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第百六十四章
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第百六十四章
次の日、夜に入った頃、天幕神殿のある広場の道しるべのあたりに総勢二十名ほどの男たちと馬が集まってきた。カラゲル率いるミアレ姫捜索隊の面々だった。
カラゲルとユーグはもちろんのこと、かつて囚人鉱山の警備隊長だった男もそこに加わっていた。
この男は族長セレンに鉱山長に任命されて、しばらくは鉱山の再稼働に尽力していたが、それが軌道に乗ると堅苦しい鉱山長の肩書は捨て、カラゲルの部下となって砦の建設に参加していた。
「カラゲルよ、こっちの準備はいいぜ。早いとこやっつけちまおう」
警備隊長は十数名の白の騎士を従えることになっていた。普段は隊商の警備についている白の騎士たちは剣と弓矢を身につけ、革鎧もいかめしく、いざという時に備えていた。
カラゲルがうなずくと、警備隊長の命令一下、馬にまたがった騎士たちは二列縦隊で出発を待つ態勢になった。
そこへメル族の紳士オットーがやって来た。騎士たちを手勢に貸してくれたのは、この男だった。
「カラゲルさん、西の商館からリンチ様がひそかに出発されたという知らせがありました。身元不明の客もあったようですから、もしかすると……」
カラゲルは身元不明の客と聞いて小首をかしげた。
「客は奴隷商人か。もしそうなら、姫さまを奴隷に売り飛ばそうなどと、ずいぶん危ない橋を渡る連中もいたものだ」
「いえ、確実なことは言えませんが、客は南から来た者のようで……」
南からと言えば、荒れ野を越え、その向こうに広がる砂漠を越えた帝国のことを指すものと決まっている。
「南か。何をたくらんでいるにせよ、面倒なことになる前に姫さまを取り戻さなくては」
「私も一緒に行きたいところですが、この足では文字通り足手まといになるばかりで誠に不甲斐ないことです」
黒い蛇にやられて義足となった足を見下ろしたオットーは無念そうに言った。この件にメル族長老リンチが絡んでいるらしいと知ったオットーは同族のこととあって責任のようなものを感じずにいられなかったのだ。
カラゲルはオットーの肩に手を置いてうなずいた。
「いや、いいのだ。手勢を貸してくれただけで十分。頼りになりそうな男ばかりで心強い」
カラゲルは警備隊長を振り返った。
「まずは街道を南へ下って様子を見るとしようか」
「それなら急がないと。砂漠に逃げ込まれたらことだ。おおい、出発するぞ!」
カラゲルも馬に乗ると、その首の横を軽く叩いた。長い旅を共にしてきた奴だ。このところ砂嵐の中を突っ切ったりと無理をさせている。それでも鼻息は荒い。手綱を握るカラゲルの手に力が入った。
隊列はカラゲルを先頭に進み始めた。
そこへユーグが馬に乗って合流した。ナビ教の白い長衣の懐が大きくふくれて見える。そこにはあのミアレ王妃の頭蓋骨が入っていた。
少し前、ユーグは勝手に頭蓋骨を持ち出したカラゲルを叱りつけていた。実のところ、この捜索隊の遠征にも気が進まないユーグだった。
カラゲルはユーグのすぐ脇に馬を寄せて言った。
「ユーグよ、王妃の頭蓋骨を持ってきたか。それだけが頼りなのだ。なんなら俺の鞍につけていってもいいのだがな」
からかうようなカラゲルの調子にユーグはむっとした顔になった。
「何を言うか、恐れ多いことを。これはただの頭蓋骨ではない。王国の命運を担ってきた頭蓋骨なのだぞ。祭壇に安置して王妃の魂をお慰めしなくてはならないものなのだ」
ユーグはかつて荒れ野に逃れた時、王妃を守りきれなかったことをいまだに忘れられずにいた。今、隊列は同じ荒れ野に向かおうとしている。
「ユーグよ。今では王国の命運は姫さまが担っているのだ。姫さまを探すために王妃にもひと働きしてもらわなくてはな。頭蓋骨が二つに増えるなんてことのないように。さあ飛ばすぞ」
カラゲルが片手を上げて夜の街道を指差すと隊列は一斉に馬の脚を速めて走りだした。
「こいつめ、縁起でもないことを言うな」
戦士の部族ブルクット族の民は時にこうした死を軽んじるような軽口を叩くと、ユーグも知っていた。しかし、ことは王の血脈に関わるのだ。それを軽々しく冗談にするとは。
ユーグは片手で手綱を握り、もう片手は長衣の上から懐の頭蓋骨を大事に抱えていた。横目で見るとカラゲルの稲妻の刺青のある横顔はいたって真剣な面持ちだった。カラゲルの軽口はこの後の危険を予期していればこそだったのだ。
濃紺の夜空の下に白く街道が伸びていた。
夜空は暗く、星の淡い光だけが頼りだ。荒れ野は見渡す限り青白く静まり返っていた。風もない。この前の砂嵐の日とは大違いだ。
街道を少し進んだところでカラゲルは高く片手を上げて隊列を停止させた。
「ユーグよ、頼む」
カラゲルに声をかけられたユーグは馬から降りると懐からミアレ王妃の頭蓋骨を取り出した。褐色に乾いた表面が星あかりでほのかに光っている。
両手で捧げ持つように頭蓋骨をかかげたユーグの前へ、こちらも馬を降りたカラゲルが近づいてきた。あらかじめ用意しておいた火口で獣脂の蝋燭に火を点けると、その炎を頭蓋骨の二つの暗い眼窩の間に近づけた。
無風の野に炎は夜空に向かってまっすぐ立ちのぼっていた。ジリジリと獣脂が溶ける音がして炎は微動だにしない。
頭蓋骨を捧げ持つユーグはしびれを切らしてカラゲルに声をかけた。
「おい、本当にこれでいいのか。クランがこのようにせよと言ったのだな」
カラゲルはうなずき、黙っていろという仕草をした。
やがて、ゆるやかな風が吹いて来て炎が揺れたかと思うと、その赤く光る舌が生き物のように伸び上がり、ある方角を示した。
カラゲルは灯芯を指でつまむようにして蝋燭の火を消した。
「やはり街道を外れて進まねばならないようだな。隊長、あっちには何がある」
炎が示した方角を指で差してカラゲルは尋ねた。警備隊長は首をかしげた。
「さあてね……何があると言っても砂と枯れ草と岩しかないはずだが……」
「そうか。もう少し先へ行ってから、もう一度、おうかがいを立てるとしよう。ユーグ、王妃はひと休みだ」
カラゲルは馬に跳び乗ると街道を外れた荒れ野へと馬首を向けた。隊列はやや足を速めて砂と枯れ草と岩の上を進んでいった。
その後、カラゲルとユーグは二度、三度と王妃の頭蓋骨に道を示すよう求めた。
方角はだんだん南西へと逸れていくように思われた。荒れ野は砂漠に変わりつつあるようだ。
隊列はしだいに馬の速度を早めていた。もしかすると姫はすでに砂漠へと連れ出されてしまったかもしれない。そんな恐れがカラゲルの胸中にもあった。
夜は更け、すでに真夜中を過ぎているようだった。荒れ野はますます静まり返り、捜索隊の蹄の音だけが夜気の底を震わせていた。
「姫さまは本当にこの先にいらっしゃるのか。蝋燭の火が道案内とはなんとも頼りない」
しだいに不安になってきたのか、ユーグが呟くように言った。
「なんだ、ユーグ。お前は王妃の頭蓋骨を信じないのか」
カラゲルは口元にからかうような色を浮かべていた。
「いつも大事そうに祭壇に置いて拝んでいるのはあれは何だ。王妃のありがたいお告げでもあるのかと思ったが」
「いや、信じるの信じないのということではない。私はミアレ王妃の魂をお鎮めしようとしているのだ」
「俺たちが今やっているのはシャーマンがやっているのと同じことだ。シャーマンたちはいにしえの言葉で精霊たちに道を示してもらって、その方角へ進む。もし、精霊が答えなかったら道はそこで終わっているということだ」
カラゲルは稲妻の刺青のある目でじっと前方を見据えた。
「俺たちはシャーマンではない。だから今はクランと王妃にその力を貸してもらっているというわけさ。こんな荒れ野を渡るには精霊の加護が必要だ。ユーグよ、こんな時、ナビ教の徒ならどうするんだ」
問われたユーグはしばらく無言のままだったが、やがて口を開いた。
「ただ祈るのみだ」
「なるほど、それはいいことだ。俺たちは何かって言うと精霊を頼ったり、ある時は精霊を呪ったりするが、そんなことはすべきではないんだ。ただ祈って、後は自分の手でしっかり手綱を握ってやっていくのさ。しかし、今はそうも言っていられない。精霊にひと働きしてもらわなくてはならないのだ」
その時、すぐ後ろを走ってきた警備隊長が大きな声を上げた。
「そうか、あれだ。俺たちが目指しているのはあそこだ!」
警備隊長はカラゲルとユーグの間に馬を割り込ませた。
「あれが見えるだろ、カラゲル。あんたに縁の深い場所だぜ」
カラゲルは警備隊長が指差す先へ目を凝らした。
地平線の上に巨大な岩山が見えてきた。その岩山の頂上には荒れ果てた砦の城壁が青白い星あかりを受けてそびえ立っていた。
ユーグが思わず感嘆の声を上げた。
「ブルクット族の砦だ。なんということだ、砂漠の南から来る外敵を防ぐために築かれた砦が悪人どもに利用されているというのか」
カラゲルはこの砦の存在は知っていたが、こうして目の当たりにするのは初めてだった。
「親父がよくこの砦のことを言っていた。きっと荒れ果てていることだろうとな。無念に思っていたのだ。ユーグはあの砦に行ったことがあるのか」
「いや、遠くから見たことはあるが、中へ入ったことはない」
「王妃やシュメル王子と荒れ野を彷徨っていた時、砦に行ったりはしなかったのか」
「行くものか。私たちは姿をくらますために荒れ野に逃れたのだ。王妃や王子が失踪したとなれば、王の血脈を付け狙う者どもが真っ先に探りを入れるのはあの砦だ。王都から遠く城壁で守られているのだから。そこへ行くのは自分から敵の手の内に飛び込むようなものだ」
カラゲルとユーグの間をすり抜けるようにして警備隊長が馬を先に進めた。ふたたび若き族長の息子とナビ教祭司は馬首を並べた。
「前から不思議に思っていたのだが、なぜ、ブルクット族は王妃や王子を守らなかったのだ」
カラゲルの問いにユーグは呆れたような顔になった。
「なんだ、父のウルから聞かなかったのか。王国においてブルクット族はあくまでも中立の立場を守っていたのだ。いかなる場合でもだ。どちらに肩入れするにせよ、武力を持った勢力が味方につけば勝負は決まってしまう。王宮に野心を抱く者たちはブルクット族を抱き込もうとしたが、歴代の族長は決してなびかなかったのだ」
「それじゃ、セレチェンはそれを破ったってことになるんじゃないのか」
「セレチェンはシュメル王子とミアレ王妃の護衛役だったのだ」
「そうだとしても二人を荒れ野に逃すというのは中立の範囲を越えているだろう。ブルクット族が王都から追放されたのはそのせいだな」
ユーグはやや気色ばむ風でかぶりを振った。
「いや、違う……いや、違わないが……セレチェンには……あいつには別の思いがあったのだ」
カラゲルがユーグの言う別の思いについて尋ねようとした時、先を行っていた警備隊長が声をかけてきた。
「見ろ、城壁に光が見えるぞ。多分、松明だ。人がいるんだ。間違いないぜ」
かなり目を凝らしてやっと見えるくらいだが、確かに松明の火らしきものが城壁の上に見えた。その火はゆっくりと動いていた。
カラゲルはあたりを見回し、大きな岩の脇に灌木が二、三本生えているところを見つけた。
「隊長、ひとまずあの岩の後ろに入って様子を見るとしよう」
警備隊長は白の騎士たちに指示を与えた。隊列はカラゲルの後について整然と岩陰へ向かった。
城壁の向こうにミアレ姫がいるとして、どのように姫を奪還するか。相手の素性はもちろん、人数もはっきりしない。ひとまず砦に忍び寄る手を探ることだ。
砦まではまだかなりの距離があった。星あかりがあるとはいえ真夜中過ぎ。荒れ野は暗かった。忍び寄る方にとっては好都合だ。よほど目の利く者でなくては荒れ野を進む騎馬の隊列を見つけることはできないだろうと思えた。
次の日、夜に入った頃、天幕神殿のある広場の道しるべのあたりに総勢二十名ほどの男たちと馬が集まってきた。カラゲル率いるミアレ姫捜索隊の面々だった。
カラゲルとユーグはもちろんのこと、かつて囚人鉱山の警備隊長だった男もそこに加わっていた。
この男は族長セレンに鉱山長に任命されて、しばらくは鉱山の再稼働に尽力していたが、それが軌道に乗ると堅苦しい鉱山長の肩書は捨て、カラゲルの部下となって砦の建設に参加していた。
「カラゲルよ、こっちの準備はいいぜ。早いとこやっつけちまおう」
警備隊長は十数名の白の騎士を従えることになっていた。普段は隊商の警備についている白の騎士たちは剣と弓矢を身につけ、革鎧もいかめしく、いざという時に備えていた。
カラゲルがうなずくと、警備隊長の命令一下、馬にまたがった騎士たちは二列縦隊で出発を待つ態勢になった。
そこへメル族の紳士オットーがやって来た。騎士たちを手勢に貸してくれたのは、この男だった。
「カラゲルさん、西の商館からリンチ様がひそかに出発されたという知らせがありました。身元不明の客もあったようですから、もしかすると……」
カラゲルは身元不明の客と聞いて小首をかしげた。
「客は奴隷商人か。もしそうなら、姫さまを奴隷に売り飛ばそうなどと、ずいぶん危ない橋を渡る連中もいたものだ」
「いえ、確実なことは言えませんが、客は南から来た者のようで……」
南からと言えば、荒れ野を越え、その向こうに広がる砂漠を越えた帝国のことを指すものと決まっている。
「南か。何をたくらんでいるにせよ、面倒なことになる前に姫さまを取り戻さなくては」
「私も一緒に行きたいところですが、この足では文字通り足手まといになるばかりで誠に不甲斐ないことです」
黒い蛇にやられて義足となった足を見下ろしたオットーは無念そうに言った。この件にメル族長老リンチが絡んでいるらしいと知ったオットーは同族のこととあって責任のようなものを感じずにいられなかったのだ。
カラゲルはオットーの肩に手を置いてうなずいた。
「いや、いいのだ。手勢を貸してくれただけで十分。頼りになりそうな男ばかりで心強い」
カラゲルは警備隊長を振り返った。
「まずは街道を南へ下って様子を見るとしようか」
「それなら急がないと。砂漠に逃げ込まれたらことだ。おおい、出発するぞ!」
カラゲルも馬に乗ると、その首の横を軽く叩いた。長い旅を共にしてきた奴だ。このところ砂嵐の中を突っ切ったりと無理をさせている。それでも鼻息は荒い。手綱を握るカラゲルの手に力が入った。
隊列はカラゲルを先頭に進み始めた。
そこへユーグが馬に乗って合流した。ナビ教の白い長衣の懐が大きくふくれて見える。そこにはあのミアレ王妃の頭蓋骨が入っていた。
少し前、ユーグは勝手に頭蓋骨を持ち出したカラゲルを叱りつけていた。実のところ、この捜索隊の遠征にも気が進まないユーグだった。
カラゲルはユーグのすぐ脇に馬を寄せて言った。
「ユーグよ、王妃の頭蓋骨を持ってきたか。それだけが頼りなのだ。なんなら俺の鞍につけていってもいいのだがな」
からかうようなカラゲルの調子にユーグはむっとした顔になった。
「何を言うか、恐れ多いことを。これはただの頭蓋骨ではない。王国の命運を担ってきた頭蓋骨なのだぞ。祭壇に安置して王妃の魂をお慰めしなくてはならないものなのだ」
ユーグはかつて荒れ野に逃れた時、王妃を守りきれなかったことをいまだに忘れられずにいた。今、隊列は同じ荒れ野に向かおうとしている。
「ユーグよ。今では王国の命運は姫さまが担っているのだ。姫さまを探すために王妃にもひと働きしてもらわなくてはな。頭蓋骨が二つに増えるなんてことのないように。さあ飛ばすぞ」
カラゲルが片手を上げて夜の街道を指差すと隊列は一斉に馬の脚を速めて走りだした。
「こいつめ、縁起でもないことを言うな」
戦士の部族ブルクット族の民は時にこうした死を軽んじるような軽口を叩くと、ユーグも知っていた。しかし、ことは王の血脈に関わるのだ。それを軽々しく冗談にするとは。
ユーグは片手で手綱を握り、もう片手は長衣の上から懐の頭蓋骨を大事に抱えていた。横目で見るとカラゲルの稲妻の刺青のある横顔はいたって真剣な面持ちだった。カラゲルの軽口はこの後の危険を予期していればこそだったのだ。
濃紺の夜空の下に白く街道が伸びていた。
夜空は暗く、星の淡い光だけが頼りだ。荒れ野は見渡す限り青白く静まり返っていた。風もない。この前の砂嵐の日とは大違いだ。
街道を少し進んだところでカラゲルは高く片手を上げて隊列を停止させた。
「ユーグよ、頼む」
カラゲルに声をかけられたユーグは馬から降りると懐からミアレ王妃の頭蓋骨を取り出した。褐色に乾いた表面が星あかりでほのかに光っている。
両手で捧げ持つように頭蓋骨をかかげたユーグの前へ、こちらも馬を降りたカラゲルが近づいてきた。あらかじめ用意しておいた火口で獣脂の蝋燭に火を点けると、その炎を頭蓋骨の二つの暗い眼窩の間に近づけた。
無風の野に炎は夜空に向かってまっすぐ立ちのぼっていた。ジリジリと獣脂が溶ける音がして炎は微動だにしない。
頭蓋骨を捧げ持つユーグはしびれを切らしてカラゲルに声をかけた。
「おい、本当にこれでいいのか。クランがこのようにせよと言ったのだな」
カラゲルはうなずき、黙っていろという仕草をした。
やがて、ゆるやかな風が吹いて来て炎が揺れたかと思うと、その赤く光る舌が生き物のように伸び上がり、ある方角を示した。
カラゲルは灯芯を指でつまむようにして蝋燭の火を消した。
「やはり街道を外れて進まねばならないようだな。隊長、あっちには何がある」
炎が示した方角を指で差してカラゲルは尋ねた。警備隊長は首をかしげた。
「さあてね……何があると言っても砂と枯れ草と岩しかないはずだが……」
「そうか。もう少し先へ行ってから、もう一度、おうかがいを立てるとしよう。ユーグ、王妃はひと休みだ」
カラゲルは馬に跳び乗ると街道を外れた荒れ野へと馬首を向けた。隊列はやや足を速めて砂と枯れ草と岩の上を進んでいった。
その後、カラゲルとユーグは二度、三度と王妃の頭蓋骨に道を示すよう求めた。
方角はだんだん南西へと逸れていくように思われた。荒れ野は砂漠に変わりつつあるようだ。
隊列はしだいに馬の速度を早めていた。もしかすると姫はすでに砂漠へと連れ出されてしまったかもしれない。そんな恐れがカラゲルの胸中にもあった。
夜は更け、すでに真夜中を過ぎているようだった。荒れ野はますます静まり返り、捜索隊の蹄の音だけが夜気の底を震わせていた。
「姫さまは本当にこの先にいらっしゃるのか。蝋燭の火が道案内とはなんとも頼りない」
しだいに不安になってきたのか、ユーグが呟くように言った。
「なんだ、ユーグ。お前は王妃の頭蓋骨を信じないのか」
カラゲルは口元にからかうような色を浮かべていた。
「いつも大事そうに祭壇に置いて拝んでいるのはあれは何だ。王妃のありがたいお告げでもあるのかと思ったが」
「いや、信じるの信じないのということではない。私はミアレ王妃の魂をお鎮めしようとしているのだ」
「俺たちが今やっているのはシャーマンがやっているのと同じことだ。シャーマンたちはいにしえの言葉で精霊たちに道を示してもらって、その方角へ進む。もし、精霊が答えなかったら道はそこで終わっているということだ」
カラゲルは稲妻の刺青のある目でじっと前方を見据えた。
「俺たちはシャーマンではない。だから今はクランと王妃にその力を貸してもらっているというわけさ。こんな荒れ野を渡るには精霊の加護が必要だ。ユーグよ、こんな時、ナビ教の徒ならどうするんだ」
問われたユーグはしばらく無言のままだったが、やがて口を開いた。
「ただ祈るのみだ」
「なるほど、それはいいことだ。俺たちは何かって言うと精霊を頼ったり、ある時は精霊を呪ったりするが、そんなことはすべきではないんだ。ただ祈って、後は自分の手でしっかり手綱を握ってやっていくのさ。しかし、今はそうも言っていられない。精霊にひと働きしてもらわなくてはならないのだ」
その時、すぐ後ろを走ってきた警備隊長が大きな声を上げた。
「そうか、あれだ。俺たちが目指しているのはあそこだ!」
警備隊長はカラゲルとユーグの間に馬を割り込ませた。
「あれが見えるだろ、カラゲル。あんたに縁の深い場所だぜ」
カラゲルは警備隊長が指差す先へ目を凝らした。
地平線の上に巨大な岩山が見えてきた。その岩山の頂上には荒れ果てた砦の城壁が青白い星あかりを受けてそびえ立っていた。
ユーグが思わず感嘆の声を上げた。
「ブルクット族の砦だ。なんということだ、砂漠の南から来る外敵を防ぐために築かれた砦が悪人どもに利用されているというのか」
カラゲルはこの砦の存在は知っていたが、こうして目の当たりにするのは初めてだった。
「親父がよくこの砦のことを言っていた。きっと荒れ果てていることだろうとな。無念に思っていたのだ。ユーグはあの砦に行ったことがあるのか」
「いや、遠くから見たことはあるが、中へ入ったことはない」
「王妃やシュメル王子と荒れ野を彷徨っていた時、砦に行ったりはしなかったのか」
「行くものか。私たちは姿をくらますために荒れ野に逃れたのだ。王妃や王子が失踪したとなれば、王の血脈を付け狙う者どもが真っ先に探りを入れるのはあの砦だ。王都から遠く城壁で守られているのだから。そこへ行くのは自分から敵の手の内に飛び込むようなものだ」
カラゲルとユーグの間をすり抜けるようにして警備隊長が馬を先に進めた。ふたたび若き族長の息子とナビ教祭司は馬首を並べた。
「前から不思議に思っていたのだが、なぜ、ブルクット族は王妃や王子を守らなかったのだ」
カラゲルの問いにユーグは呆れたような顔になった。
「なんだ、父のウルから聞かなかったのか。王国においてブルクット族はあくまでも中立の立場を守っていたのだ。いかなる場合でもだ。どちらに肩入れするにせよ、武力を持った勢力が味方につけば勝負は決まってしまう。王宮に野心を抱く者たちはブルクット族を抱き込もうとしたが、歴代の族長は決してなびかなかったのだ」
「それじゃ、セレチェンはそれを破ったってことになるんじゃないのか」
「セレチェンはシュメル王子とミアレ王妃の護衛役だったのだ」
「そうだとしても二人を荒れ野に逃すというのは中立の範囲を越えているだろう。ブルクット族が王都から追放されたのはそのせいだな」
ユーグはやや気色ばむ風でかぶりを振った。
「いや、違う……いや、違わないが……セレチェンには……あいつには別の思いがあったのだ」
カラゲルがユーグの言う別の思いについて尋ねようとした時、先を行っていた警備隊長が声をかけてきた。
「見ろ、城壁に光が見えるぞ。多分、松明だ。人がいるんだ。間違いないぜ」
かなり目を凝らしてやっと見えるくらいだが、確かに松明の火らしきものが城壁の上に見えた。その火はゆっくりと動いていた。
カラゲルはあたりを見回し、大きな岩の脇に灌木が二、三本生えているところを見つけた。
「隊長、ひとまずあの岩の後ろに入って様子を見るとしよう」
警備隊長は白の騎士たちに指示を与えた。隊列はカラゲルの後について整然と岩陰へ向かった。
城壁の向こうにミアレ姫がいるとして、どのように姫を奪還するか。相手の素性はもちろん、人数もはっきりしない。ひとまず砦に忍び寄る手を探ることだ。
砦まではまだかなりの距離があった。星あかりがあるとはいえ真夜中過ぎ。荒れ野は暗かった。忍び寄る方にとっては好都合だ。よほど目の利く者でなくては荒れ野を進む騎馬の隊列を見つけることはできないだろうと思えた。
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