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第百七十一章
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第百七十一章
砦の完成は近づき、部族の民を迎える準備も整いつつある。
王の血脈の名のもとに、ミアレ姫は王国の各部族へ親書を送った。
闇の王から王都を奪還するために砦へ集結せよという檄文だ。使者にはメル族隊商の白の騎士の中でも乗馬に優れた者を選んだ。
ミアレ姫と旅の一行の遍歴は無駄ではなかった。各部族は王の血脈の召喚に応じ、急ぎ旅立った。
真っ先に駆けつけたのは、ブルクット族の鍛冶屋たち十二名だった。街道から列を成して門をくぐる彼らの姿は砦の者たちの目を見張らせた。
誰もが大柄で岩石から彫り出したようなゴツゴツした輪郭の肉体を持ち、顔には部族を表す剣の刺青があった。またがる馬も屈強な体格で胴も脚も太く、地を揺るがすような蹄の音が出来たばかりの城壁に轟いた。
男も女もいたが見分けがつかない。ほとんど鎧かと見える厚手で丈夫な褐色の長衣をまとい、腰には揃って広刃の長剣を差している。
皆、カラゲルよりずっと年上で、きつく結んだ髷も凛々しく、草原の日に焼けた顔には威厳があった。長衣の袖越しにも手綱を握る腕が野太く見えた。
同じブルクット族でもカラゲルは若く、やや軽薄なところもあり、敏捷でしなやかな姿をしている。カナ族やメル族たちのほとんどはブルクット族といえばカラゲルのようなものだと思っていたので、彼らの剛毅な容姿に圧倒される思いだった。
我が部族の到着を知ったカラゲルは急ぎ出迎えた。
鍛冶屋たちは城壁近くの馬屋の前で馬に水を飲ませ、自分らは一服つけているところだった。周囲には物珍しげに異族の様子を眺める者たちが集まっていた。
カラゲルの姿を目にした鍛冶屋の長は煙管をくわえたまま大股に駆け寄り、久方ぶりに会う族長の息子を抱きしめた。
「カラゲルよ、族長ウルの息子よ。しばらくぶりにその鷲を見たぞ。片翼の鷲でよくぞここまで飛んで来れたものだ」
鍛冶屋の長の身体に染み付いた煙草の匂いはカラゲルに故郷の村を思い出させた。そういえば、部族の鍛冶屋連中はこういう刻み煙草をよくやっていた。
「まだロクに飛んでなどいない。戦はこれからだ。村はどんな様子だ」
「変わりない。いずれこの日が来るだろうと、ウルの指示で剣や槍、弓矢や盾を多く作った。蓄えていた鉄も木も革も使い尽くした」
それらの武器は追って到着するはずだと言う。ウルもそれと一緒に来るはずだ。
「親父はもう旅が出来るまでになったか。ならば、親父が軍勢の指揮を取ってくれるかもしれないな」
「馬鹿を言え。お前の他に誰が指揮を取るというのだ。我らはウルからカラゲルの翼になるよう言われてきたのだ」
翼になるとは、鷲を操る部族ブルクット族の言葉でその者を助け、その者と生死を共にするたとえだ。すなわち、カラゲルの翼になるとはカラゲルの配下となり、その命令に服従するという意味だ。
それと同時にカラゲルの方も翼がなくては飛ぶこともかなわず、鷲の高く広い視野を得ることもできず、また、敵を狩ることもできないのだ。
「うむ、分かった。しかし、親父が来てくれれば心強いことに変わりない」
鍛冶屋の長はカラゲルの姿をまじまじと眺め、口にくわえた煙管をひねった。
「大きな声では言わぬがな、それは俺も同じだ。この片翼の若造め、俺はお前を赤ん坊の頃から見ているのだ。お前を初めて馬の鞍に乗せてやったのは俺だぞ。お前は俺の腕の中で小便をもらした。こんな男が族長の息子とは俺は情けなくて涙が出た」
長の口元がいたずらっぽく吊り上がった。この男はカラゲルの名付け親だった。
「しかたないだろう。まだ生まれて三ヶ月の初鞍の儀式だ。俺はまだ赤ん坊だ。お前は何かというとその話をして笑いを取ろうとするが、たいして面白くないぞ」
長は大声を上げて笑った。あたりにいた者たちが何事だとこちらを見るので、カラゲルはバツの悪い顔になった。
「お前は長旅をしたのにまだこんな細っこい腕をしているのか。さぞ男らしい腕になっているだろうと思っていたのだが」
いきなり左腕をつかまれてカラゲルは顔をしかめた。ミアレ姫を取り戻すための決闘で痛めた腕だ。
鍛冶屋の長は真面目な顔つきになって、ゆがんだ稲妻の刺青を見つめた。
「なんだ、怪我をしているのか。剣の傷か。見せてみろ」
カラゲルが嫌がると、いいから見せろと長は言い張った。しかたなく馬屋の奥へ入り、カラゲルは上着を肩脱ぎにして傷を見せた。
「なるほど、刀傷だが、えらく細身の剣だ。こんなのは見たことがない」
「あいつは速かった。荒れ野を吹き過ぎる風のようにな」
「南の者か」
長はカラゲルの手と肩とを調べて言った。
「手のひらを貫通して……肩で受けたか……これは捨て身の戦法だ。お前は我が身を捨ててもいいと思うようなものを背負った。そして勝った。お前は稲妻の刺青に見合う男になった。しょんべん垂れの小僧がだ」
「最後のは余計だ。おい、このことは誰にも言うなよ。怪我人が大将では士気が下がる」
鍛冶屋の長は小首をかしげた。
「一概にそうとも言えぬが。お前がそう言うなら、このことは黙っておこう」
カラゲルがミアレ姫を取り戻す時、怪我をしたことは誰もが知っていたが、傷が治っていないことは伏せられていた。そもそも、その怪我も軽いものだということになっていたのだ。
しかし、傷は深く、カラゲルはいまだ左手でものを握ることができず、冷えると肩が痛むのだった。こうなると、利き手は右手だから剣を握ることはできるが、得意の弓を引くことはできそうになかった。
初鞍の儀式の逸話はあっという間に砦に広まった。ブルクット族の鍛冶屋たちは揃って煙草好きで酒好きで話好きだった。
しかし、カラゲルの怪我のことは約束を違えず秘密が守られていた。
ブルクット族の鍛冶屋たちに続いて姿を現したのは、ナホ族の荷馬車の列だった。
族長ホワソンみずから率いる荷馬車には町に貯蔵されていた穀物を中心に大量の食糧が満載されていた。荷馬車の列は長く、荷下ろしの順番待ちで街道に渋滞ができたほどだった。
普段は畑仕事をしている若者たちも王国の一大事にその身を捧げようと数多くやってきた。砦の建設はたけなわ、労働力はいくらでも欲しいところだ。
兵士を志願する者たちもいたが、あの部族戦争の時の大混乱を思えば、あまり戦力としてあてにはならないだろう。
ただし、ヤンゴ率いるコウモリの巣の面々は別だった。いずれも命知らずの男どもばかりで武器の扱いにも慣れている。軍師バレルは彼らを即戦力の遊撃隊として使おうと決めた。
もっとも、このならず者あがりの連中に問題がないわけではなかった。
彼らは到着したその日のうちにブルクット族の鍛冶屋たちと大喧嘩を起こした。いずれ劣らぬ屈強な者どもの殴り合いはなかなかの見ものだった。
騒ぎを聞いたユーグが止めに入ろうとしたが、カラゲルはやりたいようにやらせておけと言った。
「喧嘩っ早いというのは獣で言えば習性のようなものでどうすることもできない。そのうちくたびれて両方ぶっ倒れるのを待つんだな」
結局、カラゲルの言った通りになって、宿舎の前の広場には倒壊した丸太小屋の跡のように泥まみれの身体が倒れて折り重なる始末となった。
喧嘩の理由を聞くと双方ともに、こっちを見る目つきが気に食わねえと言って砦の者たちを呆れさせた。
しかし、この大喧嘩をきっかけにコウモリの巣の面々と鍛冶屋たちは仲間となった。
かつてココに手玉に取られたコウモリの巣の一員ブルーノなどは、鍛冶屋の一人と生死を共にする約束まで交わした。いわゆる兄弟分というやつだ。
ある夜、あらかた完成した鍛冶場の片隅で二人は焚き火を囲み、革袋の酒をまわし飲みしていた。酒はコウモリの巣の連中が持ち込んできたサソリ酒ダイオウだ。
ブルーノは鍛冶屋に酒を勧めつつ陽気に言った。
「よし、こうして盃を交わしたからには俺たちは精霊に誓って兄弟分だ。なあ、弟よ」
肩にまわされたブルーノの手を振り払って鍛冶屋は若いならず者をにらんだ。
「なに、いつ俺がお前の弟分になったのだ。お前は俺よりも年下だろうが」
「しかし、いざ修羅場となれば俺の方が場数を踏んでいるからな」
「場数だと。しょせん酒場の喧嘩沙汰に過ぎぬだろう」
それまで陽気に笑っていたブルーノが顔色を変えた。
「なにを、俺は街道のならず者たちとも渡り合ってきたんだぜ。俺をコケにする気か」「よかろう、腕ずくで決めようではないか。さあ、来い!」
こうしてまた喧嘩が始まり、二人とも疲れ果てるまで殴り合うのだった。
ナホ族の民に続き、テン族も族長アーメルとともに羊と馬の群れを追ってきた。事実上、彼らの全財産といっていい家畜の数だ。
全員が騎馬で戦力としても期待できそうだが人数は少ない。
カラゲルはクレオンの岩山を去る時、一人の少年を自分の旗手にしてやると約束していた。少年はその約束を忘れていなかった。
彼もまた馬にまたがり群れを追ってきた。肩には旅の一行と別れの時、岩山の頂上で振っていた旗を担いでいた。鷲を描いた王国の旗だ。
岩山に天幕神殿を営んでいたナビ教祭司クレオンは王都からの難民たちを率いてやってきた。シャーマンのアルテも同行している。砦にやってきたシャーマンはクランを除けばアルテのみだ。
クレオンとアルテの到着を知っていたかのように、クランは二人を街道まで出迎えた。
クランの変貌ぶりにクレオンは驚く様子だったが、同じシャーマンのアルテはさほどでもなかった。ただ、イーグル・アイの青い瞳をのぞき込んでうなずくのみだった。
難民たちは自分たちの故郷である王都を奪還しようと意気盛んだった。ただし、武器の使い方を心得ている者は少ない。ナホ族の若者たちと一緒に訓練が必要だろう。
また、難民たちの中には革具職人や料理人、医者や理髪師などもいて砦の者たちを助けてくれそうだ。
かつては王都の宿屋の若主人だった男もやって来た。城門をくぐる難民の群れの中に見覚えのある顔を見つけたカラゲルは男に駆け寄って声をかけた。
「お前も戦うつもりか。いいだろう。お前の父は勇者だ。お前の父のおかげで王の血脈は救われたのだ」
地中から鎌首をもたげた闇の王に棒切れ一本で立ち向かったウエス。この男は戦士でも祭司でも、ましてやシャーマンでもなく、ただの宿屋の主人だった。
「戦わずにいたら、死んだ親父に顔向けができませんからね」
「うむ、その意気だ。そうだ、女房はどうしている」
「ええ……その……元気にやってますよ。今はナホ族の町へ戻っています」
若主人はカラゲルに言わなかったことがあった。女房は妊娠して、近く子供が産まれそうになっていた。それを言うと帰れと言われるかと思って黙っておくことにしたのだ。
ナホ族と王都の民の到着により、砦は一気に賑わった。作業はいよいよ加速し、人々は日夜、盛んに行き交って、砦はすでにひとつの町のように見えてきた。
そんな中、スナ族の民の到着は砦の者たちを驚かせた。スナ族の地は辺境の中の辺境。その地を見た者は少なく、その民を見た者もまた少ない。
やって来たのは、少年族長のエリイ、蚕飼いの長ゼリグ、それに工人ミケルの三人だ。ゼリグの娘アンジュと結ばれたエリイにとって、ゼリグはいまや義理の父だ。
慣れない馬での長旅で、三人は門をくぐるなり鞍からくずれ落ち、砦の者たちに介抱された。
とうてい戦力にはなるまいが、クランはミアレ姫にエリイたちをそばに置くよう助言した。スナ族の民は王家の者に次いで精霊に近い者たちだ。戦いは肉の身体の側だけでなく霊の身体の側でも行われるであろう。
工人ミケルはユーグの求めに応じて木枠と漆喰とでダファネア神像を作り、神殿に納めた。
今回はクランにモデルになってもらうことはなかった。この像はスナ族の神殿にあったものを忠実に再現したものだった。ミケルはスナ族の島にいる間、毎日かかさず神殿で祈りを捧げていたのだ。かつて王都に工房を構えていた頃には日毎の祈りなど考えもしなかったことだったが。
サンペ族の到着は集まっていた部族の民の目を見張らせた。
騎馬もしくは馬車で、なかなかの大人数だ。部族の民のほとんどがこの遠征に加わっていたからだ。先頭に立っていたのは、ナナとナンガの若い二人だった。
サンペ族は狩り場を求めて移動するのを身上とする部族だが、部族あげての長旅はただごとではなかっただろう。老人から、男、女、まだ十代の少年少女といっていい者まで加わっている。部族ごと引っ越してきたかのような騒ぎだ。
族長であるナナの父はもちろん、ナンガの父もいた。練達の狩人の顔が頼もしい。
部族の民はみな肩に弓をつけていた。いつもの狩猟用のものに加え、長距離の射撃ができるよう改造した長弓を持っている。ナンガはこの日のために部族得意の弓矢に工夫を凝らしていたのだ。
「我らサンペ族はイーグル・アイの力で白い霧を晴らしてもらった恩があります。今度は私たちがお返ししなくちゃいけない」
ナナとナンガは砦の詰所でミアレ姫をはじめとした一行に再会した。久しぶりに会うせいだろうか、ナナは少女らしいところが抜けて大人っぽく見えた。
「そうだ。イーグル・アイは命を賭けた。命には命で返すのだ」
クランとナナは霧の森を共にさまよい、一度は命まで失いかけた。
「霧を晴らしたのは私ではない。龍だ。私に恩を返す必要はない」
「それでは気が済まない。イーグル・アイよ、私はお前と王の血脈にこの命を捧げるぞ」
勢い込んで言うナナにクランはかぶりを振った。クランはあの時、ナナが子を宿していたのを覚えていた。
「子が産まれたのではないのか。もし、母をなくしたら、その子はどうする」
クランの青い目に一瞬、翳りがひらめいた。
ユーグが驚いて言った。
「なんだと、子供が。そうか、ナンガとの間に子ができたのだな。お前はいかん。故郷へ帰れ」
ナナは口元に笑みを浮かべ、どこか誇らしげに言い出した。
「王の血脈の一行は我が部族のことを分かっていないらしいな。私の娘は私が死んでも部族の民が育てる。そもそも子供は部族のみんなのものなのだ。子供は私の胎から産まれたのでなく部族の胎から産まれたのだ。仮に私の胎に宿ったというだけで他の子と変わらない。まあ、私の娘は他の子よりいくらか器量良しのようだが……」
口が滑ったという顔で、ナナは少し頬を赤らめた。ナンガが後を引き取った。
「子供は若者宿に預けてあります。こうしてみんなで出て来ましたから森に残っている者は少ないが心配はいりません。我が部族は狩人です。獣と渡り合って森の中で命を落とすのはよくあることですから、子供のことなんかもうまくやっているんです」
「つまり、我が部族の民は決して母を失うことなどない。誰かしら部族の女が生き残っておれば、それが母なのだから」
戸惑い気味のユーグたちに対して、ナナとナンガは落ち着き払っていた。
戦士の部族ブルクット族が日常的に死に思いを馳せるのと似て、狩人の部族サンペ族もまた死を思うことを常としていた。
死は森の獣のように不意に彼らの目の前に姿を現す。狩るか狩られるかは神々のはからいしだいなのだ。
砦の完成は近づき、部族の民を迎える準備も整いつつある。
王の血脈の名のもとに、ミアレ姫は王国の各部族へ親書を送った。
闇の王から王都を奪還するために砦へ集結せよという檄文だ。使者にはメル族隊商の白の騎士の中でも乗馬に優れた者を選んだ。
ミアレ姫と旅の一行の遍歴は無駄ではなかった。各部族は王の血脈の召喚に応じ、急ぎ旅立った。
真っ先に駆けつけたのは、ブルクット族の鍛冶屋たち十二名だった。街道から列を成して門をくぐる彼らの姿は砦の者たちの目を見張らせた。
誰もが大柄で岩石から彫り出したようなゴツゴツした輪郭の肉体を持ち、顔には部族を表す剣の刺青があった。またがる馬も屈強な体格で胴も脚も太く、地を揺るがすような蹄の音が出来たばかりの城壁に轟いた。
男も女もいたが見分けがつかない。ほとんど鎧かと見える厚手で丈夫な褐色の長衣をまとい、腰には揃って広刃の長剣を差している。
皆、カラゲルよりずっと年上で、きつく結んだ髷も凛々しく、草原の日に焼けた顔には威厳があった。長衣の袖越しにも手綱を握る腕が野太く見えた。
同じブルクット族でもカラゲルは若く、やや軽薄なところもあり、敏捷でしなやかな姿をしている。カナ族やメル族たちのほとんどはブルクット族といえばカラゲルのようなものだと思っていたので、彼らの剛毅な容姿に圧倒される思いだった。
我が部族の到着を知ったカラゲルは急ぎ出迎えた。
鍛冶屋たちは城壁近くの馬屋の前で馬に水を飲ませ、自分らは一服つけているところだった。周囲には物珍しげに異族の様子を眺める者たちが集まっていた。
カラゲルの姿を目にした鍛冶屋の長は煙管をくわえたまま大股に駆け寄り、久方ぶりに会う族長の息子を抱きしめた。
「カラゲルよ、族長ウルの息子よ。しばらくぶりにその鷲を見たぞ。片翼の鷲でよくぞここまで飛んで来れたものだ」
鍛冶屋の長の身体に染み付いた煙草の匂いはカラゲルに故郷の村を思い出させた。そういえば、部族の鍛冶屋連中はこういう刻み煙草をよくやっていた。
「まだロクに飛んでなどいない。戦はこれからだ。村はどんな様子だ」
「変わりない。いずれこの日が来るだろうと、ウルの指示で剣や槍、弓矢や盾を多く作った。蓄えていた鉄も木も革も使い尽くした」
それらの武器は追って到着するはずだと言う。ウルもそれと一緒に来るはずだ。
「親父はもう旅が出来るまでになったか。ならば、親父が軍勢の指揮を取ってくれるかもしれないな」
「馬鹿を言え。お前の他に誰が指揮を取るというのだ。我らはウルからカラゲルの翼になるよう言われてきたのだ」
翼になるとは、鷲を操る部族ブルクット族の言葉でその者を助け、その者と生死を共にするたとえだ。すなわち、カラゲルの翼になるとはカラゲルの配下となり、その命令に服従するという意味だ。
それと同時にカラゲルの方も翼がなくては飛ぶこともかなわず、鷲の高く広い視野を得ることもできず、また、敵を狩ることもできないのだ。
「うむ、分かった。しかし、親父が来てくれれば心強いことに変わりない」
鍛冶屋の長はカラゲルの姿をまじまじと眺め、口にくわえた煙管をひねった。
「大きな声では言わぬがな、それは俺も同じだ。この片翼の若造め、俺はお前を赤ん坊の頃から見ているのだ。お前を初めて馬の鞍に乗せてやったのは俺だぞ。お前は俺の腕の中で小便をもらした。こんな男が族長の息子とは俺は情けなくて涙が出た」
長の口元がいたずらっぽく吊り上がった。この男はカラゲルの名付け親だった。
「しかたないだろう。まだ生まれて三ヶ月の初鞍の儀式だ。俺はまだ赤ん坊だ。お前は何かというとその話をして笑いを取ろうとするが、たいして面白くないぞ」
長は大声を上げて笑った。あたりにいた者たちが何事だとこちらを見るので、カラゲルはバツの悪い顔になった。
「お前は長旅をしたのにまだこんな細っこい腕をしているのか。さぞ男らしい腕になっているだろうと思っていたのだが」
いきなり左腕をつかまれてカラゲルは顔をしかめた。ミアレ姫を取り戻すための決闘で痛めた腕だ。
鍛冶屋の長は真面目な顔つきになって、ゆがんだ稲妻の刺青を見つめた。
「なんだ、怪我をしているのか。剣の傷か。見せてみろ」
カラゲルが嫌がると、いいから見せろと長は言い張った。しかたなく馬屋の奥へ入り、カラゲルは上着を肩脱ぎにして傷を見せた。
「なるほど、刀傷だが、えらく細身の剣だ。こんなのは見たことがない」
「あいつは速かった。荒れ野を吹き過ぎる風のようにな」
「南の者か」
長はカラゲルの手と肩とを調べて言った。
「手のひらを貫通して……肩で受けたか……これは捨て身の戦法だ。お前は我が身を捨ててもいいと思うようなものを背負った。そして勝った。お前は稲妻の刺青に見合う男になった。しょんべん垂れの小僧がだ」
「最後のは余計だ。おい、このことは誰にも言うなよ。怪我人が大将では士気が下がる」
鍛冶屋の長は小首をかしげた。
「一概にそうとも言えぬが。お前がそう言うなら、このことは黙っておこう」
カラゲルがミアレ姫を取り戻す時、怪我をしたことは誰もが知っていたが、傷が治っていないことは伏せられていた。そもそも、その怪我も軽いものだということになっていたのだ。
しかし、傷は深く、カラゲルはいまだ左手でものを握ることができず、冷えると肩が痛むのだった。こうなると、利き手は右手だから剣を握ることはできるが、得意の弓を引くことはできそうになかった。
初鞍の儀式の逸話はあっという間に砦に広まった。ブルクット族の鍛冶屋たちは揃って煙草好きで酒好きで話好きだった。
しかし、カラゲルの怪我のことは約束を違えず秘密が守られていた。
ブルクット族の鍛冶屋たちに続いて姿を現したのは、ナホ族の荷馬車の列だった。
族長ホワソンみずから率いる荷馬車には町に貯蔵されていた穀物を中心に大量の食糧が満載されていた。荷馬車の列は長く、荷下ろしの順番待ちで街道に渋滞ができたほどだった。
普段は畑仕事をしている若者たちも王国の一大事にその身を捧げようと数多くやってきた。砦の建設はたけなわ、労働力はいくらでも欲しいところだ。
兵士を志願する者たちもいたが、あの部族戦争の時の大混乱を思えば、あまり戦力としてあてにはならないだろう。
ただし、ヤンゴ率いるコウモリの巣の面々は別だった。いずれも命知らずの男どもばかりで武器の扱いにも慣れている。軍師バレルは彼らを即戦力の遊撃隊として使おうと決めた。
もっとも、このならず者あがりの連中に問題がないわけではなかった。
彼らは到着したその日のうちにブルクット族の鍛冶屋たちと大喧嘩を起こした。いずれ劣らぬ屈強な者どもの殴り合いはなかなかの見ものだった。
騒ぎを聞いたユーグが止めに入ろうとしたが、カラゲルはやりたいようにやらせておけと言った。
「喧嘩っ早いというのは獣で言えば習性のようなものでどうすることもできない。そのうちくたびれて両方ぶっ倒れるのを待つんだな」
結局、カラゲルの言った通りになって、宿舎の前の広場には倒壊した丸太小屋の跡のように泥まみれの身体が倒れて折り重なる始末となった。
喧嘩の理由を聞くと双方ともに、こっちを見る目つきが気に食わねえと言って砦の者たちを呆れさせた。
しかし、この大喧嘩をきっかけにコウモリの巣の面々と鍛冶屋たちは仲間となった。
かつてココに手玉に取られたコウモリの巣の一員ブルーノなどは、鍛冶屋の一人と生死を共にする約束まで交わした。いわゆる兄弟分というやつだ。
ある夜、あらかた完成した鍛冶場の片隅で二人は焚き火を囲み、革袋の酒をまわし飲みしていた。酒はコウモリの巣の連中が持ち込んできたサソリ酒ダイオウだ。
ブルーノは鍛冶屋に酒を勧めつつ陽気に言った。
「よし、こうして盃を交わしたからには俺たちは精霊に誓って兄弟分だ。なあ、弟よ」
肩にまわされたブルーノの手を振り払って鍛冶屋は若いならず者をにらんだ。
「なに、いつ俺がお前の弟分になったのだ。お前は俺よりも年下だろうが」
「しかし、いざ修羅場となれば俺の方が場数を踏んでいるからな」
「場数だと。しょせん酒場の喧嘩沙汰に過ぎぬだろう」
それまで陽気に笑っていたブルーノが顔色を変えた。
「なにを、俺は街道のならず者たちとも渡り合ってきたんだぜ。俺をコケにする気か」「よかろう、腕ずくで決めようではないか。さあ、来い!」
こうしてまた喧嘩が始まり、二人とも疲れ果てるまで殴り合うのだった。
ナホ族の民に続き、テン族も族長アーメルとともに羊と馬の群れを追ってきた。事実上、彼らの全財産といっていい家畜の数だ。
全員が騎馬で戦力としても期待できそうだが人数は少ない。
カラゲルはクレオンの岩山を去る時、一人の少年を自分の旗手にしてやると約束していた。少年はその約束を忘れていなかった。
彼もまた馬にまたがり群れを追ってきた。肩には旅の一行と別れの時、岩山の頂上で振っていた旗を担いでいた。鷲を描いた王国の旗だ。
岩山に天幕神殿を営んでいたナビ教祭司クレオンは王都からの難民たちを率いてやってきた。シャーマンのアルテも同行している。砦にやってきたシャーマンはクランを除けばアルテのみだ。
クレオンとアルテの到着を知っていたかのように、クランは二人を街道まで出迎えた。
クランの変貌ぶりにクレオンは驚く様子だったが、同じシャーマンのアルテはさほどでもなかった。ただ、イーグル・アイの青い瞳をのぞき込んでうなずくのみだった。
難民たちは自分たちの故郷である王都を奪還しようと意気盛んだった。ただし、武器の使い方を心得ている者は少ない。ナホ族の若者たちと一緒に訓練が必要だろう。
また、難民たちの中には革具職人や料理人、医者や理髪師などもいて砦の者たちを助けてくれそうだ。
かつては王都の宿屋の若主人だった男もやって来た。城門をくぐる難民の群れの中に見覚えのある顔を見つけたカラゲルは男に駆け寄って声をかけた。
「お前も戦うつもりか。いいだろう。お前の父は勇者だ。お前の父のおかげで王の血脈は救われたのだ」
地中から鎌首をもたげた闇の王に棒切れ一本で立ち向かったウエス。この男は戦士でも祭司でも、ましてやシャーマンでもなく、ただの宿屋の主人だった。
「戦わずにいたら、死んだ親父に顔向けができませんからね」
「うむ、その意気だ。そうだ、女房はどうしている」
「ええ……その……元気にやってますよ。今はナホ族の町へ戻っています」
若主人はカラゲルに言わなかったことがあった。女房は妊娠して、近く子供が産まれそうになっていた。それを言うと帰れと言われるかと思って黙っておくことにしたのだ。
ナホ族と王都の民の到着により、砦は一気に賑わった。作業はいよいよ加速し、人々は日夜、盛んに行き交って、砦はすでにひとつの町のように見えてきた。
そんな中、スナ族の民の到着は砦の者たちを驚かせた。スナ族の地は辺境の中の辺境。その地を見た者は少なく、その民を見た者もまた少ない。
やって来たのは、少年族長のエリイ、蚕飼いの長ゼリグ、それに工人ミケルの三人だ。ゼリグの娘アンジュと結ばれたエリイにとって、ゼリグはいまや義理の父だ。
慣れない馬での長旅で、三人は門をくぐるなり鞍からくずれ落ち、砦の者たちに介抱された。
とうてい戦力にはなるまいが、クランはミアレ姫にエリイたちをそばに置くよう助言した。スナ族の民は王家の者に次いで精霊に近い者たちだ。戦いは肉の身体の側だけでなく霊の身体の側でも行われるであろう。
工人ミケルはユーグの求めに応じて木枠と漆喰とでダファネア神像を作り、神殿に納めた。
今回はクランにモデルになってもらうことはなかった。この像はスナ族の神殿にあったものを忠実に再現したものだった。ミケルはスナ族の島にいる間、毎日かかさず神殿で祈りを捧げていたのだ。かつて王都に工房を構えていた頃には日毎の祈りなど考えもしなかったことだったが。
サンペ族の到着は集まっていた部族の民の目を見張らせた。
騎馬もしくは馬車で、なかなかの大人数だ。部族の民のほとんどがこの遠征に加わっていたからだ。先頭に立っていたのは、ナナとナンガの若い二人だった。
サンペ族は狩り場を求めて移動するのを身上とする部族だが、部族あげての長旅はただごとではなかっただろう。老人から、男、女、まだ十代の少年少女といっていい者まで加わっている。部族ごと引っ越してきたかのような騒ぎだ。
族長であるナナの父はもちろん、ナンガの父もいた。練達の狩人の顔が頼もしい。
部族の民はみな肩に弓をつけていた。いつもの狩猟用のものに加え、長距離の射撃ができるよう改造した長弓を持っている。ナンガはこの日のために部族得意の弓矢に工夫を凝らしていたのだ。
「我らサンペ族はイーグル・アイの力で白い霧を晴らしてもらった恩があります。今度は私たちがお返ししなくちゃいけない」
ナナとナンガは砦の詰所でミアレ姫をはじめとした一行に再会した。久しぶりに会うせいだろうか、ナナは少女らしいところが抜けて大人っぽく見えた。
「そうだ。イーグル・アイは命を賭けた。命には命で返すのだ」
クランとナナは霧の森を共にさまよい、一度は命まで失いかけた。
「霧を晴らしたのは私ではない。龍だ。私に恩を返す必要はない」
「それでは気が済まない。イーグル・アイよ、私はお前と王の血脈にこの命を捧げるぞ」
勢い込んで言うナナにクランはかぶりを振った。クランはあの時、ナナが子を宿していたのを覚えていた。
「子が産まれたのではないのか。もし、母をなくしたら、その子はどうする」
クランの青い目に一瞬、翳りがひらめいた。
ユーグが驚いて言った。
「なんだと、子供が。そうか、ナンガとの間に子ができたのだな。お前はいかん。故郷へ帰れ」
ナナは口元に笑みを浮かべ、どこか誇らしげに言い出した。
「王の血脈の一行は我が部族のことを分かっていないらしいな。私の娘は私が死んでも部族の民が育てる。そもそも子供は部族のみんなのものなのだ。子供は私の胎から産まれたのでなく部族の胎から産まれたのだ。仮に私の胎に宿ったというだけで他の子と変わらない。まあ、私の娘は他の子よりいくらか器量良しのようだが……」
口が滑ったという顔で、ナナは少し頬を赤らめた。ナンガが後を引き取った。
「子供は若者宿に預けてあります。こうしてみんなで出て来ましたから森に残っている者は少ないが心配はいりません。我が部族は狩人です。獣と渡り合って森の中で命を落とすのはよくあることですから、子供のことなんかもうまくやっているんです」
「つまり、我が部族の民は決して母を失うことなどない。誰かしら部族の女が生き残っておれば、それが母なのだから」
戸惑い気味のユーグたちに対して、ナナとナンガは落ち着き払っていた。
戦士の部族ブルクット族が日常的に死に思いを馳せるのと似て、狩人の部族サンペ族もまた死を思うことを常としていた。
死は森の獣のように不意に彼らの目の前に姿を現す。狩るか狩られるかは神々のはからいしだいなのだ。
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