊は城壁内部のごみ溜め場へ出た。
 夜明け前の闇が濃い霧のようにたちこめていた。ここでは頼みの松明の光も弱々しくなったような気がしてならない。
 それでも、切り立ったごみの山の輪郭だけはかすかに見えていた。
 男たちは剣を抜いた。どれもこの一戦のために研がれ、鍛えられた業物だ。
 ブルクット族の鍛冶屋たちは兄弟分となったコウモリの巣の面々にそれぞれ新しい剣を贈っていた。その刃は闇の中でも氷のように冴え渡り、暗い光をたたえていた。
 遊撃隊はごみの山の谷底を進んでいった。あたりは静まり返っている。夜明けはまだ遠い。自分たちの足音ばかりがやけに大きく木霊して、夢の中にでもいるようだ。
「おい、ココよ。暗闇野郎どもはどうしたんだ。お前の話じゃ、うじゃうじゃいるようなことだったが」
 ヤンゴが言うと、ココは上目遣いにあたりを見回した。
「……もう来てるよ」
 ごみの山の輪郭がわずかに波打ったかと思うと、その稜線に一体、また一体と死霊兵の姿が影絵のように立ち並んだ。
「かしら、囲まれちまったぜ!」
 ブルーノが叫ぶのと同時に死霊兵は飛ぶように斜面を駆け下りて遊撃隊へ襲いかかってきた。蛇の鱗がこすれ合う乾いた音と濃厚な硫黄の臭気が迫ってきた。
 あたり一帯で剣と剣がぶつかり合う音がし始めた。どの方向から振り下ろされるか分からない死霊兵の剣法に戸惑いつつ遊撃隊の面々は懸命に闇の剣を迎え撃った。
「間合いを詰めて骨を砕け!」
 ヤンゴの指示に面々は身体ごとぶつかるようにして剣を叩き込んでいった。
 蛇の群れをえぐるように刀身を振り下ろし、骨を断つ。乾いた音がして影のような死霊の肉体が崩れると、もう一歩踏み込んで背骨を砕く。
 死霊兵は小蛇を飛び散らせながら地にくずおれ、元の乾いた骨に戻っていった。
「死ぬのが怖くねえのはこっちだって同じだ。斬って斬って斬りまくれ!」
 ヤンゴの怒鳴り声が暗い谷底に響いた。
 しかし、死霊兵の群れは数知れず稜線を越えて集まってきた。
 すでにココも遊撃隊の先頭に立って戦っていた。
 印を結んだ手のひと払いで闇の中に大火球が生じ、数体の死霊兵を一気に焼き尽くす。蛇の身体にも苦痛があるのだろうか。剣を取り落とし激しく手足をのたうたせて闇が炎上した。焦げた硫黄の臭気とともに燃え上がった死霊兵は骨まで焼かれて砂塵のようにはかなく地上に灰を撒き散らした。
 ココは死霊魔法のありったけを解き放っていた。魔法印はすでに知っているものだけでなく、どこからともなく啓示のように未知の印が体内から湧き上がって、ココの指を複雑によじり合わせた。そのために五本の指のほとんどの関節は外れ、もはやココの肉体はココのものではなくなっているようだった。
 ココはしだいに衰弱していった。死霊に取り憑かれているココにとって死霊へ攻撃を加えるのはみずからに攻撃を加えるのと等しい。
 鍛冶屋の長がまた一体、死霊を地下へ送り込み、頭上に剣を振り上げて吠えたけった。
「我らが踏ん張れば踏ん張るほどカラゲルがやりやすくなるのだ。命の限りやっつけろ!」
 鍛冶屋たちの屈強な身体はすでに多くの手傷を負っていた。コウモリの巣の面々もほとんどの者が手負いだ。
「腐った蛇どもを地獄へ送り返してやれ。こいつらは闇の王の分身だ!」
 ヤンゴは大剣を横殴りに振り回し、また三体の死霊兵を地面にくずおれさせた。
 その時、すさまじい絶叫が聞こえてきた。見ると、鍛冶屋の一人の顔に黒い蛇が噛みついていた。それを引き離そうとするうちに蛇は群れを成して飛びついてきて、たちまち鍛冶屋の顔は蛇の黒光りする鱗で覆われてしまった。
 顔に当てた両手の奥からくぐもった叫びが上がったかと思うと、蛇は口、鼻孔、耳孔、眼窩と顔のあらゆる穴から頭蓋へ潜り込んだ。
 鍛冶屋は全身を痙攣させ、両手を踊りでもおどるように頭上に舞わせると、がっくりと膝を地面に落とし、うつぶせに倒れた。
「おお、やられおったか。死体は捨て置け。今は死霊どもを蹴散らすのみ」
 鍛冶屋の長がそう言った時、死んだ鍛冶屋の身体がむっくりと起き上がった。その顔はすべての穴が暗く深い闇に沈み込んで見えた。
 頭蓋に侵入した蛇の群れは急速に屈強な肉体を支配し、まさに死者を鞭打つごとく死骸を死んだまま蘇らせたのだ。
 さすがの遊撃隊の面々も、その異様な光景を怖れ、後ずさった。
 鍛冶屋の死骸は操り人形のようなぎこちない動きで剣を拾うと、生きていた時の訓練された動きとはまったく違う死霊兵の乱れた剣法で面々に襲いかかってきた。
 それまで勇壮に死霊兵に立ち向かっていた面々は逃げ惑い、中にはつまずいてごみの山に倒れ込む者までいた。
「うろたえるでない。この者は我が手でベルーフ峰へ送ってやる」
 鍛冶屋の長は乱れた太刀筋の剣をかわして大股に踏み込むと、よろめく死骸の首を刎ね、背骨を断ち切った。
 どさりと重い音をさせて死骸が倒れると、蛇の群れがその内側から全身の肌を食い破って湧き出てきた。蛇は地面に吸い込まれるように消えた。強い硫黄の臭気がまわりを取り巻く者たちの背筋を震わせた。
「まだ終わっちゃいないよ。何をぼんやりしてるんだい!」
 呆気にとられている男どもをココが怒鳴りつけた。またも寄り集まってくる死霊兵をココは巨大な魔法障壁を展開して吹き飛ばした。
 空はようやく明るみかけてきた。闇の中に凍りついていた時が縛めの鎖の輪を引きちぎろうとするように重い足取りで歩き始めた。
 遊撃隊の面々は力の限り死霊兵を切り裂き、貫き、叩きのめした。その士気は天を衝くほどだったが、それでも、一人倒れ、二人倒れして、手勢は削られていった。
 そのうちにヤンゴは低く重い物音が聞こえてきたのに気付いた。
「おい、あれを聞け。味方が城門を突き破りにかかっているようだぜ」
 遠く響き渡る音はさながら心臓の鼓動のように繰り返し聞こえてきた。破城槌が城門を叩く音に違いなかった。
 手負いの遊撃隊は勢いづいて、さらなる死霊兵の怒濤へ立ち向かっていった。死霊の動きにどこか痙攣するような狂ったような激しさが加わっているように見えた。
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