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第百八十章

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第百八十章

 王都で起こっていたこと。それはある種の奇跡であった。
 闇の王は神々に等しい者だったのか。いや、そうではない。それは見せかけに過ぎない。しかし、見せかけだけの空虚なものが世界を覆い尽くすこともある。
「愚か者め、骨までも死骸を食らい尽くしおって。死骸はもっとあったはずだぞ」
 謁見の間に闇の王の声が轟いた。その声は風が洞窟を吹き抜ける時の虚ろな響きを帯びていた。
「食らい尽くしやしねえさ。これだけあれば十分だろう。俺は飢えているんだ。今もな。いや、どんどんひどくなるんだ、この焼け付くような飢えがよ」
 蛇の玉座の前に背中を丸め、上目遣いの目をギラつかせて立っていたのはコルウスだった。コルウスは痩せこけ、目を落ち窪ませていた。
 しかし、意気は盛んだ。この世のあらゆるものをむさぼり尽くしてやりたいという欲望がとめどなくコルウスを突き上げている。
 その口元が引き攣るように吊り上がった。乾いた唇がひび割れて、どす黒い血がにじんでいた。
「あんたにも分かるだろう。王国の部族がこの王都へ群がってきているのが。奴らは決戦を挑もうってつもりさ。王国の民のめぼしい奴らはみんなこの地に集まっている。思うつぼじゃねえか。なあ、闇の旦那よ」
 闇の王は大きく長い息を吐いたようだ。腐り果てたシュメル王の死骸は闇の王の頭の上でボロボロに朽ちた旗のように揺れた。
 コルウスは口元ばかりでなく目元も凶暴に吊り上げて笑った。
「俺は死霊の軍勢を使って奴らを死の坩堝へ叩き込み、筋金入りの死霊の部族に鍛え直してやろう。そうしたら、王国は死の王国に生まれ変わる。つまり、ダファネア王国はコルウス王国になるってことさ」
「お前は何と言った。愚かな肉と愚かな霊を持つ、しょせんは人間に過ぎなかった者め。お前の名を王国に冠する時など来るものか。お前は道化に過ぎぬ。闇の下僕に過ぎぬのだ。世界にありとある砂粒よりももっと小さい者め!」
 無数の蛇の群れが作る闇の王の身体がさながら崖崩れのように形を乱した。闇の王は弱っていた。
 闇の王は王都の至るところに転がっている死骸に死霊を吹き込んでいた。これは、コルウスの発案によるものだった。
 死骸はどれも白骨と化して地に伏し、バラバラになって乾ききっていた。それが、闇の王の力で再び繋ぎ合わされ、その周囲の地面から湧き出した無数の蛇によって偽りの肉体が形作られた。
 王都の至るところで枯れた骨のまわりに蛇が群がり、巻き付き、うねりくねりながら人の形を取ろうとする。そこへ闇の王は息のように死霊を吹き込むのだ。
 死霊を吹き込まれた死骸はわらわらと立ち上がって闇の王の分身と化した。この死霊兵でもって攻め寄せる王の血脈の軍勢に立ち向かわせようというのだ。
 いまや城壁の内側には死霊兵が充満している。かつての王都の民の無残な成れの果てがこれだ。聖地に行きつけずに彷徨う死霊の群れの成れの果てでもある。
 蛇の玉座の上で闇の王は輪郭をおぼろに崩していた。死霊兵を生み出すために、その力の限りを振り絞っていたのだ。
 コルウスが乾いた唇を青黒い舌で舐め回した。
「闇の旦那よ、地の底の王よ。あんたは蛇を産み出すので精根尽き果てたって様子だぜ。おお、その顔。死ぬ前のシュメル王によく似てら。そら、ミアレ王妃を蘇らせようとした、あの地下墓地の暗い松明の下で見た顔さ。悪い相が出てやがる」
 闇の王は轟々と竜巻に似た音をさせて蛇の身体を身悶えさせた。闇の王はようやく気付いたのだ。
「もしや、お前はこれを狙っていたのか……私を出し抜き、王国をかすめ取ろうと……」
 直後、闇の王の身体は波立ち、震え、輪郭をおぼろに崩したが、やっとの思いで元の姿を取り戻した。
「騙したな、道化め……許さぬ、今度こそ許さぬぞ!」
 闇の王は地鳴りのようなうめき声を上げ、コルウスの頭上に大蛇と化してのしかかった。しかし、その大きく開いた顎の形はすぐに崩れて、道化の肉体を食らうこともできず、元の玉座の王の姿に戻るしかなかった。
「おお、肉の身体では無限であることはできぬ……」
 その間、コルウスは動じず、傲然と頭をもたげて立っていた。
「無理するのはよしな。あんたはしょせん運命のままにある。あんたにできるのはそれだけだ。運命の道しるべと街道とをどこまでもぐるぐると巡るだけなのさ。しかし、俺は違う。俺は運命にどこまでもあらがう。なぜなら、俺は人間だからだ。それが人間であるってことだからさ」
 コルウスは謁見の間に破れ鐘のような声を響かせた。篝火が激しく唸り、青い炎を上げた。
「よく聞いておけ、闇の王よ。この戦に勝つのは俺だ。俺の他の何者でもない」
 闇の王は玉座の上に身を屈め、シュメル王の腐った死骸をぶるぶると震わせた。王冠は腐乱した肉にめり込み、傾いて、シュメル王の目を塞いでいた。
「お前はイーグル・アイにも立ち向かおうというのか。イーグル・アイこそ王国の巨大な運命そのものなのだぞ」
 イーグル・アイと聞いたコルウスはその名を鼻で笑い飛ばした。
「クランだと、恐れるに足らん。あいつは精霊とお仲間ってだけさ。王の血脈であるミアレ姫もまた同じだ。確かに聖地を浄化されたら、死霊どもはこの世を去ることができるようになるが、王都の聖地ってのはどこだ。闇の旦那よ、あんたのいるそこじゃねえか。あんたさえ、そこから動かなきゃいいんだ。安心しな、死霊の軍勢と俺とであんたを守ってやる。こうなりゃ俺だって最後までやり遂げるしかねえんだからよ。腐れ縁ってのはこのことを言うんだろうな。本当に腐ってやがるぜ、俺もあんたも、この世界もよ!」
 狂ったような笑い声がコルウスの口からほとばしった。
 それとともに精霊の矢を受けた闇の目の眼窩から血が流れた。また、オローに受けた肩の傷、精霊の傷も血を噴き出した。その血は地下墓地の暗闇に等しい黒色を示していた。
 コルウスはむしろ陽気になってしゃべり続けた。しゃべらずにいられないでともいうように。
「部族の民を率いるのはカラゲルだろうが、これも怖くはねえ。ヤツは精霊にも死霊にも無縁なんだからな。ユーグは、そう、確かにあの坊主は死霊に呼びかけることもできるが、それは連中にとっては禁忌だ。そうそう禁忌を犯すことはできねえだろう」
 またも乾いた唇から笑い声がほとばしった。その息は焼け付くような硫黄の臭いがした。
「禁忌なんぞ、ちゃんちゃらおかしいぜ。そうさ、俺は禁忌なんぞ怖れねえ。これこそ人間ってもんだ。あらゆることから自由なのが人間さ。さあ、見ろよ、この俺を。これくらい人間らしい人間があるってのか」
 胸を叩いた両手を高々とかかげて、コルウスはどこか天の高みにいる者に呼びかけるがごとくだった。
 闇の王はかすれておぼろげな声を上げた。
「お前が人間だと……そのような人間があるものか。お前はすでに人ではない、半ば死霊と化しているのだ。お前の肉の身体は朽ち、お前の霊の身体は四散しつつある」
 とたんに目を怒らせたコルウスは腰の剣を抜くと、闇をまとった刀身で天を突いた。
「ごたくはもうたくさんだ。俺にはこれがある。見ろ、闇の力が燃え盛ってるぜ。死霊どもは俺の奴隷だ。俺はな、奴隷じみた連中の扱いにはちょいと自信があるんだ。なにせ囚人鉱山で暴動を起こさせたのは俺なんだからな。これこそ力さ。いずれにせよ死霊の軍勢を操ることができるのは俺だけさ。それとも闇の旦那よ。あんたがおんみずからやろうってのかい。よしな、よしな。あんたはそこでおとなしくしていりゃあいいんだ。そうしていりゃあ、ちっとは神さまらしく見えるぜ。いつも黙り込んでいる役立たずの神々の仲間入りさ」
 くるりと振り返ったコルウスは抜き身の剣を握ったまま大股に謁見の間を横切り、かつてはミアレの園であった王宮の中庭に出た。
 そこには剣や槍が弓が山のように積まれていた。最初の頃に死霊兵となった者たちに命じて王宮の武器庫を開かせたのだ。いまや王都に充満している死霊兵にこれらの武器を取らせねばならない。
 コルウスは崩れかけた王宮の城壁に登り、王都を見下ろした。
 王都は見えない炎で炎上していた。コルウスには死霊がそのように見えたのだ。
 闇をまとった剣を頭上にかかげると闇に慕い寄る死霊の気配が感じられた。
「おお、有象無象どもがうじゃうじゃ集まって来る。さあ、剣を取れ、槍を担げ、弓を構えろ。武器はまだある。地下の武器庫には継承戦争の頃からの古い武器がいくらでもあるんだ。いや、もっと古いのもあるかな。武器はこの世に二人目の人間ができた時からあるんだからよ。そいつを使って、お前らの死を敵にちょっとばかり分けてやれ。そうしたら、お前らのお仲間が増えるってわけだ。地上を死でいっぱいにしてやれ。そうしたら、お前らの住みやすい土地になるってわけだ。何もかも死の一色で塗りつぶしてやれ!」
 かつてミアレの園であった王宮の中庭は蛇の身体を持った死霊兵でいっぱいになった。
 コルウスが闇をまとった玉座の剣で命じると、死霊兵たちは武器を手に取り、無言のまま凶暴な高ぶりを示して、ギラつく切っ先を宙に突き上げた。
 死霊どもは生者であった時のように二本足で歩いているが、急ぎ足になると獣じみた四つ足で走った。時に大きく跳躍して虫けらのように崩れた石壁に飛びついたかと思うと、垂直な壁面を這い上がったりした。
「人の形をした闇の獣ども、行き場を失った死霊のどん詰まりよ。何も怖れることはねえ。禁忌も、イーグル・アイも、死だってどうってことはねえ。お前らはもう死んでいるんだ。永遠に死んでいるのさ。永遠に死んでいるなら、永遠に生きているのと変わりゃしねえだろう。永遠になること。それこそ人間の本望ってやつだ。神々は許しゃしねえだろうが、はっきり言っておく。俺がこの手でお前らを永遠にしてやる。俺の剣の下で戦う限りは」
 コルウスはまた狂ったような笑い声を上げた。その笑い声は王都に響き渡り、空にかかる三日月の光すら、そのために震えてにじんだ。
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